477: ooi :2016/12/23(金) 22:26:57

ラヴレンチー・ベリヤ(1895~85年、満90歳没)
ラヴレンチー・ベリヤはロシア帝国の紀行作家・官僚・政治家であり、1940~50年に亘ってロシア帝国宰相を務めた。
司法大臣時代に性犯罪対策の法律を作った事から「女性の守護神」と呼ばれるようになる。
日本武道の達人としても知られており、北辰一刀流免許皆伝、講道館柔道七段(紅白帯)の実力者でもある。
この事から、第2の故郷である日本の国民からは「サムライ宰相」等の名称で知られている。


~憂鬱本編からの転生から日本への留学決心まで~
1889年、ベリヤは憂鬱本編や史実より4年早く転生者として生を受けた。
数年後、ベリヤは太平洋に転移した豪州大陸(瑞州大陸)を得た事で日本が大陸国家になっている事や、ロシア帝国の内政が安定している事に気付く。
そして、彼はロシア帝国に自分の様な転生者が居る事、転生者に憂鬱労農赤軍関係者が居たら自分の命も危ないと悟った。
事実、留学直前には車に轢かれそうになったり、爆発事故に巻き込まれそうになったりしている。

1913年、ベリヤはロシア帝国に居たら危ないと思った事と日本への興味から亡命を兼ねた留学をする事決心する。
幸い、前世の記憶を活かして或る程度の資金を見繕っていた事も後押しした。


~留学生時代~
留学後は将来への投資として学問に打ち込み、日露友好が進んでいる幸運もあって見事に東京帝大への入学を果たす。
東京帝大在学時には長期休暇を利用して日本各地を旅行すると云った観光も楽しんでいる。
ベリヤは、憂鬱本編で見つけた新たな趣味である写真撮影を行い、観光地だけでなく市井の風景、日本の自然風景も多数撮影した。
旅行しつつも勉学にも必死に励んだ事で、ベリヤは最終的に銀時計組の1人として卒業している。

1920年、夢幻会が設立した聖ペトロ女学院の女学生と恋に落ちて結婚した。
そして、妻との間に3男2女を設け、死が2人を別つまで仲睦まじく暮らしている。

東京帝大在学時、ベリヤは日本に居たとしても転生者から命を狙われるだろう考えており、憂鬱本編と同様に護身術を学んだ。
彼が選んだのは剣術と柔術であり、剣術は「北辰一刀流」、柔術は「講道館柔道」を学ぶ事にした。
転生時に特典が付いたのかは不明だが、ベリヤは武術の才能に目覚めて短期間でめきめきと上達していった。
その結果、僅か5年で「北辰一刀流免許皆伝」を授けられると云う快挙をやってのけている。
柔道でも特例が認められた事も有って、最終的に「講道館柔道七段」までに到達した。
柔道七段は黒帯の上である紅白帯の着用が認められており、勿論外国人では史上初の快挙であった。

なお、憂鬱本編で学んだセクシーコマンドーの研究も続けており、彼なりの境地へ達したと言われている。
ちなみに、実際に使用する事は無かったのでどのような術が有るかの詳細は長らく不明であった。
しかし、ベリヤの没後30年が経った時に彼の手記が発見され、或る程度の推測が出来る様になっている。


~帰国直前の大きな転機~
1925年、ベリヤは帰国前に奮発して高級日本料亭に訪れた。
美味しい料理に舌鼓を打ち、そして疲れていた事と板前さんの好意から一晩過ごす事となった。
帰ろうとした時、忘れ物を取りに行ったのだが間違えて隣の部屋に入ってしまった。
そして、その部屋では何と夢幻会のメンバーが会合を兼ねた宴会を行っている最中だったのである。

