128 :名無しさん:2015/06/04(木) 20:34:08

―――瑞鶴

それは、史実では幸運艦と呼ばれ、事実マリアナ沖海戦で被弾するまでに無傷でいた空母であった。
そんな彼女の生涯である


昭和13年神戸造船所で起工され、昭和16年に竣工し、栄光ある南雲機動艦隊の一員として真珠湾攻撃に参加する

しかし、艦攻の花形ともいえる雷撃には参加できなかったが、被撃墜・戦死者0という素晴らしいスタートを切ることができた。

その後もラバウル攻略・セイロン沖海戦にも参加し、史上初となる空母艦隊決戦である珊瑚海海戦が起きた

その海戦では、辛うじて勝利するも姉の翔鶴が被弾し、祥鳳も沈没した
瑞鶴はスコールに逃ることで被弾することもなかった


内地に帰還し待機していたら、ミッドウェー海戦で凶報が届き、瑞鶴は残された空母の主力となったのである


ガダルカナル島で起きた争奪戦では日本が有利に傾きつつも、最終的に撤退するが
その過程で起きた南太平洋海戦はミッドウェー復讐戦と呼ばれるほど、完璧な勝利に収めたが
その時も翔鶴が被弾し、瑞鶴は無傷であった

1943年は何もなく、ひたすら訓練を続けたが、1944年に大きく変動することになる

絶対国防衛圏であるサイパン島争奪戦では、空母10隻による集中投入に基地航空隊の共同作戦により、実にアメリカ機動艦隊の八割近くも
消滅することに成功したが、艦載機の損耗も大きかった。また、アメリカ機動艦隊が最後に放った反撃により
翔鶴が雷撃1本、大鳳に急降下爆撃3発食らうなどと多くの艦艇に被害が出て、瑞鶴も狙われたが艦長貝塚大佐の的確な操舵により
見事に攻撃をすべて回避することに成功したのである


フィリピン諸島を巡って起きた、捷一号作戦で瑞鶴も囮として参加し
ハルゼー艦隊を誘引するために翔鶴と大鳳と共に少数の攻撃隊を発艦し、完了した直後の事だった
突如として、瑞鶴の機関が故障し、数時間応急修理を行うも完全に復帰できず、無念の反転を行うが
同時にハルゼー機動艦隊からの偵察機が小沢機動艦隊を発見した。離脱した瑞鶴も発見され
瑞鶴に付き添う艦艇は駆逐艦杉と桐しかいなくて絶体絶命の危機にあった。

だが、瑞鶴の上空に敵艦載機が一度も来ることはなく、全て小沢機動艦隊に向かい
小沢機動艦隊の空母は囮としてエンガノ岬に沈んだのであった・・・


太平洋戦争最後の決戦である沖縄にも瑞鶴は直援艦隊として大和を基幹とする第二艦隊に所属し、この艦隊も大規模な空襲を受けるも瑞鶴は無傷ですり抜けることができた
これは、アメリカ軍がレイテ沖で起きた戦艦大和の艦砲射撃による惨劇にトラウマを持っており、キング長官が艦砲射撃を絶対阻止すべし!!と
大和などの戦艦に全力を挙げて攻撃したからで、瑞鶴は散発的な攻撃しか来ず、ロケット弾(不発)を一発受けたのみであった。

空襲を切り抜けた後は艦載機が空っぽになった瑞鶴は損傷した艦艇と共に日本に帰還し
佐世保で終戦を迎えたのである


        • しかし、彼女の戦争はまだ終わってなかった。復員船として北方に行った際に
護衛として勤めていたインディアナポリスが謎の潜水艦の攻撃により沈没し
多くの民間人を乗せて、日本に帰還する途中でソ連の極東艦隊が民間人の中にスパイがいるとして引き渡すように要請し
拒否した後に、撃ちあいになったが瑞鶴の高角砲が、偶然ソ連駆逐艦の魚雷発射管に命中し撃沈するという大戦果を挙げてしまった。
これに驚いたソ連の艦隊は逃げ去った。その間にも多くの砲弾が瑞鶴に飛んできたが、ソ連海軍の腕が下手だったのか、一発も命中しなかった。


復員船として終わった後の瑞鶴の立場は微妙なものであった。
瑞鶴は開戦初頭に真珠湾攻撃に参加していて、アメリカ海軍からすれば、憎んで病まない空母であった。

しかし、その認識が変わるきっかけが起きた。クロスロード作戦である
アメリカ空軍は実験標的艦として瑞鶴を引き渡すように要請したが、アメリカ海軍が空軍成立の際に起きた
一連のゴタゴタ(ユナイテッドステーツ級撃沈など)を恨みに持っており、瑞鶴を費用敵艦に出すことを絶対阻止にでたのである
このことにより、瑞鶴はアメリカ海軍から許されたのであった


        • そして、国防海軍に所属し信濃と共に対馬へと行き
第二次日本海海戦に参加するのであった・・・・

129 :名無しさん:2015/06/04(木) 20:34:51
終わり

その後は読者に任せたいと思う。
とにかく幸運艦として書きたかった
最終更新:2016年08月10日 10:35