412: yukikaze :2017/01/22(日) 20:12:10
時代はサクサク進みます。今回の題名は『現状』でしょうかねえ。
1860年。越後長岡城。
城内の奥まった一室で、いつもの面々がいつものように悪巧みをしていた。
「史実よりは・・・まあマシなのかねえ」
「マシでしょうよ。少なくとも不平等条約回避できたのは上出来です」
「まあ貿易港では国際法に基づいての処罰しているし、関税自主権もペリーのやらかしに、
アメリカが国際的に謝罪した事と、通商関係結ぶための妥協策として認められていますから。もっとも、英国なんかは「保護貿易にするのはどうよ」とあの手この手で緩和を狙っていますが」
「流石腹黒紳士。そういや鉄道の敷設権をしきりに幕府に求めていたな」
「ええ。インドでやっていた手ですよ。何とも有難いことに、各藩の意見がバラバラになったので、英国が望んでいた『新橋―横浜』間の鉄道建設は完全に暗礁に乗り上げていますが」
その言葉に、部屋の全員がほっと一息をつく。
幕府の段取りの悪さにはいらいらすることも多いが、こういう時には本気で頼りにはなる。
もっとも、弊害の方が多いのは事実ではあるが。
「ただし、気を付けなければいけないのはフランスです。彼らは、英国の敷設権が難航していることを横目にしながら、北海府での敷設権を得ることに全力を挙げています。しかもこの働きかけに一橋が食いつこうとしていまして」
「またあいつかよ・・・本気で碌なことしねえな」
「越前もなんでまたあんなのを引き込んだのやら。安政の大獄で痛い目見ただろうが」
井伊が桜田門外で横死したことを受けて、挙国一致を掲げるのは構わんが、自己の権力確保の為に余計なことをしては場をかき回すことしかできない小才子を政権に入れた所で、碌なことにはならんというのが、ここにいる全員の心境であった。
「仕方ありません。井伊の安政の大獄は、流石にやりすぎでしたし」
「井伊のバカが。自己の権力確保のためとはいえ、少しは考えて行動すればよいものを」
井伊による安政の大獄は、西国雄藩にとっては被害は殆ど少なかったと言えるが、水戸藩やそこから抜けられなかった面子、そして水戸学に被れ、水戸家に煽られまくっていた浪士連中にとっては、史実以上に大打撃を受けたといえる。
何しろ斉昭だけでなく、尾張慶勝や一橋慶喜なども隠居永蟄居と罪人扱いされ、一橋や水戸藩の家老が切腹。
上級の公家は悉くが良くて免官、悪ければ永蟄居。中~下級の公家も遠島や斬首されるものが出るなど、苛烈極まりない処置であった。勿論、浪士連中が辿った運命については言うまでもないであろう。
当然こうした行動は、井伊に対する憎悪を滾らせ、1858年に起きた桜田門外の変で、井伊は殺され、その後政権に復帰した斉昭の苛烈な報復合戦で、井伊家やその与党は軒並み減封や改易処分を受け、その視線が自分達を裏切った西国雄藩に向かおうとした矢先に、急死して終わるという陰惨な状況であった。
結果的に、報復合戦に疲れた双方の妥協として、徳川親藩で開明的かつ穏健派の松平春嶽が政権を運営することで、どうにか収まろうとしていたのが現状である。
413: yukikaze :2017/01/22(日) 20:13:04
「まあ幕府は何とかなるにしても、今度は長州と浪士どもの跳ね返り連中か」
「井伊の一件が影響して、尊皇派が騒ぎに騒いでいますからね。全く連中は何を考えているのやら」
「何も考えていないだろ。あの手の強硬派連中は、大抵が自分に酔っているだけだ」
部屋の中の一人が吐き捨てるように言う。
実の所、豊臣家中にもその手の連中が出始めてきており、それらの対策に頭を悩ませているのが実情である。
「まあ史実と違い、インフレも物資の極端な品薄もないので、攘夷運動が広範になっていないのが救いか」
「逆を言えば、強硬派がさらに先鋭化するということだ。領事館焼き討ち位は平然とやりかねんぞ」
あいつらは無駄に行動力だけはあるからなと、溜息をつきながら、治安担当者が指摘する。
高杉晋作などは、上海の状況を見てなお、無謀な行動を平然とやってのけた男である。
その後に国家がどのような目に合うかなど本気で考えていたかどうか。
「長州については要重要だな。三条実美や岩倉具視と組んで何を企むかわからん。長井の航海遠略策を素直に採用しておけばいいものを」
水戸よりはまだマシとはいえ、思想ありきで行動し、手段や結果を後回しにしがちな長州の性癖は、豊臣にとっては頭が痛いものではあったが、仮にこちらが諌めても聞く可能性はないどころか、逆に「豊臣家こそ尊王攘夷に立て」と、人に責任押し付ける連中である。
はっきり言って「痛い目見て目を覚ますまで相手にするな」が上層部の意見の総意であった。
「藩の若手連中にもきつく言っておきましょう。不用意に交際をするなと。今は藩の富国強兵、殖産興業こそが『大攘夷』を行う上での最優先であり、それに邁進せよと。それでも長州と組んで憂国の志士気取りをする連中については・・・」
言うまでもなかった。思想重視で現実から目を背けるような愚か者は豊臣家には不必要であった。
無論、史実幕末での情け容赦ない弾圧をするつもりはないが、少なくとも世間的に「憂国の士」扱いされるようなへまをするつもりはなかった。
「よし。長州対策はこれでいい。西国雄藩はどうだ?」
