763 :ナイ神父MK-2:2016/03/13(日) 22:36:34
日蘭世界 44年ゲート編 その11
西側敗退と英国の没落
インドでの内乱は日本参戦以降は、日本優位に進んでいると言っても過言でなかった。日本が主力として投入してきた
T-55やJagerは未だM46やT-44が主力の戦車部に猛威を振るい、戦力を溶かしていた。そんな中で、最も不利を強いられていたのが
西側諸国であった。西側はイギリスと
アメリカの陸軍が主力だあったのだが、既にインド国民の支持を失ったNATO軍は
インド人ゲリラ部隊の襲撃を昼夜問わず幾度と無く受けて疲弊していた、更に日本軍は大陸側で対戦車用に開発された和製RPGを
初めとした銃火器を提供したことによって追い詰められていく事となる。
その頃のイギリスの総督であるルイス子爵には次々に支配域からの撤退や部隊の敗北の情報などが舞い込み彼の顔を暗くさせていた。
「まさか我々イギリスがインドの地で此処まで苦戦を強いられるとは・・・」
「日本軍が提供している戦車も強敵ですが、それ以上に問題なのは反乱を起こしたインド兵達です。奴等の攻撃によって我々の戦車や
航空機の一部は離陸する前にスクラップに変えられました此の侭ではインドからの全面的な撤退も有り得るかと・・・」
「アメリカ軍はどうなっている?」
「アメリカ軍の方でも襲撃が続いています。向こうは空軍が率先して大規模な無差別爆撃を行っているせいで必要以上の
襲撃を受けているようですが・・・」
「・・・無駄な被害を出して必要以上に反感を買っていると?」
「その状況に近いですね、おまけに一部の人種差別の強い兵士が死んだインド人の骨を使ってペンを作ってたり
しているという報告もあります。」
「アメリカ軍をインドに入れたのは間違いだったかも知れないな、奴等のせいで余計に火種が増える一方だ此の侭では
例え日本を追い出したとしてもインドを維持できないぞ・・・」
子爵は頭を抱えながら戦況の確認を続けていく。
NATO軍はこの後の1955年にインド全土から完全に撤退し、更に翌56年にはセイロン島からも撤退してイギリスは完全に
植民地の利権を失い、その衰退を決定つけることとなる。
ドイツ軍再編と空軍改革
45年の終戦以降、ドイツでは軍と占領地の再編が進められていた。幸いにもソ連のバラクチオン作戦で捕虜となった部隊も生存していた
部隊は返還され史実よりは戦力的に余裕が有る状態であったが、それでもドイツを立て直すには至っていなかった。
しかし、ソ連が大打撃を受けたとは言え健在であり北イタリア以南も敵である以上、軍縮は難しくドイツには厳しい状況が続いていた。
そんな中、総統は日本が大陸日本経由でオランダから購入して供与されたセンチュリオンに関する報告が成されていた。
「・・・つまり日本から提供されたオランダ軍の戦車は現状の我が軍の主力であるパンターを上回ると?」
「はい、主砲にはパンターすら越える100mm方が搭載され、中戦車と銘打たれながら実際はティーガーとすら正面から打ち合えるだけの
火力を備えています。」
「此れや日本がサンプルとして提供してきた戦車に匹敵する戦車の開発は可能か?」
「解析に参加しているポルシェからもアドバイスを頂きましたが直ぐには難しいかと・・・」
「と成れば悔しいが暫くは此の侭オランダ製の戦車を使うしかないか、ならば日本やオランダの戦車を解析し可能な限り技術収集に努めろ
戦車で我が国が何時までも遅れを捕っている訳にはいかん、例えそれが平行世界で有ってもだ」
陸軍から報告を受けたのと入れ替わりに今度はゲーリングが総統の下へと訪れていた。彼の顔は真っ赤に成っており強い怒りを抱いていることが
伺える、訪室の内容は海軍に許可を出した海軍飛行隊の創設についてであった。
「総統、なぜ海軍に飛行隊創設の許可を出されたのですか?」
764 :ナイ神父MK-2:2016/03/13(日) 22:37:04
「その事か、大戦中の戦況や日本の航空隊を見る限り海と陸では求める飛行隊の質が大きく違うようだ、
心配するな君の空軍には今後も働いてもらう。海のほうはあくまで本土から離れた空母で活用す為の空軍だからな。」
「し、しかしそれでもこの戦後の混乱期に軍を割ると言うのは・・・」
「今だからこそだ、現在ソ連やアメリカも大打撃を受け、戦力の再編に急ぎ中華やインドに目を向けている我々はその間に
戦力を蓄えておく必要が有る、それに海軍から十八番を取られないと安心している場合ではないぞ、君の空軍には今後
戦略爆撃機も持ってもらう。」
「戦略爆撃機ですか?大型機では急降下爆撃が・・・」
「戦略はあくまで核兵器使用のためだ、急降下する必要はないそれに戦闘爆撃機にはルーデルを初めとしたベテランの意見を聞いて
生産中だろう?問題ない。」
「はい・・・」
入室した時とは打って変わってションボリと肩を落として退室していくゲーリングを目で追いながらヒトラーは書類仕事に戻り
ドイツ復興計画を進めていく。その後ドイツではアメリカのB-29を基にした大型爆撃機と核兵器の開発に成功、ドイツ海軍航空隊
の結成と共にドイツ第三帝国が健在であることを東西陣営に見せていく。
フランスの動きと中東戦争
1950年代のフランスではヴィシーフランスが自由フランスを受け入れて以降政治闘争が続いていた自由政府は帰還直後こそ、フランス市民の
支持を得てヴィシーを追い出せると考えていた自由フランスであったが、上陸作戦での十敗の印象はパリ市民から拭い去ることは出来ず
さらに親ドイツ派のフランス人へのリンチ行為から再度ドイツから占領された際の反ドイツ派への弾圧は苛烈を極めていた。その為、
反ドイツ派の一部は先鋭化し後に自由が与党獲得時に起こしたアルジェリア戦争にてOSAと結託して大規模なテロ組織へと変貌、アルジェリア
戦争中はフランス軍への作戦妨害やアルジェリア人の迫害、病院施設に対するテロ等を起こして戦局を混乱させることとなる。
また、レジスタンス暴走の一員にはフランス復興を問題視したイギリスによる工作とアメリカによる武器供給が見られ、結果的に
フランスをISAへ正式に加盟させる一因となっている。
一方で中東地域では、イスラエルとエジプトを初めとした中東諸国との間で第二次中東戦争が発生していた。史実通りであればフランスと
イギリスが主導したこの戦いであるが、この世界ではイスラエルを支援していたアメリカとイギリス支援の下イスラエルが親交を開始していた。
しかし、イギリスはインドの不安定化を理由に突如として中東諸国と停戦、アメリカはその後も支援を続けたがドイツの支援に加えてエジプトが
ISA側に対してスエズ仕様に際する使用量の一部を緩和することを約束した為、此処にフランスがエジプト側で参戦してイスラエルへの攻撃を
開始する。
フランスの参戦はイスラエルにとっては完全に予想外のことであり、予期せぬ援軍によりシナイ半島に駐留していた陸軍は敗走又は包囲され
て降伏している。この戦争によってイスラエルは最終的に人的被害を出しただけで何の利権を得ることも無いままに終わり、アメリカは
中東地域への影響力を大きく下げる結果となる。
最終更新:2016年03月14日 20:51