一瞬、固まる夢幻会メンバーとベリヤであったが腹を割った話し合いをした事で最終的には打ち解けてしまい、夢幻会のおごりで更に1日料亭へ滞在するのであった。
加えて、夢幻会やアナスタシア皇女の伝手で「ロシア夢幻会」のトップであるニコライ2世への謁見も可能となった、
ベリヤは偶然の幸運で夢幻会との繋がりを獲得し、ロシア夢幻会の情報や帰国後の安全も確保したのであった。
恐らく、この出会いが彼の運命を決めたと言えるであろう。

478: ooi :2016/12/23(金) 22:30:49
~ロシア帝国帰国後~
ベリヤは、ロシア夢幻会のトップであるニコライ2世に謁見し、皇帝の片腕の地位を得つつあったトハチェフスキーとの和解にも成功した。
なお、ロシア夢幻会に参加する事となったベリヤであったが、政治家への転身は謁見から数年後となる。

帰国後、ベリヤが先ず行ったのは日本滞在時に撮影した写真を使って日本の紹介本を作る事であった。
12年という歳月は、ベリヤを筋金入りの日本通に変えるのには十分だったのである。
そして敢行したのが「ベリヤの日本紀行」である。
ベリヤの日本紀行はロシア帝国の日本旅行ブームの流れに乗った事で1年間に200万部を売り上げるベストセラーとなった。
日本の観光地だけでなく市井の風景等も載っていたのが読者に受けたのが大ヒットに繋がった。
そして、日本通であるベリヤの体験談もロシア人旅行者にとっては便利な情報として重宝されたのである。


~官僚転身から帝国宰相へ~
1930年、一躍人気作家となったベリヤはロシア帝国司法省の官僚となった。
なお、人気作家であり東京帝大銀時計組、そして夢幻会への伝手も有った事から、司法省は内務省や外務省転生者と激しいベリヤ争奪戦を行っていたと言われている。
司法省の官僚を務めていたベリヤはロシア夢幻会の要請で、1935年に40歳の若さで司法大臣へ就任する事となった。
司法大臣に就任したベリヤはかねてから計画していた性犯罪対策の法案制定に乗り出した。
「YESロリータNOタッチ」と云う紳士の境地に達していた事で、将来のある少女たち(自分の娘を含む)を守るのが自分の使命と決意していた事が挙げられる。
また、ベリヤは性犯罪に付き物である冤罪が発生した時の冤罪被害者支援についての法案も併せて制定している。
性犯罪の最高刑は死刑であり、無実の人間の命と名誉を可能な限り守る事が命題であった。

1938年の法律施行後、ベリヤは老若男女(特に若い女性)からの絶大な支持を得る事となった。
ベリヤの代名詞となる「女性の守護神」の異名が聞かれる様になったのはこの年からである。

1940年、高齢となったニコライ2世の退位に伴うアレクセイ皇太子(ニコライ3世)の皇帝即位による内閣改造でベリヤに帝国宰相就任の大命が下る。
帝国宰相としては若年であるベリヤの就任は批判も予想されたが、ベリヤの人気と名君であるニコライ2世や皇帝の半身と呼ばれているトハチェフスキー元帥の支持も有り、万歳三唱で歓迎された。

1950年、ベリヤは戦後の混乱も収まって来た事を理由に帝国宰相を勇退する。
そして、1955年に政界からの引退も表明した。


~政界引退後~
政界引退後は家族と過ごしたり、趣味をやりながら引退ライフを満喫していた。
1962年、何を思い立ったのか東京オリンピックの柔道競技のロシア帝国代表を目指す事を表明した。
既に70歳近い爺さんとなっていたものの東京帝大時代に鍛えた<鋼の肉体>は健在であった。
そして、オリンピック代表選考大会で準優勝した事で史上最年長オリンピアンとして出場する事が決定した。
なお、この情報は物凄い速さで世界中を駆け巡ったのは言うまでもない。

