885 :弥次郎:2015/10/25(日) 19:15:41

日蘭世界 第二次世界大戦支援ネタ タスク・セーレーン


作戦概要

潜水母艦『マーフォーク』を旗艦とした20隻(※1)を太平洋に展開し、点在する日本海軍の泊地や航空基地などに対して
艦載機による奇襲を仕掛け、日本海軍の行動に掣肘を加えることで行動を鈍らせることを目的とした計画。
この計画は日本もしくはオランダ本国への攻撃をも視野に入れたことが関係者の証言から判明している。
主なターゲットは停泊中の輸送艦や工作艦、泊地に点在するタンクなどであった。
戦局の悪化、開発の遅れなどが重なったことでペーパープランに終わった。


作戦立案までの経緯

第一次大戦での教訓から、潜水艦に対する評価は通商破壊への高い適性と、無差別的な攻撃を行うことへの忌避感から評価は分かれていた。
とくにアメリカにおいては、第一次大戦への参戦の要因ともなった民間船のUボートによる撃沈の反動として、いたずらな攻撃への忌避感が
潜水艦を保有する海軍の中にもあったことは間違いなく、当時の大艦巨砲主義の台頭により艦隊決戦時の補助戦力として見られていた。
1930年代においてモンタナ級の建造計画がスタートしたこともあり、潜水艦はあまり日の目を浴びることなく、
日米間での開戦間近まで雌伏の時を過ごすこととなった。

開戦が近づくにつれて、日蘭との戦力比が覆しえないと判断した海軍は、開戦直後にハワイ若しくはミッドウェーなどに点在する
日本海軍の拠点を強襲し、これを使えなくすることで一時的に足止めして有利な状況を生みだすことを提案。
当然、潜水艦も通商破壊で参加することが決定した。その中で「艦載機を搭載した潜水艦による奇襲案」が俎上に上がった。
これはそれほど大規模ではない泊地に対する攻撃プランの一つとして、またゲリラ的な攻撃を繰り返すことによる攪乱を行い、
拠点を断続的に使用不可能にして、あわよくば泊地などを占拠するための楔を打ち込む役目を期待された。
しかし、当時はまだ計画段階であり開戦に間に合うかどうかも不明で、一度に投じられる航空戦力を比較した結果、
空母機動部隊によるハワイ奇襲案が採用された。
ただし、太平洋艦隊司令部は隠密裏に少数とは言え航空機を投入できる潜水空母とそのコンセプトを評価し、潜水艦による
ゲリラ攻撃という全く新しい概念についての研究と予算が承認された。
こうして、船舶を海中に引きずり込む歌姫から『タスク・セーレーン』と名付けられた計画が開始された。

こうして研究がスタートした『タスク・セーレーン』であったが、その最大の敵は味方にいた。
イギリスおよびフランスとの水上艦艇の共同開発を行う『ビンソン計画』の承認であった。
正面戦力の充実を優先する決定が下されたことで、あくまで補助の役目を出ていなかった潜水母艦の建造は予算と
研究費等の削減によって暗礁に乗り上げた。
開戦までには8隻を揃えるはずだったが、物資の優先度が相対的に低下したことで、起工すら行われることなく開戦を迎えることになった。
精々できたことは、搭載する水上機の研究と潜水母艦そのものの設計であった(※2)。

887 :弥次郎:2015/10/25(日) 19:17:08

開戦後の動き

開戦後にようやくSSC-01『マーフォーク』が起工し、各地の造船所において秘匿されて同時に5隻が建造がスタートした。
候補となる水上機には極めて高い性能が要求されたためにカーチス・ライト社が試作中だった水上機『XSC-1』の設計図をベースとして
開発を行うことで水上戦闘機と水上攻撃機の両方を何とか青写真レベルにまでこぎつけた。

しかし、その開発はハワイをめぐるハワイ沖海戦の戦訓からより高性能なものをという要求が出されることで完全に頓挫した。
潜水艦の限られたスペースに日本の戦闘機を超えるものを積み込むことは、どう考えても現状では不可能であり、最悪の場合攻撃機を
護衛機もなく丸裸で送り出すことすらも危険を承知で行わざるを得ないとも言われた(※3)。
この搭載機の開発の遅れから、やむなく通常の潜水艦としての運用や物資輸送への活用も真剣に検討されていた。

