318 :ヒナヒナ:2012/01/07(土) 00:17:19
今さらだが続きが読みたかったら、自分で書けばいいじゃない。


ジパング(笑)にお客さんが来ました」勝手に3次

――西暦1943(昭和18)年3月19日 横須賀港


「草加中佐。今なんて?」
「ええ、ですから冬のコミケが無事に終わったので、直に夏コミの準備が始まります。
夏に向けて運営補助の人員を確保願いたいのです。」
「コミケ? 人員確保? 何の話だね。」

副長の角松二佐が聞き返すと、草加中佐は律儀に先ほどと同じことを繰り返す。
梅津艦長はそれに対して、自分の知らない単語を鸚鵡返しに聞き返す。
大日本帝国一の軍港、横須賀港に停泊しているイージス護衛艦「みらい」の艦橋では、
そんな会話が繰り広げられていた。
その後ろでは米倉一尉がむせ返っている他、微妙な顔をした者がちらほら見える。

「梅津艦長、それはコミックマーケットのことではないかと……。」

後ろから自信なさげに米倉一尉が助け舟を出す。
こうして爆弾の種がばら撒かれることになった。




「おのれ、草加中佐も余計なことを。」
「これは、私の責任もあるのだろうか……
しかし、そこまでして萌に賭けるとは良い心がけだ。」
「殿下も褒めんで下さい。彼らを何とか隔離して誤魔化してきたが、
コミケに行ったら、ハ○ヒ本とかゼ○魔本とか、色々ヤバイものが多すぎる。」
「それ以前に彼ら自身が題材になっている腐った作品があった気がするぞ。」


夢幻会の席ではそんな会話が繰り広げられていた。
この春に予定されているハワイ攻略戦に向けて
海軍全体がデスマーチを行っていたのだが、
夏のコミケに向けての運営人員が足りなくなってしまったのだ。
通常ならば、そんなものと一蹴されてしまうはずなのだが、
色々と染まってきている帝国海軍は、忙しいなら規模を縮小して、
予備役など通常外人員を充てて行おう。という
ワケの分からない配慮をして夏コミを実施しようとしていた。
それを聞いた伏見宮がそれなら決行できるなと発言してしまった。
その話が下に伝わった結果、海軍の元帥閣下からの通達という形で、
対米戦に直接関係していない士官らを臨時コミケ担当として充てる事になった。

もちろん、イージス艦「みらい」の特殊性を知っている逆行者からすれば、
「みらい」乗組員など論外なのだが、草加中佐は元帥閣下からの通達ということで、
対米戦に従事していない試験艦乗組員(草加視点)にこの話を持ち込んだのだ。

319 :ヒナヒナ:2012/01/07(土) 00:18:04

既に「みらい」の面々は、自分達の時代の娯楽の一部が存在している事を知っていた。
何故なら、町を歩けば街頭テレビでアニメがやっており、
ラジオでも軍歌やニュースに混じって、学園もののラジオドラマが聞こえたり、
専門書店では明らかに昭和初期の絵柄ではないマンガがあったりと、
完全にカルチャーショックを受けていた。

ちなみに間違って憂鬱日本に来てしまった海上自衛隊イージス艦「みらい」の面々は、
決定的な意思決定を保留しながらも大日本帝国に技術供与という形で、
消極的に協力していた。
(艦自体の積極運用は機密保持の関係で夢幻会側も嫌がった)
史実アニメなどのお礼として(もちろんその事実は伏せられたが)、
特殊試験艦の試験部隊としての仮の役職を与えられ、今のところ大人しかった。
日本自体の戦況がそこまで逼迫していないことや、すでに核を保有していることから、
結論を急がず、現状を見極めようとして情報を集めていた。

(因みに最も「みらい」乗組員を唖然とさせたのは、
移転初期に聞いた、お堅い戦果報告をまとめたラジオニュースで、
大日本帝国軍のあまりのパーフェクトゲームっぷりに、
「これは大本営発表じゃないのか?」と戦果水増し疑った挙句に、
小澤提督があまりにも簡単に事実であると認めたので、
詳細を知らなかった乗組員は噴出した。)

