392 :百年戦争:2016/11/06(日) 22:32:35
1922年。その艦隊は生まれ故郷を遠く離れた極東の帝国に係留されていた。
ロシア帝国バルチック艦隊。
かつて世界有数の規模を誇った海軍で最精鋭の艦隊として編成された艨艟は、もはや彼ら以外に掲げる者も居ない喪われた帝国の旗を掲げたまま、目指す航路も見つけられずに朽ち果てて行くのだと思われていた。
国を追われた君主たちが、狂気とも言える無謀な決意を宣言するこの日まで。
「――移動の準備が整いました、陛下」
この期に及んで纏わりつく逡巡を振り払い、アレクセイ・ルイ=ナポレオン・ボナパルト少将は彼らの旗艦たるガングートの甲板から異国の帝都を眺めていた主の背中に声を掛けた。
「……もうそんな時間か」
それに応えて振り返った主君――ニコライ・アレクサンドロヴィチ、ロシア皇帝ニコライ二世と呼ばれた男の顔にもまた躊躇いの色が浮かんでいる。
これから行う選択が本当に正しいのか、彼もまた完全な確信を抱く事が出来ずにいるのだ。
生まれた時からロシア皇族としての教育を受けてきたニコライ二世がこのような感情を家臣に見せる事など革命以前にはあり得なかった事であるが、アレクセイが軟禁されていたツァールスコエ・セローから皇帝一家を救出して以降、皇太子と同じ名を持つナポレオンの末裔は家臣ではなく家族同然の同志という立ち位置を確立してしまったらしい。
それが祖国から追い出された皇族という惨めな共通項からくるものだという現実が、アレクセイに忸怩たる思いを抱かせる。
叶うならばロシア帝国への忠勤の褒賞として、このような信頼関係を皇帝との間に築き上げたかった。
「申し訳ありません」
アレクセイの口から思わず零れた言葉は、このような現実を引き起こした己の血統に対する謝罪であった。
バルチック艦隊の指揮権掌握と皇帝一家のロシア脱出。
おそらくアレクセイはやり過ぎてしまったのだ。
皇帝一家の無事を確保してその再起の可能性を追求するあまり、ナポレオンの血統が十分な戦力と名声を確保して混乱する欧州に留まる事がどのような事態を引き起こすかにまで意識を向ける余裕が無かった。
バルチック艦隊を掌握したアレクセイの帰還を恐れるフランスの反発によってイギリスは縁戚であるロシア皇帝一家の亡命を受け入れが不可能になり、ロマノフ王室は何の所縁も無い極東――大日本帝国への亡命を余儀なくされた。
ナポレオンの血筋がその傍にいなければ、大英帝国の庇護の下に亡命政権を作る事が出来たはずなのに。
「気にする事は無いよ少将」
不意に謝罪を告げられた元皇帝は、悔恨を滲ませる家臣の真意を汲み取って笑顔を浮かべた。
「貴官は私と、私の家族の為に最善の行動を取ってくれた。君がいたからこそ私たちはボリシェビキ共に殺されずに脱出でき、こうして再び歩き出せる。そのように忠誠を尽くしてくれた臣下を放り出して、誰がロマノフと共に歩んでくれるというのだ?」
柔らかな主君の言葉に、フランス皇帝の末裔は背筋を伸ばす。
「愚にもつかぬことを申し上げました――行きましょう陛下、我等が未来の為に」
「うむ……例え愚かな選択だとしても、我等は最後まで足掻いてみせる」
この日、大日本帝国においてロシア帝国王党派を中心とした亡命政権が設立される。
ロシア帝国艦隊政府。
ガングート級弩級戦艦二隻を基幹としたバルチック艦隊をその『領土』としたこの亡命政権は、ソ連から「時代錯誤な専制主義者たちの妄動」「引き際を知らない負け犬たちの艦隊」と罵倒されながら、ロマノフ王朝の資産や亡命ロシア貴族の財産を使って船舶を購入する事でその『領土』を拡大。
シベリア、アラスカ、カナダなど日英に亡命したロシア王党派の資産ネットワークを構築し、自前で船団の警備まで行う大規模な海運業者としての側面を強くしていく。
393 :百年戦争:2016/11/06(日) 22:33:12
世界大戦終結後、夢幻会の面々は頭を抱えていた。
その苦悩の原因は太平洋を挟んで睨み合いを続けるアメリカ合衆国や、シベリア連合の向こう側で蠢くソビエト連邦ではない。
1653年以来ずっと共同歩調を取り続けてきた日本の友好国であり、シベリアと太平洋の二正面で米ソという敵性国家に挟まれた日本にとってもはや必要不可欠な存在となった同盟国、イギリスである。
日英共同でオランダを滅ぼした事で東南アジアと太平洋は日本の勢力圏となり、フランスをアジアから追い出してスムーズになった両国の交易は莫大な利益をもたらし、アジア太平洋に戦力を割く必要の無くなったイギリスの影響力は欧州を中心に拡大。
オランダが滅亡していた為にボーア戦争そのものが発生せず、日本と連携した為にフランスとの
アジア植民地獲得競争を史実より負担も少なく乗り越え、中華市場に進出する事も成功している。
史実で背負った各種の負担と引き換えに
アメリカとは敵対関係になっていたが、その代償として大英帝国はアイルランドとの統合を成し遂げ、日英同盟はユーラシアの東西から全世界を牽制可能な理想的同盟として機能していた。
そうであるのに何故、夢幻会はイギリスによって思い煩わされているのか?
