365 :名無し:2011/06/23(木) 08:54:36


             ~美の狂人~


 江戸の名残もすっかりと消え失せた街の郊外。鉄の骨身にて聳え立つ巨大な
岩窟の一間にて、奇妙な茶会が行われていた。建設途中であるのか、打ちっぱ
なしのコンクリートの上に、畳を敷いて席を作り、花や書も飾られていなかっ
たが、窓枠も嵌っていない穴の向こうには、月明かりと街の灯が鬩ぎ合う風景
を一望する事が出来た。部屋の中を照らすのは、エミール・ガレのランプ、水
指はバカラのグラス…茶碗こそは、渋い天目茶碗を用いていたが、道具も奇天
烈な趣味であった。茶室も茶道具も風変りで有るが故か、そこに居並ぶ人間た
ちも何とも言えぬ、常人とは違う雰囲気を漂わせていた。上品な仕立ての衣服
を着こなし、涼しげに座っていたが、眼が異質であった。全員が眼の奥に鈍く
滾る、ギラギラとした”欲”を抱えていた。

 「…ようやく、我らが城も完成いたしますな。」

 「まぁ、建物だけでは、意味が有りませんが…そういえば、舟遊びしてはっ
  たみたいですが、何ぞ面白い話は有りましたか?」

 「欧州は、そろそろ難しい事になってきましたな。懐の厳しい貴族を狙って
  買い漁っている奴が居る事に、気付かれたようで…やはり、歴史のある商
  人というのは、手強いですな。」

 「…アメリカの方は、辻さんがえげつない事したお陰で、向うの商人が潰れ
  たりで、探すのに苦労しているとか。」

 「しかしながら、イギリス圏の中近東やインドに出入りできるのは、辻さん
  のお陰ですからなぁ。」

 「しかし、ラスター彩陶を工業製品と交換できるとは思いませんでしたな。」

 「もうちょっと、早くに食い込めたらエジプトからゴッソリと持って来れた
  のですが。」

 「碌でもない事を言いなさんな、祟りが有ったらどないしますねん。」

 「…確かに、笑い飛ばすことは出来ないですな。」

366 :名無し:2011/06/23(木) 08:55:19
 此処に集まっているのは、夢幻会の中でも帝国美術院に名を連ねる人々であっ
た。帝国美術院は、美術に関する諮問・建議機関として大正時代に設立され、初
代院長を森鴎外、二代目は黒田清輝が務め、昭和に入ると、帝国芸術院に名を改
める。功績顕著な芸術家を優遇するための栄誉機関として存在していたが、憂鬱
世界においては、帝国芸術院の設立後も、とある政策の為の非公開機関として存
続した。未来知識を利用し、国外の美術品を極秘裏に収拾するのを目的とする機
関としてだ。昭和の怪人と呼ばれた、辻正信という強力な後ろ盾を手にした彼ら
は、外務省や、帝国情報院、海軍にもパイプを築き、バブルの買い漁りが霞む程
の勢いで、その”方法”を問わずに数多の美術品を集めに集めた。有能ながらも
も欲深い者の多い夢幻会の人間である彼らは、次々と集まってくる、美の銘品に
うっとりしていた彼等であったが、とある問題が発生した。”集めすぎ”たので
ある。美術の収集家の中には、眼垢が付くのを嫌って秘蔵する人間も居れば、税
金対策に秘密にする人間、果ては盗んだが故に秘密にされていたりと、来歴が不
明な物も有ったりするのだが、余りにも来歴不明とするしかない美術品が多すぎ
た。偽装するにも限度があるし、どうした物かと悩んだ夢幻会で有ったが、有効
な方法が思いつかず、とりあえず、寝かせておくことにしたのだが、機密保持と
美術品の品質管理の為の施設が必要であると、帝国美術院側が主張。帝国博物館
の倉庫を拡張して保管すれば良いではないかと言う、意見もあったが、政策の一
環として海外で美術展を積極的に行い、海外の学芸員も出入りしている現状では、
機密保持が難しい等と何やかんやで、秘密倉庫の建設が決定したのだが、ここで
美術院の人間たちは暗躍した。一流の品を置くのには、一流の場所が必要である
と。流石の辻も、倉庫一つの予算にまで眼が行き届かなかったのが災いし、完成
後に上がってきた報告に仰天する事となる。何と、そのお値段、帝国博物館がも
う一軒建つ値段だったのである。会合にて報告を耳にした、辻の様子をT条さん
は語る。

 「あの辻が、マンガみたいに茶を噴出していたんだ。…後にも先にも、あんな
  姿は、始めて見たよ。」

 とにもかくにも、暴走した帝国美術院は、全力を持ってプロジェクトを推し進
めた。建物自体は、郊外に建つ、小さなビルディングで有ったが、その地下は巨
大なミュージアムとなっており、内装も贅の限りを尽くされていた。大理石の床
に、深紅の絨緞。最新式の空調設備に、展示品が痛まないよう、白熱球ではなく
蛍光灯を用いており、更には、盗難を防ぐ為に、国立銀行の金庫よりも分厚い鋼
鉄製の大扉で覆って完成とした。此処まで来れば、ギャグである。画して、ナチ
スもびっくりな、巨大地下ミュージアムの詳細を目の当たりにした、辻の様子を
S田さんは語る。


 「あの辻がフリーザ様みたいに怒っていたんだ。…手を合わせて、念仏を唱え
  てやる以外、何も思いつかなかったよ。」


 この事件が、辻に夢幻会内部の粛清を決意させた一因と言われているが、詳細
は定かでない。

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最終更新:2012年09月01日 19:56