96 :弥次郎:2016/05/05(木) 22:01:38
【ネタ】日本大陸 日仏ゲート世界 フランスの狼たち


日本大陸の歴史上、織田信長は大量の兵士を効率的に投じることで常に優位性を保っていた。
夢幻衆の構築したロジスティクスは遥か未来の知識と経験を基にしたものであり、日本大陸という広大な土地でも活用された。
しかし、そんな織田家でさえも苦戦を強いられたのが所謂ゲリラ兵だった。山中を知り尽くしたマタギや猟師を味方につけ、
進軍中の織田兵を奇襲して無視できない損害を与え続け、獰猛なヤマネコによる奇襲戦術による出血を敷いた。
これは本願寺勢力に与する一向宗が抱えていたものから、彼らが金銭で雇った傭兵たちが兵力差を覆す手段として用いていた。

しかし、織田家はそれに対抗する策を生み出した。
例えばだが、ヤマネコたちの鼻を潰すための臭い玉。目をくらませるための閃光弾。あるいは、同じく猫や山猫を
引き連れての哨戒任務等々、時代を経て織田幕府もそういったゲリラ兵との戦い方を心得るようになっていった。
それは攻撃側と防御側の果てしのない進化競争の歴史でもあった。片方が進化すれば、片方も進化する。
道具を更新すれば、相手も道具を変えてくる。果てしのない競争となった。

だが、やがてその競争は日本以外の国を置いてけぼりにしたものとなっていった。
それはそうだろう。猫や犬を飼いならし、連携して戦争を行うなど、欧州では非常識ですらあった。
僅か2丁ばかりの鉄砲から始まり、それの製造法が日本全国へと普及し、欧州のそれを凌ぐペースで生産され、あまつさえ
改良して進化させていくなど信じがたいことであった。史実においてもそうであった上に、この世界は日本が大陸国家であり、
尚且つ夢幻会の後押しもあって史実以上に進歩は進んでいた。

他の世界線においてはそれらが発揮されたのは少ない。少なくとも、年代的に見て随分と後になるのが通例であった。
例外と言えるのは日蘭世界の例があるが、基本的に戦争の形が変わってからであった。
しかし、もしそれらを全力でぶつけた場合どうなるだろうか?その光景は、この世界線において19世紀末のフランス各地に
おいて発生したいくつもの戦闘で証明された。

97 :弥次郎:2016/05/05(木) 22:03:02
フランスの国境沿い。
歩兵の一団がわずかな指揮官に率いられて道なき道を歩いていく。
丁度、ネーデルランドへと抜けていく方向へとその一団は、周囲に気を配りながらもできうる限りスピードを出している。
彼らは多くが負傷していた。むしろ無傷の人間がいない。彼らが元々は戦列歩兵であったことを考えれば無傷なのは
ありえないのだが、彼らの中には騎馬兵や伝令兵など、戦場から逃れていく中で拾った兵たちが寄り集まっており、
多くの兵科が集まっていたのだ。分かりやすく言えば、敗残兵である。

レッドコートは脱ぎ棄てられ、戦場で何度持ちに伏せたためなのか服は泥だらけ。幾人かはサーベルさえ失っていている。
いや、中には体の一部を失っている兵すらいた。そこには布があてがわれ、固定されている。しかし、薬も何もない状況で
痛みをこらえているのか、うめき声を漏らしていた。
何故彼らがここまで負傷したのか。その原因はこの時代の欧州の戦争は、まだ中世の戦いが残っていたことに由来する。
詳しくは各自に調べてもらいたいのだが、まあ、的にしかならぬのである。

