豪州+新西蘭転移ネタ15
第一次世界大戦における賠償と軍備制限1
第一次世界大戦では史実以上の被害でドイツが敗北したが、ヴェルサイユ条約の内容は色々と変わっていた。
まず、賠償金が史実では1320億金マルクだったのが500億金マルクになった事が挙げられる。
被害は軽かったが復興資金が多いに越した事はないと考えていたフランスはもう少し毟りたいと考えたが諸外国の反発によって断念させられた。
次に軍備制限の緩和である。
制限は若干軽くなっており、保有可能な兵力、兵器は史実より増加した。
海軍戦力と代艦建造の制限も軽くなった。
海軍戦力制限の緩和はフランス海軍の強大化が影響している。
航空隊も予備含めて110機までなら可能となった。
これも、フランス陸軍航空隊(後のフランス空軍)が史実以上に活躍した事で自信を付けていたからである。
なお、海軍の軍備制限については1922年のワシントン海軍軍縮条約及び※1928年のロンドン海軍軍縮条約締結によって排水量制限の変更が行われた。
領土についてはポーランド回廊を除いて史実と同じである。
ポーランドは史実同様にポーランド回廊を狙っていたが、目立った活躍が無かった事と講和開始の遅延に繋がりかねないタイミングの独立が列強からの反発を受けて断念した。
なお、領土拡張が駄目ならばと多額の賠償金を狙ったら「あまり調子に乗るなよ?(黒いオーラを纏った状態で)」と説得と云う名の恫喝を受けたので諦めるしかなく、少額の賠償金のみとなった。
オーストリア・ハンガリー帝国は史実同様に解体される事となった。
ブルガリア王国は削る領土が正直存在しなかったので、国境線から5kmを非武装化して賠償金をオスマン帝国に支払う事が決定した。
※本世界では史実より2年早く締結となっている。
最終更新:2016年09月17日 15:12