431 :百年戦争:2016/09/25(日) 09:01:14
1908年、神奈川県追浜。
横須賀からほど近い片田舎で『海軍邪気眼派』なる称号を獲得した嶋田繁太郎と高野五十六の転生者コンビは頭を抱えていた。

「一体全体どうしてこうなった……」

「なんでだろうなぁ……」

目の前では先ほど彼らの手によって国内初飛行を達成した倉崎製の国産飛行機が優美な旋回を行っている。

倉崎重蔵が時代から逸脱しないように自重に手加減を重ねて設計した複葉機はそれでも間違いなく世界最先端の飛行機であり、初飛行であっても危なげない飛行は技術者陣の歓呼と取材に訪れた記者たちの歓声を誘っていた。

嶋田と高野が頭を抱えている問題は、その飛行機を操縦している人間にあった。

「お前が気軽に『見に来い』とか言うから」

「あれは嶋ハンが計画書を見つけられたのが悪いだろ」

『山本五十六の博打』の第一歩として海軍航空隊の早期設立を目指し、下準備として飛行機研究会の設立を目指していた嶋田達の元にやってきた堀悌吉が、何故か航空機に興味を示して日本初の操縦士の一人に立候補。

慌てた嶋田達は必死に堀を思い止まらせようと説得するが、海兵32期随一の秀才を口先だけで言いくるめる事は不可能だった。

「撃墜王・堀悌吉……?」

「いや、いかんでしょ」

遠い目で見つめる二人の視線に気付いた堀が、にこやかに手を振って見せる。

のちに海軍航空隊設立の立役者として大いに持て囃される男達は、引き攣った笑みを気取られないように手を振り返す事しかできなかった。

「「どうすんだ、あれ」」

432 :百年戦争:2016/09/25(日) 09:01:48
夢幻会の憂鬱


1896年に第二次南北戦争が停戦しアメリカが合衆国が祖国の統合を成功させると、第三次太平洋戦争の敗者としての地位を与えられた大日本帝国の朝野は激高した。

完勝に近い形で進んでいた日清戦争は仏露の横槍で停戦させられ、カリフォルニア駐留の部隊以外がほとんど戦う機会を与えられないまま北米の南部利権を喪った。

そして勝ったはずの日清戦争も、講和条約が結ばれる段階まで米仏露の干渉を受ける。

日本軍占領下の上海において行われた日清の和平交渉で日本は領土の割譲こそ求めなかったが、賠償金の支払いと中華市場の完全開放、ロシアとの緩衝地帯として朝鮮半島の独立承認と満州全域の最優先開発権を要求。
これらは首都を包囲寸前にまで追い詰めていた日本には勝者として当然の権利だった。

それなのにここにも米仏露が干渉してくると、李氏朝鮮は清国を構成する地方政権に過ぎないと条約に明記され、満州の開発権と市場開放は賠償金の上乗せと引き替えに放棄させられる。
自国の要求をことごとく拒絶された大日本帝国は和平交渉の中断を通達。一時は停戦破棄と対米仏露の全面戦争の準備を本気で計画し始めてしまい、これに慌てた夢幻会はイギリスに介入させて中華市場の開放を講和条約とは別の多国間交渉での要求へと変更。

こうして屈辱に震える日本の怒りを残しながら日清の講和条約は締結された。

明治維新以降初の対外戦争が二つとも外交的戦略的な敗北として終結した事は明治政府への不信感ともなり、国内を含めた日本の勢力圏全体が動揺する事態へと発展する。

シベリア奥地から太平洋を伺うロシアとアジア太平洋市場を狙う統一されたアメリカ、そしてそれを支援するフランス。
世界規模で日英に対する包囲網を構築し、今後も連携して対抗してくるだろうこの三国へどのように対処していくのか。

融和か対立かを巡って諸派の議論は噴出するが、結局のところ日本は同じく米仏露によって戦略的に包囲された大英帝国との連携を強化することで抑止力の拡大を選択する。

諸外国が首を傾げる事に、200年以上連携して共同歩調を取り続けてきた日英の間にはいまだ明確な参戦義務を負った軍事条約が存在していなかった。
これは日本側(主に夢幻会)がイギリスの植民地獲得戦争で自分達が使い潰される事を嫌ったのと、イギリスが日本の戦争を利用してアジア太平洋へ進出するのを制御しようとしていたからだ。
しかし米露に挟撃された大日本帝国はこの方針を転換。
イギリスに軍事同盟の締結を打診しつつ、独伊を始めとした欧州各国への接触を精力的に開始する。

これまで己の勢力圏以外に興味を向けなかった日本のこの動きに、大英帝国は諸手を上げて賛同し全面的な協力を約束。
1898年には早くも日英同盟を締結し、日本と一緒になって各国と交渉して回る姿を『遅いデビュタントを迎えた箱入り娘とそれを甘やかす親馬鹿』と揶揄されながら、独伊との協力体制を構築し米仏露を逆包囲しようと図る。