この時代のフランス国の歩兵の軍正規装備としては史実におけるエンフィールド銃が主力を占めていた。
19世紀末、フランスへとゲート越しの義勇兵を派遣した際には十分にエンフィールド銃相当の銃が日本の歩兵には配備されており、
一部には金属薬莢を採用したスナイドル銃が配備されていた。一部には火縄銃にも似ている史実村田銃相当の銃もあり、
その扱いについても十分な練度を誇っていた。それらを輸入できたフランス陸軍もほぼ同様で、同時期における
戦闘においては間違いなく武器の優位性を維持していた。これはサン=テティエンヌ造兵廠がライセンス生産を請け
負ったことから一般にはサン=テティエンヌ小銃と呼ばれていた。ただ、フランス陸軍において特異的だったのはその
配備数と質にあった。この時代すでに産業革命を成し遂げていた日仏では歩兵に提供される火器などの大量生産を
可能としており、均一で安価に量産できる武器がほぼ主力を占めていた。このエンフィールド銃相当の小銃もかなり
当時としては異例なほど質が良く、尚且つ均一であった。

さてこのフランス軍制式装備のサン=テティエンヌ歩兵銃はどのくらいの射程があったのか?
一説によれば有効射程は700m前後である。当時幕府軍が用意していた『古田式狙撃銃(※1)』に比較すれば長いように
見えるが、精密に狙うという意味ではスナイパーライフルの方が優れていた。また、よくある有効射程と殺傷可能
距離のミスマッチもあり、実際のところは殺傷可能距離200~300mといったところである。だが、当時の装備のレベルを
考えれば十分すぎた。銃の長射程化に伴いフランスにおいては戦列歩兵は消え去り、代わりに陣地形成と迅速な配置
転換可能な機動力の高い軍へと更新が進んだし、特火点(トーチカ)を配置した陣地による飽和攻撃を中心とする
ドクトリンへと変化させていた。そして、歩兵の用いるライフル銃もそれに合わせて更新が進んでいた。銃剣は比須の
装備とされていたし、塹壕戦に備えた防護服やヘルメットも支給された。

そして、戦列歩兵にとってそれ以上に恐ろしかったのはフランス軍が導入していた狙撃銃だった。
新田式狙撃銃の特徴は、今でいうアンチマテリアルライフルのように「銃弾を重くすることで外的要因による直進性の
喪失を防ぐ」という点にあった。これによって有効射程と殺傷可能距離のギャップが少なくなり、狙撃手の需要に
答えるのに十分な性能を持っていた。元々ライフリングと銃弾の改良で射程と威力が向上していたために、それはまさに
その時代の最先端兵器だった。荒い運用方法をしても使いやすいというのは現場からも好評を得ていた。

話を戻そう。この新田式狙撃銃は重い弾丸を使用することで貫通力が高められており、プレートアーマーなどを
強引に貫いて致命傷を与えることが可能であった。むしろ、こうした弾丸は重い鎧に身を固める前線指揮官などに
対して使用されることが多く、「重い弾丸・上質な火薬・精度に優れる狙撃銃によって、重要人物を確実に殺害する」
という方向へと進化を続けた狙撃銃の進化の果てともいえるだろう。しかしそんな技術の粋を集めた狙撃銃が一般市井に
流れることを恐れた幕府は、性能を抑えた物を販売するように指示した。そこで新田が考案したのが、コストを下げる
代わりに性能を抑えた『古田式狙撃銃』だった。この古田式狙撃銃がフランスでは用いられたのだが、有効射程およそ800m、
殺傷可能距離が500mから700mまでという狙撃銃だった。この時代の戦列歩兵の指揮官を狙うには十分すぎる。
そのため、戦場でいきなり司令官の胴体や頭が消し飛ぶという事態も度々発生していた。

98 :弥次郎:2016/05/05(木) 22:04:41
因みにだが、フランス国軍の兵士たちに対して狙撃のイロハを叩き込んだのは織田幕府の鉄砲部隊であった。
彼らの教育の結果、「ビューティフォー……」「いい的よ、貴方」「狙い撃つぜ!」「チョロイもんだぜ!」「良い的だぞ、貴様」
「グッナイ」「花を生ける時のように集中して…発射!」「悪いが、今だね」「私の邪魔をするものは皆死ねばいい!」などと、
フランス人のスナイパーは狙撃を行う際に妙な台詞を言い出すようになっていた。
どうやら潜り込んでいた夢幻会メンバーによる汚染であると推測される。

