豪州+新西蘭転移ネタ14
第一次世界大戦の勃発とその経過2
ユトランド沖海戦におけるドイツ帝国海軍の戦力は大洋艦隊に所属した弩級戦艦16隻、巡洋戦艦5隻、前弩級戦艦6隻で、超弩級戦艦は居なかった。
対する連合国側は大英帝国海軍、日本海軍遣欧艦隊、ロシア帝国海軍北方艦隊、フランス海軍本国艦隊が連合を組んで戦った。
フランスは英国と組むのは正直嫌であったが、「英国よりも本土を踏みにじったドイツに鉄槌を与えるのが先だ!!」と云う意見が続出して参戦する事となった。
参加艦艇では、日本海軍は金剛型4隻、ロシア帝国海軍はペレスヴェート級3隻、フランス海軍はプロヴァンス級4隻と11隻の超弩級戦艦が大英帝国海軍に加えて存在していた。
大英帝国海軍の戦艦、巡洋戦艦も円卓の介入で史実を上回る防御力を各所に加えていたので大型化しているが、転生チートによる機関出力向上でクイーン・エリザベス級は最高速力27knot、クイーン・エリザベス級以前の超弩級戦艦も22~24knotを発揮出来た。
ユトランド沖海戦は火力と防御力で勝る連合国側が終始有利であり、ドイツ帝国側は参加した戦艦の内、弩級戦艦12隻、巡洋戦艦3隻、前弩級戦艦6隻が撃沈される結果となった。
この敗北はドイツ帝国が制海権を喪失したと云う結果になった。
なお、連合国側の被害も撃沈された戦艦は無かったが、多くの戦艦が中大破していた。
円卓は、「防御を強化しても随分と危なかったな。」と言い、戦艦の喪失が0だった事に胸を撫で下ろした。
陸でもドイツ帝国の命運を懸けた戦いが始まっていた。
この戦いは、ユトランド沖海戦に影響を受けて、海軍には負けてはいられないと士気が上昇したロシア帝国陸軍がタンネンベルクの戦いを上回る100万人を動員してドイツ帝国領内に攻め込んだからである。
タンネンベルクの戦い以降は若干押されるものの戦線は維持していたドイツ帝国陸軍であったが、押されている状態で敵軍が2倍に増えたのである。
ここに来て、遂に東部戦線は崩壊したのである。
この猛攻でロシア帝国陸軍はケーニヒスベルク、ダンツィヒを占領し、ロシア帝国はドイツ帝国に対して独自の降伏勧告を行った。
しかし、ドイツ帝国は降伏勧告を拒否してフランスに再度攻勢を掛けると共に、海軍で残っていた潜水艦を動員した無制限潜水艦作戦の実施を宣言した。
フランスへの再攻勢はヴェルダンの戦い同様にドイツ陸軍を上回る戦力を用意したフランス陸軍の分厚い防御線の前に攻めあぐねており、ドイツ帝国側の被害が徐々に増えるのみであった。
無制限潜水艦作戦は徐々に戦果を挙げていたが、中立国であった米国の艦船を攻撃してしまったのが災いして米国の対独参戦を招いてしまった。
米軍の上陸でドイツ軍は西部戦線においても別方向から猛攻が加えられた。
ドイツ陸軍もフランス陸軍より装備の劣る米軍(国力低下の影響)に対して必死の反撃を行い、米軍は僅か1年数ヶ月で20万人が戦死する大火傷を負った。
なお、この米軍との戦いでドイツ陸軍が疲弊したのは間違いなく、これを見たフランス陸軍が最後の力で50万人を動員した反攻作戦で西部戦線も遂に崩壊した。
この西部戦線崩壊でドイツ帝国で革命が発生、ヴィルヘルム2世のオランダ亡命とオーストリア降伏によってドイツも連合国に対して降伏を受け入れた。
なお、ドイツが降伏勧告を受け入れる2ヵ月前にロシア帝国でポーランド独立運動が起きたが、
夢幻会のアドバイスで将来発生する第二次世界大戦における衝撃緩衝材の役割としてポーランド独立を認めた。
そんな裏事情を知らずに自力で独立を勝ち取ったと勘違いしたポーランドはヴェルサイユ講和会議では戦勝国の立場で会議に臨むと云う日英露仏米の代表を唖然とさせる姿を見せる。
最終更新:2016年09月17日 15:12