19: 百年戦争 :2017/01/02(月) 20:02:01
1931年9月18日満州王国間島。
未だ夜の明けきらぬ満州の大地を動き回る、武装した一群がいた。
満州朝鮮の国境を流れる豆満江を夜のうちに渡河し間島と呼ばれる地域に侵入したその男達は、多種雑多な銃器で武装した上で己が属する国家の旗を誇らしげに掲げている。
太極八卦図。
日英経営の満州鉄道株式会社によって統治される、朝鮮王国の旗である。
武装した男達は祖国の国境を越えて満州の大地へ、自分達の領土だと思い込んでいる間島へと攻め込もうとしていた。
「さあ、そろそろ出発するぞ! 夜明けとともに間島を制圧する!」
指揮官らしき男が朝鮮語で怒鳴り、武装した男達が気だるげな返答を行いながら立ち上がった瞬間。
「――おやおや、朝早くから精が出る事」
「っ!」
場違いなほど柔らかな、笑いを堪えた女の声が投げかけられる。
「高麗種が一体いつから勤勉になったのやら、一度満鉄に躾け方を聞いてこなくてはいけないな」
「殺せ!」
明らかな嘲りを含んだその声が聞こえた方向へ男達は一斉に武器を向け、照準もそこそこに引き金を――
「私に銃を向けるな、下郎」
鈴振るような声音によって、男達の行動は未遂に終わる。
夜が明ける前の闇を切り裂き、無数の銃弾が男達へ襲い掛かったからだ。
闇の向こうから降り注ぐ火線は正確に男達へと殺到し、領土奪還を求めて満州に侵入した朝鮮人武装集団を短時間のうちに鏖殺する。
「……高麗種が満州へ攻め込もうなど、身の程知らずもいい加減にしてほしいな」
朝日が照らし始めた朝鮮人の骸を眺めやり、満州王国機甲連隊=鉄虎兵の指揮官服に身を包んだその女性は心底呆れたように首を振った。
朝鮮人の違法入植によって開拓された間島地帯は清朝末期からその帰属を巡って揉めていたが、イギリスの暗躍によって満州朝鮮の両王国が成立すると明確に満州王国の領土とされ、そこに住む朝鮮人入植者も正式に満州王国の国民となっていた。
しかし朝鮮王国の国境管理の杜撰さから国境地帯の朝鮮人は両国を不法に往来し、帰属の不明な人間の往来は馬賊匪賊の跳梁に繋がり国境地帯の治安は著しく悪化。
ロシア革命によりソビエト連邦が成立すると満州朝鮮へと浸透した共産主義者達の根城となり、その無法ぶりに拍車をかけていた。
「だからといって、アカを始末すれば自分達の物になると本気で考えるとは」
「まったく、馬鹿げた連中です」
参謀飾緒を付けた鉄虎兵少佐・張学良は己より若い連隊長の呆れに同意しつつ、信管が剥き出しになった爆弾を眺めるように恐る恐る上官の顔へ視線を向ける。
「あの、殿下……どうかこのまま」
ここにお残りください。
そう続けようとした張学良の言葉は、子供の様に無垢な微笑に威圧される。
「い、や、だ」
殿下と呼ばれた女は言葉にされなかった懇願を一言づつ区切りながら拒絶すると、傍らに止められていたMk.Ⅰ戦車の上へ踊るように駆け上がった。
20: 百年戦争 :2017/01/02(月) 20:02:47
「我らが帝国の復活を、後方で見ているだけなど末代までの恥」
すっくと車上に立ち上がった男装の麗人を見た兵士達からどよめきが上がり、目を丸くする兵士達へにこやかに笑いかけ、彼女――愛新覺羅顯シ(あいしんかくら けんし)は昂然と語りかける。
「忠勇なる鉄虎兵諸君!」
舞台俳優顔負けの美貌を誇る連隊長の美声に、満州王国鉄虎兵連隊の兵士達は慌てて背筋を伸ばす。
「たった今、我らの祖国は侵略された。
よりにもって高麗種が、我らの大地を侵したのだ。
……満州王国鉄虎兵! 現代の八旗兵たちよ!
