383 :百年戦争:2016/10/10(月) 08:31:52
1920年。その日、アーカンソー州ポーク郡ブルーアイには雨が降っていた。
「テメエ、マジでふざっけんなよ!」
南部特有の強い通り雨の中、袋小路に追い詰められた男は強い北部訛りで悪態を吐き、一週間も執拗に自分を追いかけてきた保安官を睨みつけた。
「ちょっと黒人のジジイをぶん殴った程度でネチネチ追っかけてきやがって、南部の保安官はどんだけ暇なんだよ!」
「強盗傷害の現行犯に肌の色は関係ない」
男の罵声は目前の保安官に何の影響も与えずに跳ね返される。
鋼を刻んで作り上げたような保安官は、まさに南部の男の見本のようだった。
愚直なまでに真っ直ぐで、頑固なほどに一途。
「そもそも
アメリカは下らん人種差別を認めていない」
「南部の負け犬が偉そうに! だいたいテメエら南部のバカが、ジャップに尻尾振って黒人をつけ上がらせるから――っ!?」
保安官が流れるような動きで灰色のコートの裾を払い、男は思わず言葉を飲み込んだ。
腰に吊るされた日本設計・南部連合国製造のナンブ=サウス・リボルバーの銃把が雨を弾いて酷く冷たく光り、保安官が戦闘態勢に入った事を明確に知らせていた。
北部生まれの男には、急に処刑場の空気を漂わせ始めた現実がまるで理解できなかった。
生意気にも雑貨店など開いていた黒人の年寄りを殴って金をくすねた程度で、何故自分は殺されそうになっているのか?
そろそろと腰の後ろに隠した銃に手を伸ばしかけ、保安官の冷え切った目に硬直する。
「オーケイ、銃は持ってるな……ロクデナシなお前さんでも分かる方法で問題を解決しよう」
南部の男は何よりも名誉を重んじる。
友と故郷と祖国の名誉を一度にまとめて侮辱されたなら、後はもう決闘しか残されていないのだ。
少なくともポーク郡保安官を務めるチャールズ・スワガーにとって、目の前の男は紳士的な対応をするに値する存在ではなくなっていた。
「――抜けよ、小僧。男の子だろう?」
「っ、ぅおああああ!」
男が引き抜いた銃の撃鉄を落すより早く、雨音を引き裂いた銃声は男の『指』を銃から弾き飛ばしていた。
384 :百年戦争:2016/10/10(月) 08:32:54
1913年に世界大戦が始まった時、日英が最初に行ったのはアメリカとの国境に兵力を積み上げる事だった。
仏露の友好国であり準同盟国であるアメリカ合衆国が世界大戦を口実に
第四次太平洋戦争の復讐戦を挑んでくるのは、日英のみならず世界でも必然だと考えられていたからだ。
事実、仏露は開戦直後からアメリカに大戦への参戦を求めており、日英はアメリカの動向に対処する為にその神経を尖らせ続け――やがて、アメリカ参戦が不可能であると確信してカナダの兵力を欧州に移動させた。
日本による南部アメリカ連合国の独立から五十年。アメリカ合衆国による北米統一から二十年。
三十年に及ぶ独立は日英の干渉によって南部に独自の国家としての性格を作り上げ、アメリカ合衆国内部で深刻な南北対立を発生させていたのだ。
人種差別からさえも自由な国。
それが三十年かけて辿り着いたアメリカ連合国の誇りだった。
日英に対する資源輸出を主体とした自由貿易は南部の経済発展を促し、奴隷の主人であった南部プランター貴族はその資本を生かした産業経営者に、奴隷であった黒人は自由を手に入れて賃金労働者へと立場を変え、主に日本を中心にした人種差別撤廃政策の推進は奴隷制国家であった南部連合国を世界最先端の人権国家として生まれ変わらせていた。
当時の欧米世界にあっては異端過ぎる人種平等国家。
そしてこれは第三次太平洋戦争=第二次南北戦争によって南部連合国が北部合衆国に合流しても変わる事は無かった。
南部の指導者たちは奴隷制と経済格差という第一次南北戦争の開戦理由が消滅した事でアメリカの統合に何の問題も残っていないと考え、口喧しく干渉してきた日本に戦友として感謝しながら、祖国統一の為に敗戦の屈辱を甘受して合衆国への合流を決断する。
当初、この決断は完全に正しい物だと思われた。
南北分断中に張り巡らされた物流網の結合と南北資本の国内循環は総力戦で膨れ上がった生産力をそのまま国力に転換し、強引な対外戦争である米西戦争は『一つのアメリカ』という国民意識を醸成する事に貢献した。
