711 :ナイ神父mk-2:2015/10/22(木) 00:01:00
日蘭世界 第二次世界大戦

OCUの戦後

OCUの戦後は復興と開発に費やされたと言っても過言ではない、戦場になったケープや少数ながら獲得した
植民地、そして何よりロシアの復興である。ソ連から獲得した土地は焦土作戦でボロボロになり更に男女問
わず働き盛りが連れていかれたことで、人口構成が15歳未満の子供と動けない老人が9割を占めまともに都市
が機能しているとはいえなかった。そこでロシア帝国は日蘭に支援を要請して、建物を修復し子供と老人は
施設に入れて保護することで復興を図った。

支援を認めた日蘭は災害救助レベルの装備を用意して軍を派遣※1之に加えてドイツとイタリアが支援を申し
入れてそれぞれSSと軍を派遣した。ある程度復興し始め安全を確保できるようになると次は企業や民間団体、住人
が町へと戻り時間をかけてではあるが、戦後復興は進んでいった。しかし、1960年代に入るとソ連が崩壊し、再統一した
ロシアが再度復興に追われるという様子が見られていた。

欧州の戦後

戦後の欧州は1979年代までに大凡4つの勢力に組み込まれることとなる。反共が強い地域はOCUへ、反OCUで反共産ならBCへ
そして共産勢力ならばUSAへ合流し、それぞれ庇護を求めて合流したこの時、勢力拡大に遅れたのはフランスであった
フランスは自国からフランス人以外を追い出すことで形成されている為、警戒されてしまい勢力獲得にはいたることが
出来なかったのである。

そんな中である意味世界の縮図そのものと成ってしまったのがルクセンブルクである。その国内は現在所属する勢力に
ついて国内が大いに混乱していた、大多数はOCUに庇護を求めようとしたが、自分たちを捨てたオランダは信用できない勢力は
BCへの併合を望み、更に白人至上主義の人間はフランスを望み、共産主義者はアメリカを望むという混乱状態であった。
こうした混乱を収める為に政府は中立を表明し、ルクセンブルクは勢力も手を出したくない土地※2として中立を維持させ
られて居る。

一方スペインでは反政府勢力が活性化し、さらにその勢力の武装がソ連製であったことからソ連の介入が疑われた。
内戦が激化して行く事を嫌った当時のスペイン政府はOCUに介入を要請して、解決を図りスペインは赤化を免れて行く、
内戦後反共産の機運が高くなったスペインは1975正式にOCUへ加盟して連結経済へと区込まれていく。

植民地の戦後

各国植民地は各敗戦国へと管理を負わされ、国ごとに扱いに差が出ていた。米国は流れ出た共産勢力に影響されて
植民地も共産党政権が立つ兆候が見られ、フランスは隔離政策で嘗てのインディアンのごとく端へ端へと追い出していた、
そんな中イギリスの植民地はイギリスの方針により、インフラと最低限の教育施設を整えて独立していた。

余りにあっさりと投げ出された旧イギリス植民地ではあったが、その実イギリスから離れずらくなる様にしっかりと対策を練ってのことだった。
植民地では国軍の装備がイギリスから売り払われたもので整えられ、更に扱う兵士も元は植民地兵である為、イギリス製の
装備が一番使い易いという言うのが実情であった。また、当初こそイギリスと貿易を行いながら資金をため完全に離れる予定で
合ったが、時間が起つに連れて既存の利益にこだわる勢力も現れる為それも難しくなっていった。こうして経済面と軍事面で
元植民地が離れることを防ぎながら、徐々に国民間での交流を進めることによって時間をかけて世代交代を待ちながら、
少しずつ元植民地の恨みを薄まる事を期待した。

しかし、火種を完全に消すことは出来ず、同じ植民地内の部族同士の格差や、貧困が加わり時間がたつにつれてそれが顕著に
なって行った。21Cを迎える頃には各植民地は富裕層と貧困層で分かれ富裕層は現在のBCとしての利益で満足して生活している
が、貧困層へ自身の貧困の原因をイギリスに求め一部はテロ※3を起こすなど過激な行動に出ていた。そうした二つの層の板ばさみ
に成りながら元植民地の政府は今日も苦労を重ねている。

712 :ナイ神父mk-2:2015/10/22(木) 00:01:32
米海岸2国と日蘭の戦後

合衆国から独立したカリフォルニアと新大陸共和国はOCU占領下の元戦後復興を行っていた、その原動力となったものが合衆国
からの独立前に集められた資産や物資、そして日蘭を通して入ってくるOCUの資産であった。しかし、自力で復興の資金を工面
出来た新共とは違い、カリフォルニアの資金は戦中に各地が困窮する中、各州が捻出したものでありそのせいで合衆国やテキサス
との対立を深めていくことと成る。そんな中、南米の赤化に伴いOCUがカリフォルニアと新共の海軍の再軍備を許可する。
しかし、既に海軍廃止から20年近く経過していた両国ではノウハウが不足していた。

その問題を解決すべく、両国はOCUから旧式の駆逐艦・巡洋艦・軽空母を購入※4さらに教官を呼び寄せて新兵を教育する傍ら
海戦を生き残った僅かな旧アメリカ海軍のメンバーを一時的に復員させるなどで対策を取った。こうして各国の思惑に振り
回されながら両国は戦後より抜け出していく。

一方の日蘭はというと、戦後の復興で引っ張りだこであった、陸戦こそ少なかったもののそれでも獲得した領土や連合構成国の
中には戦火に晒された土地も少なくなく、復興の為に各地に陸軍と工作部隊を派遣しながら、戦後の秩序構築向けて動いていく。
そんな中、1970年代に入るとソ連から逃れた共産主義者たちが南米を赤化させていた。赤化だけであれば兆候が合った為、
対策を講じるだけだったがブラジルで内戦が発生し、オランダ領土に難民が流れてくると、それが日蘭の怒りに火をつけた。

日蘭は戦後に接収した旧モンタナ級を旗艦とした連合艦隊と陸軍4個師団を編成して之を内戦に投入し早期解決を狙う、
日蘭の介入後と恫喝により後ろ盾を失った反政府勢力はその後徐々に困窮していき壊滅する運びとなる。
この戦いを最後に21世紀現在までOCUによる大規模な戦闘は行われず世界は一先ずの安定を得ている。

※1:予め被害を確認した日蘭政府が資金や民間のだけではまずいと判断し、ロシアの承諾を得て派遣された。

※2:オランダの目と鼻の先である為オランダと事を構えることを嫌がった、敗戦国はルクセンブルクに併合は
行わないことを伝え、更にOCUの各国も態々日蘭の機嫌を損ねるようなことはしたくないため手は出さなかった。

※3:イギリスだけが対処ではなく現在の状態を形作っている富裕層も対象となぅて居る。

※4:復興では民間施設や商業施設など生活に関わる物が優先され事と、仮想敵国がどちらも陸軍中心である為
海に対する重要度は低かった。

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最終更新:2016年02月29日 21:23