20 :ナイ神父MK-2:2016/03/04(金) 01:09:35
日蘭世界 44年ゲート編 その8

終戦とベルン講和条約

1945年8月枢軸と連合の間に発生した第二次世界大戦は連合側が枢軸からの和平交渉に応じる形で集結した
停戦した各国は講和条約を締結する為スイスの首都ベルンにて各国首脳を集めた講和会議を開催し、連合からは
在任中に死亡したルーズベルト大統領の変わりのトルーマン、自殺したスターリンの代わりにフルチショフ、そして
チャーチルが出席し、枢軸側からはヒトラー、東条、そして協力体制を敷いていたOCUから嶋田が参加し会議が開始された。

当初こそ日本から二人代表が出ている事態に他国の代表は困惑したが、嶋田がゲートで繋がった大陸世界の日本の首相である事が
明かされ、更に出所不明であった各種兵器の出所と史実側の日本の要請に応じて義勇軍を出していた事が会議場で正式に認められた。
当初こそ、宣戦布告も無しに戦争に参入した件が問題として提起されたが、日米が戦争中であったことや史実側のアメリカの潜水艦に日本の
戦艦が攻撃された事などがあげられ始め、改めて宣戦布告を行うかと言う嶋田総理の言葉から再度戦闘に入る事を嫌がった連合側が折れる形で
この件については問題は無いとされた。

一方で戦後の領土分割についてはなるべく枢軸の力を削りたい連合と勢力圏を多く取りたい枢軸の間で粘り強い交渉が続けられ、以下の通りと
成る事が決まった。

日本

  • 主張する絶対国防圏及び朝鮮半島の北緯38度線までの領有と満州、南京政府の独立を承認

  • 占領中のアジア地域及び北樺太、ウラジオストクからの撤退と当該各国の独立承認、満州市場の一部開放

ドイツ

  • オーストリア、チェコ=スロバキア、ポーランドの領有と北イタリア社会主義共和国とヴィシーフランスの承認

  • フランス、ウクライナ、オランダ、ベルギー等からの撤退、南イタリア王国の承認、亡命フランス政府のフランスへの
 受け入れ

  • 強制収容所で行われているジェノサイドの即時停止と収容者の解放

アメリカ

  • 満州や南京政府、フィリピン等のアジア地域の独立承認と占領軍の撤退

  • 中国国民政府の承認と満州の一部市場への参入

イギリス

  • インド及び香港等の一部植民地地域の領有

  • アフリカやアジア地域の旧植民地の独立承認

  • 台湾沖海戦での鹵獲兵器の返還

ソ連

  • ウクライナ領有

  • 北樺太、ウラジオストクの返還

  • ブルガリア、ルーマニアからのドイツ軍の撤退

  • 中国共産党の承認

こうして大戦後の領土の再編や新たな独立国家、勢力図が決められ各国はそれに合わせて新たな戦略を打ち出していく。

21 :ナイ神父MK-2:2016/03/04(金) 01:10:06

日本とドイツの戦後

ベルン講和条約が締結されたことによって各国ではそれに合わせてその目を戦後復興に向けていく事となる。
日本では確保した絶対国防圏内の領土の開拓と独立が認められた満州と南京政府へ大陸日本から戦時中に購入した
T-34やIS、KV等の鹵獲兵器の販売を開始し、同時に独立したインドネシアには日本製の旧式兵器の販売を開始し
更に研究サンプルとして同盟国のドイツへと提供した。また、ドイツで収容中の一部ユダヤ人を引き取り、
満州に土地を保障してある程度の数を確保することに成功している。

一方のドイツでは一部ユダヤ人などとの引き換えに日本を当してある程度の支援が入る様になり、少しだけ
出てきた余裕を国内の復興とポーランドの開発に当て、その中で遣り繰りした一部をハンガリーへと支援とし、
さらにティーガーやパンターの一部を譲渡してソ連や他東欧諸国に警戒することとなる。

アメリカとイギリスの戦後

アメリカでは、現在国内工場をフル稼働させて戦後獲得した市場へと介入や海軍の艦隊を再建するべく準備が進められていた、また
同時にハワイの復興も開始され無事な本土からの豊富な支援によってハワイも徐々に立て直されていく。しかし
二度の大規模海戦での敗北は大きく尾を引居て、海軍内では兵士不足が続き外面が揃っても肝心の中身が無いと
いう事態が長く続いた、これが原因で戦後の冷戦期になってからもアメリカは海軍やその航空隊での錬度不足に
悩まされることと成る。

また陸軍では戦中に指摘された陸戦力の貧弱さが問題視されるも、ルメイによる戦略空軍の設立や艦隊の再建、核開発等に
予算が取られ、暫くはM4の改修や重戦車の増産等でお茶が濁され海空軍との仲が飛躍的に悪化していくこととなる。しかし
陸に目の敵にされている空軍は空軍で問題を抱えていた。戦中に投入されたB-29は中国戦線等で多数の被害が出ており、能力不足を
指摘されB-30にしても日本の芙蓉に追いつかないという状態であり、張子の虎として陸海の両軍から見られることと成る。

一方イギリスでは大戦で受けた被害とに苦しんでいた、複数の植民地の喪失や海戦での一方的な敗北は大英帝国の
衰退を決定付ける物であり、現状ではインドから富を絞り取って何とか経済を回している状態であった。しかし、収奪が
インドに集中した分インド国内が不安定化しその事が後押しとなって反乱相次ぎその為に軍が投入されて更にイギリスに対して
インド国民が不満を抱くという悪循環が決定的な亀裂が走るまで続くことと成る。

ソ連の戦後

連合の中では最も大きな被害を受けたソ連であったが、共産主義政権を建てたルーマニアやブルガリア等の東欧国家から起っていた
工作機械等を回収して食糧生産の要請と言う名の強制を行ったいた、また、外貨を得る為に中国共産党への支援も同時に開始し
その支援を受けた中国共産党が活性化し南京政府や国民政府を挑発することによって中華内の情勢を悪化させていく

三つの陣営と冷戦

少しずつ各国の復興が進んでいく中でソ連とアメリカは戦中据え置きにしていた対立が再燃を始めていた、当初こそ日本に嵌められる形での
対立であった、日本が出したレッドリストは本物であり、戦中のアメリカの支援の出し渋りも含めて米ソの対立は史実のそれに近い物が
出来始めていた。

この対立が本格化すると同時に世界は枢軸も巻き込んでの巨大な対立となりそれぞれアメリカ、ソ連、日独を中心とした陣営を形成していくこととなる
その中でソ連を中心とするWTO、アメリカを盟主とするNATO、そして日独を中心とするISAが成立し、世界新たな対立の構図を作りながら史実とは違う
冷戦の模様を呈していく。

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最終更新:2016年03月05日 13:09