3 :フォレストン:2016/04/27(水) 22:21:14
赤い英国面。

提督たちの憂鬱 支援SS 憂鬱ソヴィエト空軍事情

ソヴィエト空軍。(以下ソ連空軍)
戦後に設立されたソヴィエト連邦軍の一組織である。その歴史を遡れると帝政ロシア時代にまで至れる由緒正しい組織であり、20世紀初頭では、ロシア帝国航空艦隊として世界有数の航空隊であった。

1917年のロシア革命に端を発するロシア内戦による混乱も乗り切り、内戦後は赤色空軍として勢力を拡大していったのであるが、そこに立ちはだかったのが極東の島国である。彼らの経済的暗躍(日本本国や満州への投資)により、アメリカからの投資を受け損なったソ連は工業化に失敗してしまった。冬戦争における日本軍の実力を恐れたスターリンの命令によって、日本の戦闘機に対抗出来る新型戦闘機の開発が強力に進められたものの、肝心の戦闘機生産はお粗末そのものであり、史実ほどの数を揃えることが出来なかったのである。

1942年の独ソ戦開始時点で、東部戦線に配備されていた軍用機は4000機(戦闘機1500、爆撃機・攻撃機1000、偵察機300、輸送機ほか900)であった。これはドイツの東部戦線配備機の2000機の2倍の数である。なお、ドイツの配備機が史実よりも少ないのは、欧州方面でも極東の島国が暗躍した結果である。大蔵省の影の実力者が、相当に悪どい手段で引っ掻き回した結果、ドイツを含む欧州全体の生産力も低下していたためである。

赤色空軍は、独ソ戦序盤では新型機を投入してルフトバッフェ相手に奮闘したものの、工業力不足な状況では満足な補給を行えず、最後には文字通り壊滅した。とくに戦争末期の空軍の状況は酷いものであり、エンジンが動かない、滑走路の上で分解するような機体があちこちの部隊に配備されていた。そんな機体でドイツ機とまともに戦えるわけもなく、その大半は滑走路上で撃破されたのである。

戦後、壊滅した赤色空軍はソ連空軍へと組織改編された。なお、史実では、外征を主任務とするソ連空軍と国土防衛を主任務とするソ連防空軍の2つの組織が存在したのであるが、憂鬱世界では空軍=防空軍であった。2つの組織を容認出来るほど憂鬱ソヴィエトには、余裕が無かったのである。組織改編後、直ちに壊滅した空軍戦力の再建に乗り出したソ連空軍上層部であったが、空軍の再建には困難な難題が立ちはだかっていたのである。

4 :フォレストン:2016/04/27(水) 22:24:43
第2次大戦後の空軍の再建において、最優先で取り組まれたのが以下の3点であった。

  • 戦闘機の開発と生産
  • 対地攻撃機の増産
  • パイロットの大量育成

戦闘機と対地攻撃機が重要視されたのは、前者はルフトバッフェ相手に制空権を確保するため、後者はドイツ機甲師団に打撃を与えるためである。制空権を確保出来れば、対地攻撃機の安全な運用が可能となり、ドイツ機甲師団を痛打することも不可能では無かった。それ故に、この2機種を生産する工場には、優先的に資材が割り当てられたのである。

肝心の戦闘機の生産であるが、当初は主力戦闘機であるI-180の発展強化型を生産する予定であった。しかし、1945年5月のインド洋演習とイラン演習によって全ては白紙に戻された。インド洋演習では日本海軍の疾風が、イラン演習ではルフトバッフェのMe262がお披露目されたからである。英国も極秘裏にジェット戦闘機の配備を進めており、レシプロ戦闘機でジェット戦闘機を相手取るのは無謀と判断したソ連空軍上層部は、ジェット戦闘機の開発を推し進めた。とはいえ、一から開発している時間は無かったので、旧赤軍時代に開発したMiG-13戦闘機をベースに開発することになった。

当時のソ連では日本の戦略爆撃機『富嶽』に対抗するために、ロケット機やジェット機の開発を進めていたのであるが、国力の疲弊に加え扱いの難しいロケット機は実用に耐えず、ジェット機も試作はともかく、量産となると技術的ハードルが高かった。そこで、比較的技術的難易度の低いモータージェット機として開発されたのがMiG-13である。モータージェットは、圧縮機を外部動力で駆動させることにより、高温と高い遠心力に曝されて非常に壊れやすくエンジンの寿命を短くしてしまう原因であるタービンが不要になるメリットがあった。モータージェット自体の稼働時間が短いという問題点があったものの、ソ連機では唯一高高度迎撃が可能な機体であったために、富嶽邀撃用としてそれなりの数がモスクワ等の大都市近郊の基地に配備されていたのである。