そして漸く要求にたりうる試作水上機『SC アドバンス・シーホーク』が完成し計画が実行に移されようとしたころには、
各地でOCUによる空爆や三式弾道弾による被害が出始め、尚且つ第二次ハワイ沖海戦によってアメリカ太平洋艦隊の主力が
ほとんど失われたころであった。
事実上制海権をOCUに握られ、海運の途絶や天然資源の枯渇もあって、作戦行動に出られるかどうかすら危うい状態。
当然のことながら艦隊行動を行うには危険すぎる状況で、運用を行う水兵の不足と質の低下も目に見えて深刻化した。
秘匿された造船所にも攻撃が降り注ぎ、多くが建造途中に破壊されて、その後の破棄が決定された。
既に艦艇の修復能力すら衰えていた米海軍にとっては、もはや金食い虫か資源食い虫と同義に扱われていたとされる。
また、『SC アドバンス・シーホーク』にしても通常の水上機と比較して50倍から60倍近いコストがかかり、
尚且つ資源不足によってカタログ通りのスペックを発揮できるか不安視される始末であった。
こうして、OCUへの降伏まで、僅かな完熟訓練以外は外洋に出ることもなく終戦を迎えた。

889 :弥次郎:2015/10/25(日) 19:20:11

戦後の接収

OCUに降伏後、西海岸と新大陸共和国に残っていた『マーフォーク』ファミリーはOCUへと接収された(※4)。
コンセプトこそ注目を集めたものの、今後の仮想敵国と自国の戦力比を鑑みて、後方攪乱を行う必要性が低いと判断した大日本帝国は、
ドイツとの共同開発を行っていた潜水艦に搭載する3式42型対地噴進弾(※5)のキャリアーとしてこれの活用を決定。
旧合衆国海軍の建造に関わったスタッフを巻き込み、仮称『葉月1号』と命名されたマーフォークは日本側の監修のもとで改造を行った。
こうして完成した『呂600』型対地ミサイル搭載潜水艦は、後に日本海軍が建造した原子力潜水艦の親ともいえる存在として、
また『見えない抑止力』として南北アメリカ大陸における大日本帝国のプレゼンスの維持のために活動することとなった。
退役後はアメリカ海軍の先見性を遺すものとしてハワイ島において記念艦として残されている。

戦後において漸く衆目の下にさらされたタスク・セーレーンの評価は、貴重なリソースを割いて成果を出せなかったとの
批判的な見方と、先進的なコンセプトと着目点を評価する見方に二分された。
しかし、日本でも同様の研究(※6)が同時期に開始されていたことから、コンセプトそのものは評価され、それを生かす
状況に恵まれなかった悲劇の水子として、合衆国海軍を取り上げたメディアで紹介されることとなった。


※1:当初の計画では潜水空母を合計で40隻ほど建造予定だった。しかし、後述のような要因が重なったことで
起工したのは4分の1ほどの12隻。このうち5隻が建造中に空爆などによる被害を受けて破棄され、1隻が建造途中で終戦を迎えた。
結果、無事に進水・竣工したのはわずか6隻に過ぎず、そのうち1隻は完熟訓練中に行方不明になった。
日本海軍に撃沈されたとする説と、訓練中の事故の発生によってそのまま沈んだとする説がある。
国内の戦略物資の不足や質の低下に伴う不具合の連続があったことから後者が有力視されている。

※2:カタパルト等の搭載の余裕がないことから必然的に水上機搭載の可能性が高まっており、S-1潜水艦とコックス・クレミンXS-2水上機
の組み合わせを導入していたことでそのノウハウの活用が期待された。しかし、有効な攻撃をするためにはフロートの水上機では
ペイロードが足りず、かといって他のものでは実用化が厳しかったというジレンマが存在した。

※3:攻撃隊が日本の防空隊による盛大な歓迎を受けたことで、『戦闘機を攻撃隊の半分以上にしても危うい』という認識が
俄かに生まれており、少数による隠密行動とは言え貴重な艦載機パイロットを危険にさらすことへ反対意見が続出した。

※4:割り当てとしては日本に2隻、オランダに2隻、そしてドイツが名乗りを上げて1隻を接収した。
建造が途中で中断され、保存状態が良かった1隻は現地で技術解析が行われたのちに、ロシア帝国へと譲渡された。

※5:史実のWG42(Wurfgerät 42)などを開発したドイツ側から日本へ対して共同開発の打診が行われていた。
日本側の援助もあり史実以上の性能を持って生まれたこれは、ドイツへの敬意もあり3式42型と番号を与えられた。
またこの見返りに近い形で、ドイツに対してもこのミサイル搭載型潜水艦の建造技術も提供された。

※6:のちの巡航ミサイル潜水艦である。また、コマンド部隊の投入のための母艦としての活用も期待されており、
その中で水上機の搭載の試験が行われた。

890 :弥次郎:2015/10/25(日) 19:23:17
以上となります。wikiへの転載はご自由に。

例によっていろいろとツッコミどころがあるかもしれませんが、技術漏えいを恐れて史実で沈められて
しまった伊400型と異なり、OCU内で分け合うことで延命しました。
ドイツが日本への共同開発云々はぶっちゃけまして個人的な妄想です。ただ、巡航ミサイルの御先祖様
なので、ぜひとも入れておきたかったです。

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最終更新:2016年02月29日 21:25