さて、話を戻そう。
戦列歩兵は、過剰ともいえる日本の砲兵による砲弾的な意味での洗礼とナパームロケットなどによって
歓迎されて、軍事定義上の全滅(損耗率6割)を通り越し、文字通り全滅寸前(損耗率8割前後)にまで追いやられた。
前述の彼らの悲惨な姿も納得である。そして彼らは指揮官が死亡したことでまとまった行動をとることが出来ずにいた。
そもそも戦列歩兵というのは質が悪く、命令違反をしかねない歩兵を統率するための手段としての側面もあった。
指揮官は離脱しようとする歩兵を切り殺すことが許可されていたし、歩兵も指揮官に従い、戦友の屍を踏み越えて
前進しなければならなかった。逆に言えば、考えることを放棄した歩兵で、ヘッドがいなくなれば正しく烏合の衆となっていたのだ。
しかし、幸運にも砲兵を率いていた兵士が何とか歩兵たちを集めて集団を形成し、国境沿いにまで撤退することに
成功していた。フランス軍と幕府軍による追撃が苛烈だったことを考えれば、まさしく幸運と言えた。

「おい、見ろ」

彼らが何度目かの林の中に身を潜めていると、湧水があるのが見つかった。
食料に関しても現地調達メインのこの時代、日本軍やフランス軍を除けば食料という概念が薄かった彼らにとっては
自然にある水は極めて貴重な補給物資だった。後の考察によれば、略奪した物資を持った部隊が殆ど持ち帰れなかったのも、
兵站そのものが幕府軍などと異なり整備されておらず、現地で殆ど消費してしまったことに原因があるとされる。
ともかく、彼らは疲れを癒すために我先にと湧水にすがっていく。
水でのどを潤し、傷口を洗い、思い思いに休んでいく。

「ああ……生き返るな……」
「生きててよかった……」

誰もかれもが、緊張の糸を緩めた。
なにしろフランス軍による落ち武者狩りは熾烈を極めていたためだ。いや、戦場においても圧倒的な火力と象兵、剣牙兵、
獰猛な馬(UMA)を従える騎馬兵に蹂躙されて、この世の地獄とも思える場面に何度も出くわしたのだ。彼らが正気を
保てているのも奇跡のようなものだった。

「あれがフランスの同盟国の軍だったのか……」
「まるで地獄だったな……フランスの奴ら、悪魔と手を組んだのか!?」
「どこのどいつだよ……黄色人種に頼るほどフランスが弱っているだなんていったのは」

99 :弥次郎:2016/05/05(木) 22:06:11 そして、緊張がゆるむと口をついてくるのは戦場での様子だ。
彼らの常識に全く当てはまらない、何が何だかわからないうちに仲間が死んでいき、瞬く間に軍として瓦解していったことだけ。そして、形容しがたい恐ろしいものが自分たちに牙をむいたことだ。
しかし、そんな彼らの中に一人の人間がうつむいたままだった。

「おい、大丈夫か」
「うう……俺たちの指揮官の死にざまがまだ……」

その歩兵の言葉に、仲間たちも目を背ける。
一般に、戦列歩兵は指揮官が付いている。馬上の上級仕官とそれに続く下級仕官がいて、その後ろに歩兵が並ぶ。
だが、彼らにとってショックだったのはその死にざまだ。その死にざまは真正面を見ることを強要される戦列歩兵
にとっては強制視聴させられるスプラッタな映画そのものだった。

文字通り、首から上が吹き飛んだ人間のような物体。風穴があけられ崩れ落ちる人間。
一瞬の空白を感じたと思った次の瞬間には、戦列の前方にいた人間がばたばたと死んでいく。
歩兵たちには飛び散った肉片や血液がかかり、ひどいものでは生首が目の前に飛んできた。
あるいは、象に蹴り飛ばされたり衝角に着き殺されたり、剣牙兵の餌食にかかってバラバラにされたり、あるいは
彼らの常識では考えられない恐ろしい馬に蹂躙されて圧死したりと、思い出すだけでも恐ろしい。