しかしながらそれによって外交政策が対日強硬路線で暴走を始めると、南部の人間たちに合衆国の矛盾を見せ始める。
『日本人の犬』と南部住民を蔑む北部の傲慢。
奴隷解放後も是正されないまま放置された人種差別。
それによって生み出される日本に対する無条件の憎悪。
人種問題の扱い方は史実のアメリカとそう大差は無かったのだが、『自由の国アメリカ』の理想を信じて合衆国へと合流した南部人にとって北部=合衆国の現状は理解しがたいものだった。
強引な日本締め上げに躊躇する南部と
アジア市場進出を求める北部の対立は第四次太平洋戦争の敗北によって明白な物となり、国内差別・人種差別・外交政策が生み出す国内対立の深刻化はアメリカ合衆国に対外戦争を行わせる余裕を失わせていた。
結果、アメリカは世界大戦に中立を宣言して仏露の怒号と日英の冷笑を浴び、追い打ちをかけるように発生したインフルエンザ
パンデミック=アメリカ風邪により世界大戦への参戦は完全に不可能になる。
それでも中立国という立場は泥沼の世界大戦を行う欧州との貿易で莫大な利益をアメリカにもたらし、世界大戦終結後も続く未曽有の経済発展は国民生活を押し上げると共に経済格差を作り上げ、それによって産み出される新たなアメリカ文化は人種差別と人種平等の対立を孕んで迷走を始めた。
大量生産大量消費が美徳とされる中で禁酒法により隆盛したギャングの組織犯罪が横行し、南部産まれのジャズが人種を問わず全米で演奏され、街角を彩るアール・デコの裏側で差別主義者の襲撃が繰り返される。
国内問題を経済発展で覆い隠したアメリカ合衆国は日英という外敵の存在による国内の団結を図り、非公式に黙認された人種差別への反発は人種差別撤廃を求める元南部軍人による自警団的抗議団体KKK(円環の氏族)を誕生させた。
かくしてアメリカ合衆国は『狂乱の20年代』に突入していく。
385 :百年戦争:2016/10/10(月) 08:33:35
1913年の第二次オランダ独立戦争から始まった世界大戦は1918年にようやく終結したが、この結末を心から喜ぶ事の出来た国はごくわずかだった。
『勝者無き終戦』『戦争を終わらせただけの戦争』
講和条約であるヴェルサイユ条約の発行に際して各国の新聞に載せられた見出しが、この戦争の本質を物語っていた。
フランスはオランダを失い、ロシアは国家そのものが崩壊し、オーストリア=ハンガリーは五年に及ぶ総力戦で衰弱。
オランダは念願の独立こそ成し遂げたものの戦場となって荒廃した国土の復興に苦しむ事になり、海を越えて欧州に兵力を送り込んだ日英も塹壕戦に支払った人的被害の大きさに顔に顰めるしかなかった。
ブレスト=リトフスク条約によってフィンランドからウクライナまでを影響下に収めたドイツ帝国でさえ、新たに獲得した勢力圏を完全に支配する事が不可能なほど疲労しており、旧ロシア帝国周辺国に対するドイツのプレゼンス不足は独立させたばかりの新国家群に赤い嵐を呼び込んでしまう。
1917年。革命によって帝政が崩壊したロシアではボリシェビキがクーデターにより政権を掌握。
バルチック艦隊を伴ったナポレオンとロマノフ王室の亡命により明確な外敵を手に入れたボリシェビキは、外国勢力の介入という危機感を煽る事でそれまで敵対していたメンシェヴィキや社会革命党の勢力を併呑する。
1918年には旗頭を失って王党派勢力が減退した臨時政府=白軍との内戦を開始してその勢力をウラル山脈の東側に放逐し、この軍事的勝利を元にロシア各地のソビエト政権間で主導権を握ったボリシェビキは、1919年にソビエト社会主義共和国連邦の成立を宣言する。
ロマノフ王室という絶好の口実を手に入れた日英が本格的に介入するよりも早く自己の権力を確立しようと図ったのだ。
一方、数を増した赤軍に押される白軍は共産主義を警戒する日英の支援を受け入れ、バイカロフスクからイルクーツクに至るエニセイ川のラインを辛うじて防衛すると、勢力圏の安定と確定化を求めてシベリア連合共和国を建国する。
この白軍の動きにスポンサーである日英はロマノフ王室を君主に据えた立憲君主制を求めたが、共和主義者主体の白軍にロマノフ王室の戴冠を拒否されてしまう。