新生ソ連空軍が急遽開発することになったジェット戦闘機は、MiG-13の機首に搭載されているモータージェット駆動用の空冷エンジンを取り払い、機体後部に軸流式ターボジェットを搭載することになっていた。エンジンを取り払った機首部分はエアインテークとして空力的に整形された。しかし、この機体はあらゆる意味で失敗作であった。開発のベースとなったMiG-13は、もともと富嶽邀撃のために、上昇性能が重視されていたが、逆に言えば上昇性能以外は切り捨ててており、運動性は劣悪そのものであった。高速発揮のために大出力の空冷エンジンを機首に搭載したために、コクピットは機体の後部に追いやられて視界も悪く、格闘戦には不向きであった。なによりも問題なのは、肝心のジェットエンジンがトラブル続出でまともに動かなかったのである。空軍では総力を挙げてジェットエンジンの改良が試みたものの、ジェットエンジンの技術もノウハウも満足に無い状態では成功するはずもなかった。あまりの事態に、恐慌状態を通り越して茫然自失と化した空軍上層部であったが、そんなときである。密かに通じていた紳士の国から悪魔の囁きがあった。『遠心式ジェットエンジンの技術と機体を欲しくないか?』と。ソ連には、たとえ罠だとしても断る選択肢は存在しなかったのである。

5 :フォレストン:2016/04/27(水) 22:25:22
紳士の国、もとい、英国にしても善意でジェット戦闘機の技術を提供するわけではなかった。ドイツとの再戦までの時間を稼ぎたい英国にとって、ソ連には今しばらくドイツに対抗してもらわないと困るのである。日本の疾風とドイツのMe262が、軸流式ジェットエンジンを採用しており、英国も軸流ジェットの開発に本腰を入れている現状では、性能に劣る遠心式ジェットエンジンはさほど重要な技術ではなくなっていたのである。英国からしてみれば、くれてやっても惜しくない技術で恩を売れるわけで、一石二鳥の良策であった。もちろん、対価として重戦車や新型機関砲(ガスト式)の設計図、それに加えてレアメタル等の貴重な資源を入手したのは言うまでもない。

このような技術供与は空軍だけでなく、陸軍と海軍にも行われており、軍上層部へのコネクション作りに一役買っていた。英国は、彼らを用いて、将来的にはクーデター政権を打ち立てるつもりであったが、仮にクーデターが失敗してソ連が崩壊、分裂しても利益を確保出来るようにソ連国内に様々な工作をしかけていったのである。

ソ連国内における工作で、英国が特に重要視していたのが諜報網の設置であった。アクションを起こすには、何は無くとも情報が無いと始まらないのである。そのため、派遣した技術者の中に工作員を紛れ込ませたり、軍基地や政府施設の周辺住民を現地協力者に仕立てあげていた。極め付けは、NKVDの幹部クラスの買収まで行っていた。一般的なソ連人民は飢えており、金や食料で比較的簡単に釣ることが可能であった。祖国の絶望的な状況を知っているNKVDの幹部には、亡命手段の提供と亡命先の生活の保証をすることで情報のリークをさせていた。英国が張り巡らせた諜報網は、ソ連崩壊後にも重要な情報を届け続けることになるのである。

6 :フォレストン:2016/04/27(水) 22:26:30
バトル・オブ・ブリテン終了後、英ソ間の密約により、モスクワ北東300kmに位置するイヴァノボ州に広大な空軍基地が整備された。イヴァルノ・セヴェリーニ空軍基地(Ivanovo/Severnii Air Base)という名前のこの基地は、史実では輸送機専用の基地であったが、この世界では英ソ間連絡機『ランカストリアン』専用基地であり、両国間で極秘に連絡を取り合うために使用されていた。ランカストリアンは、ドイツはもちろん、新日勢力である北欧諸国の目をも欺くために、英国本国から北極圏を経由して長躯4000kmを無着陸で飛行していた。第2次大戦後は、日本の承認のもと、北欧諸国経由で英国とも交流が可能になったものの、現在でも機密を要する人やモノの行き来には、こちらが使用されていたのである。

1945年8月2日。
この日も英国からのランカストリンが着陸態勢に入っていた。ランカストリンが飛来するときは、大抵というか全てが重要な人やモノを運んでいるので、政府関係者や軍人が詰めかけることが多いのであるが、この日は空軍関係者が多い日であった。

「あれに載っているのか?」
「エンジンと機体と図面、それにパイロットとメカニックも同乗してるそうです」
「なんにせよ、早急に生産、配備しないと我が国に未来はない。急がねば…!」

やがて、視認される巨大な機体。機体の全長に比べて、異様に翼幅が広い機体はゆっくりと着陸し、やがて停止した。通常の空港ならば、すぐさま駐機スポットへ移動であるが、ここは専用空港である。そのような慌ただしさとは無縁であった。