それは、職業軍人であろうともなかなかにキツイ光景だった。
いや、その光景だけならばまだマシだっただろう。もっとひどかったのは血液や体液が自分に降りかかり、その匂いや
人間の温かさの残っているのを感じたためだった。五感で戦場のおぞましさを理解させられたのだ。
それを見て士気が下がらないはずもない。指揮系統が瓦解すると同時に、彼らは離脱を選んだのだ。皮肉にも督戦隊の方が
真っ先に離脱するという皮肉な光景も見られたほどに。そうして指揮系統が瓦解した戦列歩兵や砲兵たちは瞬く間に
餌食となっていった。

ひとしきり騒いだ彼らは、それぞれ休憩を取り始める。
ようやく得た休むチャンスは、存分に使ってしかるべきだ。特に戦場を抜けてきた後なのだから。
緊張が緩めば尿意も出てくる。一人の歩兵が、木陰へと向かう。

「ん?」

その歩兵が、遠くでした音に首をかしげる。
しかし、それの音が何であるかまでは考えなかった。疲れていたし、空耳だと思ったのだ。
実際の所仲間たちが話している声が賑やかであるし、水が経てる音もあるし、それではないかと考えてしまった。
そして、木陰で便を済ませてしまおうとかがんだとき、それが飛来した。

「……ッ!……ッ!?」

声を建てることも許されず、地面に倒れ伏す。
彼の手は痙攣をしながらものどに刺さった矢へと伸び、しかし届くことはなかった。彼が倒れた際には、すでに
彼の命は刈り取られていたためだ。矢じりに塗られていたトリカブト系の毒薬は、迅速に体に回っていた。
もし彼が誰かと共にいたならば目立っただろうがあいにくと彼は一人だった。
そして、彼が倒れたところから十数メートル離れた木の陰で声がした。

「一つ狩った」
「了解。どうやら相手は油断している。一気に行くぞ」

小声で交わされる会話の後に、木々の間から森に溶け込むような服装の集団が現れた。その服装はどう考えても
ただの兵士ではなかった。手にはクロスボウか弓があり、腰にはサーベルではなく鉈のようなものを佩いている。
他にも体にはロープやナイフを下げているし、あからさまに血の臭いがした。ここで血の臭いとは、物理的な血の
臭いというよりもまとっている空気の方だった。いかにも、殺しになれている。
しかも、彼らは一つと物のように数えた。狩るべきターゲットとして、彼らを見ていたのだ。

100 :弥次郎:2016/05/05(木) 22:06:57
彼らは音を最小限にして動いていく。
小便をしていた兵士の背後に音もなく回ると、無言のままに口をふさぎ、首を手にしたナイフで切り裂く。
悲鳴を上げる暇さえ許さず、歩兵は地面へと崩れ落ちた。極めて静かに動かぬ物体となった兵士を地面に横たえると、
すぐさま姿を木の影に隠す。そして、歩兵たちが思い思いに休息をとっている湧水を見つけると後方へと合図する。

「……」
「……」
「……」

一体どこに隠れていたのか、10名を超えるフランス人兵士が現れた。
とはいっても、肌の色から見るに白人から黒人、黄色人と非常に雑多だった。一つ共通するのは、彼らのただならぬ
闘志と冷徹さであった。そして、彼らがそれぞれ武器を手に取ると、隊長格の男が右手を挙げる。

静かに武器を構えた彼らは、視線とハンドサインだけで会話を済ませる。誰が、どのターゲットを始末するかの指示が飛ぶ。
そして、再びの無言の合図とともに彼らは一斉に襲い掛かった、

「がッ……!」
「うわぁ!」
「た、たす……」

ナイフが、矢が、鎧を貫通することも容易なスティレットが、あるいは手に装備されたナックルダスターが彼らの命を奪う。
抵抗はもちろんの事、ほとんど逃げる余裕も隙も作らずに命を奪い去っていく。合図から3分と経たないうちに、その場に
立っているのは迷彩柄の服をまとった人間たち以外はいなくなっていた。そして、戦火を挙げたことに喜ぶこともなく
その集団はその場から離脱していった。




