891 :yukikaze:2014/07/03(木) 01:44:05
アカン・・・完全に寝落ちをしてしまった。
取りあえず投下しますね。

アメリカ海軍の憂鬱

太平洋戦争がアメリカの勝利であったことに疑いを持つ者はいない。
何しろ片方は国土に碌な被害を得なかったのに対し、片方は空襲によってボディブローのように体力を消耗しつつあったからだ。
大日本帝国が驚嘆すべき奮戦を行ったのは事実であったが、戦術的勝利の積み重ねで、戦略的な劣勢を覆すのは至難の業であり、精々がピュロスの勝利であった。

もっとも、アメリカ海軍にとっては、勝利と呼ぶにはあまりにも苦すぎた結果であった。
確かに彼らは連合艦隊を壊滅させたのだが、同時に自国の艦隊も無視できない程のダメージを受けることになった。
ミッドウェーで、アメリカ海軍の恐怖の対象と言ってよかった、ナグモタスクフォースを叩き潰したまでは良かったが、ソロモン海において、復讐に燃えるナグモの手によってアメリカ空母機動艦隊は文字通り全滅。(第二次ソロモン海海戦では、防空指揮の不手際で、エンタープライズとワスプが撃沈。サラトガが大破。南太平洋沖海戦では、龍驤撃沈と引き換えにサラトガとレンジャーが撃沈。ホーネットが自沈という最悪の結末を迎えている。)
以降、ソロモン海では水上部隊の殴り合いへと発展するのだが、夜戦の技量に勝る日本海軍は、「ソロモンの悪夢」と、アメリカ海軍軍人にとってトラウマと化した、クリタ(憂鬱古賀が転生)の猛威によって、サウスダコダと補助艦艇多数を失い、遂にソロモンから叩き出されることになる。
余談だが、栗田は日本海軍の勝利を決定づけた第三次ソロモン海戦(ガタルカナルの撤退支援の為出撃したアメリカ海軍戦艦部隊と、大和を旗艦とする増強された第八艦隊による夜戦。最終的に日本側は撤退する海兵隊を満載した高速輸送船団を壊滅させている)による負傷で、これ以降前線に赴くことは出来なかったのだが、ソロモンでの比類なき武勲は彼が中央で辣腕を振るう際の大きな武器となっている。

893 :yukikaze:2014/07/03(木) 01:46:43
この1942年秋から1943年初頭まで行われた消耗戦により、さしものアメリカ海軍の戦力も激減し、1943年秋口まで低調な動きしか出来なかったのだが、この貴重な時間を日本海軍は無駄にしなかった。
日本海軍の佐官グループは、大本営を通じて陸軍の佐官グループのみならず、内務省や商工省大蔵省や外務省のグループとも接触を図り、最終的には絶対国防圏の成立と、それに伴う兵力の撤退を完遂させたのである。
勿論、その過程で起きた空爆や海戦によって、何隻もの軍艦や輸送船が沈んでいったものの、何もせずに占領地に張り付けた挙句玉砕されるよりかははるかにマシであったし、本来これらの地域に送られる予定の物資を、マリアナやパラオ、フィリピンに送った事は、結果論から言えば最良の選択であった。

そして太平洋戦争の天王山というべきマリアナ沖海戦。
強固な掩体壕によって保持された第一航空艦隊と第三艦隊による同時飽和攻撃は、アメリカ海軍の強固な防空網を完全にマヒさせ、参戦した空母12隻全てが撃沈破されるという、信じがたい打撃を受けることになる。
(正規空母7隻、軽空母5隻の内、正規空母4隻、軽空母3隻が撃沈。残りも大中破)
日本海軍の航空戦力を実質的に消滅させたとしても、何の慰めにもならない結果であった。

