362: yukikaze :2017/01/22(日) 13:08:46
何とか書けたので投下。今回のお題は『密談』かな。
西郷吉之助にとって、現在の状況は、物事に動じない彼ですら驚きの連続であった。
彼は、主君斉彬の使いで、江戸の豊臣藩邸に赴いたのだが、彼の前に現れた用人は「殿がお会いになるそうです」と、何でもない事のように告げると、西郷の返答も待たずに、さっさと彼を、奥の間へと案内したのである。
せいぜい会えても江戸家老であろうと予想していた西郷にとっては、望外の展開であったのだが、更に驚いたのは、奥の間では、豊臣家の当主が端然とした佇まいで彼の到着を待っていたのである。
西郷にしてみたら「豊臣家は、家の祖である豊国大明神以降、人を驚かすのが好きな家というのは本当なのだなあ」と、妙な所で関心もしていた。
「初めて御意を得ます。某、島津左中将の使いにして、西郷吉之助と申すものでございます。この度は、拝謁の栄誉を賜り恐悦至極に存じ上げ奉ります」
「丁寧な挨拶痛み入る。越後中納言豊臣慶秀である」
これは・・・と、西郷は心中唸った。
未だ20を少し過ぎた年齢であるが、その声には気負いもなければ名門を鼻にかけるような傲慢さもない。恐ろしいまでの自然体である。
そしてよくよく注意すれば、その声からにじみ出ているのは、他者を自然と平伏させかねない「威」である。成程、豊臣家中で「右府様(秀頼の事)の生まれ変わり」と、言われるのも無理はない。
西郷自身は、主君の斉彬こそが日本一の英明な殿様であると固く信じて疑っていないが、この殿様も英傑であることは認めざるを得なかった。
「余計な修辞は無用。単刀直入に話すがよい」
穏やかな口調ではあるが、そこには一切反論を許さぬ何かがあった。
無論、西郷にとっても渡りに船であった。
「我が主君の口上を申し上げます。一橋卿擁立の為に豊臣家の力をお貸し願いたい。具体的には朝廷の勅許をいただくよう工作して欲しいとのこと」
そう言って西郷は深々と頭を下げた。
『朝廷による介入』
これこそが斉彬と越前松平家、黒田家の当主たちが考えた起死回生の一手であった。
阿部の急死により、南紀派の井伊が大老になった以上、次の将軍家当主が紀州の慶福になる可能性が極めて高くなった以上、一橋派に残された手段はこれしかなかった。
363: yukikaze :2017/01/22(日) 13:10:38
もっとも・・・と、西郷は思う。
正直な話、西郷は、かつては水戸藩を尊敬していたものの、現在においてはその尊崇の念も薄れていたのも事実であった。
過去の軋轢を無視せよとは思わないものの、本来ならばさっさと豊臣家を味方につけておけばここまで事態が悪化することはなかったのだ。
それをやれ「豊臣家は徳川に叛意を抱いており、彼らを味方につけるのは南紀派を勢いづけるだけ」だの「そもそも豊臣の力を借りるまでもなく、慶喜は正統な後継者」だの、ああだこうだと理屈をつけてはごねるばかり。
この前の地震で、藤田先生や戸田先生が死んでからは、その傾向が更に酷くなっているのである。
その結果が現状なのだが、それにも関わらず、様々な理屈をつけては現実から目をそむけようとしている辺り、西郷ならずとも嫌気がさすというものである。
「朝廷の介入か。それは島津候のお考えか?」
「御意。それに越前候と黒田候も」
諸侯の総意であることを強調した西郷であったが、彼の狙いは大きく外れることになる。
「愚かな。賢公と呼ばれる面々がそろいもそろって何をしているのやら」
失望の色を隠そうともせずに溜息をつく慶秀。
流石に主君を馬鹿扱いされたことにむっとして、思わず顔を上げる西郷であったが、慶秀の顔には、「お前たちは何をやっているんだ」という想いがありありと出ていた。
「朝廷を使うといったな。まずそれが愚策中の愚策よ」
「恐れながら申し上げます。朝廷の意向を無視することは即ち逆賊ではありませぬか」
「成程。では問おう。南紀派が朝廷に工作をして、紀州の慶福殿こそ後継者と勅許を出したらどうするつもりじゃ。そなたらは従うのか、無視するのか?」
「いえ。ですからそうならぬように・・・」
「余は従うか否かと問うているのじゃ。それ以外の回答は許さぬ。それともそなたも、都合の悪い未来を考えないようにする男か?」
流石に西郷もそこまで言われれば答えざるを得なかった。
「無視いたしまする。それは朝廷の本意ではない故に」
「つまりそなたらは、自分達に都合の良い意向以外、朝廷の意向には従わぬという事か。朝廷も随分と軽んじられたもの。それこそ逆賊ではないか」
西郷は臍をかんでいた。慶秀を説得するどころか、逆に見限られる因を生み出したのである。
自分自身が責任を取って腹を切るのは構わないが、このまま斉彬を苦境に立たせるわけにはいかなかった。
