267 :百年戦争:2016/10/01(土) 20:01:54
1917年。日英独の連合軍によるヴェルダン要塞攻略戦が進められる上空で、人造の猛禽たちによる熾烈な争いが繰り広げられていた。

「よぉし、やったぞ!」

赤く塗られたアルバトロスD.Ⅲの操縦席でマンフレート・フォン・リヒトホーフェン騎兵大尉は快哉を叫び、錐揉みしながら地上に墜ちていくフランスのスパッド S.XⅢに視線を向けた。

60機目の撃墜を成し遂げた撃墜王は我知らず口角を上げ――自機の後方で起きた機銃の発砲音に目を見開く。
慌てて振り返ったリヒトホーフェンはエンジンを撃ち抜かれたニューポール17を発見し、自分が撃墜寸前だった事に気が付いて戦慄する。

「助けられたのか……」

敵機を追うのに夢中になっていた自身の悪癖に冷や汗を流しながら、リヒトホーフェンは自分を救ってくれたRAF&倉崎S.E.5に手を振った。

S.E.5の操縦士は軽く手を上げてリヒトホーフェンに応えると、一気に上昇して周辺を警戒していた僚機と合流する。
滑らかな動きで一分の隙も無い編隊を組み上げるS.E.5の翼には大きな赤い丸が描かれていた。

「あれがヤーパン自慢のレイヴンたちか」

日本が絶対の自信を滲ませて送り込んできた海軍航空隊は欧州の空を転戦し、その移動の多さからワタリガラスの異名を戴いていた。
始まりは一部の日本人操縦士の自称だと噂されるが、彼らが空で敵に凶兆を告げる存在である事は間違いない。

二機一組の集団戦法を基本とする日本海軍航空隊の航空戦術は、騎士道に従うリヒトホーフェンや他の大勢の欧州パイロットには納得しかねる物であったが、海軍航空隊設立に努力した若手士官自らが参戦してフランス相手に実績を積み上げる事でその戦術の正しさを証明していた。
集団戦法という戦術は気に入らなくても、指揮官陣頭というその姿勢には率直に共感できる。

第11戦闘機中隊中隊長として自分もあのようにならねばならないとリヒトホーフェンは決意し、以降は時折突出しながらも撃墜王兼空戦指揮官として部隊全体を統率していく。

戦後、日本で『帝国海軍三羽烏』と呼ばれるようになっていた嶋田繁太郎に赤い男爵からこの時の礼を述べる手紙が届き、有名人を助けていたとは知らなかった嶋田を驚愕させる事になる。

268 :百年戦争:2016/10/01(土) 20:02:24

夢幻会の憂鬱


第四次太平洋戦争の勝利は、日清戦争と第三次太平洋戦争で傷付けられた明治政府の威信を回復させる事に成功した。

仏露の牽制により不完全燃焼に終わった第三次太平洋戦争の復讐は日本国民の溜飲を下げさせ、日清戦争の遠因であった中華市場への進出は政財界を中心に大いに満足させるものであったからだ。

しかしながら、そんな日本よりも第四次太平洋戦争の結果に喜んでいる国があった。

念願の新市場を獲得した世界帝国イギリスである。

これまで日本を間に挟んだ間接貿易か小規模な朝貢貿易しか中華市場で行えなかったイギリスは、満州朝鮮という大々的な橋頭堡と中華という巨大市場を手に入れた事に狂喜した。

日本本土に近すぎるが故に軍事力を配備して植民地にすることは不可能だが、それは逆にいえば日本との友好関係と同盟が維持されている限り、日本の軍事力の庇護の元で商売に専念できるという事だ。
中華市場で日本と競合するのは若干の問題だが、長い付き合いで日本人の考え方は良く分かる。
公平な正論と対等な立場で真っ向から正々堂々と競争するだけなら日本人は理不尽に怒り出したりしないし、むしろ下手に陰謀を巡らす方が無駄にコストがかかる上に日本との関係に悪影響を及ぼす。
大日本帝国という友好的な競争者の存在は程よい刺激となり、健全なる市場競争は19世紀から続く大英帝国の栄光をさらに輝かせるはずだ。
……気取った建前はそれぐらいにして、とにかく新市場の開拓を!

