900 :ひゅうが@あつは夏い:2015/06/01(月) 23:39:59
満州連邦共和国


――満州地域および内蒙古・熱河地域をその領土とする共和制国家。
かつては満州国・満州帝国・マンチュリア民主共和国・マンチュリア=ソヴィエト社会主義共和国という変遷を経た緩衝国家であった。


【沿革】

前身は、清朝における満州地域(東三省)。
満州族の大地として長らく入植が規制されながらも、日露戦争前後に漢人の入植やロシア人による植民地化を経て人口が急増。
日本による南満州鉄道の設置を受けて日本人の入植も行われた。結果、モザイク状の民族構成をとるようになり、1931年の満州事変によってこれが固定化された。
当初は清朝の後継国家であり日本帝国による中華民国・ソ連との緩衝国家としての意義が強かったものの、日本型植民地主義と呼ばれる開発独裁路線によって急速な工業化を達成。
日本の敗戦時には、日本本土の6割程度の工業力に加え、豊富な鉱物資源によって近代国家としての脱皮を遂げようとしていた。

ソ連軍の進駐によって、日本人が作り上げていた国家組織は丸ごと東側の傘下に入り、さらには第二次国共内戦において敗色濃厚であった共産党政権がここを後方基地として反攻に転じ、やがて大陸中華を建設することになる。
だが、朝鮮戦争前後における敗戦国日本の相次ぐ軍事的勝利に加えソ連の敗北からソ連極東地域から東シベリア一帯が壊滅したことにより、ソ連は満州地域の統一中華への返還という方針を転換。
1951年、国連決議を無視してマンチュリア民主共和国を設立するに至った。
その翌年、国民投票という形をとって帰属を決定するとした同国は、ソ連への加盟を宣言。
公式に、大陸中華への帰属を拒否し民族自決による新国家の誕生を宣言するに至った。
同時期に第一次海南島危機を向かていた大陸中華はこれに抗議するも黙殺。
以後、マンチュリア・ソヴィエト社会主義共和国と名を改めた同国は、ソ連極東地域の工業力の8割を占め、極東地域への食糧生産を担う国家として冷戦期を生きることになる。

同国が自立の道を歩み始めたのは、大陸中華の争乱から逃れてきた鄧小平が政府首班としての地位を確立する1960年以降である。
日本国と単独国交正常化を成し遂げた同国は、LT貿易と呼ばれる日本との貿易を通じて工業力の近代化に着手。
1970年代には、日本の高度成長期には及ばないものの経済成長を遂げ、東ドイツとならんで「東側の優等生」と称された。
とりわけ、農業の機械化の進展と繊維産業の勃興は、東側の旺盛な需要に加え、日本国内の繊維産業の衰退にあわせて拡大を開始し、欧州のユーゴ同様に「リンゴ型経済」の一翼を担った。
西側諸国の経済成長を支えたのは、このマンチュリアが生み出す繊維産業と大豆や麦などの食糧であったのである。

だが、極東ソ連の心臓と呼ばれたがために、ソ連崩壊時のチタ動乱においてはこの地を確保すべく大陸中華とソ連守旧派(チタ政権)が動き、またそれに注目した米国による干渉も受けた。
1994年にはソ連から念願の独立を果たし「満州連邦共和国」と国名を改めた。
同年、長らく国家を主導していた鄧小平大統領が引退。
複数政党制への移行に加え、民主化が断行されたことにより、北東アジアにおける第三の経済大国として世界に名乗りを上げた。

201X年現在、政治的には大陸中華との国家承認を巡る深刻な領土問題を抱え、それがGNPの押し下げ要因となっているものの、日本・大陸中華に次ぐ北東アジアの経済大国として飛翔しつつある。

鄧小平を修正
最終更新:2016年08月10日 10:28