101 :弥次郎:2016/05/05(木) 22:08:03
彼らはフランス国軍の国境守備隊、通称”狩猟旅団”だった。
その規模はフランス各地に合計で1万5千人ほど存在し、5百頭近くの猫や山猫 犬を従えていた。勿論通常の猟犬を従える
兵士もいる、フランスでも極めて稀な”混成”軍だった。彼らが従えているのは日本大陸から持ち込まれた動物たちだ。
欧州において、肉食というのは中々に難儀な物だった。
というのも、食事のメインを占めながらも、キリスト教徒には動物を屠殺することを忌避する動きがあったためだ。
ここら辺は仏教にも似たところはあるし、穢れを嫌う神道にも似たところがある。そのため、多くは市民権を持たない
人々が肉を処理し、「拾ってきた」ことにして販売していた。
しかし、日本からフォーク農法がもたらされ、家畜を買うことができるようになったことでそういった人々の仕事は
奪われることになってしまった。わざわざ苦労して狩りにいかなくても肉が手に入るならば行かなくてもよいと考えるのが
人の常だ。それゆえに、そういった人々の食い扶持が奪われてしまいそうになった。

これを解決したのも、日本人だった。
動物を狩る技術を持つ人々を各地で雇用し、日本にいたマタギと同じような職を設けて働けるようにしたのだ。
元より動物について触れる機会も多かった彼らは、半ば拉致されるようにして日本大陸にゲート越しに研修にいった。
そして帰って来た時、彼らは立派なマタギとなっていたのだ。よくイメージされるマタギは鉄砲を利用しているが、
これはどちらかといえば鉄砲が民間利用するのを認められて以降の話だ。それ以前であれば、弩や弓による射殺がメインだった。
威力こそ劣るが簡単に調達可能で、尚且つ音も小さい。こうしてフランスの野山をかける彼らはやがて軍からも注目を集めるようになり、
職業軍人としてフランス国軍へと編入されていった。彼らは野山の踏破をはじめとした技能を持ち合わせており、
特に国境に山があるフランスにとっては国境警備にはもってこいの技能者たちだった。

特に強化がされたのは、ルイ15世の頃だった。建前上の植民地であるアフリカ・フランセーズやインドシナ・フランセーズから
元々身体能力が優れている住人がフランス本国へと本格的に移住が始まった時期だった。彼らはもとより狩りで生きて来た人間であるし、
そういった野山に伏せ、戦うすべを経験として積んできていたのも幸いした。遥か未来の栄養学やマタギが持つ経験を
統合して作られた訓練メニューと食事。さらに装備品の洗練や狩猟のバックアップ体制の充実によって彼らの戦闘力は
向上していた。夢幻会にいた第一狂ってる団所属経験のあるメンバー曰く「(この時代にしては)狂ってる」と言わしめた
超人ぞろいだった(※2)。

その後を継いだルイ16世としては各地から集められた精鋭たちの狩猟というものを見てみたい!という個人的な
欲望もあったのだが、曲がりなりにも人気のある国王の肝いり部隊であったために、彼らにかかる期待と予算なども
大きくなった。また、警察犬の導入の先駆けともなっていたこともあり、治安維持の面でも大きな収穫はあった。
通常の軍にも警備や歩哨の友としての犬の導入にもつながった。

