432 :名無しさん:2014/11/15(土) 22:42:40
なんとなく文章を投下してみる 他の人に比べたら駄文だけど

1945年5月11日、日本は「ワシントン宣言」を受諾し降伏した。それはつまり日本海軍と呼ばれる巨大組織の終焉でもあった。
開戦時には世界第3位の威容を誇った彼女等も約4年に渡る大海戦の果てに戦力を消耗しつくした、それでも残存主力艦艇は戦艦5隻(長門、日向、伊勢、扶桑、山城)、正規空母3隻(信濃、葛城、笠置)、重巡洋艦3隻(足柄、羽黒、高雄)、軽巡洋艦8隻(酒匂、木曾、名取、那珂、多摩、阿武隈、香取、鹿島)はとそれなりの戦力を保有していたが、戦艦はほぼ無傷の長門1隻であり、日向、伊勢はレイテ沖海戦で大破のまま放置されており、扶桑、山城もレイテ沖海戦で損害こそ小破で切り抜け、ビルマ戦線で友軍を支援する為に艦砲射撃を行うものの機関がほぼ消耗しており戦闘には耐えられない状態であった。正規空母も超巨大空母信濃は健在であり、一応は搭乗員や最新鋭艦載機である紫電改、烈風(試作型)、流星といった機材はあったものの搭乗員の練度は高くはなく到底作戦を行える状態ではなかった。

重巡も扶桑、山城と共にシンガポールに残っていた羽黒、足柄、高雄は稼働状態であったがアメリカ海軍はボルティモア級、オレゴンシティ級を就役しておりどうしようもなかった、軽巡に関しても酒匂を除いて全部旧式か練習艦、当然戦力にならない…だが奮戦した彼女等がマリアナ、レイテ、沖縄で全力を出せたのもある彼女等の活躍があったからである。太平洋戦争で大活躍した艦船は?と問われると大部分の人は大和と答え、少し軍事を齧った人達は重巡洋艦群や瑞鶴、翔鶴といった大型艦艇を浮かべるだろう、しかしその道を極めた人達はこう言った、大鷹級と龍田と夕張…そういくつも伝説を打ち立てていた彼女等の献身的な活躍があったからこそなのだ。

海軍の本質とはなにか?それはシーレーン防衛であり艦隊決戦ではなかった、日本海軍はその本質を忘れ艦隊決戦の為の兵力を重点を置き、護衛に関しては軽視していた。しかし阿倍俊雄等はシーレーンの防衛を訴え、少なくない資材や兵力を海上護衛に回すことが出来、ガダルカナルを巡る決戦がアメリカ軍をオーストラリア、ニュージーランドの線を切るところから可能な限りアメリカ海軍の消耗を強いる言う目的に変更し、成功した。特に多大な戦果を挙げ海軍の権力を実質握ることになった古賀峯一、栗田建男、南雲忠一のトリオはその動きを積極的に支援することで海上護衛が重視され、南方から多くの資源が内地に運び込まれた。

戦前から細々と続けられた対潜研究は磁気探知機のみならず和製ヘッジホッグやスキッドをの早期投入を行い、まだ魚雷不足や性能不足で苦戦していたアメリカ海軍潜水艦の動きを封じ、特に海上護衛隊に編入された大鷹、沖鷹、雲鷹、海鷹、神鷹の5隻の護衛空母、能登呂、神威、秋津洲と言った水上機母艦艦隊決戦に役に立たない旧式軽巡洋艦の龍田、夕張の2隻の軽巡洋艦や峯風級駆逐艦や神風級や睦月級駆逐艦も魚雷発射管などを取り払い
詰めるだけの爆雷やヘッジホッグやスキッドを搭載することで多くの潜水艦を狩ることになった。彼らの奮闘のお陰で軍は史実でやったような独自の海上艦開発を行わずにそのリソースを他に回すことが出来た為に4式戦や5式戦車の早期投入が行えたのだ。

無論アメリカ海軍の潜水艦とて黙ってやられているわけではなく、むしろやる気を以って海上護衛隊に挑んだ、特に輸送船団の救世主と言われた5隻の護衛空母と龍田、夕張は最優先目標であり、撃沈した艦長は勲章物と言われており終戦まで壮絶な戦いが繰り広げられた。
そして降伏と共に残存した海上護衛総隊の大型艦艇は海鷹、秋津洲の2隻だけであり、4隻の大鷹級や龍田、夕張といった艦艇は米海軍の潜水艦に撃沈されることになった。だが彼女達の尊い犠牲は無駄ではなかった、海軍とは非常に仲が悪かった陸軍も海上護衛隊に対しては常に好意的であり色々と便宜を図っていたこと、日本郵船といった民間会社も戦後は旧海軍には冷淡だったのに対し、海上護衛隊の所属していた水兵達には好意的であったことも物語っていただろう、それだけではない彼らの犠牲があったからこそ生き延びた輸送船やタンカーは多くの資源や食糧を運びこむことが出来た為に多くの日本国民の命を救うことが出来た。そして酷使に継ぐ酷使で生き残ったがボロボロであった海鷹、秋津洲の2隻は
戦後解体されその資源は復興の為に役立てられたと言う。
最終更新:2016年08月16日 10:55