「島津は完全に近代化に軌道が乗っています。斉彬の補佐を久光が完璧に行っているのが大きいです。
お蔭で当人の健康状態も良く、息子の哲丸も壮健である為に、お家争いが出る可能性もありません」
「鍋島は史実通りに動きそうです。黒田は藩主が佐幕ではありますが、尊皇派でも穏健派の加藤図書
ですので、史実程の混乱はなさそうです。また、島津よりは幾分遅れていますが、八幡に反射炉を築き
製鉄に力を入れています」
「土佐は厳しいです。井伊のお蔭で山内容堂が失脚したことが祟って、藩内が尊皇派に牛耳られています。
土佐勤皇党が事実上藩政を掌握し、今や容堂の言葉すら聞かない状態です」
「宇和島は、こちらと仙台の本家の働き掛けで、緩やかですが富国強兵策を推進しています。藩主が手綱を握っており、土佐や長州のような暴走は起きないかと」
各人の報告に、担当の者は地図に詳細に内容を書いていく。
宇和島がまともである為に、長州と土佐の連携が困難であるというのはやはり大きかった。
「よし。では東国についてだ」
「前田はこちらに対して好意的中立です。技術指導や軍事指導等についても秘密裏に接触しています」
「仙台の伊達もこちらよりです。北海府については、こちらと歩調を合わせると」
「秋田の佐竹、米沢の上杉、盛岡の南部、それに津軽も北海府の取り扱いについては、こちらと歩調をあわせるとしています。彼らにとっても、北海府との交易事業は藩財政に影響を及ぼすものですので北海府の経営に口出しをしようとする一橋のやり方には不安を抱いています」
「奥州の有力諸侯は、会津と庄内を除いてはこちらよりか。一橋が北海府の交易を統制して利益を上げようとスケベ根性出したのがよほど腹が立ったと言える」
まあ武力に関して言えば、伊達以外はそれほど戦力になるとは思えないが、それでも北海府と江戸との間の寄港地が塞がるというのは悪い話ではなかった。
強力な幕府海軍が、幕府首脳部を引き連れて北海府に籠るという最悪の選択肢が潰れるからだ。
「最後に北海府はどうだ?」
「中央のいざこざにうんざりしているようです。仮にロシアが攻めて来た時に動くのかと。流石に徳川への忠誠には揺るぎがないようですが、土着の御家人層は、自分達が開墾した土地への愛着が強いですのでこの点を突けば・・・」
「幕府軍も動きは取れないか」
ここまで来れば、問題は関東の幕府軍であろう。
こいつらが控えている限りはこちらも迂闊な動きは出来ないが、逆を言えば彼らが幕府の虎の子である。
それを理解していれば、彼らはおいそれとは動けない。
まあ史実の第二次長州征伐や鳥羽伏見のように、慶喜が馬鹿をやらかす可能性は極めて高いが、それならそれで問題はない。それだけの準備もしている。
414: yukikaze :2017/01/22(日) 20:13:36
「取りあえずはこんなところか」
「まずは家茂の上洛か。アホなことさせやがって」
「どうせまた攘夷運動とか突きつけられてにっちもさっちもいかなくなるものを」
「殿様と島津候も苦労するだろうなあ。馬鹿のお守に」
「三条にしろ岩倉にしろ、史実よりも技術力でそれ程差がないから、更に強気になっているしなあ。
そのくせ責任は、あの馬鹿と同様押し付けてくるし」
この一か月後、朝廷からの攘夷の催促に「祖法に基づきま~す」と、その場限りの発言をした慶喜に、豊臣慶秀と島津斉彬が満座で「馬鹿が。できもしないことを約束するな」と激怒。
思わぬ一喝に狼狽する慶喜を尻目に、2人は「推古朝の頃より我が国は異国と対等に付き合っておりこれ以降もその姿勢は変わっておりません。異国が武力を以て我が国を征服しようというのなれば、我らは存分に戦いますが、向こうが和親を求め、親しく付き合おうとするのに、異人であるからといって、排斥しようとするのは、我が国の鼎の軽重が問われます」と、家茂を通じて上奏。
さしもの外国人嫌いの孝明天皇も「それはそれで一理がある」と認め、攘夷の流れは潰されたものの、満座で恥をかかされた一橋慶喜は、豊臣と島津への恨みを募らせ、尊王攘夷の梯子を外された長州は巻き返しを図るべく京都への暗躍を強めることを決定する。
史実よりも4年も早く、京の都が騒乱に巻き込まれようとしていた。
415: yukikaze :2017/01/22(日) 20:23:16
これにて更新終了。幕末の政治勢力がどうなっているかという纏め回ですかね。
見ればわかりますが、史実よりもヤバい状況なのが土佐藩。
何しろ史実では八月十八日の政変で長州藩が追い落とされるまで、土佐は土佐勤皇党が掌握しており、そしてこの世界では、まだ長州の勢力が朝廷に残っていますので、土佐が暴発する可能性が出てきています。
幕府のgdgdですが、これ実のところ史実でも似たようなものでして、特に慶喜のその場限りの行動や責任逃れは、幕末での政治情勢に碌な事をしていないとしか。
木戸が「家康の再来」と評価していますが、この人が本当の意味で首尾一貫したのは、蛤御門の変の時だけなんですよねえ。
今回の一件で、豊臣と島津は意図的に幕府の決定機構から外されましたが、こうした事態は、長州の暴発がやりやすくなったことと、有力諸藩からの呆れを誘発させることになります。
少なくとも、今回の一件で、宇和島や黒田と言った佐幕派の当主も、慶喜に対して匙を投げることになるかと。
最終更新:2017年02月10日 20:02