機体の完全停止を確認したあと、後部のカーゴドアからコンテナが引き出される。ランカストリアンがいかに巨人機とはいえど、さすがにジェット戦闘機を丸ごと格納は出来なかったのである。機体は敷地内の格納庫に移送後に組み立てられることになっていた。その様子を眺めていたのは二人の英国人である。現地歓迎や手続きなどの面倒ごとを、他のクルーと現地駐在のエージェントに全て押し付けた二人は、高みの見物を決め込んでいた。

「はぁ~、これまでいろんな機体に乗って、いろんな場所で飛んできたけど、まさかソ連にまで来ることになるとはなぁ…」
「おいおい、来たばかりだというのに、えらく弱気じゃないかエリック。なんなら、パイロットも俺が代わってやるぞ?」
「あんたがやる気出し過ぎなんだよ!?本国でジェットの開発やっとけよ!」
「あっちの開発は峠を越したし、先生もいるから大丈夫だろう。この機体に使われるエンジンは、俺が心血を注いで作り上げたものだからな。最後まで看取ってやる必要がある」

二人の男の名は、エリック・ブラウン(Eric Melrose "Winkle" Brown)とフランク・ホイットル(Frank Whittle)である。エリックは史実では歴史上で最も多くの型の航空機を操縦したパイロットであり、ギネス認定されている凄腕のテストパイロットである。ホイットルは言うまでもなく、遠心式ジェットエンジンの大家である。この二人は、ソ連空軍にジェット戦闘機の整備・運用ノウハウを教えるために、はるばるやって来たのである。

7 :フォレストン:2016/04/27(水) 22:27:29
移送先の格納庫では、荷ほどきと機体の組み立てが始まっていた。英国から送られてきた機体には部品レベルで製造元を示す物は一切表示されておらず、部品のナンバーが刻印されているだけであった。図面も全てロシア語表記になっており、そこに英国の関与を匂わせるものは一切存在しなかった。当然、英国本国における製造記録も全て抹消されており、事実を知るのは英国とソ連上層部の一握りだけであった。なお、機体の開発元であるデ・ハビランド・エアクラフト社には、補償として次期主力戦闘機の開発が任されることになるのであるが、それは別の話である。

「おぉ!こいつが例のジェット戦闘機か!」
「そうです。同志ヘンリー・フォード」
「こいつを作りまくれば良いわけだな!腕が鳴るわいっ!」
「そ、そのとおりなのですが、こちらばかり優先されても困るのですが…」
「心配するな!わしに量産出来んものは無い!」

倉庫の片隅で作業の様子を見守る男たちの中で、ひときわ存在感を放つのは、作業着を着込んだ男であった。頭頂部は禿げ上がり、完全に白髪となった老人であるが、その眼には強い意志が存在し、エネルギッシュな雰囲気を醸し出していた。男の名はヘンリー・フォード。史実の自動車王である。

マスプロ技術を指導するためにソ連へ渡ったフォードは、PPSh-41短機関銃やRG-42手榴弾の製造ラインの改修を手掛けていた。大量生産技術の権化とも言えるフォードの手腕により、兵器としての信頼性と量産性を確保しつつ、大幅なコストダウンにも成功していた。この結果に歓喜したソ連上層部は、フォードをヴァスホート計画の特別最高顧問に任じて兵器量産の全権とフリーハンドを与えたのである。いわゆるお抱え外国人技術者に対しては破格の待遇であるが、それだけソ連が彼を重要視しているということである。極東の島国の妨害によって工業化に失敗してしまったソ連には、マスプロ技術に精通した人材がいなかったのである。これには、フォード自身の性格も関係していた。彼が興味を示すのは大量生産システムの構築だけであって、それ以外には関心を示さなかった。放っておいても、持ち前の手腕と強引さで大量生産の体制を整えてしまうのである。ソ連上層部からすれば、これほど安全かつ有用な人材はいなかったのである。

8 :フォレストン:2016/04/27(水) 22:30:24

「機体の定常位置への固定を確認」
「機体外部に異常は認めらず」
「電源車接続急げ!」

三日後。普段は静かな格納庫周辺は、多数の作業員が慌ただしく行き交い喧騒に包まれていた。その中心には組立てられた機体が鎮座していた。卵型の胴体から後方に伸びる双ブームは尾翼で結合されており、そのシルエットは過去のどの飛行機とも違う独特のものであった。機体そのものは無塗装であり、無機質な金属色であったが、双ブームの表側にソ連空軍の所属を示す国籍マークである赤星がペイントされていた。

『チェックリストの最終確認完了。いつでもいけるぜ!』
『よし、派手にぶん回せ!…と、いきたいところだが、まずは地上滑走とジャンプ飛行だ。データを取らにゃいかんからな』