「恐れながら越後中納言様に申しあげます。今、日本国は未曽有の国難に直面しております。
この事態に対応できるのは一橋卿以外おられぬというのが我が主君の想い。何卒、主君の為にお力をお貸しくだされ」
それこそ畳を突き破るかのような勢いで叩頭をする西郷。
「西郷・・・そなた、島津候が好きか」
「はい」
間髪を入れずに、西郷は答える。言うまでもないことだ。下級武士の自分を引き立て、師父の如く教え導いてくれるあの主君の為ならば、命なんぞ幾らでも捨てる覚悟である。
「島津候は良い家来を持った。流石は本朝でも随一の名君よ」
そういう慶秀の言葉には、先程とは打って変わって温かみがあった。
「そなたの忠義に免じ、これより我が意を伝えよう。最後まで聞いて後、分からぬところがあったら質問せよ。主君に間違いなく答えられる為にな」
「ありがたき幸せ」
西郷は居住まいを正し、一言一句違えずに聞こうと集中する。
まずは越後中納言の意向を知らねばならないからだ。
「西国諸藩はこれより将軍継嗣問題から手を引き、領内の近代化に全力を尽くされよ。慶喜如きを擁立しても何もならぬ。馬鹿を見るだけじゃ」
西郷は、肩をぴくっと震わせたが、先程の言葉もあって無言で聞き入れている。
「慶喜は小才子。あれが英傑ならば、既に西国諸藩と親しく交わり、これ以降の政権運営について協議を終わらせねばならぬ。だが奴はそれをせぬ。なぜならば、自分が諸侯に擁立されれば自らが諸侯の傀儡になると考え、それを嫌うが故。その程度の男に何の大事がなせようか」
それに何より・・・と、慶秀は言葉を続ける。
「水戸は既に朝廷に勅許について働きかけをしている。そして彦根もそれに気づいて、関白を通じて妨害工作をしている。そのことを西国の諸侯に伝えておるか? 伝えておるまい。
つまり、島津候たちは水戸から良いように使われているにすぎぬ」
364: yukikaze :2017/01/22(日) 13:11:41
その言葉に、西郷は愕然とした表情を浮かべる。
漸く彼は水戸があの手この手の理屈を並び立てていた真意に気付いたのである。
彼らは「朝廷の介入」というカードを自ら振うことによって、西国諸藩の力を借りずとも状況を動かせることに気づいており、そのことを西国諸藩に悟られぬために、わざと頑迷な態度を取り続けたということを。
更に彦根はそんな水戸の思惑に気付いて、手を打っているということを。
「わかるか? この戦、豊臣が出馬しても既に時機を逸しておる。他でもない、斉昭の阿呆の読みの甘さと、慶喜の近視眼によってな。そんな負け戦に、島津候や黒田候を巻き添えにさせるわけにはいかぬ。それこそ日本国の損失よ」
そして慶秀は、ある意味この国の歴史を決定づける言葉を吐く。
「これより後10年。これが勝負所じゃ。この間に大名諸侯がどれだけ藩内を改革し、統一した近代国家を形成できるだけの力を蓄えることができるか。そして力をつけた大名諸侯が一致団結できるか。
日本国が近代国家として欧米列強と渡り合えるか、あるいは清国のように食いつぶされるか、この10年で決まるであろうな」
そこまで言って、慶秀は口を閉ざす。
しばらくの沈黙ののち、西郷は恐る恐る質問をする。
「越後中納言様は、西国雄藩と豊臣家による討幕を考えられておられますのか?」
「最悪の場合はな。幕府がその力を近代国家の形成に持っていくのならば、助力を惜しまぬが、自らの体制維持にしか振るわぬのならば命数は尽きたと考える。少なくとも慶喜では近代国家への脱皮は出来ぬ」
その顔や声には、綱吉以来、豊臣家が徳川に抱いていた怒りや恨みの感情などは一切見られなかった。
恐ろしいほどまでに現実を見据えている政治家の顔であった。
「仮に討幕をした後、この国をどうなさるおつもりですか?」
「新たなる政府ができる。帝に土地と民をお返しし、藩を解体し新たな地方行政単位に再編。国の基である憲法を定め、藩ではなく日本国政府に所属する軍を作り、中央集権国家に生まれ変わることになる。なお、その政府の構成員は、旧幕府の者であろうが、西国雄藩であろうが関係ない。あくまで適材適所で決めねばならぬ。
首班も、慶福殿であろうが、島津候であろうが、あるいは西郷、そなたであろうと構わぬ。必要なのは、この国の進む道が見え、かつ道筋を作るだけの器量を持つ者が首班に立つことよ」
今度こそ西郷は絶句していた。
彼も斉彬も、あくまで「幕府はこれからも存続する」という前提条件のもとで行動していたが、この豊臣の当主は「幕府を滅ぼす」ことも考えて行動しているのである。
しかもそれは徳川への恨みからくる叛意だとかそんなちゃちなものではない。
徹頭徹尾「この国を近代国家とする上において何が必要か」で行動しているのである。
そしてこの男の凄味は、仮に「近代国家形成に不要」と判断すれば、島津家であろうと自家であろうと、躊躇なく不要と言い切れるだけの覚悟を持っている事であろう。