誇り高き諸君らは、高麗種の増長をこのまま許しておくというのか!」
不意に始まった演説に何事かと戸惑う兵士達の間からそれでも「不可!(許せない!)」の声が上がると、鉄虎兵連隊長の肩書を持つ満州王国王女は力強く頷いて図們江=豆満江の向こう側を指差した。
「ならば征こう!
忠義を忘れた高麗種に、誰が主であったか思い出せてやろう!
二度と我らを忘れぬよう、きつく、厳しく躾けてやろう!」
恐ろしいほど良く通る声で告げられた開戦の号令。
鉄虎兵、などと大仰な名前を背負っているが、実態は世界大戦で作られた日英の余剰装備の処分先として、傀儡国家の軍隊には不釣り合いな機甲戦力として編成されているに過ぎない。
飼い主である日英が扱いやすい、いつでも叩き潰せる規模の、象徴として王族を連隊長に戴く、列強の道具でしかない連隊。
それが祖国の為に、王女の指揮の下で、己の誇りによって戦える。
日英と満鉄の思う様に操られ続けてきた満州王国の兵士は『彼らの戦争』の始まりに歓声を爆発させた。
「――鉄虎娘々!」
愛新覺羅顯シ、金璧輝、そして川島芳子。
三つの国の名前を持つこの国の王女に新たな呼び名が生まれた瞬間であった。
「鉄虎娘々! 鉄虎娘々!」
「鉄虎娘々! 鉄虎娘々!」
ひとたび生まれた歓声は瞬く間に連隊全体に感染し、見事過ぎる扇動に張学良がサクラの仕込みを疑うより早く鉄虎兵連隊は戦闘準備を整えていく。
「満州王国万歳!」
「宣統帝陛下万歳!」
「満州八旗に栄光あれ!!」
嬉々とした雄たけびを上げながら国境を越えていく兵士たちの姿を、張学良は頭を抱えて見送る事しか出来なかった。
王族連隊長のお目付け役としてこの連隊の参謀職に就いた筈が、いつの間にか『お目付け役という飾り』になってしまっていた彼に、兵士国民から絶大な人気を誇るお転婆王女の暴走を制止出来る筈がなかったのだ。
「絶対怒られる。輔忱先生(張作相)にも、親父にも……絶対、怒られる」
やっぱり軍人になんかなるんじゃなかった、という奉天軍閥次期首領の嘆きは大地を揺らす兵士たちの歓声に飲み込まれて誰の耳にも入る事はなかった。
21: 百年戦争 :2017/01/02(月) 20:03:28
1931年。日英と米仏ソの対立を主軸として築き上げられた国際情勢は一応の安定をみせていた。
1929年には勢力安定の為に更なる軍縮を求めたドイツ帝国の主催で海軍軍縮会議が開催され、
アメリカとの戦力比を自国優位で固定化したい日英はドイツの提案に全面的に賛同する。
仏ソの国力立て直しという名の経済進出に時間が欲しいアメリカも消極的に賛成し、対立する各国の思惑が奇跡的に合致した事でベルリン海軍軍縮会議は意外なスムーズさで開始された――最初だけは。
お互いの海軍拡大に足枷を嵌めたい日英とアメリカが補助艦艇の排水量上限と保有量制限を提案すると、ローマ海軍軍縮条約後に潜水艦部隊を増強させつつあったドイツと、それに対抗心を燃やすフランスが反発。
さらに地中海において軍拡傾向にあったイタリアも補助艦艇制限の反対に回り、最終的に戦艦の代艦建造艦齢25年への延長と巡洋艦の排水量上限に各国が署名し、補助艦艇の制限部分は日英米のみに採択される。
これによってアメリカは自国海軍もろとも日英の補助艦艇に制限を掛ける事に成功し、フランス海軍との連携を利用して大西洋における戦力的劣勢の改善に成功する。
ベルリン軍縮条約は日英に不満の残る条約となったが、日英両国ともにそれほど不利になったとは考えていなかった。
イギリスの対抗馬であるはずのドイツ帝国も米仏ソが構築した対日英包囲網に巻き込まれて日英寄りの立場で行動せざるを得なくなっており、フランス海軍の牽制を押し付ける事が出来たからだ。