その理由は衰退の兆しも見せない大英帝国の存在そのものにあった。
1918年。ロシアの戦線離脱とアメリカ風邪
パンデミックにより第三共和政が崩壊し、唯一の敗戦国として過酷な戦後賠償を追及されるはずだったフランスに対して寛容すぎる講和の条件を提示したのは、意外な事にフランスと泥沼の塹壕戦を繰り広げたドイツ帝国であった。
最も強硬にフランスへの懲罰的賠償を要求すると思われたドイツが示した甘すぎる提案に、オランダを失うフランスは歯軋りしながら頷き、巻き込まれただけに過ぎない大戦争を少しでも早く終わらせて国内の立て直しを図りたいオーストリア=ハンガリーも承諾。
日英は大戦に参加した利益を何も得られない事に反発したが、五年も続く戦争で高まり始めた国内の厭戦感情を考慮して講和を受け入れざるを得ずせっかく占領したフランスの海外植民地を無償で返還する。
フランスは被占領地の無償返還と引き替えにオランダを始めとした新規独立国を承認し、ヴェルサイユ条約によって世界大戦は終結する。
もちろんこれはドイツ人が戦乱と疫病で荒廃したフランスの惨禍を目撃し、博愛精神に目覚めて慈悲の心を発揮したからではない。
ドイツ帝国はやがて復活する将来のフランスよりも同盟国であるはずの日英――特にイギリスの存在を恐れていたのだ。
世界大戦で独仏を始めとした欧州が被った戦災と比べてイギリスは人的被害のみに留まり、さらにはその人的被害も大戦の最初から塹壕戦の泥沼をのたうち続けた欧州諸国に比べれば微々たるものに過ぎず、相対的に見ればイギリスの国力は増加しているとさえ言える。
200年以上の長きに渡って日本が陰日向に支援し続けていたイギリスは、ドイツが自国の復興に注ぎ込むべき賠償金をフランスから搾り取るのを断念してでもその国力の増大を阻止しようとするほどに強大化していた。
その強大化した存在感は日本が講和会議の席上で提案しようとしていた国際的平和維持機構の構想にも影響を与え、本格的に組織の設立に賛同する国が現れずに国際連盟が成立しないという事態を引き起こす。
それがどれほど素晴らしい理想に基づいた組織であれ、大英帝国という怪物が参加すればその主導権がイギリスの物になるのは明らかであり、同盟国である独墺も敵性国家であるフランスもこれ以上イギリスの影響力を拡大させるような組織の誕生を望むはずがなかったのだ。
夢幻会を中心とする日本政府は慌ててイギリスに国際連盟設立への協力を打診するが、古くからの友好国はにこやかな笑みと共にこの申し出を謝絶。
国際連盟設立に賛成しなかったどの国よりも、衰退無き世界帝国が国家の加盟する大規模な国際組織の存在を必要としていなかった。
世界大戦により欧州の競争相手が疲弊し、アメリカが国内対立で身動きが取れなくなっている現状では国際情勢を自国の有利なように動かしていくのは大英帝国にとって容易い事であり、大規模な国際組織の存在はむしろ足枷になりかねないとこの時のイギリスは考えており、イギリスの戦略パートナーは日本だけで十分だという自信さえ抱いていた。
結局、日本の構想はスイスのジュネーブに各国の大使館職員が常駐する施設が設置されるに留まり、この史実とは比べ物にならない小規模な組織=国際会議連絡事務所が国連と呼称されるようになる。
このイギリスの傲慢とも言える世界戦略は、大日本帝国を巻き込んで世界の流れを史実から更に歪めて行ってしまう。
394 :百年戦争:2016/11/06(日) 22:33:45