もっとも、それもフィリピン沖海戦(日本名レイテ沖海戦)に比べればマシであった。
これまでの日本海軍の性格から、自らの艦隊を狙っていると確信していたハルゼーであったが、日本海軍の思惑は彼の予想をはるかに上回っていた。
空母機動艦隊に呼応すると睨んでいた日本海軍の戦艦群は、彼らを完全に無視して、サンベルナルジノ海峡へ突入。念のためにと布陣していたオルテンドルフ率いる旧式艦隊と激突。
日本海軍が先手を打って水上機部隊による照明弾投下をしたことで、夜戦に慣れていないオルテンドルフ艦隊が混乱をしたところに、日本海軍の砲弾が襲来。
会戦早々にミシシッピーに座乗していたウェイラー少将が、旗艦もろとも大和によって沈められ、更にオルテンドルフ提督が座乗していたナッシュビルも、水雷戦隊突破の為に巡洋艦部隊を狙うよう命じられた扶桑・山城(中央砲塔2基と副砲を外す代わりに多数の高角砲と機銃を積んで、防空戦艦に生まれ変わっていた)によって消し飛ばされたことで、第七艦隊の指揮系統は文字通り崩壊。
後は、混乱が加速度的に拡大するアメリカ艦隊残存部隊に、夜戦慣れしている第一遊撃部隊が蹂躙するという、一方的な殺戮劇となる。
これだけでもアメリカ海軍を卒倒させかねないのだが、これはまだ前座でしかなかった。
サンベルナルジノ海峡を突破した第一遊撃部隊は、スプレイグ少将の悲鳴とハルゼーへの罵声が入り混じった電文を聞きつつ彼らを瞬殺。レイテ湾口で最後の抵抗を示そうとするキンケイド提督を鎧袖一触で踏みつぶすと、レイテ湾にひしめいている輸送船団と、事態の急変に右往左往している上陸部隊に、無慈悲なまでの宣告を行う。

「天佑マサニ我等ノ手ニ有リ、全艦突撃セヨ」

ここから後は地獄の現出であった。
多くの輸送船が必死に脱出をしようとするのを嘲笑うように、日本海軍は圧倒的なまでの火力を叩きつけ、煉獄へと変えていた。
三時間にも及ぶ一方的な砲撃の後に残ったのは、激しく燃え盛るレイテ湾と、そして3万人近いかつてアメリカ兵だったものと、それに倍する負傷者の山であった。
完全に面目を潰されたハルゼーが、空母部隊をミッチャーに任せると、自ら戦艦部隊を率いて突進をしたが殿に残った武蔵と重巡2隻、それに軽巡1隻(重雷装艦大井)と駆逐艦6隻を沈める代償に、戦艦3隻並びに巡洋艦4隻沈没というダメ押しを食らってしまうことになる。(初戦で武蔵の支援の元、大井が雷撃を開始し、ニュージャージが被雷。回避行動をとったアイオワ共々一時的に戦列を離れてしまう。すぐに指揮権委譲したリー提督だったが、攻防能力の差に屈して轟沈。だが、武蔵もこれまでの蓄積されたダメージと数の暴力によって、アラバマを沈め、マサチューセッツを大破した所で、近距離戦を挑んだアイオワ級2隻の砲撃によって壮絶な最期を遂げることになった。)

894 :yukikaze:2014/07/03(木) 01:51:04
当然のことながら、アメリカ国民は海軍の体たらくに激怒した。
空母こそ沈められなかったものの、戦艦9隻、巡洋艦8隻、そして何より陸軍部隊は2個軍団を編成上から消滅するという大損害を受けたのである。
特に陸海軍の戦傷者をあわせると12万人という結末は、ハルゼーの首を飛ばす程度では到底収まりがつかないほどの政治的混乱を生じさせたのだが、それを更に助長したのがルーズベルトであった。
秋の大統領選挙こそ、当初の予測と違って何とか接戦をものにしたものの、フィリピンでの敗北とその後処理のまずさを糾弾され、心身ともに消耗しつくしたルーズベルトは、議会での答弁中に突如倒れ、そのまま執務不可能な状況に陥る。
しかも間の悪いことに、この時期のアメリカ合衆国の次期副大統領はトルーマンが内定しており、現副大統領のウォーレスが大統領職を継承するのか、トルーマンが大統領になるのかで混乱を助長させることになる。
結局は、ウォーレスが大統領、トルーマンが副大統領になるのだが、この時の政治混乱のツケは大きく、アメリカ海軍はフィリピンの大敗から半年間完全に身動きを取ることが不可能になった。
(なお、この混乱により、マッカーサーが強く望んでいたフィリピン解放作戦はなし崩し的に延期になり後述の作戦の影響で無期限延期になっている。)
最終的にはハルゼーのみならずニミッツも引責辞任すると共に、キングが嫌いまくっていたタワーズを太平洋艦隊司令長官にすることで漸く体制を整えることが出来たのだが、キングの受けた屈辱と焦りは博打と言っても良いある作戦を強行することになる。

