豪州+新西蘭転移ネタ13
第一次世界大戦の勃発とその経過1
本世界の第一次世界大戦は史実と同時期に発生した。
しかし、敵味方に変化が見られている。
まず、同盟国側ではオスマン帝国が英土同盟の関係から日英陣営寄りの中立国(後に連合国側で参戦)となった。
ドイツ帝国は史実より見方が少ない状況での開戦となる。

第一次世界大戦の戦況が史実と変わるのは1914年8月に起きたタンネンベルクの戦いである。
参加兵力は、ドイツ帝国陸軍は15万人と史実と変わらなかった。
ロシア帝国陸軍はニコライ2世が総司令官になって、史実を上回る50万人を動員した。
ロシア帝国はニコライ2世や夢幻会、円卓の支援で強化されていたので火力、機動力は格段に上昇しており、無線も暗号化されていた。
加えて、経済成長で国民生活が良くなった事で国民の支持だけでなく軍全体の士気もかなり高かった。
ニコライ2世は自ら出撃して軍を鼓舞すると共に、同じく転生者であるトハチェフスキー中尉(夢幻会情報で名将と知りスピード出世させた)を自身の参謀役にしてドイツ帝国陸軍の撃滅に動いた。
皇帝が直接率いていた為、ロシア帝国陸軍は不退転の決意でドイツ帝国陸軍に猛攻を仕掛けた。
機械化が進みつつあったので進撃スピードは高く、参謀のトハチェフスキーの作戦も相まって戦況はロシア帝国有利に動き、史実より早い僅か10日でロシア帝国の圧勝となった。

この戦いにおける損害は、ロシア帝国が戦死乃至捕虜が15000人に対して、ドイツ帝国は参加兵力の6割を超える93000人以上が戦死乃至捕虜となった。
この敗北がドイツ帝国の戦略を大きく狂わせた。
参加兵力の半数以上を失った為、フランス側に展開する部隊を更に引き抜く事となるのが決定したが、これもまた不可能であった。

本世界のフランスは打倒英国の精神で工業化に邁進しており、軍事面でも様々な改革で近代化が行われていた。
特に、機関銃や速射砲、長射程砲を用いて火力マシマシの陣地を構築し、最小被害でドイツ陸軍に出血を強いた。
そして、タンネンベルクの戦いの影響でフランスに展開する圧力が減少した隙にフランス陸軍は国境線に新型の火砲や機関銃、小銃を装備させた部隊に入れ替えて迎撃したのである。
これもアフリカの工業地帯と潤沢な資金と人的資源のお陰であった。

そして、同年9月にマルヌ会戦が勃発した。
この戦いではフランスの植民地軍が奮戦してドイツ帝国陸軍に大打撃を与えるに至る。
この2つの大敗によって、ドイツ帝国の進撃は一気に遅くなった。
マルヌ会戦の敗北はドイツ帝国を焦らせたのは言うまでもなく、ヴェルダンの戦いでは、精鋭を東部戦線に回した為に、フランスの航空隊によって制空権を奪われて砲兵部隊に損害が出た。
また、フランスは新型の長射程砲を用いてドイツ陸軍が使用する重砲、野砲の射程圏外から攻撃を行って初期の攻勢を頓挫させた。
これによって、フランス陸軍は最小被害で要塞を守り抜き、追加の植民地派遣軍が到着すると航空隊による機銃掃射と爆撃を盾として大攻勢を実施、ドイツ陸軍を壊走させた。

ヴェルダンでの大敗はドイツ帝国を震撼させた。
加えて、ドイツ帝国は連合国の海軍が北海に向かっているとの報告を受ける。
この報告を受けて、ドイツ帝国は一縷の望みを懸けてユトランド沖海戦に挑むのであった。

なお、ヴェルダンの戦いの4ヶ月前にブルガリアが同盟国側で参戦し、中立国であるオスマン帝国に侵攻する暴挙をやってのけた。
序盤は良かったもののオスマン帝国が連合国側で参戦する事を宣言し、迎撃する為に大軍を動員してからは一気に形勢が逆転した。
ブルガリアは1917年末に同盟国側の中では最も早く降伏する事になる。
ちなみに、ギリシャはブルガリアから同時参戦を頼まれていたが流石にブルガリアが勝つ事は無いと考えており依頼を断って見捨てている。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2016年09月17日 15:11