132 :yukikaze:2012/01/03(火) 22:16:42
新年という事で、去年書いたSSの続き。
なお、富嶽は本編で出たスペックを利用しています。
1943年7月4日。
アメリカ合衆国にとって独立記念日であるこの日。
ガーナー大統領は、徐々に厭戦気分に陥っている国民の気持ちを奮い立たせようと、
国民の結束を図る演説を行おうと壇上に立っていた。
しかしながら、演説に入ろうとした彼の後ろから、補佐官が青ざめた顔で彼の耳元に
何事か呟くと、ガーナーもまた蒼白な顔となって、立ち尽くすことになる。
怪訝な顔をする議員達のざわめきに、ガーナーはようやく気を取り直すと、
集まっていた議員に対し、茫然とした声でこう返答した。
「デトロイトが日本軍によって空襲を受けました。被害は甚大だという事です。
議員の皆さん。私は今すぐホワイトハウスに戻り、状況の把握に努めます」
そういうと、ガーナーは足早に壇上を降り退出をした。
突然の事態にあっけにとられる議員達であるが、彼らもまた情報を得るべく議会を後にする。
もっとも、ガーナーや議員達は、あまり時間をおかずに、今何が起きているのかという事を
理解することになる。他ならぬ日本軍の手によって。
『合衆国の皆様ごきげんよう。今日は合衆国の独立記念日という事で、
我が軍からも贈り物をお届けに参りました。我が国が開発した超重爆撃機『富嶽』による
デトロイト爆撃。そして三式弾道弾による東部攻撃。遠慮せずお受け取りくださいませ。
以上、東京ローズからでした』
ラジオのから聞こえるキングス・イングリッシュ。
その口調は穏やかではあったが、中身は聞く者すべてを凍りつかせるものであった。
彼らはそれが何を意味するのは、否応なく突きつけられたのである。
日本軍の本土爆撃が再開されたのだという事を。
中西二一少佐率いる富嶽の爆撃は、機数で言えば10機。投下した総トン数も100t程度ではあった。
史実の爆撃に比べれば少ない量ではあった。
しかしながら、合衆国が受けた衝撃はとてつもないものであった。
まずは物理的な被害。
デトロイトは合衆国においては有数の工業都市であり、
なまじ高度に発展した社会資本を有していただけに、
多少狙いが逸れてもどこかに大きな損害をもたらしていた。
しかも日本軍が投下した爆弾は、その悉くが焼夷弾であったことと、
独立記念日であることから町に大勢の人があふれていたこと。
更には空襲警報が出るのが遅れたことも重なって、
大勢の市民が焼夷弾による火災に巻き込まれ、命を失うことになったのである。
もう一つの衝撃の理由は『爆撃機が東部沿岸へと侵入した』という事。
これまで合衆国が受けていた被害は、弾道弾による攻撃。
そして弾道弾は、実質防御不能であったものの、炸薬量と命中精度の問題。
更に言えば発射頻度も非常に長いものであったことから、
被害は多分に限定的なものでしかなかった。
(特にポーラスター作戦時において『基地に大爆発が起きた』という通信と、
それ以降発射が滞っていたのも、合衆国首脳部に、『弾道弾の攻撃は長期的に不可』
という判断を示すことになっていた)
133 :yukikaze:2012/01/03(火) 22:19:05
だが、今回の爆撃で、日本は5000kmもの奥深くまで容易に爆撃でき、
且つ広範な被害を与えることができるという事が立証されてしまったのである。
それは、合衆国の戦略である『長期持久戦』を根底から覆すものであった。
何故なら、同戦略の骨子が『戦果があまり及んでいない南部地域を後方地帯として活用する』であったのに対し、
富嶽の登場は、南部地域が安全地帯として安住できなくさせたからであった。
おまけに、追撃に向かった戦闘機部隊が、悠々と引き離された事実を聞かされれば、頭を抱えたくなるのも無理はなかった。
そして、日本の爆撃機が悠々と爆撃に成功した事実は、合衆国の議員並びに州政府において、
連邦政府の戦争指導体制に不信を持たせるのに十分であった。
特に爆撃を受けたミシガン州と、弾道弾攻撃を受けたセントルイス(4発撃ちこまれ市街地に1発着弾している)
のあるミズーリ州では、『連邦政府は何をしているんだ』という声が強まり、
日本に対する報復をすぐにでも実施するべきであるというデモをバックに、
州知事や州で選出されている議員達が、連邦政府に対して強い調子で批判を浴びせたのである。
彼らにしてみれば、連邦政府の無能のせいで、自分たちの生命や財産が脅かされることなど、
とてもではないが我慢できることではなかった。
連邦政府もこうした声を無視するわけはなく、すぐさま対策に乗り出そうとしたのだが、
いかんせん『ポーラスター』発動の時と比べてアラスカの防空能力は強くなっており、
更に、巧みな民政と、同作戦以降に送り込まれた第一機動旅団(日本版SASである)による
徹底的なコマンド狩りによって、同地における諜報網は壊滅状態となっており、
同作戦を再び行っても成功率は殆どないと言ってよかった。
陸路からの侵攻についても、アラスカと
アメリカ本土を結ぶハイウェイはろくに着工もしておらず、
おまけに進軍中に日本軍やカナダ軍の攻撃があることを考えれば、到着までにどれだけの期間と
被害が生じるか見当もつかなかった。
結局、合衆国が採る方策としては、生き残った最後の正規空母であるワスプに、
ありったけの航空機を乗せ、そのエアカバーのもと、宝石よりも貴重な高速船を利用して、
アンカレッジに突入するという方法しかなかった。
だが、それが認可され、東海岸で輸送作業をしていたワスプに、直ちに西海岸へと移動するよう命じられた7月20日。
合衆国政府に更なる悲報が舞い込むことになる。
『ワスプ雷撃を受け沈没』
凍りつく軍首脳部に対し、今度はキューバに展開していたアメリカ軍部隊から
悲鳴のような電文が伝えられる。
『キューバに敵部隊が上陸。敵はイギリス軍』
英部隊によるキューバ侵攻作戦『ジャッジメント』が発動された瞬間であり、
そして義勇艦隊としてドイツ艦隊が参戦した瞬間でもあった。
最終更新:2012年01月04日 14:33