24 :百年戦争:2016/09/22(木) 13:31:13
1906年。掘悌吉海軍少尉は通報艦姉川丸の士官室にて同期たちの変貌を知らされる。
「高野と嶋田の気が狂った?」
「おう。最近二人で隙を見てはコソコソ密会して『この世界はオカシイ』とか『このままでは殺される』とかおかしな内緒話をしてるそうだ」
同じく海兵同期の塩沢幸一海軍少尉にそう告げられ、堀は驚きを隠せなかった。
二人とも去年の海戦で怪我をしたと聞いていたが、頭の打ち所が悪かったのかもしれない。
「おまけに時々『山本』だの『宰相閣下』だのと呼び合うらしい」
「なんだそれは」
それは何かの隠喩なのだろうか? それとも彼らはすでに相手も分からぬ狂人の夢の住人になってしまっているのか。
「それじゃ二人とも退役か……」
夢の世界の住人に栄光ある帝国海軍士官の職を任せられようはずもない。
悲しくはあるが同じ釜の飯を食った同期の桜。せめて退役後には人並みに回復してもらいたいものだと堀が二人の未来を案じていると、塩沢は自分で首を傾げながら更におかしなことを言い出した。
「それなんだがな、二人とも挙動が怪しくなったと思ったら急に仕事が出来るようになったらしい」
「? 普通気が狂ったら仕事も何も滅茶苦茶になるもんじゃないのか?」
「だけど二人は航路計算とか甲板作業とかやたら手馴れた動きでこなすし、経費計算の類は主計科顔負けにやってのけるそうだ。おまけに二人して誰に見せる訳でもない計画書やら申請書やら大量に作ってるらしい」
「怪しげな言動と秘密の書類?」
確か同じような事をしているキャラクターが去年のハワイ海戦の前に回し読みしていた同人誌の中に出てきた。
神様が作った傑作の一つ、堀悌吉の頭脳は短時間の思考ですぐさま同期の変貌の原因を突きとめる。
「それってただの厨二病じゃないか?」
「……言われてみればそうだな」
どうやら同期の発狂と言う悲しい事態ではなさそうだと堀と塩沢は安堵し、次に合ったら遅い発症をした同期たちの言動を生暖かく見守ってやろうと語り合うのだった。
25 :百年戦争:2016/09/22(木) 13:31:46
夢幻会の憂鬱
金融資本を利用してフランスが欧州に行使する影響力へ対抗する為に、イギリスは日本を引き込んだ欧州大陸向けの大幅な資本投資を行い自国の影響力の確保に奔走していた。
日英の政治的投資を受けるドイツ・イタリアはこれらの海外資本を利用しながら民族資本の育成を図り、近代化によって国力を増大させたプロイセンとサルデーニャによるドイツ・イタリア各領域の統一運動へと発展。
当然ながら日英主導による一連の流れは自国資本による勢力圏の拡大と影響力の維持を目指す
フランスとの摩擦を引き起こしていく。
なおこの欧州投資においてやたらと出版教育関係に投資したがった日本の一部勢力のせいで、『女騎士はどこが本場なのか』とか『どこのお嬢様学校が一番清楚か』というひどくどうでも良い論争が各国の間で盛んになっていたりする。
1864年。独伊の領域が分断されたままの方が都合の良いフランスはガリバルディによるローマ進軍を口実に、それまでローマのみに駐留していた兵力を教皇領全域へと拡大。
1866年の普墺戦争ではプロイセンの速攻により介入するタイミングを得られなかったが北ドイツ連邦の成立を承認せず、イタリア軍の教皇領への侵攻と併合を阻止してドイツ・イタリア統一への反対姿勢を明確にした。
教皇領を守り抜いた事でナポレオン3世は教皇ピウス9世から絶賛され、教皇庁の守護者としてカトリック圏で個人的な名声を高める事に成功するが、教皇領内のイタリア住民はフランス勢力を引き入れるピウス9世へと完全に失望し、フランスと独伊の対立が決定的な物になる。
1869年。バチカン公会議において話題に上ったイタリア批判と教皇領救援の要請に応じる形でナポレオン3世はイタリア王国へと宣戦を布告。第二次ナポレオン戦争が開始される。
しかしながらこの戦争の勃発はイタリア非難を繰り広げたピウス9世にとっても予想外の代物だった。
いかに教皇至上主義のピウス9世といえども十字軍じみた戦争の発生など望むはずもなく、教皇が口にしたイタリア批判も教皇領救援もフランスによるイタリア王国への政治的軍事的圧力の拡大を望む以上の物ではなかったからだ。
勿論フランス皇帝ナポレオン3世は教皇の望みを全て理解した上でイタリアへと宣戦を布告していた。
