57 :フォレストン:2016/09/05(月) 18:14:34
24時間戦えますか
大日本帝国。
唯一の有色人種による列強国にして、開国以来、清、ロシア帝国、
アメリカを下して瞬く間に世界最強国家にまで登りつめた極東の島国である。この国の強さを示すものを挙げろと言われれば、枚挙枚挙にいとまがない。ある者は世界一の海軍力を挙げ、またある者はドイツに勝るとも劣らない陸軍挙げるであろう。欧州の人間ならば、神様に賄賂を渡しているとしか思えない強運を挙げるかもしれない。いずれも間違ってはいないのであるが、それだけが全てでは無い。
日本の真の強みは、国家のポテンシャルを最大限に引き出す優秀な統治機構と、それを支える官僚達である。霞が関の住民である彼らの武器を使わない戦いは、日本の勝利に大いに貢献した。戦時中の骨身を削った官僚達の努力は報われたのである。否、報われるはずであった。日米戦争の勝利は、終わりを意味するものでは無かった。むしろ始まりだったのである。
新たに獲得した新領土の開発や、西海岸の三ヶ国、インドネシア、ベトナムの支援に加えて復興対策も必要となったために、官僚達の仕事量は減るどころか増える一方であった。省内の関係部署には、未決済の書類の山が積み上がり、連日連夜の泊まり込みや徹夜を強いられていた。戦時中よりも、戦後になってから過労や心労で倒れた官僚が多いことが、その過酷さを物語っている。例えるならば、血を吐きながら走りぬいたマラソンが、ゴール直前でリセットされたようなものであろうか。
官僚は国家を円滑に機能させるための道具であり、道具を長く使うためには手入れが欠かせない-というのが、
夢幻会のとある大物幹部の持論であるが、そのために福利厚生の充実が図られたのである。
58 :フォレストン:2016/09/05(月) 18:15:30
大蔵省のドン…もとい、とある夢幻会の大物幹部の主導により福利厚生の充実が図られたわけであるが、
具体的には以下のようなものであった。
- 省内に栄養ドリンクの大量常備。
- 省内食堂の24時間営業化。
- 24時間営業の雑貨屋(コンビニ)
- 24時間営業のスーパー銭湯(日本初)
これらのサービスは霞が関の住民向けのサービスであったが、少しでも赤字を補填するために民間人でも利用可能であった。もっとも、民間人が利用することは非常に稀であった。完全な官僚街と化した霞が関に民間人が立ち寄る機会など、そうそうあるものでは無かったからである。例外中の例外として、駐英日英国大使館の関係者が多用しているくらいである。英国大使館の所在する一番町と霞が関は、距離にして2km足らずであり、その気になれば徒歩で通うことも可能だったのである。
省内に大量常備された栄養ドリンクであるが、三共株式会社や武田薬品工業株式会社、エスエス製薬株式会社などの大手医療品メーカーで製造されたものであった。これらは、某総理が愛飲しているものより効能は弱いものの、そのぶん安価に大量供給が可能であった。ちなみに、後者の栄養ドリンクは非常に強力であるものの製造に手間暇がかかり、出来た分から夢幻会関係者に配られていた。それ故に幻の栄養ドリンクと言われ、現在でも探し求められているレアな逸品と化していたりする。
官僚に優先的に供給された栄養ドリンクであるが、戦後の好景気による爆発的な業務拡大に伴い、民間でも引く手あまたとなった。帝都内の薬局に入荷しても即箱買いされるほどであり、大企業となると小売りを介さずに直接問屋と取引する有様であった。
栄養ドリンクが爆発的に売れた原因の一つとして、テレビによる効果的な宣伝が挙げられる。当時はさほど一般家庭にテレビは普及していなかったのであるが、街角に街頭テレビが設置されていた。そこから流れる栄養ドリンクの力強い宣伝映像が、ビジネスマンの心を掴んだのである。戦前からの勤労礼賛の風潮とも合わさって、いわゆるモーレツ社員や企業戦士を大量に生み出すことになる。
栄養ドリンク市場は、年を経るごとに急速に拡大していったのであるが、製造メーカーやユーザー側の無理解と関連法が整備されていなかったためにトラブルが多発した。そのため、史実よりも早く薬事法が制定され、合わせて栄養ドリンクに関する啓蒙が進められていったのである。
59 :フォレストン:2016/09/05(月) 18:16:12