第四次太平洋戦争でアメリカ太平洋艦隊を殲滅した日本海軍は仮想敵の消滅によりその拡大を一時鈍化させるが、世界大戦に前後してアメリカ海軍が戦力再建を本格化させるとこれに対抗する為に大規模な艦隊建造を決定。
第三次ハワイ沖海戦においてその効果を実証した弩級戦艦群による艦隊編成を発展・改良し、超弩級戦艦による第二次八八艦隊計画を開始する。
1911年に日英共同設計で金剛型巡洋戦艦四隻、薩摩型超弩級戦艦(薩摩、安芸、河内、摂津)四隻を建造。
大戦が始まった1913年には日本式の改良を加えた準金剛型である伊吹型巡洋戦艦(伊吹、鞍馬、筑波、生駒)四隻、クイーンエリザベス級をタイシップに扶桑型超弩級戦艦四隻を建造し艦隊を丸ごと一新する。
国力にモノを言わせた大規模建造は戦時中という事も有りさらに加速し、史実の八八艦隊計画通りに艦齢八年の艦隊編成を目的として第三次八八艦隊計画が始動。
日本海軍のあからさまな標的とされたアメリカは増大した国力を生かして壊滅させられた海軍力の再建と拡大を推進し、国内対立によろめきながらもダニエルズプラン=三年艦隊を計画。真っ向から日本海軍の拡大に立ち向かっていく。
そして太平洋から始まり大西洋へと伝播したこの異常な速度の建艦競争に欧州で唯一余力がある大英帝国が参戦。
終戦により一番艦以降の建造中止が予定されていたアドミラル級巡洋戦艦四隻(フッド、アンソン、ハウ、ロドネー)の建造を再開する。
この事態に顔を引き攣らせたのは国内の復興に掛かり切りになっているフランスと、東欧の混乱を収拾させようと走り回っているドイツであった。
日英によって海軍力を壊滅させられたフランスもイギリスとの建艦競争で作り上げた大洋艦隊が健在なドイツも、国力を回復させたいこの時期に大規模な艦隊建造を行う余力など欠片も残っていなかったからだ。
海軍を持つ列強が建艦競争に参加出来ないという屈辱に震えながら独仏は睨み合い、平穏を謳歌していたイタリアを仲介にバカげた建造祭りを行っている三カ国を呼び出して史上初の軍縮会議であるローマ海軍軍縮会議を開催する。
独仏連携という外交上の異常事態が引き起こしたこの会議は、日英に軍事的に包囲されたアメリカにより最初から難航した。
大戦による疲労が無いアメリカは軍縮失敗による各国の負担などまるで気にせず、日英合計との同量保有と日英同盟の解消を主張。
当然日英がそんな条件を認めるはずもなく、何としても建艦競争による財政負担を回避したい独仏が必死に説得し、カナダ国境と言う長大な潜在戦線を抱えるアメリカも国内から海軍の無制限な拡大に疑問が出た事で、ようやくアメリカも軍縮に前向きになる。
ドイツ帝国は日英への対抗から単純な軍縮に応じられないアメリカを納得させる為に、アメリカの準同盟国であるフランスに建造中のコロラド級戦艦を一隻購入させ、これによってイギリスへの牽制とする案を打診。
これに軍縮条約により予算削減を行いたい日本の夢幻会がイギリスの説得に回る事で軍縮条約はようやく前向きに進み始め、少しでも艦隊戦力を立て直したいフランスがドイツ案を承諾し、ドイツはフランスに財政負担を押し付ける代わりに洋上戦力の不利を受け入れる。
1921年。日米英55万トンを基準として独仏:2、伊:1.75の比率で戦艦の保有率が決定。
戦艦は基準排水量4万トン砲口径16インチ10門以下と規定され、艦齢15年未満は代艦建造禁止。
米仏以外の新艦建造は原則として禁止とし、既に長門型戦艦を完成させていた日本との兼ね合いで米英は16インチ砲搭載戦艦二隻を追加で建造・完成させ、フランスはアメリカから未完成のコロラド級一隻を購入。
