514 :ナハト:2016/06/17(金) 20:33:21
私は、当時の部隊の様子を知りたいと思い、色々と伝手を充てることにした
そして、当時整備兵だったというAさんと話を聞くことができた。
彼は扶桑海事変により生じた人員不足を補う形で徴集された人で、事変後は退役した上で実家の農業を継いだという・・・・


「あの戦争は私にとっても忘れたい戦争ですよ。
私は実家で大規模な機械農業をやって、両親を楽にさせたいという一心で
工業学校に進学したのに、それが祟って整備士として徴集されました。

        • まあ、当初は私もそこまで長引くことは無いだろうと思っていましたし
噂に聞く麗しいウィッチと触れ合えるなら安いものだと軽く考えてました。



        • それがどんな浅はかな考えであったことか



事変はほぼ一年間続いた上に、仲良くなったウィッチ次々と死んでいくのですよ
死ななくても、片足や片腕が欠損して後送していくウィッチも多かったですね
それが私よりも年下ばかりなのですから尚更ですよ・・・・・


もう、事変後半は私もどこかおかしくなったんでしょうね。
事務的に接し、事務的に整備し、事務的に見送る
        • もう機械ですよ。あの頃の私は


だから、事変が終了したら真っ先に退役し
この後起きた第二次ネウロイ大戦にも志願しなかったのですよ
      • そのせいで非国民と罵られて両親に迷惑をかけてしまって申し訳なかったですね・・・・


(本題に入りますが早良ミチルの事知ってますか?)


        • 彼女は最も忘れ難いウィッチでしたね。そして、大嫌いで最低のウィッチですよ。
なぜなら、私が部隊に入って初めて整備したウィッチでしたが事あるごとに銃が悪い
ストライカーユニットのここが不調だ!と小言ばかりでしたよ。
勿論、私も一生懸命やったのですが、なかなか彼女の小言が止まらず

とうとう、ある日帰ってきたら、真っ先に私を殴り飛ばされましたよ
なんでも銃の調子が悪いのにいつまで経っても直さないからだと言うのですよ

その言葉に頭にきて、喧嘩になりかけたのですが、周りに止められて
それがきっかけで他の部隊に転属して、彼女との関わりはそれまでで
風の噂で彼女が死んだときは内心ザマアみろ!!と思ったものです」



それっきり彼はしゃべることは無かった・・・・



終わり
彼もまた被害者なのです。

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最終更新:2016年09月12日 15:50