機体を操るのはエリック・ブラウン。先ほどから他のクルーを押しのけてコントロールを占拠しているのはフランク・ホイットルである。この二人が、今回のソ連行きに選抜されたのは、それなりの理由があった。元来、この機体は英国空軍の次期主力戦闘機として開発されていたのであるが、疾風ショックにより、実機の完成を待たずして開発が中止されていた。つまり、今回の飛行はぶっつけ本番なのである。想定外のトラブルに対処するために、あらゆる機種を乗りこなし、幾多ものトラブルから生還してきたリアル異能生存体とでも言うべきエリックが選抜されたのである。フランク・ホイットルについては、遠心式ジェットエンジンの技術的権威ということもあるが、半分は厄介払いでもあった。疾風ショック以降、師であるアラン・アーノルド・グリフィスと協力して軸流式ジェットエンジンの開発に関わっていた彼であるが、相変わらず仲良くケンカしていたのである。お互いを認めたことで、ケンカの頻度は減ったものの、その都度開発が中断されるので関係者達の頭痛の種であった。なお、今回のソ連行きは遠心式ジェットエンジンの技術的限界に挑むと説明されており、本人は大いに乗り気であった。

『エンジン推力安定。これより滑走を開始する。作業員は退避しろ!』

エリックがスロットルを開けると機体はゆっくりと滑走を開始する。やがてV1(離陸決定速度)に達し、ふわりと浮き上がる。このまま飛行しても問題無いくらいに安定していたのであるが、あくまでもジャンプ飛行が目的なので、スロットルを戻して降下。そのまま着陸した。時間にしてわずか1分足らずであるが、ソ連の空に純ジェット機が飛行した瞬間であった。

9 :フォレストン:2016/04/27(水) 22:31:28

『おう、お疲れ。機体の調子はどうだった?』
『癖が無い素直な操縦性だな。直感だが、こいつは良い機体だと思う。ところで、今日は本格的には飛ばないのか?』
『…あぁ、なるほど。そういうことか。今日の予定は地上滑走とジャンプ飛行のみだが、それだとギャラリーに申し訳ないかもしれんなぁ』
『お、じゃあ派手にぶん回してみますか!』

まるで示し合わせたようにニヤリと笑うエリックとホイットル。ソ連初のジェット機が飛行するということで、先日に引き続いて今回も多数の空軍関係者がつめかけていた。彼らはジェット機が空を舞うことを心待ちにしていたのである。2人にしても、このままでは消化不良であった。自分たちの欲求のため、そしてスポンサーに良いところを見せるために彼らは暴走した。慌てて関係者達が止めに入るものの、一度火が付いた2人を止めることは誰にも出来なかった。

『やっぱりコイツは良い機体だ!見た目はイロモノだが、操縦性は素直だぜホイットルさんよ!』
『エリック、エンジンの調子はどうだ!?』
『推力安定。エンジンのツキも良い。本国で採用されないのが惜しいくらいだっ!』

イヴァルノ・セヴェリーニ空軍基地上空を舞う白銀の機体。異様な見た目の機体が高速で次々と高難度のアクロバットを披露する様子は地上からも見ている者に絶大なインパクトを与えていた。

「素晴らしい!これがジェットの威力か!」
「この機体が量産された暁には、ナチ野郎なんて捻りつぶしてくれる!」

後日に行われた速度試験では、非武装で燃料を半分しか積まなかったとはいえ900km/hを超える速度を叩きだし、改めてソ連空軍上層部にジェット機の威力を刻み込んだのである。この機体は満場一致で『大祖国決戦機』とされ、スホーイ Su-9 ウプイリとして制式採用された。さらにリヒートを搭載して推力を増強した性能向上型であるウプイリbisも後に開発されることになる。

ウプイリとウプイリbisは、原型機と比較すると国情に合わせた仕様変更(量産性・整備性の向上、不整地運用能力の付与など)をされており、大量生産キチガイの手腕により膨大な数が生産されることになる。これは機種を絞ることにより、開発リソースの節約を狙ったものであり、ウプイリは偵察型、長距離レーダー搭載の警戒型、戦闘爆撃型などの多数のバリエーションを持つ機体となるのである。

10 :フォレストン:2016/04/27(水) 22:32:53
制空権を確保するジェット戦闘機を盾とするならば、ドイツ陸軍、特に機甲師団を痛打する地上攻撃機は鉾であろう。こちらはIl-2 シュトルモヴィク地上攻撃機を増産することになっていた。とはいっても、そのまま量産するわけではなかった。大戦時に猛威を振るったシュトルモヴィクといえど、問題点が無いわけではなかったのである。

シュトルモヴィクの改良点は以下の通りである。

  • 量産性と整備性の向上。
  • 難燃化処置による攻撃に対する抗堪性の向上。

量産性の向上であるが、これはシュトルモヴィクに限った話ではなく、フォードが関わった全ての兵器に共通しているものであった。老いてなお意気軒高なフォードは、ストップウォッチ片手にラインを歩き回って無駄を見つけては生産ラインを改修し、必要ならば設計を一部変更してまで、ただひたすらに生産効率を高めていったのである。

