313 :名無しさん:2015/12/01(火) 19:29:02
唐突ですが、19:30から漂白朝鮮ネタを投稿したいと思います

314 :313:2015/12/01(火) 19:30:09
ウィキペディア風朝鮮民族文化ネタ


諦(タイ)/諦否(タイハジ)
「諦(タイ)」は朝鮮文化特有の思考様式の一つで、絶望や諦念、痛恨、悲哀、無常観など複雑な精神状態をさす朝鮮語の概念。
「諦否(タイハジ)」は「諦(タイ)」の反語表現であり、「諦(タイ)」を否定する概念である。歴史学者は朝鮮文化における「諦(タイ)」を「逃走や抵抗などの防衛行動が無意味な絶望的な常態下での心理的防御反応」と説明している。


概要
朝鮮民族にとっての「諦(タイ)」は、単なる諦念や絶望だけでなく、無念さや悲哀や無常観、悲惨な境遇からの逃避など、様々な感情をあらわすものであり、この文化は「諦(タイ)の文化」とも呼ばれる。「諦(タイ)の文化」は、日本大陸と中華大陸という巨大文化圏の中間に位置するが故の数々の悲惨な歴史から生じた朝鮮半島独特の文化である。


成立
半島という国土の関係上、朝鮮民族は陸で接する中華王朝の異民族(漢族・モンゴル族・女真族ほか)に漢代の昔より幾度となく侵略・征服を受け属国としての頚木をかけられていた。また新しい中華王朝は国威を示すために前王朝が成し得なかった日本征伐を実行することがあり、その前哨基地として「使用」される朝鮮半島では強制的な戦費・兵力・慰安要員の収奪や調達が行われていた。
同時に日本側の逆侵攻においては主な前線となり、中華王朝が日本へ与えるものを無くすために畑や村を焼くなど焦土作戦を実施することも少なくない。さらに日本側も復興の形で中華王朝に負担をかけるため同様の行動をとることもあった。
新王朝による日本征伐を防ぐため朝鮮半島の国家は中華王朝の交代時には旧王朝に味方することが多く、結果として朝鮮人が日本征伐での肉盾として用いられるなどその後の統治が苛烈なものとなる悪循環をおこしていた。
これらの歴史的事実と三国時代に伝来した仏教の苦諦(一切は苦であるという真理)と合わさって生まれた民族的な共通認識が「諦(タイ)」の始まりであるとされる。


「諦(タイ)」の影響
「諦(タイ)」が朝鮮文化に与えた影響は大きく、「何を作ろうともそのうち壊されるから作る意味が無い」と職人への蔑視と技術停滞を生んだ主な要因であると言われる。事実、後述の李氏朝鮮の時代まで常民(平民)の家屋は掘っ立て小屋がほとんどで、朝鮮全土を見ても水車すら無い有様であった。

「諦(タイ)」の影響は豊臣秀吉による明・朝鮮侵攻作戦(文禄・慶長の役)と朝鮮半島上での日本軍・明軍の対決において一つの極致に達し、「この世を離れることが救いである」と謳った仏教系の自殺カルトが朝鮮全体に蔓延するほどの事態となった。当時の李氏朝鮮はこれに大きな衝撃を受け、中華への依存体質を改め「諦(タイ)」を改善するため、水車の建設など技術開発や壇君神話の発布など国民意識の改善を図った。だが、2000年に至って朝鮮民族に染み着いた「諦(タイ)」の思想は堅く、李氏朝鮮の時代には十分な結果を出すには至らなかった。これら李氏朝鮮の尽力は、日清戦争による李氏朝鮮もとい韓王国の独立とポーツマス会議での永世中立獲得をもってようやく実ることとなる。

315 :313:2015/12/01(火) 19:31:08

「諦(タイ)」から「諦否(タイハジ)」へ
ポーツマス会議での永世中立獲得は韓王国にとって黄金以上の価値があった。しかし未だ文盲の多い当時の韓王国民の大半においては自分たちに無関係な話としか認識されなかった。だが当時の韓王国王「高宗」はこれを是正するため、「中立諦否、平和諦否(チュンニプウルタイハジ、ピョンファウルタイハジ)」というスローガンを発布。このスローガンは朝鮮語としてはおかしい部分(*朝鮮語において「諦める」はポギ(抛棄)であり、「諦めない」はポギハジ(抛棄、しない)となる)があるものの、あえて「諦(タイ)」の否定として「諦否(タイハジ)」を唱えたと記録されている。このスローガンのが広がりに遅れてではあるが、列強国家から投下される資本を使い各種インフラ整備に努めたことから国民内でも韓王国の発展が実感され始め、朝鮮民族の意識は「諦(タイ)」から「諦否(タイハジ)」へ姿を変えはじめることとなる。

そして第二次世界大戦においても「中立諦否、平和諦否」は韓王国のスローガンとして用いられ、この大戦を通して諦否は朝鮮民族に完全に定着することとなる。その最大の要因となったのは中国共産党軍による朝鮮侵略阻止であった。漢代より2000年を超える長きにわたり苦しめられた中華の侵略を、(日本の手を借りたといえど)ついに朝鮮民族の手で押しとどめた事実は韓王国の新しいアイデンティティとなるほどの影響を及ぼした。戦場においてもこのスローガンは各所で唄われ、「諦否(タイハジ)」を叫び陣地を死守する韓王国兵の姿が記録に残されている。


現代における諦否
文字通り諦めないことを最重要視する姿勢は、韓王国を近代化へと大きく進める底力となった。特にその影響が顕著なのは理化学を筆頭とする研究の場であり、多くのノーベル賞受賞者を輩出した漢城大学校の標語として海外にも知られている。

しかし同時に現代においてはこの「諦否(タイハジ)」が韓王国の宿痾である労働問題の原因とも言われている。朝鮮社会では永世中立獲得と第二次世界対戦勝利の影響から「諦否(タイハジ)」が神聖視されており、「諦人(タイイン:すぐ諦める根性なし)」とみられることは社会的な死を意味している。そのため「同調圧力から仕事を辞めるにやめられず同僚が倒れるまでのチキンレース化する」「不可能な仕事内容でも諦めることができず仕事がデスマーチ化する」などの声が労働組合から上がっている。
しかし前述の科学界や近代化の成果、高度成長期を支えた世代からの反発(「倒れるまで働いて一人前」「鬱病は現代の諦(タイ)」)などもあり、韓王国の労働改革は未だ進んでいない。これを風刺して朝鮮日報に掲載された『深いクマを作ってげっそりとやせ細った社員を、社長が「ウィオラ!(休め!)」と無理矢理机から引きはがそうとするものの社員は「ケンチャナヨ!(大丈夫です!)」を連呼して机にかじりつく風刺漫画』が大きな話題を呼んだことは記憶に新しい。こうした現状を海外から批判する声も大きく、韓王国内から「けっきょく朝鮮民族は諦(タイ)から離れられていないのではないか」との声も上がっている。

終わり

316 :313:2015/12/01(火) 19:31:51
以上です。駄文失礼しました。
最終更新:2016年10月13日 12:02