418 :ナイ神父Mk‐2:2016/04/01(金) 01:01:11
日蘭世界 44年ゲート編 その13

駐英イギリス大使館とゲートの詳細情報

1970年代を過ぎるとWW2の敗戦から復興に注力していた旧同盟各国も自国にあわせた勢力と戦力の再編を完了し
漸く外国へ目を向ける余裕が出てきていたが、其処で問題と成ったのがゲートの向こうに有る国家と国交を
結ぶかである。現状、史実側の情勢は大陸日本を通してある程度把握されているがそれでもリアルタイムの情報や
詳細な情報は流れ辛いった状況が続いていた。そんな中、国連ではBCやFFRからの要請を日本が受け入れる形で
史実世界側への大使館設立を承認し、史実側の国際連合の場でもISAからの提案と言う形で史実の各国への
大陸側の大使館受け入れ案が受理された。

各国が大使館を作り始めると駐英英国大使館や駐仏フランス大使館、駐日日本大使館等中々にややこしい
名称の大使館が出現する事と成ったが各国は概ね冷静にゲート側からの情報を整理し、此れからの方針についてを
勘案していた。

ダウニング街10番地ではエドワード・ヒースがBC側のイギリス大使より齎された情報ついて外務大臣から報告を
受けていた。

「つまり、OCUとは向こうの日蘭の誇張でも何でもなく純粋に日蘭という覇権国家の元に構成された国家連合で有ると?
そう言う事なのか?」

「はい、日本は此方より国土面積が3倍近く大きく人口もそれに付随して増加しています。」

「オランダについては?」

「オランダは嘗ての我が国以上の植民地を有する大帝国です。植民地についてもこちらの搾取する方法とは違い宥和政策を初期から実施している為、
どちらかと言えばアメリカの州制が近い形かと・・・」

「そうなると此方からの工作は無理か、大国化しているならやはりあの大艦隊も?」

「我々が予想していた向こうのロシアやドイツの物ではなく正真正銘日本とオランダが所有する大艦隊です。」

「・・・百歩譲って日本は現在も大国である以上想像は付くがオランダについてはまるで想像できんな、他に何か情報は無いのか?」

「一つだけ向こうのイギリスから警告されたことがあります。日本とオランダの逆鱗についてです。」

「逆鱗とは穏やかではないな、なんだったのかね?」

「NBC兵器の使用又は開発です。それ以外では堂々とアパルへイトを行う事や共産・独裁国家が誕生しようが国内に影響が出なければ
何も干渉しませんがNBCに付いてのみは過剰なまでの反応を示すそうです。その証拠として戦中の向こうのアメリカが細菌兵器を
製造したという情報が入った際には研究所を焼き払う為だけに5000機近い航空機を投入した大爆撃を敢行したそうです。」

「・・・そ、それは流石に誇張ではないかね?」

「実際に資料もあります拝見されますか?」

「・・・何が一体彼等にNBC兵器を憎む気持ちを与えているのだ?」

「流石にそれは解かり兼ねます・・・」

「しかし、先に解かったことは幸いだ、それにNBC兵器も現在の情勢であれば積極的に使う所無いだろう我々が虎の尾を踏むことは無いな
君もご苦労だった下がっていいぞ」

そう言うとエドワードは外務大臣を下がらせると職務に戻っていった、このときに纏められた日本の情報はこの後も歴代首相に受け継がれ
大陸側の日本と交渉する際の資料として使われる事に成り、朝鮮事変での事態の不味さをイギリスが一番に知る切欠と成ったと言われているが
詳細は定かではない。

419 :ナイ神父Mk‐2:2016/04/01(金) 01:02:26
ボリビア=ブラジル戦争とフォークランド紛争

1975年この年は二つの紛争を合わせて後に南米事変と呼ばれる出来事が有った年である。一つはブラジルの都市ゲリラが米ソ※1の支援を受けて
活発化し、更にウゴ・バンセル将軍が故知回復を目指してアメリカの支援を受けてブラジルへと侵攻を開始した。一方でアルゼンチンはイギリスと
ひそかに進めていたフォークランド返還交渉が失敗※2に終わりアルゼンチンが海軍を用いて制圧に乗り出たフォークランド紛争である。

先ずはブラジルとの戦争であるが、こちらははっきり言ってしまえば二面作戦に成ったとは言え、国力と戦力に勝るブラジルが優勢に事を進めていた
ボリビアが購入し侵攻に使用したM48パットン戦車は密林や不正地での待ち伏せに強い21式戦車に一方的に狩られ、平地ではドイツ陸軍の教導を
を受けたパンターⅡの部隊に機動性等で負けているという有様であり、ブラジルの逆侵攻を許している。