オペレーション・アイスバーグ

日本と南洋諸島とのシーレーンの結節点である沖縄を攻略することによって、一気に日本の継戦能力を崩壊させ且つ海軍の手によって戦争を終わらせようとするあまりに政治臭の強いこの作戦は、当然のことながら各方面からの大反対が沸き起こることになった。
海軍内部ですら「あまりにも投機的すぎる」として、未だ陥落をしていないマリアナ諸島攻略に全力を尽すべきという意見が多かったが、キングは「マリアナは前回の海戦以降完全な要塞島と化しており、アメリカ兵が何人死ぬか見当がつかない。しかも最終的には沖縄も攻略しないといけないので被害は加速度的に上がる」として、強固な防御を誇るマリアナよりも、沖縄と小笠原諸島を攻略することで、トラックと同様、無力化すればよいと強引に押し切ったのである。
もはや政治的に追い詰められているキングにとって、この作戦は最後の賭けであった。

そしてキングはこの賭けに敗れた。
1945年4月21日から行われたこの作戦は、日本側の「マリアナ襲来」という予測が覆された事での混乱から、上陸作戦そのものは成功したが、成功したのはそこまでであった。
まず彼らの誤算は、硫黄島にしろ沖縄にしろ、サイパンと同様、水際防御を完全に諦め、徹底的な防御陣地による迎撃戦を展開した事である。
これにより、アメリカ軍は大量の爆弾や砲弾を撃ち込んだにもかかわらず、日本側の損害は限定的であり内陸部に踏み込んだ瞬間、壮烈なまでの歓迎を受けることになる。
2点目は兵力の読み誤りである。
キングはこの無理な作戦を推し進めるにあたって、賛同を得る為に、不利益なデータを「不確実」としてもみ消し、甘めなデータを正式なデータとして活用していた。
そのため、沖縄や硫黄島の増援部隊を「マリアナ増強の為の部隊」とした結果、アメリカ軍は当初与えられたデータよりもはるかに多く且つ精強な部隊にまともにあたることになる。
そして極めつけの不運が「カミカゼ」襲来である。
4月末という季節外れもいい時期に起きたこの台風は、アメリカ海軍にとっては日本海軍以上に打撃を受けることになった。
この時期のアメリカ海軍は、対空火力の増強と引き換えに、トップヘビー傾向が強くなっており、特に戦前に建造された駆逐艦はその傾向が強すぎた。
そして台風のメカニズムに十分な蓄積を持っていなかったアメリカ海軍は、台風の最も強い箇所に突っ込んでしまい駆逐艦5隻が沈没し、航空機も100機以上が失われるという大失態を生じさせてしまう。
しかもこの時の被害による再編などから、任務部隊は予想以上に離れてしまい、連携しがたい場面に陥る。
そしてその隙を見逃すほど日本海軍は甘くなかった。