フォードの大量生産システムは、均一化された規格とマニュアル化により工員の個々の技量ではなく、全体的なシステムで生産性を確保していた。極端な話、そこらへんにいる五体満足な老若男女を教育すれば事足りるのである。当時のソ連には飢えた人民が大量に存在していたので、食料(謎肉缶詰)とウォッカ、さらに嗜好品を配給すると言えば、いくらでも人は集まった。死ぬほど単調でつまらない仕事のために辞める人間も続出するのではと危惧されたのであるが、彼らは辛抱強いスラブ人であり、想定していたよりも辞める人間は遥かに少なかったようである。

これに加えて、均一化された規格で設計・生産されるために、部品レベルの互換性は完全に確保されており、それは結果的に整備性の向上にもつながった。もちろん、設計段階での整備性も考慮されていた。これはフォード自身の業績ではなく、フォードに同行してきた旧アメリカ人技術者によるものであったが。

フォードがソ連で手掛けた製造工場は、機体を構成する部品の全てを同一工場内で生産する大規模なものばかりであった。それだけに、工場が立ち上げるまでに時間を要したが、一度生産を始めると製造ラインは凄まじい勢いで完成した機体を吐き出していったのである。

モスクワより遥か東、ウラル山脈中部一帯に創設されたこれらの製造工場は、基本的に一部の設計変更や、その他の派生型を除けば単一機種のみの生産であった。あまりにも単一機種の生産に特化してしまった結果、新機種を製造する際には製造ラインの切り替えのために工場が全面ストップしてしまう弊害が後に発生するのであるが、こればかりはどうしようもなかった。

肝心の生産数であるが、上述のSu-9は最盛期には月産2000機を達成していた。シュトルモヴィクもほぼ同様の生産数であった。さらに大量生産することによるスケールメリットの恩恵で製造コストも右肩下がりに下がっていき、それが結果としてさらなる増産を生んでいったのである。最終的にSu-9とシュトルモヴィクの製造コストは、物価上昇を考慮しても半分以下になったと言われている。

11 :フォレストン:2016/04/27(水) 22:33:44
難燃化処置による攻撃に対する抗堪性の向上であるが、これは製造工場で行われたものと運用側で行われたものがあった。

製造工場で行われたのは木製部分のジュラルミンへの置き換えであった。コスト高を招くことやジュラルミンの安定供給への不安から、空軍内部からは反対意見が多かったのであるが、フォードは周囲の反対を押し切って断行した。大量生産することにより、製造に必要な資源とコストが減少して生産を継続出来たので、フォードの決断は結果的に正解であった。

総ジュラルミン製となったシュトルモヴィクは、100kgの重量軽減に成功して運動性が向上したのであるが、後の改良型では後方銃座の完全装甲化などによる重量増加もあり、逆に運動性は低下している。それでも従来の木製機並みの運動性は確保されており、後方銃手から歓迎されたのである。

運用側で行われたのは、機体内部の隙間への難燃剤の充填であった。難燃剤には英国からの技術援助で得られたパイクリートが用いられた。パイクリートは水とパルプを混合させて凍らせたものであるが、極寒のロシアの大地では、何もせずとも自然凍結し、しかも融点が13℃前後と比較的高いために一度凍ったら、溶かそうとしない限りほぼ半永久的に使用可能であった。氷の一種であるため、難燃材としてはこれ以上に無い優れモノであり、しかも材料はタダ同然である。強度も強化コンクリート並みであり、これを機体の隙間に流し込んで凍結させると機体強度が増すメリットがあった。

この処置は現場の独断で行われたものであったが、その劇的な効果故に瞬く間に広まっていき、最終的には空軍上層部も認めざるを得なくなった。後に空軍で行われた試験では、大口径機関砲の直撃を多数受けて装甲外板が大規模に破壊されても、内部に充填されていたパイクリートで機体構造が維持されていたケースが存在し、パイクリート充填による効果が改めて確認された。持ち前の重装甲とパイクリートの相乗効果で、ただでさえ墜ちにくい機体はさらに墜ちにくくなり、まさに空飛ぶベトンブンカーの再来であった。

12 :フォレストン:2016/04/27(水) 22:34:48
機体を大量生産出来ても、それを操るパイロットがいなければどうにもならない。しかし、大量のパイロットを育成するには指導する教官も大量に必要となるため、教官レベルの人材を育成するために教導部隊が創設された。

戦後のかなり早い段階で創立された教導部隊であるが、この部隊は旧アメリカ陸軍航空隊の影響を多大に受けていた。指導する教官として史実のAce of Acesであるリチャード・ボング(Richard Bong)や、彼に次ぐエースパイロットであるトーマス・マクガイア(Thomas McGuire)など、旧アメリカ陸軍のエースやベテランパイロットが多数在籍していたのである。もっとも、彼らとて好き好んでソ連の地を踏んだわけではない。教導部隊に所属する旧アメリカ軍のエースの大半は巨大津波や滅菌作戦によって故郷を失った者達だったのである。

