609: 弥次郎@外部 :2017/02/28(火) 19:38:32

日仏ゲート世界 日仏世界の宗教事情 -ガリカニズムの勃興-



西暦1610年5月14日 フランス王国 パリ フエロヌリ通り11番地


騒然とした空気の中で、一人の青年がうめき声をあげ倒れていた。
その青年を多数の屈強な軍人達が押さえつけ、ロープで何重にも縛り上げ、布を口の中に突っ込む。
彼らにしてみれば、「退路を捨てて、捨て身の覚悟で接近する」という最も対象の殺害に特化した方法をとられたとはいえ、あわやの所までやられてしまったのだ。その怒りは、容赦のない捕縛に現れた。即座に殺しかねなかったが、彼等とて理性がある。
捕縛して背後関係を洗わねばという警護役としての役目を全うする。

暗殺を咄嗟に防いだのは、少し前の暗殺未遂の反省から増強された警護役と、万が一に備えてアンリ4世が纏っていた防刃ベストであった。
至近距離から突き出されたそれは、暗殺者たる青年を咄嗟に警護役が遠ざけようとタックルを浴びせ、勢いが弱まったそれがベストに阻まれた。
どちらかが欠ければ何が起こったのか。それは、その場の全員に最悪の結末が起こっていただろう。
即ち、馬車の主であるフランス国王 アンリ4世の死。

事実、それは達成寸前にまで至っていた。
そう、『本来の歴史』であるならば、アンリ4世はこの場において刺殺され、命を落とすのだ。
しかし、ここで歴史は覆った。予め暗殺が起こることを知っていたとある集団が、それとなく手を回していたのだ。
元よりフランス側も、一回目の暗殺未遂を重く見ていたことで警戒を強めていたし、オルレアンを中心にフランス全体の治安悪化が起こっており、『史実』と比べて警備が増強されていたことが追い風となっていた。
とまれ、阻止されたのだ。フランスと、フランスに暮らす人々にとっては望ましくない結果は避けられた。

「ご無事ですか、陛下!?」

「あ、ああ……問題ない」

そんなあわただしい動きの中で、アンリ4世は冷や汗をかきながらも、努めて冷静さを保とうとしていた。
周囲を固めさせながらも、彼は場を仕切るものとして指示を飛ばしていく。

「すぐに安全な場所まで避難する。市民を落ち着かせろ」

「はっ!」

そして、怒りに燃える目を自分に向ける青年をじっと見つめる。
一体何故自分の命が狙われたのかは察しが付く。
捕縛された彼が言葉を用いずとも、訴えかけてくるのだ。

(だがな……)

だが、彼には理解が出来なかった。
その青年の怒りは、憎しみは、殺意は、一体何を根拠に、始まりとしているのか。
自分の命を奪うことで、その目的を簡単に達成できるというのだろうかと。
神は愛を人々に投げた。だが、その神を信ずるはずの人間がナイフを向けてきた。
そんな、怒りというよりも、憐憫。そんな暴力でしか表現が出来ない暗殺者に、哀れみを覚えた。

ほどなく、その暗殺者は連れ去られた。恐らく、徹底的に背後関係を洗われ、最終的には極刑となるだろう。
その事が、一層アンリ4世の思いを加速させた。

そして、暗殺を目論んだフランソワ・ラヴァイヤックは1年もの取り調べと拷問の末に、史実と同じ末路をたどった。
即ち、公開の場においての八つ裂きの刑。
彼は史上でも類を見ない大罪人として、その一生を終え、語り継がれることとなった。

610: 弥次郎@外部 :2017/02/28(火) 19:39:44

フランスのためのキリスト教を、フランスとその友好国及び植民地の現実に即したキリスト教を、という題目を標榜するこのキリスト教の宗派あるいは運動が起こったのは、1610年のアンリ4世の暗殺未遂事件に端を発していた。
史実においても、アンリ4世はカトリック信者であったフランソワ・ラヴァイヤックによって暗殺された。
単独犯と当時は結論されたのであるが、その実態としてはカトリックとプロテスタントの融和を唱え、国内の統一を推し進めたアンリ4世を疎んでの、組織的な犯行であるとの見方もある。

しかし、このゲートによって日仏がつながった世界においては、少々事情が複雑であった。
1600年1月1日にフランス王国オルレアンと日本大陸の岐阜とを結ぶゲートが開通したことで、いきなりフランス国内においてキリスト教の権威がガタガタになったのである。
キリスト教を以てしても説明がつかない「奇跡」、即ち時空を超えるゲートの発生。
カトリックであるとかプロテスタントであるとかユグノーであるとか、そんな前提条件を覆してしまう事象の発生は、それこそ宗教関係者の血圧を上げるどころか、実物を見た人間が発狂するまでの事態となってしまった。
よりにもよってバチカンからおっとり刀で駆けつけた枢機卿らも、教皇の代理さえも言葉を失ってしまったのだ。
そんな宗教関係者を横目に、織田幕府との交流を進めていたアンリ4世にはある種の諦観が生まれていた。