102 :弥次郎:2016/05/05(木) 22:08:43
そして、彼らの主任務となったのが地元の猟師と組んでの獣の間引きと国境線の巡回だった。
国境要塞が建築されつつあると言っても、国境線そのものを超えることは存外簡単なのだ。あくまで国境付近に建築
されているのであって、四六時中監視をすることはなかなか難しい。しかし、不審な人物が侵入してくるのを阻止するには
定期的に巡回し、戦時には国境沿いを偵察することも可能な戦力が必要だった。まさに、彼らの為といってもよい。
巡回しながら適度に動物を間引けば食料を確保すると同時に、森林を過度に食い尽くす動物を減らすこともできる。
フランス革命戦争時に幸いだったのが、彼らへの指揮系統がほぼ国王派で固められていたことにある。
元々兵士たち自体が国王の拾われ、フランスの一市民として認められた出身のものが多く個人的な忠誠度が高く、
正規の軍人も国王派の貴族の抱える騎士や従士の家系から選ばれていた、いわば生粋の国王派だった。

国境への欧州各国の進軍が確認された時点で、彼らは迅速に行動を開始。予測される進軍ルートの市民の避難や
パリとオルレアンへの連絡、国境要塞の人員の招集など、初期対応を速やかに行ったのだ。
革命派と諸外国勢力の諜報員らが主要な都市をターゲットにしたのは間違いではなかったのだが、特定の拠点を持ちながらも
遊撃戦力となるこれらの狩猟部隊を足止めできなかったのはあまりにも大きかった。

例を挙げれば、イギリスとネーデルランド方面ににらみを利かせるカレーとダンケルク方面に点在する要塞に
非常事態が告げられて市民が大急ぎで避難することに成功した。電撃的な侵攻を仕掛けるはずだったイギリスおよび
オーストリア軍はその動きをいったん止めざるを得ず、無人でがらんとした農村のいくつかで収穫をするにとどまった。
もっとも、そこに残された食料には毒薬が仕込まれていたし、そうでなければヒマシ油などを溶かしこんでいた。
「死にはしないが行軍が遅くなる」という、極めて厄介な攻撃を繰り返したのだ。
さらに、彼らは国境を越えてくる伝令兵などを集中的に狙った。この時期にフランスの国境を超えるのはよほどの例外を
除けば敵国の人間だ。捕まえて尋問する技術に関しても彼らは十分に心得ていたし、国内のスパイを炙り出すために
必要な情報も得ることができた。その情報は狩猟旅団が独自に抱える連絡網に乗せられて迅速に運ばれていく。

最もターゲットとしたのが、補給物資を輸送している部隊だった。フランス領内で『収穫』されたものや本国から
運ばれてくるものなどがメインだったが、それを少しずつ寸断することで行軍を遅らせることもできたし、『戦利品』
を奪還することもできた。この時のフランス人への、そしてフランスに暮らす人々への扱いのひどさが戦後にフランス中に
広まったためなのか、フランス国民にとっての強烈なトラウマとなったようだった(※3)。

103 :弥次郎:2016/05/05(木) 22:09:36
彼ら狩猟旅団の奮戦で介入軍に恐れられたのは、その神出鬼没な展開速度にあった。彼らが師事したのは
日本大陸において鉄砲傭兵という名のゲリラ屋として織田信長と争った雑賀衆や根来衆、そして戦国大名の面目躍如ともいえる
強かな戦いぶりを見せた真田家などだった。これに夢幻会の持ち込んだ知識と技術による武器を持たせれば、欧州介入軍を
翻弄するには十分すぎる実力を発揮できた。この時代は日本もそうであるが、道が道として整備されたところは国土の
数パーセントにしか満たない。その数パーセントに依存して移動してしまいがちな介入軍と、残りを含めて存分に使って
移動できる狩猟旅団の間に移動速度の差が生まれるのは至極当然だった。

元々、忍というものが職業化したのは「走り方」や「野山の踏破方法」が一般に普及していなかったために、それらを
身に着けていた人々がその技能を「商品」とすることができたためだ。江戸時代において飛脚が成り立っていたのも、
しの迅速な物資の輸送技術を商品としていたがためである。そして、そうした走り方の技術は長年の研究の果てに
『山岳地域において疲れにくい走り方』へと変化した。これらが彼らの移動速度の大本であった。
また、彼らはフランスの山の中に彼らしか理解しえない目印を多数設置しており、長距離を移動しても自分の位置を
ほぼ正確に把握していた。