895 :yukikaze:2014/07/03(木) 01:53:02
4月30日に行われた沖縄沖海戦は、まさに本戦争でのアメリカ海軍を象徴する海戦であった。
アメリカ側は、イギリス機動艦隊と、軽空母3隻からなる1個任務部隊(TF58-4)を、南西諸島寄りに展開して連合艦隊襲来の為の警戒ラインを作り、残り3個任務艦隊(正規空母10隻、戦艦6隻基幹)で、今度こそ連合艦隊に止めを刺すつもりであった。
だが、台風の襲来により、沖縄に展開していた対地支援用の護衛空母部隊の戦力が半壊してしまい、マケイン提督はやむなく、正規空母の半数を沖縄近海に張り付けざるを得なかった。
マリアナ・フィリピン戦での不手際により、陸海軍の関係は破断寸前にまで追い込まれている以上、陸軍の信頼をつなぎとめるには、兵力の分散という不利益を受け入れざるを得なかった。
そして前述した再編による混乱などから、前述の英機動艦隊とTF58-4を支援できるのは、TF58-2(正規空母2隻、戦艦2隻)のみであり、彼らを支援する為に残りの任務部隊からエセックス級2隻と、アイオワ級4隻並びに引き抜けるギリギリの数の護衛艦隊が急行している最中であった。

そして彼らは来た。

空母雲龍・天城を基幹とする任務部隊は、稼働可能であった金剛と比叡をお供に南西諸島に襲来。
そのほぼ全力を、イギリス機動艦隊にぶつけ、イギリス側の対応のまずさも相まって、彼らの航空戦力の過半を失わせることに成功する。
この事態に、TF58-3とTF58-4の任務部隊の指揮官は、小癪な日本艦隊を潰すべく、航空部隊を出撃。二度にわたる攻撃により、雲龍と天城をそれぞれ大破させ(後、自沈)金剛と比叡にも打撃を与えるなど、ワンサイドゲームの様相を示していた。
この状況に両任務部隊の指揮官は快哉を上げていたとされるが、その喜びは、日本本土から大挙襲来する基地航空部隊の出現により霧散することになる。
特に突出していたTF58-3の部隊は、基地航空艦隊の攻撃を一身に浴びることになり、遂には正規空母2隻がそれぞれ被弾。TF58-4も航空戦力が枯渇したことにより、一瞬の空白を生むことになる。
この被害に両任務部隊は一時撤退を図るのだが、その決断はいささか以上に遅すぎた。
撤退するTF58-3部隊に対して、日本海軍最後の水上砲戦部隊というべき第二艦隊が突撃。
空母を逃がすべく殿を務めたインディアナとノースカロライナは大和と陸奥によって沈められ、護衛部隊も伊吹を中核とした重巡4隻と、精鋭を以てなる第二水雷戦隊によって追い散らされ、まさに暴風のごとく沖縄へと進撃をしていた。
この事態に、マケインは割り振れる空母部隊の全力を以て第二艦隊を叩こうとしたが、真珠湾最後の生き残りである瑞鶴が、全ての艦載機を戦闘機にすることで敵攻撃隊に無視できないダメージを与えた事と、自らを被害担当艦にすることで、自らの沈没と引き換えに第二艦隊の大半を無傷で決戦の場に到達することに成功する。

896 :yukikaze:2014/07/03(木) 01:55:41
もはや第二艦隊を止めることができるのはアイオワ級4隻を中核とする水上砲戦部隊のみ。
そしてレイテの最終戦でアイオワ級の命中率の低さを思い知らされたアメリカ海軍は、損害覚悟の上で接近戦による砲撃を選択することになる。
後はもう両軍の意地のぶつかり合いであった。
まず最初に屈したのがウィスコンシンであった。陸奥と殴りあっていた彼女は、ノースカロライナによって無視できない被害を受けつつも、ビッグセブンの誇りをかけて殴り合いに挑んだ陸奥の執念の一撃により司令塔を吹き飛ばされて脱落。
だが、陸奥の奮戦もそこまでであり、度重なるダメージによる火災と浸水により、遂に彼女の命運も尽きることになる。

