554: ひゅうが :2017/04/02(日) 01:14:44
戦後夢幻会ネタSS――閑話「決断する自由」(修正版)
「承認を求め、他者からの評価ばかりを気にしていると、最終的にあなたは『他者の人生』を生きることになります」
スティーブ・ジョブス
――東部時間 10月16日 夜半
兄が自宅へ帰ってきたとき、私はいつものように料理を用意して迎えた。
彼の妻は、人格としてはともかく、家庭内での才能というべきものとしては文字通り壊滅的だったからだ。
もちろん母親としては彼女は申し分ない、とは思う。
この時代の上流階級の夫婦というのは婚姻関係の維持というものがある種の職業のようなものであり、それ以外の部分において個人の自由というものが厳格に確立されている。
要するに、自らの感情に従って夫や妻以外の男女に心を寄せるのは普通のことであり、またその数が多いことが称賛されることすらあったのだ。
そこへきて、この兄夫妻はあふれんばかりの愛情を自らの子供たちに注いでいる。
いささか、「新聞受けしすぎる」ように見せてはいたものの、そこにはたしかに情というものが存在していた。
普通はこの年頃の子供たちは、ベビーシッターや家庭教師、そして使用人に教育を担当させるものだ。
だが、職場に隣接する住居へと子供たちを移らせた兄は、毎日子供たちから今日何があったのかを語らせ、たいがいは褒め、そして時折叱るのを日課としていた。
たぶん、自分がかつて一番に欲しながらも得られなかった代償行為のようなものだったのかもしれないが、それが幼少の頃の子供たちにどんな影響を与えるのかを考えれば称賛以外の何もありようがない。
この日も、兄は家族そろって食事をしたあとの1時間ほどをそうしたやりとりに費やし、そしてジョンジョンの頭をくしゃくしゃになるまで撫でていた。
「どうしたの?今日はいつもに増して顔色が悪いわ。」
「仕事だからね。」
まるで夫婦の会話だ。と私はいつもの居心地の悪さを感じながら、少し首を傾げた。
食卓からすでに彼の妻は離れている。
子供たちを連れて暖炉の間へといっているのだ。
挨拶はなかった。
私は、この家の平たく言えば使用人であったし、典型的な東部上流階級出身者にとってみれば私への感情はいってみれば人間未満の者へのそれであるのが自然だろう。
女であるがゆえにさまざまなことに気付かれる、ということへの居心地の悪さもあるというのはいささか自惚れがすぎるだろうが。
「いつもに増して、といった方がよかったかしら?」
冗談めかしてそう言った。
少し垂れ目な兄は、やはり気が付くかという表情で深いため息をついている。
「ローズ。」
私のファーストネームを兄は呼んだ。
もっとも深刻な出来事を切り出そうとする、彼の癖だった。
「薬は?」
「もう飲んでいるわ。」
確認をとられる。
20代のはじめ以来の付き合いであるその種の薬品は、おそらく一生の友とせざるを得ないものに違いない。
それを憾みに思ったこともある。
が、二者択一のうちでかなり「マシ」なものであることに疑いはない。
もう片方を選ばされた人間がどうなったかについては、不穏なうわさがささやかれ続けているからだった。
555: ひゅうが :2017/04/02(日) 01:16:04
「ローズは。」
兄は切り出した。
扉の向こうのリビングでは、5歳のキャリーがきゃっきゃと笑っている。
「生きていることについてどう思う?」
「また、哲学的なことを訊くのね。」
これは少し予想外の質問だった。
両腕を組んで白いテーブルクロスの上に腕を組んでいる彼は、何か懺悔をしているかのように見えた。
父に何かあったのだろうか?