こうしてイギリスは『日英同盟バンザイ!』と叫びながら、日本が困惑するほどの勢いで中華大陸へと乱入していく。

1906年には日英共同で満州鉄道株式会社を設立。
1908年にドイツ帝国・オーストリア=ハンガリー二重帝国の間に三帝同盟を成立させて国際関係の安定を図りつつ、独墺伊に満鉄への出資を求めて更なる関係の強化を推進。
日本と共に清国に資金を貸し付けて様々な利権を買い漁り、北京天津上海モンゴルへと延びる鉄道の敷設権を購入すると、潜在敵国であるはずのロシアと協力してアメリカの代わりに日英露の三ヶ国でユーラシア鉄道の建設を開始する。

そして中華大陸を嬉々として動き回るイギリスが、ジョンブルとしての本領を最大限発揮する好機が――清国にとっては悲劇が――発生する。

269 :百年戦争:2016/10/01(土) 20:03:22

日清戦争の敗北は清王朝の支配体制に深刻な打撃を与え、それから立ち直る為の国政改革に欧米列強が好き勝手に干渉した結果清国内部に無数の軍閥が台頭。
清国政府の制御を離れた軍事力は急速に革命勢力と結びつき、1911年に辛亥革命が勃発する。

革命勢力が中華民国の建国を宣言すると、清国宮廷の有力者である袁世凱は自身の大総統就任を条件に宣統帝溥儀を退位させ、至極あっさりと清国を滅亡させてしまった。

当初日本は夢幻会を中心にこの中華革命を傍観する立場をとっていたのだが、満面の笑みを浮かべたイギリスの行動に愕然とさせられる。

中華民国大総統に就任した袁世凱と接触したイギリスは中華民国政府と地方勢力との仲介を提案。
袁世凱の了解を取り付けると資金をばら撒きながら有力軍閥の間を飛び回り、チベット・ウイグル・モンゴルを中華民国から独立させてしまう。
しかも1913年には退位したばかりの宣統帝を王に据えて満州王国を建国し、ついでのように朝鮮王国を成立させると、中華大陸の混乱に付け込んで九龍半島を買収してイギリス悲願の極東植民地である香港を獲得した。

国内勢力の取り纏めを期待してイギリスに交渉を許可した袁世凱は瞬く間に自国の領土を切り取られて唖然とし、にこやかな紳士の提案によって満州王国に収まるしかなかった清国宮廷は憮然とする。

鮮やか過ぎるイギリスの手際に流石の日本も若干引き気味になりながら、それでも長年の友好国の謀略を手伝って独立した各国に利権を獲得。
旧清国の領土を細切れにしたイギリスはロシアと協調する事でチベットとウイグルを両国の緩衝地帯として新しい勢力圏を安定させると、倍増した市場を前に『最高に「ハイ!」ってやつだ!』とか言い出しかねないテンションで高笑いを上げようとして――欧州大陸で発生した大戦争に目を丸くする。

1901年にアメリカ外交が暴走を始めると、日英はアメリカを軍事的に孤立させるために仏露が併呑した地域への干渉を開始。
ロシア支配下のフィンランド・ベラルーシ・ウクライナ、そして日英が間接的に滅ぼしてフランスに併合されたオランダで独立運動を支援し、仏露を欧州大陸に拘束しようと計画した。

日英の目論見通り国内の不安定化に動きを封じられた仏露はアメリカと協調する事が出来ず、単独で第四次太平洋戦争に突入せざるを得なかったアメリカを叩き潰すと日英は独立運動支援から手を引いていく。
欧州大陸の混乱は日英にとって歓迎すべき事象ではあったが、自国内にアイルランドと言う火種があるイギリスは欧州で盛り上がる独立運動へ関わる事には慎重にならざるをえなかったのだ。

……しかし一度火が付いた独立運動はイギリスの思惑を超えて確実に延焼を続けていた。

まず潜在敵国の国力低下と自国の勢力圏拡大を望むドイツ帝国が日英のばら撒いた火種に油を注いで回り、国内不安を煽られてドイツへの憎悪を滾らせた仏露はドイツの同盟国であるオーストリア=ハンガリー牽制の為にバルカン半島への干渉を強化する。
とばっちりで勢力圏に踏み込まれたオーストリアはドイツ経由で日英との連携を深め、ボスニア・ヘルツェゴビナ獲得を目指して仏露の支援を受け始めたセルビア王国との対立を激化させていった。