教皇を尊重するが従属はしない。
ガリカニスムのフランス人らしく、ナポレオン3世は教皇ピウス9世の舌禍とも言えるイタリア批判を利用して、教皇領救援という美名の元にイタリア半島の分裂を固定化させて完全にフランス帝国の影響下へと組み込もうと目論んでいた。
全ては偉大なる伯父・ナポレオン1世の栄光を再び手に入れる為に。
そんな傲慢な決定を下せるほど当時のナポレオン3世の権勢は高まっていた。
26 :百年戦争:2016/09/22(木) 13:32:24
南北戦争の講和により南部アメリカ連合国の存続が決定すると、フランスは北部合衆国のスポンサーでありながら日英と協力して1868年にメキシコ帝国を成立させる事に成功する(夢幻会が半ば脅すようにマクシミリアンを説得し「黒い布告」を阻止した)。
南部連合国の後背の安全を保障して北米の分断を安定化させると共に、メキシコを含めた北米での権益を互いに分け合い日英との対立の一部緩和に動いて国益を確保。
さらにはメキシコ経由でスペインが使っていた太平洋経由での
アジア貿易へ参入が可能になると、イギリスの寡占状態にあった日本との交易拡大はナポレオン3世による日本の『開国』としてフランス国内に受け取られ、日英と政治経済的に対立しつつ妥協と協力を行う硬軟組み合わせたフランス外交の成功は皇帝としての権威を確固たるものにする。
まさしく、ナポレオン3世は人生の絶頂期に到達していた。
――そしてそれ故に、フランス皇帝はボナパルトの家名に従ってその栄光から転げ落ちていく。
教皇領とフランス本国の二か所から始まったフランスのイタリア侵攻は、日英支援の装備と半島統一・郷土防衛の志で武装したイタリア軍兵士に迎撃されて短時間のうちに各所で頓挫。
そしてフランスの強引な開戦手法をビスマルクが『ナポレオンの侵略』と非難し、ナポレオンの名前に危機感を抱かされたドイツ諸邦の支持を取り付けてフランスへと宣戦布告する。
ドライゼ銃の改良を筆頭に日英によって近代化されたプロイセン軍は、フランス側の予測を上回る動員速度と進行速度でフランス国境を席巻。旧オランダ領へと侵入する。
1870年にはプロイセンに呼応して反撃を始めたイタリアが教皇領を占領し、フランス国内への侵攻を開始。
二正面作戦の危機に立たされたフランスは機動戦による確固撃破を計画。
かつて自分達を苦しめた洪水線を使用してオランダに侵入したプロイセン軍を拘束し、主力を南下させてイタリア軍を撃破しようと計画した。
しかしこのフランス防衛計画は南北戦争における総力戦の戦訓まで盛り込んで効率化されたプロイセンの進軍速度の前に無効化され、ナポレオン3世が率いるフランス帝国軍はセダンの戦いにおいてプロイセン軍に敗北する。
戦力の過半を喪失しながらも辛うじてセダンから脱出したナポレオン3世はパリに帰還して体制の立て直しを目指すが、首都を占拠した共和派によってパリへの入城を阻止されてしまう。
相次ぐ戦闘での敗北と旧オランダ領における洪水線の乱用が民衆の支持を低下させ、無血クーデターを引き起こして政権を樹立した共和派によってナポレオン3世の帝位は剥奪される。
結局のところ初代ナポレオンと同じく戦争の敗北が皇帝の全てを奪い去ったのだ。
「フランスがボナパルトを裏切るのか!」
ただのルイ・ナポレオンへと戻された男の絶望が、フランス第二帝政の終焉であった。
27 :百年戦争:2016/09/22(木) 13:33:22
パリ近郊でルイ・ナポレオンを捕虜にしたプロイセンは共和政に移行したフランスとの間に戦争を継続。
北進してきたイタリア軍と共にフランス軍主力を撃破するとパリを包囲下に置き、1871年には未だ戦争が終結しないままヴェルサイユ宮殿においてドイツ帝国の成立が宣言される。
独伊に首都を包囲された共和政フランスは屈辱的な休戦条約を受諾。
オランダの独立を阻止する代償に、独伊に莫大な賠償金を支払った上でアルザス・ロレーヌとニース・サヴォイアをそれぞれ割譲した。
帝位復活を阻止されたルイ・ナポレオンは妻の縁故を頼ってスペインへと亡命し、その後ロシアへと落ち延びていく。
合衆国は1865年の南北停戦直後から北米統一を目指した行動を開始。
フランス資本を活用した国内開発により国力を増大させ、日英に対抗できる環境の整備を目指していた。
