82 :トゥ!ヘァ!:2016/03/17(木) 19:26:08
ストパン ベトナム戦争


東南アジア。
ここは第二次ネウロイ大戦中では大陸方面から侵攻してきたネウロイの脅威に晒されていたが、大陸方面において戦線が優位に傾くにつれ徐々に東南アジア方面に襲来するネウロイの勢いも減っていくようになった。
最終的にはオラーシャ、扶桑、リベリオン、ブリタニアの四カ国連合軍により大陸方面においての大規模な巣が討伐され、東南アジア方面においても平穏が戻った。
46年末まで残敵掃討作戦は続いたが大戦中のような大規模な襲撃は起こらなかった。

しかし、この平穏は長く続かず、50年になると朝鮮半島において大規模なネウロイの巣が出現。
時同じくして東南アジア方面においても複数の小規模なネウロイの巣の発生が確認される。
これらは現地駐留扶桑軍及びアジア方面領土駐留ブリタニア軍により、時をおかずして殲滅された。
これ以降50年代半ばまでは平穏だったが55年以降の東南アジアでは小規模なネウロイの巣が度々出現することとなり、戦後においての安定的な平穏は崩れ去ることとなった。

時は進み64年8月。※1
北ベトナム地域において突如大規模なネウロイの巣が出現。
まだ同時に複数の小規模な巣も出現し、今までにない数のネウロイの襲来は今まで小規模なネウロイばかりを相手にしてきた駐留部隊を蹂躙。
北ベトナム及びその周辺が瞬く間にネウロイの支配圏へと落ちた。
ここに後の世でベトナム戦争、またはインドシナ紛争と呼ばれる戦争が開幕した。

これに対し、扶桑は大規模な部隊を派遣。
オラーシャ、リベリオンなどもこれにならい部隊の派遣を行ったが、
欧州諸国は近年におきたアフリカ及び中東、インドにおける大規模または小規模なネウロイの出現※2への対処及び残党の掃討に手間取られ、朝鮮戦争の時のような大規模な派兵は不可能であり、小規模な部隊の派遣が精一杯であった。
しかし扶桑、オラーシャを初め、特にリベリオンが大規模な派兵を行ったため援軍到着後では終始戦力的に人類側がネウロイを圧倒していたと資料に残されている。
だが連合軍はこの度のネウロイ討伐に難儀することとなる。
ネウロイの戦力的には前の大戦は勿論、朝鮮戦争の時にすら及ばないが、
ベトナムに出現したネウロイの巣は瘴気を殆ど出さず、基本的に山奥か森林の地下へ巣を作り一種の自然と同居する特異なタイプばかりであり、
また出現してくるネウロイはこれらの森や山の地形を使ったゲリラ的な戦術を使い、
今までとは違う戦い方で人類連合軍を大いに苦しめた※3
幸い大型のネウロイこそそれ程数は出てこなかったが山やジャングルなどの戦場において連合軍は今までと違う戦いを強いられることとなる。

また戦争の中途においても中東、インドなどにおいて再度のネウロイの活動が活発化及び小規模な巣の出現※4などが重なり欧州勢は、特にブリタニは東南アジアばかりに戦力を集中させることが出来ず、追加の援軍を送りこむことが出来ずにいた。
このため序盤から終盤にかけて連合軍の主力は主に近場に領土のある扶桑と大規模な援軍を送ってきたリベリオンが務めることとなっていた。

結果終始戦力では圧倒しながらも終戦まで約4年もの時間がかかることとなる。
戦争の転換は68年1月に行われた人類連合側の一大反攻作戦。通称テト攻勢により、
前線付近及び後方における複数のネウロイの拠点または小規模な巣の攻略に成功したことにより、多数の戦力を失ったネウロイの動きが鈍化。
人類連合側も決して少なくない戦力を失ったが、これ以降戦争においてネウロイ側の攻勢が行われることなく、5月※5までには中心となっていた大規模な巣の攻略も完了し、69年までには戦争の決着がなされ、残敵の掃討も70年までには完了することとなった。

この戦争から人類はまた新たな戦訓を取り入れることとなり、ネウロイの戦術にも今までと違った動きが混じるようになっていくのであった。

83 :トゥ!ヘァ!:2016/03/17(木) 19:26:48
※1
史実におけるトンキン湾事件の日にち。
流石に史実通りの46年からのフランスとの戦いからそのまま流用するには長すぎたので、
省略するためにこの日にちとなった。

※2
史実におけるアルジェリア戦争(54年11月~62年)、第二次中東戦争(56年10月~57年5月)、中印戦争(59~62年)に相当する戦争。
アルジェリアは大規模ネウロイ発生。第二次中東と中印の代わりは小規模ネウロイ発生。
これらへの対処に追われ今回のベトナム戦争へは大規模な派遣ができなかった。
アルジェリア戦争は流石に史実通りでは長すぎるのでもっと短くなるか、開始年月がベトナム同様ずれ込んだと想定。
中東戦争も第一次は開始年代が早すぎるのでこれはなかったことに。
なお詳しい設定は決めていない。

※3
史実北ベトナム軍またはベトコンのゲリラ戦術に似た物。
流石に民間人にふんしてということはないが、地下掘削型のネウロイが作りあげた地下道を使用しての後方拠点への強襲などに連合軍は苦しめられることに。
多分転生者な人が見たら「BETAかよ…」とでもコメントしていることでしょうw

人類軍は主に地震計を設置して不自然な揺れがないか観測しながら対応したと思われる。

※4
第三次中東戦争と第二次印パ戦争に相当する動乱。
どちらも小規模ならが、発生した時期が悪かった。
印パは中東戦争同様に第一次の方は史実通りでは発生時期が早すぎるのでなかったことに。

※5
史実におけるパリ和平会談の開始時期。
史実通りにするとこれ以降もパリ和平協定調印が73年、サイゴン陥落によるベトナム戦争終結が75年と戦争が数年続いてしまうことになるので、この時期に終結とした。

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最終更新:2016年03月21日 21:23