- 512. yukikaze 2011/12/17(土) 23:35:55
- 『オペレーション・ポーラスター』を投下するニダ。
端的に言ってしまえば、大西洋大津波の発生によって、アメリカ合衆国は
否が応でも戦争を続けざるを得なくなったといっても過言ではない。
大津波による東部の被害については、中部・西部の生産力を
フル稼働させればなんとかなるであろう。復興にかかる費用についても、
これまで軍拡に使っていた予算を復興予算に回し、更にそれでも足りなければ
復興国債を割り当てることで―インフレが進むのは確実だろうが―捻出は出来るであろう。
だが、その間に、開戦前に持っていたアメリカの国外市場が日本に食い荒らされるのは間違いなかった。
何しろ彼らの本国は、地震による被害をまるで受けていないのだ。
あのエコノミック・ビーストが、そんな好機を逃すはずがないというのが、
アメリカ政府並びに財界の共通した認識であった。
だからこそ彼らは、国民の批判を受けてもなお、戦争を行った。
短期決戦で彼らに勝利をすることで、アメリカに立ち向かうのが
どれほど高くつくのか教えておかないと、こちらが国内を回復させたときには、
今よりも強力になった日本が立ちはだかっているという事になりかねないのだ。
更に言えば、ロング大統領の軍拡政策によって、軍備に多大な設備投資をしていた財界としては、
少なくともその設備投資にかかった費用がペイするまでは、戦争状態であった方が望ましいという事情もあった。
もっとも、彼らのこうした認識は、ハワイ沖海戦で日本に完膚なきまでに叩き潰されたことで、軌道修正せざるを得なくなる。
今や、日本はアメリカに対して圧倒的優位な立場にたっており、ハワイ陥落すら現実のものとして考えなければならない程であった。
そしてハワイが陥落すれば、次は西海岸である。
東海岸が多大な被害を受けた今となっては、五太湖周辺と西海岸は、アメリカの経済にとっては宝石よりも貴重な地域である。
戦渦に巻き込まれたりでもしたら目も当てられない。
故に、財界は失態を重ね続けたロングを見限ることになったし、そして自分の立場を理解していたロングは、
最後の賭けとして『オペレーション・ダウンフォール』を行い、そして考えられる限り最悪の結末を叩き出したことで、
失脚することになった。
- 513. yukikaze 2011/12/17(土) 23:39:24
- ここまでが、ガーナーが大統領になるまでの、アメリカの戦争目的の説明である。
読んでいただけたら分かるように、巷間言われている所の「ロングは大津波が起きた時に
休戦条約を結ぶべきだった」という意見が、アメリカ政府内で受け入れられる余地が
全くなかったことが見て取れるであろう。
そして皮肉なことに、彼らが本格的に戦争をやめようと決意した時には、
相手側の日本がアメリカを徹底的に叩き潰すことに、朝野がまとまっていたのである。
他ならぬアメリカ自身の手によって。
何しろ、イケイケどんどんな風潮に常に苦言を有していた浅沼主筆ですら、
化学兵器攻撃と、ガーナーの恩ぎせがましい演説に本気で腹を立て
「彼らは民主主義国家としては、とてつもなく未成熟な存在であるといわざるを得ない」と、
常にはない激しい文章を社説として書いたほどである。
そして、現有艦隊が壊滅してしまい、日本海軍に対抗できる手段が、現時点においては全くと
言っていいほどなく、逆に日本側からは複数の攻撃手段を突きつけられているアメリカ合衆国の戦略は、
徐々に刹那的なものへとなっていく。
その最たる例こそ『オペレーション・ポーラスター』であった。
1943年6月6日。
『オペレーション・ポーラスター』の第一段階として、カナダ国内に大規模な飛行場を
建設したアメリカ軍は、第二段作戦へと移行した。
バンクーバー郊外に作られた飛行場に展開していたのは、アメリカ陸軍にとって、
唯一アンカレッジまでの爆撃が可能なB-24が2個大隊(72機)であった。
彼らの目的はただ一つ。アンカレッジ港の爆撃により、同港の使用を封鎖することであった。
後に、「カリブ海艦隊が突撃するのに合わせて出撃すれば効果があったのでは」と、
批判的な意見が出される同爆撃ではあるが、これは正しいとは言えない。
当時のアンカレッジ周辺は天候が悪く―だからこそ海軍が無傷でアンカレッジ周辺
まで乗り込めたわけだが―爆撃機の使用に不安があったことや、
更にアンカレッジからシアトルまでの距離は往復4000kmオーバーあり、
B-24でもギリギリであったし(標準搭載量の2.4tを積んだ場合の話)
且つ最短距離を通った場合、カナダの領空を侵犯せざるを得ないために、
