515: 名無しさん :2016/08/11(木) 14:57:55
199×年 某月某日 沖縄県宜野湾 大和ミュージアム

本来なら今頃は千歳で着任の報告をしている筈の自分が故郷に向かわされ、こうやって衆人環視の下、大田沖縄県知事の些か以上に感情過多なスピーチを聞かされている現実に、嘉数家の五人姉弟唯一の男子にして国防空軍軍人たる嘉数大和少尉は頭を抱えてのた打ち回りたくなる衝動を必死に抑え込んでいた。

正直、目にうっすら涙を湛えてまで熱弁を奮うのはやめて欲しい。

ようやく憧れの戦闘機パイロット、イーグルドライバーになれるというのにこれは無いだろうと思うのだ。
それも配属先は冷戦が終わったとはいえ北の最前線、第201飛行隊。   
つまり新米ながらも戦闘機パイロットとして評価され、その将来が明るくなる可能性が高い事を示している訳だが、そうである以上一刻も早く任地に向かいたいというのにこの状況である。

(名前が大和だから、大和ミュージアムってそりゃ無いだろうが!!!?)

自分の名前にちなんだあざと過ぎる会場選定に深く絶望する嘉数少尉の心の叫びも空しく、彼が謹厳実直な表情を作って端然と直立不動の姿勢を保っていなければならないのにはそれ相応の理由があった。


冷戦終結後、平和の配当という名の風当たりが些かならず強くなって来ていた日本国防軍。
そんな中でも空軍は比較的恵まれた方ではあったがそれでも組織防衛の一環で国民の支持を稼がなければならないのは他と変わらず、従来にも増して広報活動に精を出していた。

そんな中、何とも迷惑な事に国防空軍広報部に初の沖縄出身のイーグルドライバーが北海道で空の守りを担う、という事に一定の宣伝効果を見出した人間がいた。
その広報官としては、栄えある沖縄出身イーグルドライバー第一号と沖縄でそれなりの立場にある人間とでツーショット写真を撮り、激励、コメントを貰い、地元紙、専門誌、あわよくば小さな扱いで良いので全国紙(朝○新聞)への掲載、程度の事を目論んでいた。
だが、沖縄県庁にそんな申し入れをして、話が県知事の所まで達した結果……沖縄県限定の事ではあるがあっという間に話が広まり大きくなった。

ここで出て来るのが現・沖縄県知事を初めとする、人生で最も多感な時期に志願して軍属として沖縄戦で県民の避難作業に従事し、沖縄沖海戦後、文字通り寝食を忘れて海軍軍人の救助に当って人生観を永遠に決定づけてしまった人々である。

ついでに言うと護国、護民の軍人を志すも沖縄が日本に返還され、日本国民に戻れた時には年齢制限オーバーで涙を飲んだ人々でもある。

後、結構な確率で自分の息子や男の孫に大和とか名付けたがった人々でもあり、何とも迷惑な事に嘉数大和の母方の祖父もその一人だった。

今や彼らの内の結構な人数が沖縄県社会の政財官民の上層をかなりの割合で占めており、そんな彼らにしてみれば、かつての帝国陸海軍が死力を尽くして守り抜いた沖縄から、核による惨禍に見舞われた北海道の空の護りに就く軍人を輩出出来た、というのはいたく琴線に触れる物があったらしい。


沖縄では元々、県の行事としてその年軍人になる人間達を対象にした壮行会が普通に催されている。
建前としては壮行会への出席はあくまでも個人の自由という事になってはいるが、沖縄県との良好な関係の維持を重視する国防軍内部の無言の圧力によって、沖縄出身軍人にとって事実上最初の軍務と化しており、その時に運良く病気になった人間が今までに一人も居なかったせいでその出席率たるや未だに100パーセントを記録している。

つまりこの手のセレモニーを開くハードルはとても低かった。そして社会的地位の高い出席者にも不自由しなかった。

そんな訳で嘉数少尉は何人もの沖縄の偉い人(要約)の感動的なスピーチを聞かされなければいけなかったし、何人もの沖縄の偉い人(要約)と握手しなければいけなかったし、何人もの沖縄の偉い人(要約)とツーショット写真を撮らなければいけなかった。

だがまあ、それももう最後の一人である。

何しろ公務員規定により饗応の席は駄目なので、現・沖縄県知事との諸々が終わればそれで御役御免、ヒグマのマークを付けたF-15Jが彼を待っているのだから。


あとがき

書いてる途中で細かい設定的にどうだったかな?というのがあったけれど、とりあえず書き上げる事を優先してみた。

714: 名無しさん :2017/03/02(木) 23:10:19
以前投下した中編以上のネタの書き込み【架空戦記版】 その75の>>515のSSも掲載してくれるのであれば、
「沖縄のある風景」のタイトルでお願いします。
最終更新:2017年03月06日 09:55