だが・・・伝説はここからがクライマックスである。
3対1と圧倒的に不利になったにもかかわらず、大和はそれに動じることなく果敢に砲戦に打って出る。
徐々に徐々に継戦能力は失われていくのだが、本次大戦において最も多くの戦艦を沈めた最強戦艦の名は伊達ではなかった。
自慢の46センチ砲は遂にアイオワの息の根を止め、戦力比は2対1。
第二砲塔は機能を停止し、傾斜復旧も困難になりつつある中、大和の砲撃はニュージャージーを包み込みその水柱が収まった時には、かつてニュージャージーだったものは大爆発を起こしつつ波間に沈んでいった。
今更ながらの大和級の化け物ぶりに、アメリカ海軍水上砲戦部隊の多くの乗組員が恐怖を覚えたその時、これまで対地攻撃に割り振っていた正規空母の航空機部隊が現れ、第二艦隊に襲い掛かることになる。
余談だが、この時ミズーリ艦長は、味方の来援を喜ぶどころか「航空機部隊のクソ野郎どもが。俺達の神聖な戦いに横槍を入れるな」と怒鳴りつけ、撃墜命令を出しかねない剣幕であったとされる。

この米軍機の襲来により海戦の趨勢は決まった。
大和は味方を一艦でも逃がすべく、「残存艦ハ我ニ構ワズ本土ニ落チ延ビヨ。サラバ」と決別電を打つと被害担当艦として、先の瑞鶴と同様、一身にその敵弾を浴び続けていた。
その光景は、アメリカ海軍水上砲戦部隊の全ての乗組員が、大和が遂に行き足を止め、静かに波間に没しようとする時に、歓声を上げることなく、無言で敬礼をし、更には日本海軍の水兵たちを率先して救助し且つ丁重に遇した程であった。(一部の艦は、波間に浮かぶ日本海軍の水兵を機銃掃射しようとした航空機に警告射撃を行い、抗議した飛行隊長に対して「手柄だけをかっさらいに来た屑が人間の言葉をしゃべるな」の言葉と共にストレートを叩き込んでいる)

だが、大和は沈んだが、日本軍は勝利をもぎ取った。
大和の犠牲のもと生じた制空権の一時的な空白に乗じた日本陸軍の反撃によって、米軍の侵攻はとん挫し以後、終戦まで突破が不可能になったからである。

日本海軍最後の勝利であり、栄光に満ちた敗北であった。
そしてアメリカ海軍にとっては、勝利と呼ぶにはあまりにも苦すぎる勝利であった。


戦後、日本海軍をどうするかという問いに対し、キングに代って海軍作戦部長に就任したミッチャー大将は静かにこう述べたという。

「絶対に彼らの栄誉を汚さないことです。彼らに過酷な扱いをした場合、それはスカパフローのドイツ海軍のごとく、彼らに恨みと軽蔑の思いを植え付けることになります。戦争指導者の処罰はともかく、日本海軍を文字通り解体するなど百害あって一利ありません。核実験の道具に使うなど論外です」

アメリカ海軍がこの戦争の結果についてどう思っていたかを示す一幕であった。

897 :yukikaze:2014/07/03(木) 02:03:58
これにて、太平洋戦争の大まかな流れを作成終了。
何故アメリカ海軍があそこまで日本海軍に好意的だったかを考察してみました。

ひゅうが氏の設定では、ソロモンでの勝利と絶対国防圏の早期策定ということでしたので日本海軍航空部隊の損耗は大分軽減されていたのではと予想。
逆にアメリカ海軍はソロモンで壊滅的な打撃を受けたことで、空母機動艦隊の再編が遅れに遅れおまけに日本海軍航空部隊の練度が維持されていたのと、マリアナ海戦ではタウイタウイではなく、本土近海で猛訓練をしていた事から、初動に間に合い且つ史実よりも強力な航空戦力による飽和攻撃で、アメリカ機動艦隊を再度壊滅してみました。

レイテはまあアメリカ海軍の政治的発言力低下によるマッカーサーのごり押しですな。
空母機動艦隊がまるまる生き残っていたのでハルゼーはそれに対処せざるを得ず、結果的に史上空前の大敗北のお膳立てをしてしまいました。(扶桑級はまあ趣味ですな。一度でも殴り合いしたいでしょうし)
そして沖縄沖海戦で伝説を作ると。

まあご都合主義が多分にありますけど、何とかひゅうが氏の設定に肉づけできたのではと思います。

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最終更新:2017年09月21日 15:56