354 :弥次郎:2016/03/18(金) 23:15:13
【ネタ】瑞州大陸転移世界徒然点描3 アボリジニとの出会い
日本という国家の構成の一部を担う一つの人種として、瑞州系日本人がいる。
これはアボリジニとの混血とハワイ人との混血の、概ね2つのグループによって構成される。
とはいえ、開拓を通じて日本人と混血が進んでいるために純粋な意味でのアボリジニとハワイ人の数は大きく減っているため、
ほぼ日本人の一部とみることが出来る。文化的にも日本からの影響が各所に見られるために、「オリジナル」とよべるアボリジニが
いるかどうかも怪しい節もある。そのため、一般に瑞州系とはアボリジニとの混血を指し、ハワイ人との混血は
布哇系もしくは新金州系と呼ぶことが一般的であった。
さて、瑞州人との出会いというのは正確に記録はされていない。一説によれば大阪の陣が終了後に再開された開拓の過程で、
瑞島川周辺にて回航したとされているが定かではない。いくつかの伝承が口伝されているほか、よくある東部劇(※1)の
ストーリーとして似たような筋書きが存在するだけである。それらをおおまかに書き出すと
1.日本人が広い平野で方向感覚を失い迷う。
2.瑞州人と出会い、もてなされる
3.病気か何かで苦しむ瑞州人を日本人が救う
4.日本人と瑞州人が共に生活を始める
といった流れになる。転移の状況を鑑みるに、瑞州全体の気候は夏から冬へと一気に変わったことは間違いない。
恐らく気温は10℃以上、場合によっては20度近く低下したというのが
夢幻会の予測である。ともあれ、それだけ冷え込んだ
環境にいきなり放り込まれたアボリジニは、高い確率で体調を崩していたと推測するのが妥当であった。
また、開拓団には漢方薬や現代の薬モドキ(※2)が支給されていて、時には専属の医者が開拓団についていくこともあったため
上記の1~4の流れが不自然だと断じるには、あまりにも証拠となりうるものが多く存在した。
他の文献においても、またアボリジニの口伝を調べると風邪や結核に近い病気にかかって、かなりの数の死者を出したようである。
355 :弥次郎:2016/03/18(金) 23:15:56
ともあれ、開拓を行うにあたり、初期から瑞州人が関わっていたことは間違いないようである。
瑞州開拓時における地図の作成や地理の把握には彼らの知識が大きくかかわっており、彼らのエスコートが速やかな土地の
改良や入植に貢献したようである。彼らの働きは、若干肌の色の戸惑いや偏見などを生みつつも、おおむね好意的に受け取られ、
瑞州から本土の土を踏むものもあらわれはじめた。とはいえ、船に強い人間もあまり多くないために、また後述のように
食べ物への適応の問題もあるため、主に住む場所は瑞州が中心であった。
その後は史実のように狩り感覚で白人に追われるという事態は発生することなく、また日本由来の病気の感染によって
ある程度は減りつつも概ね出生率と生存率が向上したことで、日本との交流が進んだ1700年代には人口が推定で200万人(混血も含む)にまで
増加していた。ここには転移の発生によって食料の生産が容易な湿潤な気候となり、日本からの農業技術や酪農の導入が
進められたことで人口を抑えていたキャップが外れたことに由来するとされる。
特に耕作という概念の持ち込みは、彼らにとって大きな転換点になったと指摘する意見は多数ある。
それまでは狩猟と採取が食料を得る手段であったが、農業というのはそもそも概念として存在していなかったというのが
現在の分析の結果である。実際、彼らの証言もそれに合致していた。
日本の文化に影響されたのか、彼らの生活もまた変化していた。
住居が洞窟から平野部に立てられた家屋へと移り、衣服も日本の所謂和服へのシフトが進んだ。
特に大きな変化は、所謂瑞州文字の登場だろう。彼らの間で自然発生したそれは平仮名や漢字をさらに簡易にしたもので、
日本語に似た発音や文法を持っていた。文字を持たない彼らが極めて短い期間で作り上げたようで、彼らにとって複雑で
覚えにくい日本語の代替品としてかなり普及したようである。これにより、彼ら独自の文化の多くが明文化され、
後世へと口伝以外の方法で具体性を保ったまま存続することが可能となった。
日本もまた、彼らから影響を受けていた。狩りに使われる道具のブーメランが良い例である。
狩りの道具であり祭にも使われているこれは、日本人には遊び道具としても普及した。現在においても瑞州では
日本の祭や祭礼の際にこのブーメランが登場したり、ディジュリドゥという管楽器が使われたりするなどな陣営るようである。
また三味線などで弦楽器という概念を得たアボリジニも、