使用を断念せざるを得なかったのである。
『オペレーション・ポーラスター』において、アメリカがカナダに航空基地建設を
執り行うために侵攻したのは、上記問題点を解決するためという理由があるのだが、
裏を返せば、国際的な批判を受ける可能性を知りながらカナダ侵攻にゴーサインを出したのは、
それほどまでに、アメリカはアンカレッジ周辺に建設された弾道弾基地に神経をとがらせていたといえる。
- 514. yukikaze 2011/12/17(土) 23:42:50
- もっとも、カナダ侵攻によって、最短距離での爆撃が可能になったとはいえ、
問題点は山積みであった。航法問題については、海軍航空隊から引っ張ってくることで
何とか解決したが、同爆撃機部隊を擁護できる戦闘機がないのは大問題であった。
一時は、高速輸送船として召し上げていたワスプに、戦闘機部隊を満載させて護衛させようか
という案も出たが、既に戦前のベテラン兵はハワイ沖海戦までで壊滅してしまい
―この時、本土にいた教官クラスのパイロットが、多数海戦に参加し、そして戦死したことで、
アメリカ海軍のパイロット養成は大混乱状態であった―プランの是非はともかく、実質的には不可能であった。
(アメリカの船乗りにとって悪魔の代名詞とされる、第六艦隊(潜水艦部隊)の被害を恐れたのも一因である)
その為、合衆国陸軍は、損傷したB-24、10機を編隊掩護機に改造した上で(史実のX-B41である)
もう一つ別の作戦を組み込むことで、爆撃の成功率を上げようとしたのである。
1943年6月6日夜。
アンカレッジ市内において、複数の場所で爆発事件が生じた。
爆発事件を起こしたのは、ポーラスター発動の後に、潜水艦により少数が上陸した、
第1特殊任務部隊のメンバー10人であったのだが、彼らはラジオからの指令(『秋の日のヴィオロンの溜息の』で有名)により、
市内における爆破テロと、そして『日本軍の細菌兵器が市内に漏れ出した』という情報を流すことで、
アンカレッジ市内をパニック状態に陥れることに成功する。
事態を重く見た、アラスカ駐留軍総司令官である今村均大将は、直ちに飛行場と弾道弾発射基地を守備している各1個大隊
(当時、アラスカ方面には、直接的な陸上戦力の脅威がなかったために、上陸作戦時には3個師団あった兵力も、
現在では、アンカレッジ防衛として、1個機械化師団並びに1個戦車旅団。そして冬戦教が配属されているのみである)
そして軍司令部直轄部隊である冬戦教を除いた部隊を、アンカレッジに展開して、パニックを起こしている市民の鎮静に
注力することになるのだが、この混乱に乗じるように、アメリカ陸軍爆撃部隊が多数レーダーで感知される。
この事態に、陸軍航空部隊はすぐにスクランブル発進をするのだが、彼らが爆撃部隊に注視したその時、
東北の方より航空機基地と弾道弾基地に各々10数機の正体不明の機体が接近するのがレーダーで発見されることになる。
内陸からの航空機の侵入はあまり考えられないとして、海岸部のレーダー網の構築に注力していたがために
発見が遅れてしまった訳だが、更に日本側を驚愕させたのは、要撃に向かった部隊からの通信により、
爆撃機部隊は実は少数であり、レーダーに多数映っていたのはチャフ雲によるものであったことが判明した点と、
両基地からの緊急通信として、内陸部より侵入したのは、B-17を改造した火力支援機であり、そしてその後方からきた機体からは、
多数の空挺兵が降下中という報告であった。
- 515. yukikaze 2011/12/17(土) 23:45:45
- 『オペレーション・ポーラスター』の第二段作戦の内訳は、おおむね以下である。
まず、バンクーバー基地に展開している、アメリカ陸軍第82師団2個大隊弱を乗せた
C-54スカイマスターが、カナダ国籍の表示のまま離陸。更に同部隊の擁護機として、
B-17を改造した火力支援機も同じように離陸する。
彼らは、日本側のレーダーが海岸部に集中しているという報告から、
カナダ北方から反時計回りにアラスカに侵入する航路を取る。
(『ポーラスター』でカナダに航空基地が必要だったのは、実はこれが一番大きかった。
彼らは日本のレーダー技術によって、幾度ともなく煮え湯を飲まされてきたことから、
非常に神経質になっていた)
次に、第一波として、燃料とチャフを満載した少数のB-24が離陸し、日本側の要撃戦闘機を引き付ける。
この時、わざと暗号解読されている文章で、『同編隊が化学兵器を搭載している』という偽命令を
日本側に解読させることで、より引き付けやすくするようにする。
そして、要撃戦闘機が囮に引き付けられたタイミングに合わせて、最初に出撃したB-17と空挺部隊により、