戦後の北米大陸において旧連邦軍人は肩身が狭い思いをしていたのであるが、名だたるエースである彼らはカリフォルニア、テキサスの両陣営の空軍で戦力として歓迎された。しかし、旧東部出身者は何処へ行っても激しい差別と蔑視に晒されており、表向きは歓迎しても見えないところでの差別は消えなかったのである。そのため、カリフォルニア共和国空軍に所属した旧アメリカ軍エースの一部は、居心地の悪さからカナダや英国への移住を選んだのである。なお、テキサス共和国空軍へ所属した元エース達のその後は不明である。ただ、旧東部出身者を使い捨ての駒としてしかみていないテキサス共和国であるので、その扱いはお察しであろう。

英国へ移住した元エース達は英国空軍でもそれなりの待遇で遇されたのであるが、英国では旧アメリカ人というだけで蔑視され、やはり居心地は悪かった。そんな彼らに降ってわいたのがソ連行きの話である。くすぶり続けた彼らからしてみれば、破格の報酬と教官待遇は魅力的だったのである。

当時のソ連軍は、優秀な人材の確保に躍起になっていたのであるが、国際的地位も信用も失墜しているソ連へ来てくれる酔狂な人間はいなかった。そこで目を付けたのが、居場所を失った東部出身の元アメリカ軍人である。その結果、旧アメリカ軍人で東部出身者は、様々なルートを経てソ連へ行きつくことになる。彼らの影響でソ連軍のアメリカナイズ化が加速されていくことになるのである。

13 :フォレストン:2016/04/27(水) 22:35:25
未来の教官を担うパイロットであるが、これは部隊や空軍上層部の推薦であり、アレクサンダー・イワノヴィッチ・ポクルィシュキン(Alexander Ivanovich Pokryshkin)や、グリゴリー・アンドリーヴィッチ・レチカロフ(Grigoriy Andreevich Rechkalov)などの史実のソ連軍エースパイロットが選抜されている。史実ほどの戦果を得ていない彼らであるが、独ソ戦を戦い抜いた経歴が重視されたようである。なお、変わり種として教導部隊唯一の女性パイロットとしてリディア・リトヴァクが選抜されている。これはソ連上層部の推薦であり、後に彼女とその教え子である女性パイロット達は、広告塔として各地で活躍することになる。

教導部隊で鍛え上げられた教官たちは、一般兵に戦技を教える立場となるわけであるが、そうなると教材が必要となる。教導部隊が旧アメリカ陸軍航空隊の強い影響を受けている以上、教材もそれに則したものになるのは必然であった。教材には旧陸軍航空隊のマニュアルを翻訳したものが用いられたのであるが、これは史実のアメリカ軍がパイロットの大量養成に成功したことを鑑みれば正解であった。

史実では、パイロットの大量養成に成功したアメリカであったが、これには理由が存在した。民間パイロットの大量活用は言うまでもないことであるが、それに加えて徹底的なマニュアル化による職人芸の排除があった。この点、職人芸に拘ってひたすら技量の高いパイロットを育成していた史実日本とは対極である。技量の高い少人数のパイロットを時間をかけて養成するよりも、そこそこの技量の大人数のパイロットを短期間で育成したほうが、やれることは増えるのである。

この傾向は戦術にも反映されており、格闘戦は排除されてダイブ&ズームと編隊空戦が重視された。前者は個々のパイロットの高い技量が要求されるが、後者は編隊長の攻撃するタイミングに合わせれば良いので、そこまで高い技量は求められなかった。マニュアル自体も、イラストや図面で分かりやすく解説されており理解を深めるのに役立っていた。何故かイラストにはかわいい女の子の絵が多かったのであるが、真相は不明である。

14 :フォレストン:2016/04/27(水) 22:36:16
フォードの作った製造工場による軍用機の大量生産とパイロットの大量養成に目途が付いたことで、ソ連空軍再建の道は開けたわけであるが、綱渡りな状況であることに変わりは無かった。当時のソ連は、日本に膨大な富を貢ぐことと引き換えに、工業力を再建しつつあったが、それは逆に日本無しでは工業力を維持出来ないということであった。英国からも技術導入を進めていたものの、新造された各種インフラのほとんどは日本製であり、日本製の部品が無ければ維持運用出来なかったのである。

フォードご自慢の製造工場も例にもれず、運用には日本製の部品は必要不可欠であった。航空燃料はともかく、高性能オイルの大半は日本製であり、輸入がストップすると空軍機の大半は飛行不能になった。陸軍や空軍でも同様であり、戦力の再建が進むに従って、日本に頭が上がらなくなってしまったのである。

ソ連の産業界では事態を打開するべく、マザーマシンの国内開発を目指したのであるが、日本側は技術移転を厳しく取り締まっており、産業スパイで細々と盗むしかないのが現状であった。ソ連は産業スパイを日本だけではなく、日本の友好国にも潜入させて少しでも技術を手に入れようと足掻き続けることになるのである。

15 :フォレストン:2016/04/27(水) 22:38:18
あとがき

というわけで、憂鬱ソヴィエト空軍事情を書いてみたわけですが、日本に完全に首根っこを掴まれて状態では出来ることも限られてしまいますね(汗

東部戦線に配備されていた軍用機は4000機
これでも凄い数なのですが、史実だと12000機はいたらしいです。桁が違い過ぎる…!