      • キリスト教は所詮こんなものである

アンリ4世は、宗教に、キリスト教に翻弄された王と言えた。
その生まれから、軍を率いての初陣も、自らの婚姻も、自らの即位も、全てがキリスト教に絡んでかき乱されてきた。
振り返ってみれば、宗教が何かと口を出し、派閥争いの種となり、時に悲劇を生んできた。それが、今さらなんだというのだ?
これは、決定的ともいえる差異となった。特にフランスにおいて、これまで宗教を笠に着て大口を叩いていた人間が軒並み黙ったのである。
一般市民にまでその醜態は晒され、分かりやすく言えば、ドン引きさせたのだ。

ここでアンリ4世の後押しをしたのは、皮肉なことにバチカンであった。
バチカンは全く説明がつかないゲートへの対処を、事実上フランスへと投げてしまったのである。
つまり、臭い物に蓋をするかの如く、公言しない 公には存在を認めないと決めつけ、フランスには広めるなと口止めを命じた。
フランスでの大失態をどうにかするには、それしかなかったのである。

当時の資料を紐解けば、バチカンの混乱具合が如実に表れていたのが分かる。
例えば、景教---ネストリウス派キリスト教の欧州への復権を懸念する声があった。
いや、ネストリウス派だけであればどれだけマシだったか。マニ教、ゾロアスター教を含めた奈良三教という存在の情報が、ゲート開通という未知の事態に右往左往するしかなかったバチカンへと突き刺さったのだ。
ネストリウス派は公会議において異端と認定された派閥であるし、マニ教は聖アウグスティヌスが離れた「異端の中の異端」。
ネストリウス派共々異端と認定されたカタリ派やアルビジョワ派もマニ教とも同一視あるいはその亜種であるとされているのだ。
さらに悪いことに、それぞれの宗教の教義や信条あるいは習慣などは現地の、日本大陸の文化に合わせて大きく変容していた。

しかし、日本大陸における宗教の総意としては欧州への復権など何の冗談だ、のレベルである。
なまじ織田家による天下統一事業において、カトリック教徒やキリシタン大名が他の宗教を病的なまでに迫害してしまい、ある種の猜疑心さえも欧州に対して抱いている人々さえもいた。この期に及んでカトリック教徒が何をしてくるのか。
場合によっては一戦交えることさえも覚悟していた。特に九州に配置された大名や民にとって、カトリック教徒とは宗教の名を借りた簒奪者、あるいはテロリスト。多くの非キリスト教徒が処刑され、財産を奪われ、住処を追われたことは、如何にバチカンが言葉を出そうが変わらない事実。止めのように、バチカンとスペインは日本大陸において行われていた、奴隷貿易についての釈明を求められたのだ。事実として奴隷貿易を行っていた商人や宣教師は捕縛されてその証拠は揃っており、おまけに織田幕府は教皇がポルトガルに対して出した「非カトリック教徒を奴隷として扱ってもよい」という許可について知っていた。
もう、弁護の余裕もない。事此れに至っては弓矢を持って語り合うか、とまで織田幕府の態度は硬化しかけた。

611: 弥次郎@外部 :2017/02/28(火) 19:41:06

そこで仲介に奔走したのが、ゲートがつながっていたフランスであった。

曰く、ここで争っても双方に何ら利益はない
曰く、十字軍の展開が行われれば、国内の宗教争いが再発してフランスが滅んでしまい、本末転倒である
曰く、ゲートの存在が本当に神の御業だったらどうするのか
曰く、既に奴隷貿易については行った人間の破門するという確約があるために蒸し返すのもよくない
曰く、色々な手段を試みたがどうにも破壊できない
曰く曰く……

アンリ4世はそのコネをフル動員し、理屈を並べ立て、教皇さえもうなずかせるという政治的なファインプレーをしてのけた。
織田幕府は奴隷貿易を行っていた国やバチカンが責任をもって国外にいる日本人を探し、また一括で賠償を行うことで決着することになった。
ここには、どうやらフランスとバチカンと織田幕府で黒いやり取りがあったが、触れぬが吉というべきか。
実のところ、アンリ4世は幕府からの献上品であるとか連れてきていた剣牙虎などに着目し、あわよくば……と考えていたのである。
なまじ、夢幻衆が知恵を回してフランス受けが良い物品を揃えてしまったがために、その評価は「蛮族にしては気が利く」というものだった。
即征服開始、とならないだけ、この時の対応は温情あるものだった。

織田幕府にとっても、そして日本の宗教関係者にとっても、宗教に口を挟ませないスタンスのアンリ4世が窓口になるのは渡りに舟であった。
南蛮(欧州)の技術は非常に興味深いものであったし、ゲートを通過すれば自ら欧州の土を踏めるのである。
何より新たな交易の門戸が、文字通り開かれたのである。国内市場及び国内インフラの更新が進み、戦国時代において戦争へと投じられていたあらゆる要素---エネルギー 人材 資源が内政よりに大きく方向転換したばかりであった。
ここにおいてフランスという新たな市場は、行き場を求めていた日本大陸商人たちの受け皿となった。