次いで恐れられたのが、その(他国から見た)残虐性だった。
『ブルボン家の狼』とも恐れられた彼らは、所謂コマンド部隊として暗躍した。ここら辺は欧州らしく、介入してきた
軍の兵士を敵陣地などに見せしめにするために木から吊り下げたり、国境沿いの道に晒したり、あるいは夜襲を仕掛けたりと
容赦のない攻撃を繰り返した。視点を変えれば、組織立ったゲリラ屋というべきか。その際には極めて効率的に殺人
を行い、それが効果的に敵軍に影響を与えるように工夫を重ねていた。元々が高度な訓練を積んだ対テロ組織に近い特性を
持っていた彼らは、敵に対して容赦を捨てることをごく自然にできた。狼は極めて厳正な社会を持ち、縄張りを荒らす
相手に容赦はしない。理性ある狼と呼べる彼らが、何のためらいもなく屠っていることはその惨殺された死体を見ればわかるだろう。

とくに彼らが用いていたコンバットナイフは、通常のナイフの他にもククリナイフあるいはグルカナイフと呼ばれる
ナイフによく似ていた。というのも山岳地域の踏破においては鉈のような大ぶりな刃物が必要となって来る。道を切り分けるほかにも
大型の猫や野生の馬に遭遇した際に有効な一撃を与えるためには、必然的に大きな刃物を携行する必要があったためだった。
それを人に使えばどうなるかは明白だ。なまじ躊躇わない彼らに使わせれば、容易に殺傷可能だった。

104 :弥次郎:2016/05/05(木) 22:10:41
現在においても、帝政フランス陸軍や皇室警察、空挺師団などに狩猟旅団の系譜は繋がっている。
そして、その直系と言える帝政フランス陸軍国境警備団などは特にそれが強かった。それゆえに、フランス陸軍でも
一目置かれる組織となっていた。ドイツ風に言えば、彼らはブルボン家に対して忠誠を宣言した騎士のようなものだろう。
実際、ブルボン家が否定されずに騎士階級や従士階級の人々は軍人として、そして皇室警察という形となってブルボン家に
仕え続けた。勿論、それが制度として存続しているというわけではなかったのだが、そういった気風は残されていた。
制式に権力を放棄したのがルイ16世からルイ18世にかけての時代であったが、逆に言えばそれまで制度は存続し、
彼らは皇帝のために戦った面も持ち合わせていた。
無論、上官の命令権については人道的な観点から修正を余儀なくされた(※4)のだが、フランス軍の軍事規律の厳しさを
維持するという点においては極めて重要な働きを示した。彼らが独自に持っていた情報網や連絡網というのはフランスが
立憲君主制、そして民主制へのシフトを果たして後も残り続けた(※5)。

軍事的な指揮権なども名目をも含めてブルボン家が放棄したのちにも、フランス政府がブルボン家への忠誠宣誓を
軍に認めているのも、ここに由来するところがある。ブルボン家の権威が残るフランスにおいて、彼らの固い結束は
市民と、市民の支持するブルボン家によって維持されていた(※6)。


※1:
新田式に対してマイナーチェンジモデルであるために『古田』としたようであった。
実際の所、ガラスのスコープを採用しているなど新田式狙撃銃は最新技術の塊で、メンテナンスや細かい調整を
行う必要に迫られるため数的にも信頼性的にも古田式狙撃銃が重用された。
一般的な弾丸を使った狙撃銃(ライフル銃を改造したマークスマンライフルも含め)も存在しており、フランス陸軍などの
通常装備として急速に普及していった。一方で、暴徒鎮圧向けに威力を含めた質の悪い銃も残されていた。

※2:
第一狂ってる団こと史実自衛隊の第一空挺団に所属していた人間などは多くの技能に通じる教官役として
各地で指導を行っていた。ヘリボーンや通信技術などを除いた、夜戦築城や斥候、サバイバル技術などを身に着けた。
これらにマタギなどの技術も合わさって構築された独自メソッドは、後のフランス国軍へも拡散していった。