1964年、東京オリンピック柔道中量級で出場する。
ベリヤが初戦を一本勝ちした翌日、日本の新聞やテレビでは「サムライ宰相未だに健在なり!!」との見出しで大々的に報じている。
なお、ベリヤの決勝戦進出が決まった日のニュースではベリヤと岡野のどちらを応援するか悩んでいる日本国民のインタビュー映像が多数残っている。
ベリヤは、経験に裏付けされた勝負勘を武器に勝ち続け、決勝で日本代表の岡野功に敗れて金メダルは逃したものの見事に銀メダルを獲得する奇跡をやってのけた。
今現在においてもベリヤが記録した69歳207日の最年長メダリストの記録は塗り替えられていない。

なお、「サムライ宰相」の由来は後述の逸話で語る。

1967年、第2の故郷である日本に妻を日本へ留学する孫3人を伴って移住する。
1970~75年、妻の母校である聖ペトロ女学院の学院長に就任する。
ベリヤの校長就任後によって、聖ペトロ女学院は法学科と写真部が誕生した。

1975年、ロシア帝国より聖アンドレイ勲章、大日本帝国より大勲位菊花大綬章が授与される。

1985年、老衰で逝去、享年90歳。
サンクトペテルブルクで行われたベリヤの葬儀には各国の要人や多くの支持者が参列し、日本の献花台も多くの花で埋め尽くされた。
記名帳に書かれた人数は、献花台を含めると10万人にも達したと言われている。

479: ooi :2016/12/23(金) 22:37:51
~逸話~
1940年に帝国宰相となってからは初めてとなる日本訪問の際、ベリヤが剣術の達人と聞きつけた日本陸海軍の将校が「是非ともお手合わせ願いたい」と言った。
ベリヤも快く応じ、折よく開催されていた日本陸海軍文化祭で天皇陛下やアナスタシア皇女、退位して娘と孫の顔を見に来ていたニコライ2世の御臨席を賜った天覧試合を行う事となった。

天覧試合は、僅か5年で北辰一刀流免許皆伝を授けられた実力を如何なく発揮したベリヤが十戦十勝と日本陸海軍の猛者たちを圧倒した。
最大の見せ場は、一刀正伝無刀流の使い手である草鹿龍之介との最終戦であり、草鹿もベリヤをあと一歩まで追い込む激闘となっている。
この様子は、近衛公を中心としたメンバーの行動でテレビ放映されている。
その為、ベリヤの剣術を見た日本国民から「サムライ宰相」「ロシア帝国の武士(もののふ)」「ラストサムライ」等と称賛され、ベリヤの知名度は一気に広まる事となった。
第二次世界大戦が目の前まで近付いてきた1941年3月29日、ベリヤの誕生日プレゼントとして天皇陛下より菊花紋の装飾が施された日本刀が下賜されている。

1994年に連載が開始された「る○うに剣○」ではベリヤが主人公の友人として一緒に師匠から「飛天御剣流」を会得するシーンが描かれている。
主人公が宿敵との戦いに向かう際には戦友として共に戦っている。
作者は少年時代に晩年のベリヤと会話した時、「ベリヤさんを自分の作品に出したい。」と言い、ベリヤも快くOKした事が理由である。
ベリヤが残した日記にもその事が記述されている事からも真実とされている。



番外編
瑞州艦これとの絡み
同盟国枠で比較的早期に実装されるだろうロシア帝国海軍の駆逐艦に性的な意味で手を出すと言うと登場する。
大抵は、天皇陛下から下賜された日本刀を携えての登場である。

一例
艦これ提督「駆逐艦と(禁則事項)するぞ!!」

ロシア海軍提督「などと言っております、皇帝陛下…。」
ニコライ2世「うむ。ベリヤ宰相、頼みましたぞ。」
ベリヤ「さてと…、ドーモ。提督=サン。ベリヤです。辞世の句は作り終えましたか?」

ベリヤ「飛天御剣流………!!九頭龍閃!!!」

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最終更新:2017年04月28日 21:34