MiG-13
Newさまの設定を使用させていただきました。
事後承諾となってしまい、申し訳ありませんm(__)m

英国が張り巡らせた諜報網
史実のゲーレン機関並みです。ソ連だけでなく東欧諸国にも諜報網は張り巡らされています。

イヴァルノ・セヴェリーニ空軍基地
モスクワ近郊のイヴァルノ州にある輸送機専用の基地です。モスクワに比較的近く、広大な基地なのでランカストリアン専用基地として登場させました。

エリック・ブラウン(Eric Melrose "Winkle" Brown)
史上最も多くの機体を操縦したパイロットとしてギネス認定されている凄腕のテストパイロットであり、
最も多くの勲章を授与された艦隊航空隊のパイロットでもあり、航空母艦の着艦に関しての世界記録を保持しているリアルチートキャラです。大英帝国勲章、殊勲十字章、空軍十字章の叙勲者でもあります。

フランク・ホイットル(Frank Whittle)
師弟仲良くケンカしたあげくに島流し中。ソ連で遠心式ジェットを心置きなく弄りまわすことが出来てご満悦の模様。

ヘンリー・フォード
大量生産キチガイ。彼の手にかかれば4発重爆だって量産可能。単発機ならば、それこそいくらでも…!

卵型の胴体から後方に伸びる双ブームは…
ぶっちゃけ、史実のデ・ハビランド ヴァンパイアです。

スホーイ Su-9 ウプイリ
MiG-13と同じくNewさまの設定を使用させていただきました。
もうNewさまに足を向けて寝ることが出来ません…><

ウプイリbis
bisは日本語で言う『改』の意味合いで使われています。
ジェットエンジンにリヒートを搭載すると、トーチの設置と気体流速を適切に変化させる必要性からノズルが長くなります。その結果、ヴァンパイアの胴体には入りきらずに煙突のように後方に突き出しています。いささか不格好だけどしょうがないです。なお、リヒート付きヴァンパイアは実際に試作されています。

フォードの大量生産システム
数の暴力。作れば作るほど品質と信頼性が上がり、コストダウンが可能な魔法のシステム。

最盛期には月産2000機を達成
あくまでも、最盛期に限っての話なので、年がら年中このペースで生産しているわけではないので悪しからず。

シュトルモヴィク
今回の英国面。重装甲とパイクリートが合わさって最強に見える!

リチャード・ボング(Richard Bong)
史実米軍No.1エース。ウィスコンシン州出身。

トーマス・マクガイア(Thomas McGuire)
ボングに次ぐエースパイロット。ニュージャージー州リッジウッド出身。

アレクサンダー・イワノヴィッチ・ポクルィシュキン(Alexander Ivanovich Pokryshkin)
史実ソ連軍撃墜数2位。ノヴォシビルスク出身。

グリゴリー・アンドリーヴィッチ・レチカロフ(Grigoriy Andreevich Rechkalov)
史実ソ連軍撃墜数3位。モスクワ出身。

リディア・リトヴァク
史実では2名しかいない女性エースパイロット。教官として後方で活躍予定。

ソ連上層部の推薦
特に撮影好きのフェミニストの強い推薦があった模様。

16 :フォレストン:2016/04/27(水) 22:47:29
以下、登場させた兵器です。

377 :New:2015/04/26(日) 16:47:14
ミコヤン・グレヴィッチ MiG-13 戦闘機

乗員: 1 名
全長: 8.15 m
全幅: 9.5 m
全高: 3.7 m
空虚重量: 2,780 kg
発動機: シュベツォフ ASh-82R 空冷14気筒エンジン 1,900 hp
ハルシチョフニコス加速装置(VRDK) モータージェット 7.3 kN
最高速度: 650 km/h / 845 km/h (レシプロ/モータージェット使用時)
航続距離: 770 km (増槽使用時 990 km)
実用上昇限度: 11,940 m
武装: 23 mm NS-23 機関砲 × 2(機首)
   RS-82改ロケット弾 × 10

日独のジェット機に対抗して開発された混合動力機。

元々は日本の富嶽に対抗するためロケット機、ジェット機の開発を進めていたソ連であったが
国力の疲弊に加え扱いの難しいロケット機は実用に耐えず、ジェット機も試作は兎も角
量産となると技術的ハードルが高かった。