内部で動いていた都市ゲリラも非正規戦である程度はブラジル軍を撹乱すことに成功していた物の、精鋭部隊として組織されたヘリボーン部隊による
降下作戦によって急襲を受けて組織のリーダー格を失って急激にその数を減らしていった。1973年の政府による終息宣言がなされるまでは抵抗が
続けられたが、それも都市で勢力を維持できずアマゾン等に逃げ込んだ一部のゲリラが散発的行っただけであり1972年には都市からは殆ど駆逐されている。

支援していたアメリカではその後M48パットンの性能不足を主張し、M60の生産に漕ぎ着けようという動きが強まるが議会の腰は重く予算が承認されたのは
日本が34式戦車(史実74式)をドイツがレオパルトⅡを数的主力にしてギュルテルティーア(メルカバ相当)の開発を始めた1975年以降だったといわれている。

一方でフォークランド紛争は大方の予想に反してアルゼンチンが優勢に戦闘を進めていた。ISAの積極的な支援や間接的に張ってきていた日独貿易の影響により
史実より経済状況が好転していたアルゼンチンはフランスよりクレマンソー級2隻と蘭帝から購入していたセイラー級、ワール級を中心にして艦隊を構成
イギリス海軍を何時でも迎え撃てる状況を作り出していた。

対するイギリスはと言うとアルゼンチンの動きに呼応する形で欧州枢軸海軍が活性化し、周辺海域でドイツの原子力潜水艦やフランスの海軍の巡洋艦が周辺で動き始めた
為、建造していたジブラルタル級3隻の内2隻は本土防衛の為に残さねばならず置いてきた者の、それでも空母以外は全力のアルゼンチンに匹敵する機動艦隊を率いて南下を開始した。

両軍は1972年4月末フォークランド沖でアルゼンチンがイギリス海軍を見つける形で戦闘を始めた。初戦はアルゼンチンによるミサイル攻撃から幕を開けた、この攻撃は出撃した
アルゼンチン空母の艦載機部隊に一定の損害を与えるもそれと引き換えにイギリス軍の42型駆逐艦2隻への打撃とカウンティの撃沈と言うダメージをイギリス海軍に与えた。
また、時を同じくしてコンカラーがアルゼンチンのワール級率いる艦隊に発見され攻撃を受けて撃沈されている。

その後、アルゼンチンに占領されたフォークランドへSAS及びSBSを上陸させる為の揚陸作戦が開始されるも近代化改修を施されたセイラー級とワール級の対艦ミサイルを受けて
航空支援を行っていたジブラルタル級が大破、更に駆逐艦3隻が撃沈され、最終的に上陸に失敗している。この上陸作戦の失敗をもってアルゼンチン側が停戦を要求イギリス政府が承認する形で停戦している。

この敗北を持ってイギリスはフォークランドの利権を失い、イギリスの没落をより強く印象付ける歴史の出来事として各国の歴史の教科書に記載される事となり、
後に北アイルランドの喪失やケベック問題の大規模化に繋がっていく。

420 :ナイ神父Mk‐2:2016/04/01(金) 01:02:59
韓国の動きと事変へ向けて

韓国では1970年代末の選挙で此れまでより更に反日色の強い選出された。大統領は就任後「強い韓国」・「故地奪回」をスローガンに軍拡を開始、アメリカ・イスラエル
から駆逐艦や戦車を初めとした兵器の購入を開始し軍拡を始めた。この動きに関して当の韓国軍からは日本を刺激するとして慎重に勤めるよう政府に対して勧告するも
政府はこの軍の主張を国民に大々的に発表する事によって韓国軍が弱腰であることを国民に伝えた。

軍の弱腰発言は韓国国内で大きな反響を呼び、過激な物になれば軍の解体と新しい軍隊の創設を求める声まで上がってくる状態であった。
この一連の出来事によって韓国の比較的穏健な派閥は非主流派に追いやられ、韓国軍ないでは強硬姿勢を持つ派閥の人間が次々に重要役職へと付く事となる。国内を反日で固めた大統領は次にアメリカへと
接触を開始し、ISAとの対決姿勢を強めていたレーガン大統領と接触することによって協力を取り付けその後の宣言で正式にNATOへ加入したこと宣言し日本から警戒されていくが日本は流石に侵攻は無いだろうと考えていた。

この考えが外れて韓国が侵攻を開始するのは軍備が整った1987年のことであり、西側と枢軸両陣営が意図しない形での大事件になるなど当時の政府はどちらも考えていなかった
と言われている。

※1米ソがそれぞれ別のゲリラへと支援していた為、ゲリラ間での連携が取り難くなり結果的にブラジル軍に各固撃破され大規模な攻撃に移れなかった。

※2本来はアルゼンチンが購入する形で収める予定であったがフランスの工作によって交渉内容が民間に流布され国民の反対に遭い、成立寸算まで行っていたものを  イギリスが反故にする形で打ち切られた。

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最終更新:2017年08月31日 23:32