そして、10年近くの年月が流れた。
10年は、多くの出来事が発生するのに十分すぎる時間だったことを述べておこう。

例えば、極東の大陸国家との交易によって財を成した商人がフランスに、というかオルレアンを中心に俄かに勃興したとか。

過激なキリスト教徒が宗派人種に関係なく、嫌がらせの落書きから誘拐・脅迫・殺害などの犯罪まで犯し始め、その範囲はオルレアンを中心にフランス全土に広がり始めたりとか。

例えば、上記の事件がきっかけに日仏間で犯罪者の引き渡し条約が結ばれたりとか。

例えば、夭折するはずだった王族が日本人医師の手によって存命したとか。

例えば、日仏合同で日本の南、東南アジアやオセアニアと呼ばれる地域への探検が始まったとか。

例えば、フランスの軍事関係者が日本大陸での戦争のインフレを見て卒倒したりとか。

例えば、パリを中心に上下水道が完備され見違えるように美しくなって疫病がぐんと減ったとか。

例えば、アンリ4世が自分用の豪華な風呂を設置したとか。

様々なことがあったが、ここでは語り切れない。
多くの出来事がフランスで、そして日本において発生した。
それは本来ではありえなかった文化同士の交流。それは多くの物を生み出した。

612: 弥次郎@外部 :2017/02/28(火) 19:41:45

さて、ここまでが前提条件となる。
フランス国内において軒並み宗教の権威が落ち、国内においてキリスト教関連は新たな局面に晒された。
元々ナントの勅令によって宗教の自由が保障され、アンリ4世がゲートについての扱いを一手に握った。
ここで、キリスト教徒、しかも一番割を食っていた(ようにみえる)カトリック教徒による暗殺未遂である。
どうあがいても、カトリック教徒がゲートを、そしてゲートの向こうの織田幕府への良からぬことを考えていると思われる。

ここで潔白を求められたフランス国内のキリスト教関係者は、非公式ながらも公会議のようなものを開催。
皮肉にも、散々宗教で割れていたフランス国内は、そうであったが故に統一した思考・方向性で動いていた。
議題はずばり「今後のフランスにおけるキリスト教及び宗教の方向性」。
新興とはいえ豪商たちの目が厳しくなり、さらに豪商たちと懇意の貴族からも余所余所しい態度をとられ、おまけのようにフランス国王からも事態の説明を求められるに至ったのだ。

確かにキリスト教徒の権威はすごいものである。
しかし、さしもの宗教関係者も先立つものと現地住人の理解が無ければ二進も三進もいかない。
ましてや、合法非合法含めて叩き出されそうになっている状況なのである。
ただでさえユグノーとカトリックの争いにうんざりしていたところに、無関係な人間まで自称「神の使い」が襲って、せっかく得た極東の大陸国家の富や財を奪われ、そしてそれに乗っかってバチカンまでもが私腹を肥やしているのが判明し、その事実が公に晒されていれば、まあ当然というべきか。

斯くして、ヤケクソとも呼べる心境に陥った彼らが導き出した、フランス国内のキリスト教の統一派閥。
そのオルレアン会議と呼ばれる一年以上にわたる会議の果てに、「キリスト教」という生命体が生み出した生存戦略がフランス全土に公表された。
その内容はずばり、フランス国内のキリスト教の統一を目指すエキュメニズムと教義や新興の在り方を刷新する宗教的な改革の合作。
フランスが嘗てガリア地方と呼ばれたことから、その名を付ける。

        • ガリカン フランス統一国教会。

バチカンをして「フランスはゲートを通じて神の啓示を受けたか、悪魔にそそのかされた」と言わしめた大転換。
ガリカニズムは正しくフランスの歴史が剥離する音を産声として、勃興したのであった。

613: 弥次郎@外部 :2017/02/28(火) 19:43:13
以上。wiki転載はご自由に。
ひゅうが氏の「日本大陸三異教について」を読みながら書いてみました。

若干の期間を置いてから接触したのではなく、カトリックによる「異端狩り」の記憶が色濃い状態の日本大陸と接触したら、という展開です。
史実において宗教に翻弄されたアンリ4世が化けの皮が剥がれたキリスト教をみてファインプレーをしてくれたおかげで何とかなりました。

もしこのファインプレーが無かったら「信長の野望欧州編」「タタールのくびき(戦国武将ver.)」が勃発ですね

さて、次はガリカニズムがどのような変遷をたどったのか、ですね。
時間はかかりそうですが、ちょっとずつでもネタを投下しようかなと。

返信は明日になってからします。

あと誤字というか誤植…

612
× ----ガリカンフランス統一国教会。

〇 ----ガリカン フランス統一国教会

誤植修正

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最終更新:2017年03月01日 21:21