飛行場と弾道弾発射基地に攻撃を加える。(弾道弾発射基地攻撃部隊には、
『可能ならば弾道弾のマニュアルを奪取すること』という命令まで出されている)
最後に、慌てて基地に戻る戦闘機部隊の隙を狙って、本命の爆撃部隊によって、
アンカレッジ港を破壊し、沿岸に潜ませている機雷敷設潜水艦による機雷封鎖と共に、
同港を使えなくし、弾道弾攻撃を長期間使用不可能にする。
これにより、アメリカは内陸部で秘密裏に製造している化学兵器を、西海岸防衛における対艦攻撃兵器
として大々的に使うと宣言することで、日本側の攻勢を頓挫。停戦交渉へと入るというシナリオであった。
見て分かるように、一見すると軍事的な整合性があるように見えて、実際にはかなり虫のよいシナリオの元に
作られている作戦であることが丸わかりである。
実際、同作戦案を見たアイゼンハワー陸軍参謀総長は「士官学校でこんなバカな作戦案を出せば即刻退学だろうな」
と吐き捨てた程であった。
ちなみに同作戦案を提示したのはダールキスト少将という将官であったとされるが、彼はこの件で陸軍上層部から忌避を買い、
テキサス第36師団に飛ばされることになる。
そして、こうした刹那的・願望的な作戦が提案され、そして認可されてしまった所に、アメリカ合衆国の苦境が見て取れるのであるが、
実際に作戦に参加している兵士たちにしてみれば、堪ったものではなかったろう。
- 516. yukikaze 2011/12/17(土) 23:49:57
- 改行がどうもうまくいかんなぁ。これがラストです。
もっとも、作戦について言えば、いくつかの点では成功した。
まず、弾道弾攻撃部隊については、B-17が撃墜されるまでの間に、
地上部隊に対してそれなりの攻撃を加えることに成功し、
そしてその穴を縫って、降下に成功した1個大隊の空挺兵の一部が浸透に成功し、
弾道弾基地への攻撃を果たしたのである。
彼らは、最終的には冬戦教と戦車旅団の前に、ほぼ全滅することになるのだが、
液体燃料槽が爆破され、発射台に設置してあった弾道弾が破壊された
(幸運にも燃料は入っていなかった)被害を聞けば、十分に任務を果たせたといえるであろう。
一方、飛行場攻撃部隊については、頼みの綱のB-17が、高射砲によって早々に撃墜されてしまったことがたたって、
空挺兵部隊も飛行場守備隊によって足止めされてしまい、何とかその防衛ラインを突破しようとした時には、
救援を聞いて駆け付けた機械化歩兵師団の偵察機甲部隊が到着したことで、降伏を選択せざるを得なかった。
そして、航空部隊については、各種陽動によって混乱してしまった日本の防空網を強引に突破しようとするB-24部隊と、
日本陸軍航空機部隊が激突したのだが、B-24部隊にとって不運だったのが、この時陸軍部隊は無誘導型の近接信管付ロケット弾を
試験的に装備しており、先行した2個小隊8機、合計で64発発射されることになるこの攻撃によって、
10機以上が撃墜・損傷してしまい、慌てふためいたところに、残りの上空直援に間に合った16機が突撃を開始したことで、
編隊がバラバラになってしまい、効果的な爆撃は事実上不可能になってしまった。
結局、爆撃機部隊は、部隊の壊滅と引き換えに、数的優位性から何とか防衛ラインを突破した数機の爆撃機が投弾に成功するも、
港湾施設の被害は微々たるもので、むしろアンカレッジ市内の被害の方が上であった。
(市民がパニック状態のままであったことが被害を大きくした)
かくしてアメリカ合衆国による作戦は終了した。
彼らが得た戦果は、アンカレッジからの弾道弾攻撃が3週間ほど止まったという事であったのだが、
彼らは弾道弾基地に相当の打撃を与えたと解釈していた。
そして彼らは、計画通り、今回の戦果を大々的に発表するとともに、仮に日本が無条件で停戦に応じない場合、
保有している化学兵器を、西海岸防衛における対艦攻撃兵器として大々的に使うと宣言したのである。
だが、その宣言に対する日本側の回答は、実に痛烈なものであった。
1943年6月15日。
通商破壊作戦とたび重なる爆撃によって継戦能力を失ったハワイ諸島は、日本の降伏勧告を受け入れる。
そして日本政府は、先の宣言を受けて、改めて合衆国政府を非難するとともに、次の声明を行ったのである。
『合衆国が、今後、いかなる人種・地域において、生物・化学兵器を利用した場合、極めて遺憾の事ではあるが、
実戦配備した核兵器を躊躇なく利用する』
後に、恐怖を以て刻み込まれることになる『極めて遺憾』という言葉が、初めて歴史上に現れた瞬間であった。
最終更新:2012年01月03日 19:48