アラビア鉄道株式会社の成立によって日英の勢力圏に組み込まれた中東はオスマン=トルコ帝国の統治下で順調な開発が続けられ、新たな収入源を手に入れた日英の首脳部、特に大日本帝国の国家政策を主導する夢幻会は祖国の平穏に安堵していた。
日英同盟を維持し、現在の状況のまま国力を向上させていけば日本の安定と繁栄は確実だと思われたからだ。
しかしながら、夢幻会に属する人間が抱く一つの不安があった。
1929年10月24日。
ニューヨークの時計の針が10時25分を回ってもゼネラルモーターズの株価が下がらなかったのだ。
アメリカ合衆国は世界大戦に参加しない代わりに欧州への輸出によって製造業への投資を拡大させ、国内のインフラ整備により加速するモータリゼーションの流れから自動車工業を中心に重工業が躍進。
史実では供給過剰に陥ったアメリカの膨大な生産力は、世界大戦の疲労に喘ぐフランスと革命の混乱により全てが足りないソビエトの復興需要を存分に満たし、巨大な消費市場である仏ソへの経済進出に伴う工業製品、農作物輸出の増加は「永遠の繁栄」と呼ばれる未曽有の好景気をアメリカにもたらしていた。
カナダ国境で建設が続けられるダニエル要塞線とアメリカ陸軍の規模拡大は大規模公共事業としてアメリカ資本の活動をさらに活発化させ、仏ソの経済が復調し始めた1927年になるとアメリカ合衆国政府は再び投資先を失い始めた国内資本を生かす為にパナマ運河の拡充工事に着手。
技術的問題からパナマックスの拡大こそ行われなかったものの、既存の運河に並行して新たに閘門式の第二運河を掘削する事で船舶運航量を増大させ、両洋に分散されているアメリカ海軍の有機的運用を目指していく。
こうしたマネーゲームではない実体を伴った経済活動はウォール街の株価だけではなくアメリカの経済全体を堅実に上昇させ、アメリカ合衆国政府は世界恐慌の予兆など微塵も感じさせない国力と仏ソの海外ネットワークを生かして日英同盟の勢力圏に対する浸透を開始。
それは様々な手段でアメリカ国内の南北対立を煽り続ける日英に対する意趣返しであり、北米大陸を包囲する日英に向けたアメリカ合衆国の反撃の始まりでもあった。
手始めにアメリカが第三次太平洋戦争前後に一時期進出していた中華大陸と朝鮮半島が選ばれ、日英に反感を持つ現地勢力を利用した軍事謀略が実行に移される。
22: 百年戦争 :2017/01/02(月) 20:04:18
9月19日満州王国奉天。
「――あの、バカ息子がっ!」
満朝国境から届けられた報告書を机に叩き付け、張作霖は声を大にして自分の息子を罵った。
アメリカの傭兵馬賊として頭角を現し、
第四次太平洋戦争が始まると日本へ転向して権力基盤を確保。イギリスの策謀に加担して満州王国建国の片棒を担ぎ、満州最大の軍事力を背景に権勢を欲しいままにしてきた張作霖にとって、重要な陰謀の引き金を任せた息子の不手際は許しがたいものだった。
「女一人まともに御せんのか! 何のためにアイツを鉄虎兵の参謀にしたと思ってる!」
「まあ、あの王女殿下をあやすのは中々骨が折れる仕事ではあります」
甘やかされて育ったお坊ちゃんでは無理でしょうな、と馬占山は声に出さず呟き、届けられた報告の情報を奉天軍閥指令室の机の上に広げられた戦術地図と照らし合わせていく。
国境を越えた鉄虎兵連隊は弱体以外の何物でもない朝鮮王国軍を蹴散らしながら、無人の野を往くが如く朝鮮縦貫鉄道を利用して一気に南下。
鉄道を運営する満州鉄道は『まるであらかじめ決められていたように』さしたる抵抗も無く満州の軍隊に協力し、愛新覺羅顯シ率いる部隊はその日のうちに朝鮮王国の首都、漢城近郊に到達しようとしていた。