他にも、ボディペイントの文化や技術も相互に入り混じったことで、西部瑞州の祭りにはアボリジニのそれとよく似た
化粧や装飾品が使われることが多くなった。
加えて、瑞州文字はいくつかが形を変えて日本に持ち込まれた。
特に千葉・江戸・横浜および東海道といった瑞州人の多く過ごしたか、瑞州との交流が多かった地域には発音や字の書き方に
まで及んでおり、かなり根深いところにまで影響しているようであった。現代でもこれらの文字は形を変えながら残っている。
21世紀において調査が行われた結果、なんと西日本や東北を超えて比州や新須賀にまで広まっていることが確認された。
中には瑞州から生まれてきたということを知らぬままに使っていた地域もあり、調査員も知らずに瑞州由来の言葉を
使っていたことに大いに驚きを抱いていた。
356 :弥次郎:2016/03/18(金) 23:17:09
ここで一つ興味深い法令を紹介しよう。
瑞州人(アボリジニ)との接触が始まったころに、幕府が緊急に発した『瑞州酒精取締諸法度』である。これは、アルコールを
多量に含む日本酒を瑞州人に飲ませることを制限・禁止する法であった。意外なことに、アボリジニはアルコール分解酵素を
体内に持たないことが多い。長いオーストラリアでの生活の中でアルコールというものがなく、遺伝的に失っていたの
かもしれない。いずれにせよ、重大な問題であった。日本人も決して強いとは言えない人間が多いために、混血の家系でも弱い人間が多かった。史実においてもアルコール中毒に陥る可能性がアボリジニで高くなっているのも、
この遺伝子や体質に由来するのだろう。
その為幕府は、アルコールを無理に飲ませたり、弱い相手に提供した場合には罰金を科したり、飲食店経営の許可を
取り消したりと厳しい姿勢でアルコールの蔓延を阻止する試みを始めた。それが『瑞州酒精取締諸法度』であった。
この法は後に『日ノ本食通管理諸法度』へと変わり、概ね18歳になったときに酒とたばこを飲む許可証が発行されるという、
未来において生まれたタスポのような制度として定着した。この証書は飲めない人間にも提供され、飲めないことをあらかじめ
断っておくことが出来るようになった。この法が影響してなのか、酒が飲めない人間に向けた酒の代用品の開発がすすめられ、
瑞州だけでなく日本本土でもアルコール依存症からの脱却や、肝臓が弱い人向けにかなりの量が販売された(※4)。
加えてこの法は、アルコールだけでなく瑞州系日本人の中にたまにいる海藻や魚介類への消化酵素を持たない人間への配慮を
義務づけた法として知られている。これは『どうしようもなく体が受け付けない食べ物が世の中には存在する』という
常識として日本へと広まっていき、後にアレルギーなどへの対処例として普及も進んだ。
こうした法や制度の発布と、民間レベルでの交流が必死に進められたことで、日本人は新たなまれびと(客人)として
瑞州人を迎え入れ、瑞州開拓という大事業に取り組み、一つの民族としてまとまっていった。
現在では、瑞州人は日本領土各地に散らばっているほか、彼らの聖地であるエアーズロックをはじめとした瑞州大陸中央に
点在している瑞州系日本人自治区において伝統的な生活を続けている。特にステップ気候が多い瑞州大陸中東部の
丘陵地帯を中心に、現代的な生活を一時的にやめて、伝統的なそれに戻りたいと瑞州人たちが多く集まっている(※3)。
彼らの人口は、21世紀に入った時点で推定でおよそ1億人から2億万人と推測されている。この数は瑞州系日本人と
自らを自覚・定義している人数を統計的に推測したものであり、知らず知らずのうちに血が混じっている可能性も高いため、
もう少し膨れ上がっていると思われる(※5)。
357 :弥次郎:2016/03/18(金) 23:18:04
他に特筆すべき点として、アボリジニに広まっていった仏教を紹介できる。
瑞州へと派生していった仏教は数多くあるのだが、特に座禅を組み悟りを開かんとする禅宗が特異な変化を遂げた。
座禅の扱いについては臨済宗と曹洞宗で目的とかが異なったりするのでここでは省略するが、一般には自己と向き合い、
ひたすらに座禅に打ち込むことを目的としている。一般向けには精神修養の面が強いのだが、まあ日本の中に溶け込んで
生まれた側面と言えるだろう。特に自己鍛錬を重視する武士の登場はこの禅宗の発展に大きく寄与していた。
さて、所謂禅宗の瑞眼派と呼ばれる宗派は分かりやすく言えば野外でひたすら座禅をすることで悟りを開くというものだった。
狭い場所や人が多すぎる場所を好まないアボリジニに合わせたのか、とにかく外へ出るという特徴がある。