イギリスは自分がばら撒いた火種が原因である為に迂闊に干渉する事も出来ず、とりあえずこの状況が自国へ飛び火する前に国内を安定させようと、1910年に長年準備していたアイルランド自治法を施行する。
この法案の施行によって自治権を獲得したアイルランドは他の連合王国を構成する「一国内の国々」同様の存在として名実共にイギリスへと統合されていき、1801年以来百年以上の時をかけてようやく『グレートブリテン及びアイルランド連合王国』が虚名ではない存在として成立した。

1845年のジャガイモ飢饉による方針転換から半世紀以上の時間をかけて最大の国内問題を解決したイギリスは祝杯を挙げたが、アイルランドの自治権拡大は欧州大陸の独立運動に希望の光と受け取られ、欧州情勢を一気に悪化させる。

270 :百年戦争:2016/10/01(土) 20:03:53
1911年には火種に注ぐ油の量を間違えたドイツが自国を含めたポーランドに飛び火させ、ロシアはついに軍事力による独立運動制圧を決定。独露国境は両国の軍事力が入り乱れる火薬庫の様相を呈し始めた。

そして欧州全土で盛り上がる民族主義に刺激され、第二次ナポレオン戦争以降対仏感情を悪化させ続けていたオランダ系住民がフランスからの独立を決意。
1912年にネーデルランド連邦共和国の復活を宣言し、フランスに対して第二次オランダ独立戦争を開始する。

当然これを認めないフランスは正規軍を投入してオランダの独立を阻止しようとするも、明らかにドイツの支援を受けているオランダ軍と彼らが駆使する伝統の洪水線によって戦況は文字通り泥沼化。
この状況を打破する為に、フランスは同じく独立運動を煽られて血圧を上げているロシアと共に対独戦へ向けた国内の動員を始め、ドイツへ対して仏露国内への内政干渉を止めるよう強く通達する。
これをドイツは旧オランダ総督との血縁関係を盾に拒絶して総動員を開始。
言い分としては完全に仏露の主張が正しかったのだが、世界は正論だけで正しい方向に向かってはくれなかった。

仏露は日英の戦力に後背を脅かされるよりも早く東西から侵攻してドイツを屈服させようと戦争を計画し、ドイツは内線作戦による兵力の戦略機動によって仏露戦力の撃退を目指した。
双方共に目論んでいたのは敵国を完全占領まで戦う総力戦ではなく、戦場における敵軍事力の撃破による外交的勝利。
すなわち古き良き19世紀型欧州の戦争を望んでいたのだが、科学技術と戦争手段の発達はそんな欧州首脳の理想を嘲笑いながら血と泥濘の中に飲み込んでいく。

第一次南北戦争をその萌芽として、北米大陸で進化し続けていた戦場の悪夢が欧州人たちへと襲い掛かったのだ。

1913年。動員を完了したフランスとロシアの兵力はドイツ帝国に宣戦を布告すると一気にドイツの東西国境線へと雪崩れ込み、組織的に運用される機関銃の弾幕という近代戦の地獄に遭遇する。

短期決戦を目指す仏露軍は積極的にドイツ軍へ攻撃を仕掛けて損害を積み重ね、反撃に転じたドイツ軍は辛うじて東西の戦線を国境まで押し返す事に成功するが、膨大な死体の山を築いて戦線は膠着状態に陥ってしまう。

有刺鉄線と塹壕と機関銃という、情緒の欠片も無い悪魔たちの支配する戦場では防御側の優位は絶対的ですらあった。

北米での戦訓はそれぞれの同盟国を通じて欧州に伝えられていたのだが、欧州の人間の過半数はどれほど悲惨な未来であっても自分達で経験しない限り信じる事は出来なかったのだ。

こうして誕生した地獄の戦場へ、三帝同盟に従ってイギリスとオースリア=ハンガリーが参戦。
シベリアでロシアと塹壕戦という悪夢に顔を引き攣らせた日本が日英同盟に引きずられて参戦するに至り、第二次オランダ独立戦争は仏露協商と帝国同盟の世界大戦へと発展する。