そんな中、日英独でジェット機が既に飛行しているという情報が齎され
対抗するための”繋ぎ”としてジェット機に比べて技術的ハードルの低かった
モータージェット機の開発がなされることとなった。

史実とは違いエンジンは既存のASh-82空冷エンジンを改修して搭載。
モータージェットは耐久時間の低下を覚悟で推力を上げている。
武装は37mm機関砲などの搭載も検討されたが大幅な設計変更が必要とわかり
23mm機関砲と形状を変更して”多少命中精度がマシな”RS-82ロケット弾となった。

モータージェットは推力増強の影響もあり最大8分程度しか使用できなかったが
ソ連機唯一高高度迎撃が可能な迎撃機としてモスクワなどの都市に集中配備された。


試作遠心式ジェット戦闘機

乗員数:1名
全長:9.37m
全幅:12.10m
全高:2.69m
自重:2684kg
発動機:デ・ハビランド ゴブリン2 推力13.8kn
最高速度:920km/h
上昇限度:13000m
航続距離:不明
武装:非武装

本来ならば、ヴァンパイアの名前で英国空軍の主力戦闘機になるはずだった機体。疾風ショックにより完成直前で開発は中止されてソ連へ流された。初飛行は英国本国ではなくソ連で行われ、このとき得られたデータは新型戦闘機(史実MiG15)の開発に活かされている。この機体の図面を元にSu-9 ウプイリが開発されているが、機体はともかく肝心のジェットエンジンはソ連の現状に即した改修を行った結果、性能は低下している。

17 :フォレストン:2016/04/27(水) 22:48:56

855 :New:2014/08/13(水) 19:28:46
支援SSのソ連版ヴァンパイア戦闘機をイメージして作ってみた
スホーイ Su-9 ジェット戦闘機”ウプイリ”

全長: 9.37 m
全幅: 12.10 m
全高: 2.69 m
空虚重量: 2,984 kg
発動機: リューリカ RD-10 遠心圧縮式ターボジェットエンジン 12.5 kN
最高速度: 865 km/h
航続距離: 1,200 km(増槽装備時1980 km)
実用上昇限度: 12,545 m
武装: 23 mm NS-23機関砲 × 2
37 mm N-37機関砲 × 1
ロケット弾 × 8 / 250 kg爆弾 × 2 / 落下増槽タンク × 2

ソ連が戦後に配備した本格的なジェット戦闘機。英国から入手したデ・ハビランド社の
設計図を基に開発された。名称は英国名のバンパイアに因んでロシアの人面を持つオオコウモリから。
基本的には双ブーム形式で中央の胴体にアルヒープ・リューリカ
が改修したソ連版ゴブリンエンジンを装備する。元の設計図と違いエアインテークは
MiG15のように機首に設置され機首下部に23mm機関砲と対富嶽用に開発された37mm機関砲を装備する。
金属不足のため初期型は胴体だけでなく主翼にも木製合板を使用するなどしたため重量増加を招き
運動性や操縦性に影響がでたが後の型では全金属製になることで解消された。
信頼性の高い遠心圧縮エンジンと使い勝手のいい機体はソ連で好まれ後の後継機にも
双ブーム&遠心圧縮エンジンの機体が続くことになる。


スホーイ Su-9bis ウプイリ改

乗員数:1名
全長:9.37m
全幅:12.10m
全高:2.69m
自重:2984kg
発動機:リューリカ RD-10改 推力13.0kN(リヒート時推力17.0kn) 
最高速度:945km/h(リヒート時)
上昇限度:13000m
航続距離:1100km(増槽装備時1880km)
武装:23mm NS-23機関砲×2 37mm N-37機関砲×1
   ロケット弾×8 or 250kg爆弾×2 落下増槽タンク×2

Su-9ウプイリの改良強化型。エンジン改良には、フランク・ホイットルが関わっており、ソ連機初のリヒートを搭載している。これは外見上の特徴ともなっており、胴体から煙突のように後方に伸びたノズルにより、見た目は3胴機となっているために既存のウプイリとの識別は容易である。


Il-2シュトルモヴィク地上攻撃機(1947年)
全長:11.6m 
全高:4.2m 
全幅:14.6m
最高速度:398km 
航続距離:900km 
実用上昇限度:5千m
自重:4540kg 
乗員:2名
エンジン:シュベツォフASh82空冷エンジン1850馬力
武装:23mm機関砲×2、7.62mm機銃×2、12.7mm機銃×1(後部銃座)
   爆弾800kg、もしくは無誘導ロケット弾×4

機体に使用されていた木製部分をジュラルミンに変更したシュトルモヴィク。100kgの軽量化に成功し、運動性が向上した。後期型では後方銃座の完全装甲化や、さらなる重装甲化によって重量が増大して、木製機並みに運動性は低下している。

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最終更新:2016年09月05日 21:52