「まさに虎に翼の生えたような進軍速度ですな」
「感心している場合か! 殿下に朝鮮を占領されても我々には何の得も無いんだぞ!」
(だから私はお坊ちゃんに任せるのは不安だと言ったでしょうに……)
経済力を増したアメリカはソビエトを経由してユーラシア大陸を横断し、満州朝鮮に武器を流しこんで反日英勢力の一斉蜂起を画策。
大日本帝国の裏庭を不安定化させる事により日英同盟の動向を拘束、あわよくばその国力を削ぎ落とそうと目論んでいた。
満州鉄道調査部の防諜活動によりアメリカの動向を察知した日英は、米ソの謀略を利用して反抗勢力を炙り出し自国勢力圏の更なる安定に逆用しようと計画する。
その計画において日英の実働戦力として白羽の矢が立ったのが張作霖率いる奉天軍閥であり、謀略のきっかけとして最初の武力衝突を引き起こす部隊に選ばれたのが愛新覺羅顯シの鉄虎兵連隊であった――本来は連隊の参謀に潜り込ませた張学良が指揮を執って朝鮮王国に攻め込むはずだったのだが。
「ひとまず予定を遅らせて殿下を呼び戻しますか?」
殲滅される反日英勢力の利権は報酬として優先的に奉天軍閥が得られる事になっているが、満州王家の人間が朝鮮王国を占領した場合それを報酬として要求するのはいくらなんでも外聞が悪い。
それに戦場で満州王国の名物王女に何かあれば、連隊に参謀を送り込んでいる奉天軍閥全体が非難を免れないだろう。
馬の言葉に張作霖は短く考え込み、躊躇いながらも首を左右に振った。
「駄目だ、もうそんな余裕はない。事はすでに始まっているんだ、少しの遅れも命取りになりかねん……学良の望み通り、医者にしてやるべきだったか」
(それはそれでろくな事にならなかったと思います)
不意に父親の顔になって溜め息を吐いた奉天軍閥首領の言葉に、尊大で詰めの甘い医師の患者になる人間が出なくて良かったと思いつつ、馬占山は兵を率いる為に席を立つ。
「では『予定通り』反乱勢力の制圧に向かいます」
「ああ、『予定通り』に、な」
信頼する配下の言葉に張作霖が鷹揚に頷いた時、すでに事態は彼らの予定には無い動きを見せ始めていた。
23: 百年戦争 :2017/01/02(月) 20:05:04
同日満州王国吉林。
奉天から馬占山が出撃したのと同じ頃、満朝国境に位置する吉林省の奉天軍閥は小さいが深刻な混乱の最中にあった。
「間島捜索一班から四班、共匪を発見できず」
「日領シベリア国境、異常無しとのこと」
「省境を越えた不審な集団の情報はありません」
「ならば共匪どもはどこに消えた!?」
捜索から戻った配下達の報告に、吉林省督軍・張作相は激怒した。
鉄虎兵連隊が満朝国境を越える前から吉林省の奉天軍閥は反日英勢力掃討の為に動きだしていたのだが、張作相が派遣した部隊が間島の共産主義者達の拠点を襲撃すると、そこが既にもぬけの空であった事が発覚する。
襲撃を空振りさせられた張作相は慌てて捜索隊を組織して姿を消した共産主義者達を探させるが、丸一日が経過してもどうしようもない小物犯罪者や不法入国の朝鮮人が見つかるばかりで、肝心の共産主義武装勢力はその移動の痕跡さえも見つける事が出来なかった。
「こんな失態を、雨亭大兄(張作霖)にどう報告しろというのだ……」
がっくりと椅子に座り込み、張作相は自分が果たすべき役目が失敗に終わった事に頭を抱える。
張作相は同郷同姓の縁から張作霖と義兄弟の契りを結び、その卓越した行政手腕で奉天軍閥の要職を務めてきた。
それなのに日本陸軍と満鉄調査部、そして奉天軍閥によって三重に監視されている共産主義者にまんまと逃げられたなどと、馬鹿正直に報告する事も出来ない大失態だ。