「みらい」乗組員は明治維新ら辺から、あまりにも変わってしまった歴史のため、
文化が加速されて、妙に平成臭のする文化になったのではないかと考えていた。

夢幻会としても核だとか、ハワイ攻略戦準備の情報など、
定期的に彼らが反応する話を持ち込み、情報不足で彼らが暴発するのを防ぎ、
なおかつ、真面目な方向に「みらい」乗組員の興味を引っ張って、
余計なことに首を突っ込まないようにしていた。

320 :名無しさん:2012/01/07(土) 00:18:40
嶋田の疲れたような問いかけが投げかけられる。
ハワイ攻略戦に比べればコミケなどどうでもいいのだが、
対米戦が終わるまでは「みらい」の人員が騒ぐのを押さえたい。
(誰だコミケなんてやりだした奴! って俺が原因だったな……)
そんな事を考えながら大日本帝国の首相は周りに意見を求めた。
そこにめっきり影の薄くなった東条が発言する。

「いっそのこと面倒な人員にコミケの役職を振ってしまったらどうです?」
「そうか、核反対派の主要メンバーをコミケの仕事で拘束するのか。」
「確かに4月の核実験の際に行動に移されるのは辛いな。なるほど、
声を上げるタイミングを逸してしまえば、本人らはともかく周囲は反応しない。」

近衛や杉本が反応した。

「すでに彼らは様々な補給を受けていますし、情報協力も無理強いはしていない。
彼らとしても、我々が戦っている中、何もしていないという負い目があるでしょう。」
「コミケという【平和的】なイベントへの協力を断ることは難しい。
まさに、只ほど高い物は無いということですね。」
「彼らのトップ人員が「みらい」に居なければ、咄嗟の決断は難しい。
戦死したのならともかく不在なだけならば、残された人員も動けなくなる。」

東条の言葉に辻や阿部も徐々にイイ笑顔になってくる。
異論が無くなったのをみとめた嶋田は、仕切りに入った。

「では、「みらい」乗組員の梅津艦長以下核反対派のメイン人員を
コミケ担当として指名し、都内に仕事で拘束する。
その間核の情報には触れられない様、不自然にならない程度に情報をコントロールする。
それでよろしいですね?」

イージス艦一隻程度なら、負けるはずの無い戦力があったが、
核問題で大声を上げて暴れられるよりは、コミケで多少の疑念を持ちながらも、
大人しくしてもらった方が都合良かった。別に夢幻会とて無用に争いたい訳ではない。
この議題は全員賛成で可決された。
(政治思想はともかくとして、梅津艦長らは趣味的にノーマルな人間だからな。
これでコミケの加熱っぷりを少しでも押さえてくれると助かるのだが……)
そんな事を嶋田が考えていたが、それは叶うことの無い夢だった。



その後都内の陸海軍合同文化祭記念会館では、
せめてもの配慮として、企画ではなく事務方に回され書類仕事をする梅津艦長や、
頭が痛くなるような議論に気真面目に参加する角松二佐などが見られた。
各地で冷夏予想される中、1943年お台場の夏は、暑くなる予感が吹き荒れていた。

ちなみに草加はハワイ攻略戦に参加できないのを少し無念に思いながらも、
理想の国に向けて一路進む大日本帝国の未来に希望を抱き、
淡々と「みらい」の監視と連絡役を勤めていた。


(了)

321 :ヒナヒナ:2012/01/07(土) 00:19:48
あ、なんか名無しになっていますが、>>320は私です。


あとがき

このネタはひゅうがさんの「ジパング(笑)にお客さんが来ました」その後の話です。
ひゅうがさんすみません。勝手に続けました。
情報はどの道伝わってしまうので、梅津艦長らと「みらい」乗員には、
時期をずらして、やんわりと核実験のことを伝えます。
そういえば艦長と副長って同時に艦を離れられるのだろうか……

これ書いていて、ジパングを読んで海自に行くと進路を決めてしまった友人Aは、
今ごろどうしているだろうかと急に思い出しました。

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最終更新:2012年01月07日 01:46