これを受けてボリシェビキ=ソビエトはシベリア連合を日英の傀儡政権であると非難しつつ、白軍との戦闘を停止してその存在を言外に黙認する事でさらなる日英の介入拡大を阻止する事に成功する。
こうして内戦を終結させて東側の不安を取り除いたソビエトは、手放したばかりの旧ロシア領域で発生していた新独立国同士の戦争に嬉々として参加していった。
386 :百年戦争:2016/10/10(月) 08:34:07
1795年のポーランド分割以来ようやく独立を果たしたポーランドは、長年に渡る他民族による支配への反動から一気に拡張主義・復古主義へと傾斜していた。
疲労した自国の軍事プレゼンスの代替を求めるドイツ帝国は自国で収監していたユゼフ・ピウスツキをポーランドに送り込み、ピウスツキの多民族主義=ヤギェウォ理念によって東欧に浸透する共産主義を牽制させようと画策。
ポーランドを東欧における代理人とするべく終戦で不要になったドイツ軍の装備を供与し、ポーランドの軍事力整備を大々的に支援していた。
1919年にベラルーシへと飛び火した共産革命によってベラルーシ=ソビエト社会主義共和国が成立すると、ポーランドはドイツの支援を受けてベラルーシへと侵攻を開始。
ベラルーシ=ソビエトの共産政権救援に進出してきたヨシフ・スターリンが指導するソ連赤軍を騎兵を中心とした機動力で翻弄し続け、一時はポーランド・リトアニア貴族共和国の復活さえ噂されるほど優勢に戦いを進めていた。
獅子の名を持つ赤軍指導者。レフ・トロツキーが直率する赤軍主力がウクライナに雪崩れ込むまで。
政敵スターリンのベラルーシ=ソビエト救援も、ピウスツキ率いるポーランドの快進撃も、ロシアの食糧庫たるウクライナをトロツキーが獲得する為の布石に過ぎなかったのだ。
1920年。ウクライナ連合共和国に侵入したソ連赤軍はドイツが支援するヘーチマン政府軍と緑黒各軍が相争う大地を瞬く間に制圧していき、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国の成立を宣言する。
さらにソ連国境まで押し込まれていたベラルーシのスターリンを無視するかのようにトハチェフスキー率いるソ連軍が反撃を開始。
俄か仕立てなポーランド軍の戦線を突破してミンスクを占領し、今度はポーランド国境まで戦線を押し込んでしまう。
この事態に新たな東欧の主となったドイツは自国戦力の投入を決意するが、復讐に燃えるフランスが動員をチラつかせる為に行動を鈍らせざるを得ず、世界大戦再発の恐怖に慌てたオーストリア=ハンガリーが日本に対して仲介を呼びかける事でようやく事態は収拾に向かい始める。
なお、この時オーストリア=ハンガリーが直接の同盟国であるイギリスに仲介を要請しなかったのは、迂闊に自国の隣にジョンブルを呼び込んで中華民国の二の舞を演じるのを恐れたからだった。
この介入を開戦前から待ち望んでいたトロツキーは、戦場において完勝に近い勝利を収めていながら大幅な譲歩を示して関係国を驚かせた。
即時停戦とオデッサ・キエフ・ミンスクを結んだライン以西からのソ連赤軍撤退。
ベラルーシ・ウクライナの露骨過ぎる分割提案を、ドイツ帝国は受け入れざるを得なかった。
戦争に疲れた上にフランスに背中を狙われている現状では、それしか選択肢が無かったとも言える。
ベラルーシはソ連に対抗する為にポーランドと合邦し、ポーランド連邦共和国が成立。
ウクライナはヘーチマンに代わってディレクトリヤ政権が誕生しウクライナ人民共和国へと名前を変える。
そしてロシア革命から十分過ぎる勝利を積み重ねたトロツキーは領土獲得と戦争の終結を主導した事で、相次ぐ戦争に疲れた国民の支持を取り付けてソ連における地位を確固たるものにし、党・政府・赤軍というソ連の権力構造が構築されていく。
387 :百年戦争:2016/10/10(月) 08:36:24
投下は以上となります
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浦波堀に航空隊任務に資格試験で日常が一杯一杯でち……
最終更新:2016年10月10日 10:50