しかも彼が教育を任されていた張学良も鉄虎兵連隊の指揮権掌握に失敗して、満州に留め置いて行くはずの王女殿下を朝鮮に進撃させてしまっている。
師弟揃ってのしくじりが奉天軍閥首領の怒りを買う事は間違いなく、息子に甘い張作霖の怒りの矛先が張作相に向けられるであろう事は想像に難くない。
日英の計画に従って共産主義者を討伐するだけという簡単な任務が、盤石だった張作相の足場にヒビを入れようとしている。
「――いいや、まだだ。まだ終わってはおらん」
中華の歴史で権勢を失った者の末路を思い返し、張作相は己の面子の為に躊躇していた方法を選択する。
「急いで満鉄と旅順の日本軍に状況を問い合わせろ! 連中なら共匪の行方を掴んでいるはずだ!」
それは同時に己の失敗を張作霖へ伝える事になるが、もはや面目に拘っている余裕はない。
共産主義者の討伐に失敗したまま今回の陰謀が終わってしまえば張作相はただの無能と断じられるしかないのだ。
初動で無様に躓いていたとしても物事の終わりまでに事態を収拾し、少しでも失態を挽回しておかねば再起する機会さえも与えられないだろう。
満州の支配者たる日本軍と満鉄の能力を信頼して部下を向かわせた張作相は、しかしその要請によって発生した日本軍の混乱を聞いて愕然とする。
米ソ脚本、日英監督、奉天軍閥主演。
満州の大地を舞台に無数の欲望を織り込んで繰り広げられる陰謀劇は、いまだ開幕のベルが鳴らされただけに過ぎなかった。
24: 百年戦争 :2017/01/02(月) 20:06:17
9月20日朝鮮王国漢城。
日英米ソという列強が張り巡らせた謀略の網の上で踊っているのは、奉天軍閥だけではない。
「朝鮮の利益を代弁できない国王を倒せ!」
「日英を追い出し朝鮮の独立を!」
米ソから渡された武器を持ち王宮を目指す朝鮮王国の『愛国者』達もまた、列強主催の謀略劇を彩る出演者の一人であった。
朝鮮王国政府は鉄虎兵連隊の侵攻を前に混乱し、儒教特有の空虚な原則論と両班同士の無意味な責任の押し付け合いで無為に時間を浪費した末、首都に接近されてからようやく鉄虎兵連隊の迎撃に朝鮮王国軍を出撃させる。
しかし経済上の理由から小火器以上の武器を持っていない朝鮮王国軍に、旧式とはいえ戦車を装備した満州王国の機甲連隊を止められるはずもなく呆気なく敗退。
そして出兵の混乱と敗走の間隙を突いて「朝鮮革命軍」を名乗る武装集団が漢城各所で蜂起。
敗北後もなんとか鉄虎兵連隊に対する防衛線を張ろうとしていた朝鮮王国軍の拠点に襲撃を掛けると共に、漢城の住民を扇動して暴動を引き起こし王政打破を叫びながら景福宮に向けて進軍を開始する。
首都に敵が迫る状態で発生した暴動に朝鮮王国政府は当然鎮圧へと動くが、鉄虎兵連隊に怯えた一部兵士が造反して略奪に走り、漢城の混乱はその度合いを深めるばかりであった。
「現実の見えない馬鹿どもが!」
朝鮮王国近衛隊士官・洪思翊少佐は瓦礫を積み上げてバリケードにした光化門で指揮を執りながら、ちり紙より軽い米ソの甘言に踊らされて景福宮へと攻め寄せてきた暴徒達を罵倒する。
第四次太平洋戦争により中華から満州と朝鮮半島を切り離した日英は満州鉄道株式会社を設立。
いささか時代錯誤な植民地会社は事実上の植民地統治機構として瞬く間にその規模を拡大し、鉄道網による物流を手始めに、金融から製造、炭鉱といった資源開発に至るまで中華大陸東北部のあらゆる経済活動を掌握していく。
こうした満鉄の経済支配は、満州王国建国後に清朝の宮廷資産や奉天軍閥の資金が流れ込み一応の民族資本の形成に成功した満州よりも、王族から民間に至るまで一様に民族資本が貧弱すぎた朝鮮半島においてより徹底される事になり、朝鮮王国は日英の植民地や保護国というよりも満鉄が経営する一部門の様相を呈し始める。
