221 :名無しさん:2015/04/17(金) 14:11:35
そういえばこの世界のクォン,デってベトナムに帰れてるのしょうか?

222 :名無しさん:2015/04/17(金) 14:37:40
1951/04に亡くなっているから、帰国するならそれより前になるけど亡くなったのは
朝鮮戦争の真っ最中だし、当時のベトナムはまだ安定していないからこんな火種に
なりうる人を受け入れられる状態じゃない 無理をしてこっそり密入国してそのまま
何処の誰とも知られずにひっそりと亡くなる--くらいしか手は無いかな
(要するに故郷で死ぬためだけに還る--ならワンチャンあるか)

229 :名無しさん:2015/04/17(金) 16:41:55
だたまあ、ベトナム統一と台湾独立が行われた年代まで生きることができれば…って思ったがその時代であっても統一時の混乱を防ぐために火種に帰ってこられたくないよなぁ。

230 :名無しさん:2015/04/17(金) 16:48:36
人格、責任感、能力ともに備わっている王族らしい王族なのに本当惜しいな

234 :ひゅうが:2015/04/17(金) 17:47:37
戦後ベトナムにおける北白川宮か大久保利通ポジションでしょうかね…
死を惜しまれると思います。なにか間違って無理をしなかったために長生きしても文句は少ない人ですが――

235 :名無しさん:2015/04/17(金) 17:56:56
統一後に改めてベトナムの地で国葬でしょうね。
統一時に全く問題なく生きていれば、ひょっとしたら象徴王制における初代となり得たかもしれないですが時期が悪かった。
しかしあの時期ではホーチミン率いる北にとっても南にとっても統一準備における火種でしか無いんですよねぇ。

236 :名無しさん:2015/04/17(金) 17:59:09
悲劇の王族か

237 :名無しさん:2015/04/17(金) 18:04:54
国葬をされるに足る人物だったからなあ。
惜しむべきは彼が早く産まれ過ぎたことか。

238 :ひゅうが:2015/04/17(金) 18:25:11
【あるとしたら、こんな奇跡の断景?】


西暦1957年4月――国連旗と三朱黄色旗がはためく中、一人の老人が太陽を見るような表情で南国の日差しを歩いていた。
彼は今年で74歳になるが足腰はしっかりしているように見える。
半世紀以上の歳月が彼に刻み込んだ苦悩と諦観は拭い去れないが、だが眼だけは少年のように輝いていた。

阮朝の旗と、北ベトナムの黄星旗をあわせた新国旗を振っていた人々は、そんな彼を認めるや静かに微笑み、わずかに頭を下げることで敬意を表した。

「町を歩かせてほしい」

予定を曲げてそう頼んだのは、老人だった。
新政府差し回しの車の運転手と護衛は目を白黒させたものの、「では、小官が先導いたします」と満面の笑みを浮かべた。
老人は、彼らが自分を放置し、そして最後までともにあった島国の出身であることを知っていた。

老人は歩く。

半世紀以上の時を経て、すっかり様変わりしたふるさとを。
いまだ色濃くのこされているフランス人が作った街並みを埋め尽くす人々は、しんと静まり返って彼を見送る。
今や自由の支配するところとなったこの国にあって、誰よりも長くそれを求め続けた老人の行く手を邪魔することなどできようはずもないからだ。

老人――阮朝ベトナムで最も聡明といわれ、また不遇の王子と称された クォン・デ親王は、ゆっくりと大統領官邸に向かって歩き始めた。

239 :名無しさん:2015/04/17(金) 18:37:20
57年だと本当に微妙な時期ですからなあ。
統一ベトナムの本格的指導する政権を整備するために大統領選挙及び議会選挙の選挙戦に入っているはずですし。
とは言え親王殿下ならホーおじさんも大統領官邸で出迎えるのに否を言わない可能性が高いので本当に微妙な時期ですな。
(それで王党派の支持まで恐らく獲得できるという冷徹な計算も働いているはず)

240 :ひゅうが:2015/04/17(金) 18:46:14
一応、統一直後の光景としておきますね。
だから投票を取り仕切り、仏軍の撤収を確認していた国連旗が翻ってるわけで…
なくなっていても、国葬はこんな風景でしょう…

241 :名無しさん:2015/04/17(金) 18:49:46
ああ、統一選挙で統一が定まり、同時に統一政府の大統領や国会議員たちも決まった直後ですか。
……非常にベトナム国民が高揚している時期ですねえ。

242 :241:2015/04/17(金) 18:50:35
途中で送ってしまった。

恐らく、こういう時期だからこそホーおじさんは受け入れたのかもしれませんなあ。
若しくは帰国を促したのかもしれませんな。
最終更新:2016年08月20日 09:58