いや、1941年以来私を遠ざけているあの父はまだまだ老いて野心盛んなはず。
あと10年もすれば危ないのだろうが。
「まぁ、私は別に生きていることを辛いとか生きる意味とか、そんなことを気にする年齢じゃないわね。」
そう切り出した。
もう40代の半ばに達している。
病気が原因で、職につけなかったことは残念であったし、色眼鏡で見られることにやはり思うところはある。
「わりと勇気があれば、なんとかなることも多いものよ。
ほら、私、運がいいし。」
胸を張る。
わざとらしさに弟が肩をすくめた。
「こうして甥っ子や姪っ子を世話するのは楽しいし、それでお給料をもらえるのはなおいいわね。」
ただ、
「パパの悪いところをジョンジョンがマネしないかは心配ねぇ…」
それについては、すまないねと兄は今度は苦笑する。
あの歌手との付き合いは少し考えた方がいいと、私は日頃から言い続けていた。
誕生会に呼ばれた上で色っぽい歌声を披露するならまだしも、彼女は――
いけない。思考が脱線した。
「ま、気にしていただかなくても、私は元気よ。
急にどうしたの? 明日ロシア人がワシントンにアトミック・ボムを落とすなんてこともないのでしょう?」
一瞬だが兄が動揺した。
それに私は気が付かないふりをする。
「そんなことはないな。」
「そう。ならいいの。」
しばらく、時計の秒針の音だけが食堂に響く。
「ほら。そんなところでじっとしていないで。さっさとあっちにお行きなさいな。
あんまり遅いと奥様が嫉妬で煩いのよ。」
少し兄の目がつりあがる。
まったく。
あの頃からまったく違わない。過保護なことだ。
それが彼女を嫉妬させることを彼は理解していないだろう。
東部エスプリそのものであるのに、あの奥方様はとかく感情的なのだ。
少なくとも同性相手には。
「何を悩んでいるのか知らないけれど、そういうときはかわいい坊やたちと遊んでらっしゃいな。
ここのところ、さみしがっていたのよ。」
「そうだね。」
「そして、頼りになるパパになってからあらためて話をしなさいな。『あの時』みたいに。」
そう続けると、兄は何も言わずにポンと私の肩に手を置いてから、リビングへ続く扉の方へ規則正しい足音を連ねて歩いていく。
「ありがとう。」
「何をするにしても、私はお兄ちゃんの味方でいるわ。
脳を切られていたらそんな決意もできなかったでしょうからね。」
くるり。と私は彼を振り返る。
扉はまだ開かれず、兄は私に背を向けていた。
「御命令を。」
「女執事長(レディバトラー)。良いタイミングでコーヒーを頼む。子供たちにはホットミルクを。今夜からしばらく気合をいれねばならないからね。」
「かしこまりました。大統領閣下(ミスタープレジデント)。」
私は、これだけは自信をもってできる社交的な動作のひとつ――すなわち主人への礼をもって兄にして上司、ジョン・F・ケネディ合衆国大統領のオーダーにこたえた。
それだけが、父によりロボトミー手術を受けさせられるところを全身で反対してくれたひとつ年上の兄に、そして偏見の目が強い躁うつ病を身に宿す自分をハウスキーパーとしてこのホワイトハウスへと呼び寄せてくれた上司へとできる自分なりの返礼だったからだった。
当然ながら、1962年10月16日のこの時点で上司がまさに世界の命運を担っていたことを一介の使用人たる私が知るはずもなかった。
537: ひゅうが :2017/04/02(日) 00:33:37
【あとがき】――これもひとつの時間犯罪。史実では1950年代まで、脳の中の神経作用への介入は直接的な手術をもってしかできませんでした。
そしてそれがもたらす悲劇から解放される人間がひとりでもいたとすれば、ある種の救いもあるのではないかな?と思う次第。
556: ひゅうが :2017/04/02(日) 01:16:39
【あとがき】――表記ミスを修正しました。
失礼しました。
557: 名無しさん :2017/04/02(日) 01:42:07
556
ざっくり3箇所ほど「弟」のままですえ、ひゅうがせんせー。
558: ひゅうが :2017/04/02(日) 01:43:04
(全力土下座)もうダメポ…
弟を兄に修正
最終更新:2017年04月02日 14:38