しかしフランスが欧州で敗北すると、武力による北米の統一を目指していた合衆国の目論見は一時的に頓挫する。
独伊への賠償金の支払いで合衆国へのフランス資本流入が鈍化するのと反比例し、『奴隷制国家を支援するイギリス』という悪評を払拭したいイギリスが圧力をかけて南部の奴隷制度を段階的に撤廃させていき、最終的に奴隷制を廃止した南部を経済発展させていく。
日英による北米への関与と南部支援を阻止したい合衆国は太平洋の向こう側に目を向け、シベリアや中央アジアで日英と対立するロシア帝国、そして日本との間で貿易摩擦を起こし始めた中華大陸を発見する。
日本の東南アジアを制覇以降、中華大陸の清王朝上層部は建国の経緯もあって日本と円満な関係を築いていたが、倭寇討伐の名の元に荒らし回られた沿岸部の清国民衆や、日本の干渉により清王朝の属国と言うよりも地方政権に近い存在になってしまった李氏朝鮮と日本との距離は酷く疎遠なものになっていた。
欧州の進出も無い穏やかな中世の微睡とも言えるその状況は、日本が産業革命を成し遂げ大量の工業製品が日本の国内市場に飽和するようになると徐々に悪化していった。
元より日清貿易はアジア欧州の物品を清国に輸出する日本の圧倒的貿易黒字だったのだが、産業化を成し遂げて日本国内から溢れ出た日本製品が清国に流入し始めるとその規模は清国にとって破滅的な財政負担へと膨れ上がり、当然のように清国は対日貿易に制限を掛け始めて日本の反発を招く。
南北戦争から明治維新への流れを織田幕府崩壊による日本の弱体化と誤認した清国は対日姿勢を硬化。
ここに合衆国は付け込み、太平洋進出を狙うロシアを誘って日清間に生じた亀裂に入り込んで日清の経済摩擦を政治的軍事的対立へと発展させる。
28 :百年戦争:2016/09/22(木) 13:34:01
1894年。対立を深める宗主国の空気が感染した李氏朝鮮で日本人商人への襲撃事件が発生。瞬く間に清国全土で日本製品の排斥を口実にした略奪暴動が多発する。
厳正な対処を求める日本側の要求を李氏朝鮮と清国の双方が黙殺すると、大日本帝国は自国民保護を宣言して各地の暴動の制圧を開始。
これを日本の侵略と断じた清国は大日本帝国に対して宣戦を布告する。
米露の兵器で武装した清国軍は『東夷懲罰』『倭寇討伐』を口にしながら各地に上陸した日本軍に戦闘を仕掛け、完膚なきまでに叩き潰されて敗走を重ねる。
東南アジアを飲み込んで近代化し明治維新によって強固に編成された大日本帝国軍は、多少の近代装備で武装したからと言って中世的軍隊でしかない清国軍が戦える相手ではなかったのだ。
しかしそれで何の問題も無かった。
スポンサーであるロシアと合衆国にとっては清国の勝利など最初から予定されていなかったからだ。
大日本帝国の圧倒的な勝利と占領地の拡大に日本国内やイギリスから清国の解体と植民地化が提案され、日本軍が北京を包囲しようとしていた1895年。
日清停戦に向けた根回しと工作に駆けまわっていた夢幻会の顔色を蒼白にする情報が舞い込んでくる。
アメリカ合衆国がアメリカ連合国カルフォルニア州に侵攻。
南部支援の橋頭堡としてカリフォルニアに駐留していた日本軍の間に戦闘が発生し、第二次南北戦争と第三次太平洋戦争が勃発。
ロシア・フランス連名による日清戦争の即時停戦勧告。
シベリア方面・メキシコ帝国における仏露戦力の動員開始。
合衆国が30年近い歳月と祖国分断の恨みを込めて作り上げた日本包囲網の完成であった。
日清戦争の完勝寸前で東西の二正面戦争に巻き込まれた大日本帝国は激怒しながらも南部への本格的な増援を諦めざるを得ず、イギリスと協力して南部からの撤退戦を開始する。
仏露の停戦勧告を受け入れてさらなる戦争を回避しつつ、それでも意地を見せつけるようにカリフォルニアへと再上陸を行って取り残された日本軍を収容。
1896年に南部の首都リッチモンドが陥落すると南北停戦が合意されアメリカ連合国はアメリカ合衆国へと合流し、第二次南北戦争は合衆国による祖国統一戦争として終結した。
第三次太平洋戦争は南部の利権を失った日本の戦略的敗北で幕を閉じ、停戦後に結ばれた日米通商条約によって合衆国は完全勝利を宣言する。
29 :百年戦争:2016/09/22(木) 13:36:00
投下終了です
wiki転載OKです
メインネタの日米百年戦争よりフランス絡みの方が長くなってしまいました
最終更新:2016年09月25日 17:14