土地と民と軍を帝に返す―それは明らかに、藩主としての力の源泉を捨てると言っているのだ。
しかもその見返りに政府首班を望むことなど一切口にはしていない。
(化物だ・・・この男は)
西郷は、内心の震えを抑えるのに必死であった。
水戸の老公も、越前候も、この男と比較すれば洟垂れ小僧程度の存在でしかなかった。
我が主君ですら、この男と渡り合うには相当の苦労をする事であろう。
この男にとっては、水戸と彦根の争いなど、児戯にも等しい愚行にしか見えない訳だ。
「恐れながら・・・越後中納言様にお願いがございます」
「何か?」
「我が主君とお会いする機会をいただけませぬか。越後中納言様の御言葉は、我が主君が直接聞くこそが、もっとも良いのではと考えます。恥ずかしながら、今某が越後中納言様に受けた衝撃をそのまま主君に伝えた場合、主君の判断に影響を及ぼしてはなりませぬゆえに」
「成程。そなたの意見にも一理あるな」
慶秀は、「しばし待て」と言うと、紙に筆を走らせる。
「島津候に渡すがよい。忍びで薩摩藩邸に出向く故、そう心得よ。お会いするは島津候のみ。もっとも、島津候が望めば、黒田候までは許すとな」
「御意」
そう言うと、西郷は、慶秀から手渡された手紙を大事に懐に入れると、深々と一礼をして席を立った。
365: yukikaze :2017/01/22(日) 13:12:14
「さて・・・この布石がどう生きてくるか」
立ち去る西郷の足音を聞きながら、慶秀はひとりごちた。
水戸と彦根の内輪もめは最小限の影響に留めなければならなかった。
だからこそ、幕府で外交交渉を担当している水野忠徳や松平忠固に対しても「一橋派とも南紀派とも距離を置け。政治抗争に巻き込まれそうになったら、上手く躱せ。バカどもに足を引っ張られたら元も子もない」と忠告をしたりもしているのだが・・・
「井伊のバカと越前・一橋の小物のせいで、幕府の開明的な官僚層が打撃を受けるのが史実だ。何とか救えるだけでも救わないとな」
やれやれ、と、呟きながら、慶秀はこれからの事を考察していく。
安政の大獄と、それに伴う血で血を争う抗争は避けられない以上、どれだけの人材を救うかということを。
これより1月後。薩摩藩においてある決定が下されることになった。
「西欧と付き合うにしろ対抗するにしろ、彼らを知らねば何もできぬ。よって留学生を送りたい」と、幕府に要請。
島津と黒田が一橋派とは手をきるという政治的勝利に満足した井伊直弼は、気に食わない存在となっていた松平忠固を厄介払いするために、「西欧の事柄を学んでくるように。なお、幕命あるまで帰国せずともよい」と、留学団団長に任命し事実上の放逐を決定した後で、薩摩藩の要請を受理している。
この時、薩摩藩から西郷吉之助を筆頭に、五代友厚や寺島宗則、海江田信義、伊地知正治、吉井友実らが参加したのだが、他にも黒田家からは月形洗蔵が入るなどしている。なお変わった所では、船医として入り込んだ橋本左内や、忠固の黙認の元、水夫として入り込めた吉田松陰など、史実だと安政の大獄で失われる人材がそれなりに入り込むことになる。
そして彼らの多くは、明治維新の際に、大きくその能力を羽ばたかせることになる。
368: yukikaze :2017/01/22(日) 13:29:55
投下終了。
史実と違い、西国雄藩はさっさと一橋から手を切ることにより、西国雄藩が安政の大獄で打撃を受ける危険性が大きく減ることになりました。
勿論一橋派はこの変節を怒りますが、水戸の行動を突きつけられた瞬間終了という有様です。
これにより、安政の大獄の範囲は大きく減少することになります。
井伊にしてみても、見限られた一橋と水戸の周辺を叩けばいいだけの話であり政治的に屈服したとみられる西国雄藩など眼中にもなくなりますし。
なお、橋本や松陰が事実上の留学生として海外に行ったことで、有為な人材確保もさることながら、長州藩の松下村塾の過激派面子の暴走がかなり抑えられることになります。
何しろ師匠は死んでいませんし、更に言えば桂や高杉と言った、理念と現実の折り合いをつけられる面子が、松陰の手紙(「海外の実力は想像以上である。今は国力を蓄え、臥薪嘗胆して、海外に付け入られぬように体制を整えることこそ先決」という内容)を使って、無茶な攘夷運動に走ることを戒めてもいます。
まあ・・・暴走する面子が出るのは仕方ないのですが・・・
ちなみに西郷も留学していますが、これは斉彬が幕府から目をつけられている西郷を未然に助けることと、海外に行かせて、海外の行政を学ばせる機会を与えることでした。
事実、彼は数年間、英国で行政学と実地を学び、明治政府で大久保とともに行政機構を整えることに力を費やすことになります。
最終更新:2017年02月10日 19:56