両班を利用する形で朝鮮の古臭い中世的身分制度は満鉄の支配に有利なように再構築され、元々あった半島の地方対立と階級対立を煽り立てて近代国家としての団結を阻害。
イギリス式の分断統治が日本型の官僚制度により運営される事で、満鉄による朝鮮半島支配は帝国主義的植民地統治の究極形として完成し、大蔵省の魔王をして「国民総社畜の企業管理国家ってどこのディストピアです?」と呆れの声を上げさせるほど完全な統治体制を構築していた。
25: 百年戦争 :2017/01/02(月) 20:07:01
飢餓は発生しない。
平均寿命も延びている。
働き口はいくらでもある。
財政、行政から政策に至るまで、満鉄によって完全に管理された朝鮮半島では何一つ命に係わる問題は起こらない。
――ただしそこに住む人間がその現状から充実感や達成感を得られるかは別の問題であった。
数少ない朝鮮半島の知識人が「史上最悪の植民地支配」と嘆いたのはある意味で完全に正しい。
帝国主義の列強が利益を得る為に構築したシステムの中に、『現地住民の幸福の追求』などという非営利的な要素が含まれているはずがないのだから。
朝鮮王国の住民は満鉄が管理する社会制度の中で、満鉄が設定した賃金を受け取って満鉄の利益を作り出し、日英の利益を阻害しない程度の自由を与えられて生きるだけの存在に過ぎなかった。
「朝鮮がいくら暴れても、日英が出ていく筈がないではないか……」
イギリスの策謀によって建国された傀儡国家など、金の卵を産むガチョウを飼育する為の敷き藁に過ぎない。
朝鮮王国とは満鉄というガチョウが快適に卵を産み落とす為の巣材でしかないのだ。
汚れて使えなくなれば取り換えられ、新しい藁が敷き詰められて終わりだ。
そもそも鉄道から港湾に至るまで満鉄が完全に物流を支配している朝鮮半島で、反日英の武装暴動が起こせる時点でおかしい。
漢城に駐留する日本軍が日英の領事館を始めとした利権施設の防備を固めるだけで積極的に混乱の収拾に乗り出そうとはせず、満鉄が鉄虎兵連隊の行動を阻止する事無く協力している時点で、暴徒達の行動は日英の想定内なのだと何故気づかないのか。
祖国の現状を再認識して暗鬱たる気持ちに囚われていた洪の下に、補給を取りに行かせていた部下が能面のような表情で戻ってくる。
「……ただいま戻りました、少佐」
「何があった?」
銃弾でも横流しされていたのか、
生気を感じさせない部下の顔にまたろくでもない事が起こっていると予感しつつ尋ねると、洪の予想通りにろくでもない――そして洪の想像の斜め上の事態が報告される。
「政府が……鉄虎兵連隊に、暴徒の鎮圧を依頼すると」
震える声で告げられた部下の言葉の意味を洪の頭脳が理解出来るのに、たっぷりと二呼吸分の時間が必要だった。
「――侵攻してきた軍隊に首都の治安維持を要請するだとっ!?」
それでは無条件降伏だ、という叫びを洪は辛うじて口中に押し留める。
例えそれが紛れもない事実だとしても、口してしまえばもう二度と立ち上がれないような気がしたからだ。
崩れ落ちそうになる身体を、指揮机に手を突いて必死に支える。
日英の植民地会社である満鉄に支配される満州王国に屈服した国。
「ウリナラの独立は……一体、いつになるというのだ」
怒りに震える洪思翊の呻きには、短絡的というにはあまりにも愚かな朝鮮民族への絶望が滲み始めていた。
26: 百年戦争 :2017/01/02(月) 20:09:32
投下は以上になります
wiki転載などOKです
早めに続きをお届けしたいと思います
今年もよろしくお願いいたします
最終更新:2017年02月09日 20:15