これらはもちろん日英包囲網を敷く米仏露に向けた明確過ぎるメッセージだったのだが、統一の成功に増長したアメリカは日英の行動を決定的に取り違えていく。

433 :百年戦争:2016/09/25(日) 09:02:53
念願であった祖国の統一とアジア日本市場への参入を果たしたアメリカは南部の国力を飲み込むと、一気にその経済規模を拡大させつつあった。

二度にわたる南北戦争で総力戦を経験したアメリカは戦時中に増大した生産能力をそのまま国内開発へと転用。
日英に対抗できるだけの国力の獲得は合衆国の過信と自信に直結し、日本包囲網を締め上げ続ける事で自国の優位の完全に確保しようと積極的に動き始めた。

統一直後の1897年に米西戦争を引き起こし、対外戦争によって国内を団結させると共にカリブ海の制海権を確保。
動揺する日本勢力圏に干渉して大日本帝国に組み込まれた東南アジアの独立を煽りつつ、日本への賠償金支払いと急激な市場開放で困窮する清国に経済的政治的進出を達成する。

1901年。アメリカはヴィクトリア時代の弔鐘を新世紀の幕開けとするべく清国から満州朝鮮への鉄道敷設権を獲得し、ロシアと共同してユーラシア鉄道の建設を宣言。
さらには度重なる失敗から事実上撤退してたフランスを再びパナマに誘い込んで米仏共同資本によりパナマ運河建設を再開し、東西の巨大プロジェクトはアメリカ経済を大幅に刺激して投資マネーの拡大に動かし、同時にアメリカの外交戦略の暴走を決定付けた。

アメリカは増大した国内資金を対外軍事力に転換するべく太平洋における大幅な軍拡を開始。
自国での建造も行いながら仏露からも戦艦の購入を行い、1903年にアメリカ太平洋艦隊・グレートホワイトフリートを編成する。

一連の行動に日英は当然ながら反発し仏露による若干の制止もなされたのだが、新世紀のアメリカンドリーム成就へと暴走するアメリカ合衆国を止める事は出来なかった。
仏露によって行動を拘束される日英にアメリカとの戦争に踏み切る余力は無いと思い込んでいたのだ

そして1904年。自国の外交戦略の勝利を確信したアメリカは旅順への艦隊配備と満州朝鮮への戦力派遣を宣言。
日英共同の宣戦布告という当たり前すぎる反撃を受ける事になる。

第四次太平洋戦争が勃発すると、カナダに駐留する日英軍は宣戦布告と同時にカナダアメリカ国境を越えて南下。
この戦力は特に行動を秘匿していた訳ではなかったのだが、30年以上加え続けられていた北からの圧力にアメリカ自身が慣れ切っていた為に奇襲に近い攻撃になり、戦線を大きく押し下げる事に成功する。

アメリカは慌てて迎撃戦を行ってワシントンの防衛を安定させ、日英を牽制するはずだった仏露の動きが無い事に怒声を上げて――欧州大陸で内乱寸前に陥っている友好国の姿に愕然とした。

フィンランド・ベラルーシ・ウクライナとオランダ。
仏露に併呑された欧州地域の住民感情はアメリカの行動と正比例して悪化し、第四次太平洋戦争の開戦と共に独立を求める群発的暴動へと発展していた。
ドイツでも問題になりそうなポーランドの独立運動が不自然なほどおとなしいのを見れば、誰の主導による騒乱なのかは明らかだった。

1905年になると日英海軍は太平洋と大西洋に展開して北米大陸の海上封鎖を開始。
アメリカ海軍はグレートホワイトフリートを筆頭に全戦力を投入してその封鎖を打破しようと出撃し、両洋において破滅的な敗北を経験する。

日英の共同開発によって加速された建艦技術の革新によって、最新鋭のアメリカ艦隊は自分たちも知らないうちに『旧式』の二文字を刻印されていた。

1902年。ドレットノート就役。
30cm連装砲四基を背負い式に装備し21ノットの快足と統制射撃を駆使する革新的戦艦は、日英の共同設計により史実より三年早く完成する。

全ての戦艦を時代遅れにする怪物の誕生は、本来抑止力として公開されるべき戦艦としては異常なほど静かな産声であった。
もはや暴走ともいえる外交を始めたアメリカとの開戦が避けらないと考えた日英によってその情報が厳重に統制されていたからだ。

そしてドレットノート就役に半月ほど遅れて日本海軍も同級をタイシップにした敷島型戦艦八隻を就役させて八八艦隊を編成。

自由の国の誇りを抱いて出撃したアメリカ海軍は、その出港の時点で敗北が約束されていた。

第三次ハワイ沖海戦とカナリア沖海戦によって海軍力を壊滅させられたアメリカはなおも陸戦において巻き返しを企図するが、味方であるはずのメキシコ帝国から和平仲介が提案されるに至って、自国の情勢の不利を理解し継戦を断念する。

停戦交渉においてアメリカはパナマ運河の建設権を死守する代わりに満州朝鮮の鉄道敷設権を日英へと譲渡。
第四次大平戦争はアメリカの敗北によって幕を閉じる。

434 :百年戦争:2016/09/25(日) 09:03:48
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最終更新:2016年09月25日 17:23