日英米が建造中だった巡洋戦艦は二隻づつ空母へと改装される事になり、日本は天城、赤城を、アメリカはレキシントンとサラトガを、イギリスはアドミラル級の二・三番艦であるアンソンとハウを改装空母として完成させる。
各国が所有を許された16インチ砲戦艦は大日本帝国の長門、陸奥を筆頭に大英帝国がネルソン、ロドネー。アメリカ合衆国コロラド、メリーランド。
そしてフランス共和国ラファイエット。
かくして、列強のメディアにビッグ7と呼称される16インチ砲戦艦群が誕生する。
395 :百年戦争:2016/11/06(日) 22:34:20
このようにヴェルサイユ条約や軍縮条約に様々な影響を与えた大英帝国の存在は、同盟国である大日本帝国国内にも無自覚な影響を与え夢幻会にとって頭痛の種となっていた。
イギリスは日本にとって誠実で友好的な同盟国であったが、
強大過ぎる同盟国の存在はその鮮やかすぎる外交手腕と共に日本国内でも警戒心を呼び起こし、列強たる日本がイギリスに外交的主導権を握られていると感じる
日本国内の勢力は夢幻会を『対英追従』と攻撃し、日英協調による日本の勢力安定を求める勢力は国際連盟設立など夢幻会が行おうとする日本の独自外交を『反英孤立』と呼んで非難する。
もちろん夢幻会はイギリスべったりの追従政策を行うつもりも、日英で競争して世界の覇権を争うような意思も無かった。
イギリスとは有力な同盟者として協力できる問題は協力し、多国間での国際関係を強化する事で日本の国益を確保していくという夢幻会の方針は、皮肉な事に200年以上イギリスとの共同歩調を推進してきた夢幻会自身の政策によって日和見主義だと批判され、史実よりも拡大した日本の勢力圏も相まって日本国内における夢幻会の影響力を低下させる事態にまで発展してしまう。
それでも夢幻会は辛うじて国内政治における主導権を確保していたがその代償として外交政策へと関与する余裕を失い、イギリス以外の国との外交関係強化を目的とした国連設立は軸足の欠けたものとなって失敗する。
結局日本の外交方針は日英同盟を主軸とした独自外交の追求という中途半端な物に終始せざるを得ず、そしてイギリスの影を引きずった日本の外交は欧州の警戒心によって鈍化していく。
この状態を誰よりも喜んだのは日本国内の親英派日本人ではなく、同盟者であるイギリスだった。
友好的な近代列強である大日本帝国は大英帝国にとって最重要の同盟国であり、その同盟国が他国の影響を受ける事無く日英同盟を中心にした外交政策を取り続けるという事はイギリスの覇権を維持する上で大いに満足出来る要素であったからだ。
イギリスはロシア内戦に干渉してシベリア連合の成立を日英共同で支援し、その後東欧で発生したポーランド・ソビエト戦争にはドイツの復興遅延を狙って意図的に干渉せず、トロツキーが提案したウクライナ・ベラルーシの分割を容認してドイツの視線を東欧に向けさせる。
さらに独仏対立が激化して欧州列強が自国周辺に釘付けになると、大英帝国はオスマン=トルコ帝国へと介入を開始。
日本を誘ってトルコの近代化に協力すると共にアラビア半島全域をオスマン=トルコへと併合し、1925年には満州と同じようにアラビア鉄道株式会社を設立する事で己の勢力圏に組み込んでしまう。
『世界の管理者(ワールドオーダー)』
没落無き世界帝国の国力に裏打ちされたイギリスの自信は日英同盟を通じて大日本帝国を、そして列強各国を大いに振り回していく事になる。
396 :百年戦争:2016/11/06(日) 22:35:46
以上で投下終了です
wiki転載はOKです
最終更新:2016年11月07日 11:35