野外、出来れば原っぱなどで座禅を組み、体の全感覚で自己以外の物を認識し、それによって自己を改めて認識し、
自己と向き合おうというのが彼らの主張である。
これが意外と、アボリジニや瑞州系日本人には受けた。
やはり混雑した場所に暮らすことに慣れておらず、場合によっては閉所恐怖症となることが多いために、広い場所に出て
ただ一人になるというのは彼らにとっては落ち着くためなのだろう。実際に自己を顧みるという座禅を野外で行うのは、
ある種のリラックス効果をもたらすことが調査の結果確認された。
他の宗教が瑞州に伝えられる中で、特に一般になって行ったのは、やはりどこでも可能で、尚且つ彼らの伝統ある生活に
近い部類の宗教だったためなのだろう。なにが幸いして一般化するか、分からないものである。
かくして、日本人に徐々に吸収されたアボリジニは、史実とは異なりかなり平和に発展を重ねていったようである。
358 :弥次郎:2016/03/18(金) 23:19:55
※1:
歌舞伎や落語の定番ネタの一つ。決闘・仇討ち・策略・鉄道・馬車・保安官など、まさに西部劇。
概ね、瑞州人に悪事を働く悪党を瑞州人と協力して懲らしめるというストーリー。
※2:
ラッパのマークのあのお薬やペニシリンなど、当時確保できた材料から多くの薬が開発されていた。
開拓時には現地の風土病などに備えるために開拓団にかなり安値で提供されていたようである。
当然ながら、これらの薬は海外へも輸出され、すさまじい奪い合いになったようである。
※3:
史実においても、アボリジニは広い平野部で暮らしていたためか閉所恐怖症を患いやすい。
瑞州における日本の街は本土に比べればはるかに広く作られていたが、やはりアボリジニにとっては狭い様だ。
反対に、日本人の中には広所恐怖症(広い場所に出ることに恐怖を覚える病気)にかかるケースがいくつか見られた。
※4:
前世が杜氏であったメンバーの手によって、アルコール度数が5%前後の日本酒の製造が進められていた。
技術発達が著しく、度数の高い酒が造りやすくなり、それが流通した悪影響で増えていたアルコール依存症患者の増加には
流石の夢幻会もかなり手を焼いていたようである。その対策のために、一時期は酒にかなりの税をかける羽目になった。
※5:
所謂「オリジナル」のアボリジニは史実とあまり変わることなく減っているようである。
しかし、日本人もまた外部から遺伝子流入が行われたようで、お互いさまと言える。
瑞州大陸転移世界の日本人の構成
本土系日本人(元々の日本人もしくはその血が濃い家系)
瑞州系日本人(アボリジニとの混血家系)
布哇系日本人(ハワイ人のとの混血家系 瑞州系日本人のグループの一つ)
比州系日本人(フィリピン人との混血家系)
蝦夷系日本人(アイヌ系日本人とも アイヌとの混血家系)
南洋系日本人(フィリピン以南の東南アジア諸国の国々との混血家系)
359 :弥次郎:2016/03/18(金) 23:20:36
以上となります。wiki転載はご自由に。
アボリジニとの接触の話でした。あまりだらだらやっても仕方ないので速やかに進めました。
アボリジニの生活や体質を調べると、結構面倒なこととわかりました。
オーストラリア大陸に隔離されていたためなのか、色々な食品や病気に対する対応力とかが失われているっぽいです。
まあ、採取生活と狩猟だけで生きていればそうなりますかなぁ……
アルコールと乳製品と海産物は当然としても、ひょっとすると穀物も種によってはアウトかもしれません。
たぶんですが、おかゆやオートミールの方が食べられるかもしれませんね。
消化酵素というのは獲得に時間かかりますし、ここは時間かけるしかありませんな。
混血が進めば、日本人の遺伝子が混じっていくことで食生活も改善するでしょうね。
そういった事情もあって、いわゆる低アレルゲン食材や代用食品が開発されていきます。
日本だと精進料理とかで多く見られますし、食材も多彩なので多分夢幻会が生産しているのではと思います。
まあ、これらはまわりまわって日本人の為にもなりますので、やっておいて損はないでしょうな。
アボリジニですが、日本人に「発見」されたことで、彼らは史実と異なり転移直後は数が減りますが。その後は
順調に増加していきます。多分ですが、この世界線における日本人の多くを占めることになりそうです。
どちらにせよ、純粋な日本人も純粋なアボリジニも少なくなるでしょうな。おそらくですが、顔や肌の色などに
日本人らしからぬ特徴を持つ人が史実と異なり増えるでしょう。
さて、次は史実とかい離した食事事情について書きましょうかね
最終更新:2016年03月19日 23:05