262 :ひゅうが:2014/09/28(日) 20:54:00
「1939年12月17日――大西洋南方。

ドイツ海軍装甲艦「アドミラル・グラーフ・シュペー」は英国海軍部隊に捕捉された。
艦長が中立国ウルグアイへと退避しようとしたまさにその時――
英海軍部隊の周囲に水柱が立つ。

巡洋戦艦「シャルンホルスト」と「グレイゼナウ」の出現である。
彼女らは、英海軍が有力な主力部隊を南大西洋へ展開したことを受けてアイスランドへの出撃予定を変更。
シュペーを後方からおいかけてきたのだ。だが、一方的な勝利の代償はきわめて大きかった。

英本国艦隊出撃。


あまりにも大きな被害とドイツ本国の宣伝放送を受けた英国海軍は、極東やインド洋を一時的に空にしてまで戦艦8を抽出。
独艦隊を撃滅しようとしたのだ。
この動きに、神がかり的な判断力を発揮することで知られるヒトラーはある命令を出す。

「貴艦隊は、太平洋へ進出せよ。しかる後に、防共協定に基づき日本海軍による整備を受け、西回りでインド洋を封鎖すべし!」

この指令は、英艦隊を避けつつホーン岬をまわって日本海軍のトラック泊地へと進出せよという極めて長距離の航海を要するもの。
無謀とも思われたこの命令は――成功した。
きわめて長大な航続距離を誇る艦隊は、ホーン岬をまわり、ポリネシアを経てトラック環礁の沖合まで到達してしまったのである。

一方の日本側は大混乱に陥った。
確かに、防共協定により兵器などの融通はあり得る。ドイツの勇士を歓迎するおめでたい世論もある。
だが、連合国からの締め付けは強まり、とどめに戦艦「ビスマルク」が後がないノルウェー沖海戦で奮戦しつつも大損害を受けてしまったことが事態を決した。
ヒトラーは、シャルンホルスト姉妹の日本海軍指揮下への編入と質的強化を要望する。
彼は「ドイツの建艦技術は30年遅れていた」というフランス占領軍からの報告を深刻に受け止めたのだ。

日本海軍は、こうして「ドイツ太平洋艦隊」という友軍を得た。
当然ながら連合国からの猛抗議もあったが、時の近衛首相や国民の熱狂的な要望から彼女らは、「長門型の主砲を持つ高速巡洋戦艦」として生まれ変わることとなったのだ。
かくして1942年3月――インド洋作戦に南雲機動部隊とともにドイツ太平洋艦隊は出撃。その初陣を飾ったのである!」



――うん、むちゃくちゃですねw

266 :ひゅうが:2014/09/28(日) 21:24:17
一発ネタですのでこれ以上は期待しないでくださいねw
最終更新:2016年08月16日 10:11