省内の食堂が24時間営業化されたのは、若手官僚達の強い要望であった。連日の残業と泊まり込みで食事が遅くなることが多く、帰れないならせめて温かい食事を摂りたいという切実な要望であった。現在では、霞が関の全ての省庁の食堂が24時間営業化されており、いつでも温かい食事を摂ることが可能になっている。この食堂は民間人の利用も可能であり、ボリュームのある定食を安価で食べることが出来るために、配送ドライバーやタクシー運転手に人気である。
ちなみに、特許庁内の食堂では英国人が食事をしている光景を見ることが往々にしてある。言うまでもなく、特許技術を調査している英国大使館関係者である。彼らは特許庁に日参し、朝から晩までトランジスタ関連の特許を調べ上げつつ、庁内の食堂で食事を摂ることを日課としているのである。
最近では、完全に箸の使い方をマスターしており、納豆を普通に食べれるくらいに順応していたりする。日々の英国大使館のイメージアップ活動と、特許庁関係者への差し入れ(本国のスコッチやお菓子その他)により、比較的円滑な人間関係を保ちつつ、現在も特許調査に邁進しているのである。
60 :フォレストン:2016/09/05(月) 18:17:10
24時間営業の雑貨屋-いわゆるコンビニであるが、こちらも若手官僚達からの要望であった。ただし、ただの若手ではなく、いわゆる夢幻会に所属する逆行者達からの要望であった。史実の便利な社会を知るが故に、こうした声が出てきたのであろう。
じつは夢幻会上層部でも、コンビニの便利さを身に染みて理解していたので、戦前から検討を重ねていたのであるが、機密と配送システムの問題から断念していた。しかし、1945年にトランジスタコンピュータの機密が解除されたことにより、POSシステムの構築が現実的なものとなった。もう一つの問題である商品配送システムも、陸軍が全面協力することで解決した。陸軍としてもPOSシステムが完成すれば、需品管理の負担を減らすことが可能になるので、断る選択肢は存在しなかったのである。
実際、深夜に買い出し出来るコンビニは非常に便利なものであった。1946年に営業を開始した1号店では、タバコや雑誌・新聞、スナックなどが売られていたのであるが、その便利さが認知されていくに従って、様々なモノを扱うようになっていったのである。
季節やイベントに応じた商品展開が出来るのもコンビニの強みであり、おでんや肉まんといった季節限定メニューも大人気であった。季節限定メニューには、缶詰にされている官僚達の季節感を失わないようにするという配慮もあった。そのため、1年のイベントをほぼ網羅しており、残業や泊まり込みで家に帰れない官僚達の楽しみの一つであった。
61 :フォレストン:2016/09/05(月) 18:19:19
日本人であるならば、可能な限り毎日入浴したいところである。霞が関の省庁ビル群が、当時最新の冷暖房完備であったとしても、1日でも入浴出来ないと不快な気分になるのが日本人という人種である。そのため、入浴設備の完備は若手熟年問わずに要望が出されていた。とはいえ、省庁ごとに入浴設備を追加するとなると大事である。そこで、霞が関の適当な場所に大規模な銭湯を作ることになったのである。
『霞湯』と名付けられた大規模銭湯は、当時最新の設備を揃えていた。通常の内風呂だけでなく、露天風呂、各種アイテムバス、サウナなども充実していた。特にサウナは、サウナ発祥地であるフィンランドから専門家を呼び寄せて作り上げており、その効果は折り紙付きであった。これらに加えて、コインランドリーや食堂、さらには理髪店まで備えており、現在のスーパー銭湯の先駆け的存在であった。
福利厚生の充実によって、霞が関の住民たちは家に帰ることなく快適に業務に邁進することが可能となった。数日どころか、半月くらい家に帰らなくても問題無いくらいに霞が関の設備は充実したのである。もっとも、半月以上缶詰になると、身なりが清潔で血色が良くても目は死んでいたりするのであるが。
日本研究の第一人者である英国人学者は、彼らを『王宮のような牢獄に閉じ込められた血色の良いゾンビ』と評しているが、これが的を得たものなのか、単なる皮肉かは意見が分かれるところであろう。
あとがき
久々に憂鬱日本絡みの支援SSを書いてみました。英国大使館が関わってくるのは、おいらの書く支援SSのお約束なのでスルーしてください(マテ
今回は、掲示板のネタを元にして勢いだけで書き上げましたが、これくらいのボリュームだと書きやすいですねぇ。憂鬱英国
シリーズだと普通に20スレくらい使ってしまうので、改行やら誤字脱字のチェックが大変だったりします。でも、英国面が絡むと、あれこれ書きたくなってしまうので大ボリューム化してしまうのですよねぇ…_| ̄|○
最終更新:2016年09月05日 22:01