94 :ooi:2016/04/13(水) 22:17:01
豪州+新西蘭転移ネタ12
アジアへの 夢が潰えた 布哇沖
米国は日本領布哇諸島の獲得を目指して動き出した。
しかし、海軍上層部は日本海軍と海戦となり、海軍の戦力を削りかねない政府の計画に消極的であった。
政府は最終的に海軍の予算を大幅に増やす事を餌にして海軍の反対を抑え込んだ。
作戦の開始時期は日露両国に緊張が走っていた事から、日露が開戦となり日本海軍が簡単に戻れないのが確定した時となった。
しかし、此の米国の皮算用は失敗に終わる。
1900年、日露両国の領土協議が円満解決したのであった。
米政府はこの決定に言葉を失ったが、同年に清国が日露へ宣戦布告した事から、1901年に布哇獲得作戦は実行に移された。

太平洋艦隊+上陸部隊に出撃を命じて、同時に布哇へ極秘に忍ばせた工作部隊を使って布哇で騒ぎを起こさせた。
米国のこの作戦は順調に行くかと思われたが、夢幻会はこの作戦を事前に察知していた為、米国の工作部隊は騒ぎを起こしたものの布哇駐留の日本軍に速攻で捕縛された。
なお、夢幻会の指示で米国に偽の電文を工作隊に成りすまして送り、太平洋艦隊を誘導した。
この時、既に瑞州には東郷平八郎連合艦隊司令長官率いる連合艦隊主力が向かいつつあり、太平洋艦隊が布哇に攻撃した瞬間に出くわす形で開戦するようにお膳立てされていた。
そうとは知らず、太平洋艦隊は布哇沖に到達し上陸部隊支援の為、布哇へ艦砲射撃を行った。
布哇からは連合艦隊への救援電文が飛び交い、太平洋艦隊もそれを簡単に傍受出来たが後退はしなかった。
工作隊を装った日本軍の偽の電文によって日本海軍がすぐに来ないと思い込んでいたからである。
だが、見張りのこの一言が太平洋艦隊を衝撃の渦に陥れた。
「布哇諸島後方、新金州北島より艦隊接近!!日本海軍連合艦隊主力と思われます!!」
元々、米海軍上層部は日本海軍が自国を上回っていると感じていたので、この報告に驚愕してすぐさま応戦した後退却せよと全艦に通達した。
なお、応戦せずに撤退していたら艦隊の何割かは生き残ったと云われているが、アメリカ人の誇りに懸けても戦わずに逃げる事は出来なかった。
日本海軍の方では米海軍が布哇諸島に砲撃してきた様子を確認した事から、すぐさま全速力で米海軍に突撃していった。
そして、東郷ターンで太平洋艦隊に対して同航戦を挑んだのが勝因となり、太平洋艦隊の全艦艇を撃沈乃至拿捕する歴史的大勝利となった。
上陸部隊も太平洋艦隊の近くにいた事が災いして全部隊が捕縛される結果となった。

そして、太平洋艦隊が最後に送った無電を聞いた米政府は恐慌状態に陥った。
計画と違って、布哇諸島に日本海軍が恐ろしい速さで舞い戻って太平洋艦隊と交戦したからである。
その後、太平洋艦隊が撃沈乃至拿捕によって全滅した事を知った。
米政府はここに来て日本軍が工作隊を装って電文を送っていた事を知り、日本に謀られた事を理解した。
米国もこのまま黙る訳にはいかず、欧州の世論を得る為に様々な反論をしたが、思わぬ介入で失敗に終わる。
これはニコライショックやニコライ声明、ロシア皇帝のスピーチと言われるロシア帝国による米国批判であった。
この批判によって、夢幻会と繋がりを持ちたい円卓率いる英国や人種差別を無くしつつあったフランスが日本擁護に動いた。

米国は逆に敵を増やしてしまった事となり、これに米国民も正義に反する出撃を行った米政府の行動を非難し始めていた。
ここに来て、国際世論を敵に回した米国は日本に対して2000万ドルの賠償金を支払う事と、拿捕した太平洋艦隊艦艇の譲渡を認める事で和解した。

この敗北は、米国に対する国際的評価の低下とアジア進出が不可能になる決定的な出来事となった。
米国はアジア進出を諦めて、代わりとなるフロンティアに南米をターゲットに据える事となる。
無論、南米に向かう際は布哇の失敗の再現をしない為、米国は細心の注意を払う事となる。

なお、この敗戦はトラウマとなったのかグレート・ホワイト・フリートの世界一周は行われなくなった。
流石に艦隊が全滅した後だと米国の軍事力を見せ付けても西欧列強に対するインパクトが薄いと考えた事による結果であった。

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最終更新:2016年04月17日 18:42