※3:
同じ白人はもちろんの事、フランス国内に来ていたアフリカやインドシナ出身の住人もかなりひどい目にあわされた。
倫理観的に見てもガチ中世だったと言っておく。『収穫』目当ての進軍で村や町がいくつも消失しており、その惨状は
筆舌しがたいものだった。

※4:
上官命令による捕虜の殺害など、道義的な観点から拒否すべき命令を拒否することができるように
ブルボン家から勅令が出された。史実ドイツにおいても結構議論を呼んでいた。

※5:
彼らの持つネットワークは極めて身内にしか通用しない特殊なもので、他国の諜報網には決して引っかからない秘密裏の
連絡手段でもあったため、軍事情報の伝達にも一役買っていた。また、スパイの摘発や調査にも一役買っていた。

※6:
現代においては厳格な制度としてはほとんど残っていないが、一部では似たような制度が残っているところがある。
また、名誉称号としての騎士への叙任なども史実イギリス同様に残っている。ここに関しては日本においても武家の作法
として残り続けているので、似たような制度と言える。

105 :弥次郎:2016/05/05(木) 22:11:33
はい、というわけでフランス革命戦争時の点描をお送りしました。
何故作ったのか? → カッコいいから。理由としてはほぼ100%これですね。
このような混成部隊はゲリラ戦などにおいてはかなり強いでしょうねぇ…ぶっちゃけ、ただの軍犬を連れている兵士とは
レベルが違うやばさですし。分かりやすく言えば人間に極めて従順な熊を連れているわけですしね。

フランスに攻め込んだ軍勢はマジでフランスが悪魔と手を組んだと考えるんじゃないですかねぇ……?
いや、下手したら十字軍でしょうか。でもこの時代になると招集できるかも、そもそも連携取れるかも曖昧でしょうし、
空中分解の可能性もあります。第一、マジモンの悪魔(に見える幕府)と手を組んだフランスと事を構える度胸が
キリスト教圏にいるかどうかすら怪しいですし、人的被害も相当な物でしょうね。

狩猟旅団とは言っていますが、実際の軍事における旅団とは少々異なりますね。
1万5千人といっても各地に分散していますし、実際の実働戦力はもっと少ないでしょう。精々10名前後+2,3頭の
ユニットが遊撃戦を展開するレベルでしょうな。まあ、それでも危険極まりないのですが。

この集団が生粋の国王派……つまり、国王であるブルボン家に直接忠誠を誓うロイヤルガードに近かったらこそ、
フランス革命戦争時に国王派が優位に状況を進めることができたと言えますね。彼らからすれば国王から目をかけてもらい、
特別な仕事を任されるという名誉なわけですし。各地方にいる貴族からも人員供出がなされており、そりゃ『現地収穫』なんて
やらかした欧州介入軍にはぶちぎれるわけですな。貴族・騎士・従士にとって重要な『領地』を荒らされるわけですし。

狙撃銃やライフル銃に関しては正直あてずっぽうに近い感じのスペック設定ですのでご容赦を……
なんちゃってな知識ですので間違っている箇所があったらワロスワロスと流していただけると幸いだったり。
実際アンチマテリアルライフルは風穴があくってレベルじゃないようなので、少々弾丸の口径が小さくなっているとしても
間違いなくオーバーキルになるんじゃないかなぁと。数メートル先を歩く上級士官の頭がいきなり消し飛び、血が噴き出すとかいう
バイオハザードも真っ青なホラー。戦場で見せられたらそりゃ精神的にやばいでしょうな。
これが殉職率の高いBSAAの精鋭ならともかく、質が悪い故に戦列歩兵なんてのをやっている欧州の軍に見せつけたら、
士気もがた落ちでしょう。

さて、次はダンケルク方面の戦いでも書きましょうかね……それとも、ナポレオンの活躍したオーストリア包囲戦の方を
書いたほうがいいのか…それともさらりと流して、時代を進めるか。少々迷いますね。

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最終更新:2016年08月06日 21:59