271 :百年戦争:2016/10/01(土) 20:04:24
不本意ながら同盟の信義を守った日英の参戦は、当初仏露が恐れたほど致命的な圧力となる事も、ドイツが望んだほど劇的に戦況を改善
させる事も出来なかった。

日本はシベリアでロシアと戦いながら地球の裏側へ派兵する為に時間がかかり、イギリスも海を越えて欧州大陸に戦力を展開する時間を必要とした。
そもそも日英は北米で動き出すであろうアメリカ合衆国に備える為にカナダ国境へ戦力を配置し続ける必要があり、アメリカへの牽制を目的として構築された戦略的仏露包囲網は、塹壕戦となった世界大戦で短期間のうちに戦術的効果を上げる事は不可能だったのだ。

それでも日英は1915年に入ると仏露に対する攻勢を開始。
シベリア戦線でロシア軍の戦力を拘束して帝政ロシアの補給線に過大な負荷をかけながら、海外植民地を制圧してフランスの国力を切り崩しに掛かった。

迎撃に出てきたフランス海軍をアムステルダム沖と地中海において撃破した日英は、1916年になるとドイツに対して本格的に陸上戦力の増援を始め、日英共同開発で旋回砲塔を装備して産まれたMk.Ⅰ戦車(日本名称:74式)を大量投入する事で東西の戦線を大きく仏露へと押し込むことに成功する。

これにより総力戦の負担に耐えられなくなったロシアでは革命が勃発。
帝政ロシアが崩壊して成立した臨時政府は大戦を継続する事で国家体制が破綻した祖国を取り纏めようとするが、その努力は一人の男の存在によって水泡に帰してしまう。

アレクセイ・ルイ=ナポレオン・ボナパルト。
第二次ナポレオン戦争後にロシア帝国へと亡命してきたナポレオン3世の孫である。

当時ロシア海軍参謀部に勤務する大佐だった彼は政治的野心など何もない完全に中立で誠実な一ロシア軍人に過ぎなかったのだが、革命にナポレオンが居合わせるという事実そのものが急進的共和主義者やボリシェビキの恐怖を刺激し、ボリシェビキは急進的共和派を取り込んでペトログラード労兵ソヴィエトを結成。
1917年に臨時政府に対するクーデター=共産革命を成功させ新たなロシア政府として人民委員会議を設立すると、ドイツ帝国との間にブレスト=リトフスク条約を締結し世界大戦から離脱した。

革命勃発直後からボリシェビキによる執拗な襲撃を受けたアレクセイ=ナポレオンは家族ともども辛うじてその襲撃から生き延びるが、それ以降彼は完全に反ボリシェビキの王党派として行動するようになり、1918年には日英の支援を受けてロマノフ王室亡命作戦を決行。
クロンシュタット軍港のバルチック艦隊を掌握し、ロマノフ王室と共にイギリスを経由して日本へと亡命する。

日英独の海上封鎖と植民地の占領により国民生活が困窮し始めていたフランスでは、ロシアの離脱により厭戦感情が増大。
アメリカで発生したインフルエンザパンデミックのフランス上陸を受けて反戦暴動が発生し第三共和政が崩壊し、中立を維持していたイタリアとセルビアに仲介を依頼して帝国同盟に停戦を申し込む。

これをロシアと同じように総力戦による浪費で国家が限界を迎えかけていたオーストリア=ハンガリーが受諾する方向に動き、フランスは海外植民地の返還と引き換えにオランダの独立を承認。崩壊したロシア帝国からフィンランド大公国・ポーランド共和国・バルト伯連合公国・ベラルーシ共和国・ウクライナ連合共和国が独立する事で、丸5年続いた世界大戦はようやく終結した。

272 :百年戦争:2016/10/01(土) 20:07:24
投下は以上となります


アメリカの出番が無いのは書き忘れではありません

273 :百年戦争:2016/10/01(土) 20:09:40
あ、wiki転載などはOKです

いつも掲載ありがとうございます

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最終更新:2016年10月03日 14:34