14: ooi :2017/02/18(土) 23:08:50
豪州+新西蘭転移ネタ39
ワシントン、ロンドン海軍軍縮条約の締結による大日本帝国海軍巡洋艦考察2
次に開戦前建造の最上型、利根型は本編を参照すると、最上型は基準排水量11500t(公称10000t)、利根型は公称10000tである。
但し、最上型、利根型はロンドン海軍軍縮条約締結時では未だ建造されていない。
この基準排水量で計算した場合川内型まで17隻の合計が140000tとなる。
つまり、約110000tもの余剰枠が存在している。
その為、この世界では新たな軽巡の建造を行う事が決定された。
川内型に次ぐ新型の軽巡洋艦では制限一杯の基準排水量11000tで計画する事となる。
まず、主砲は敵水雷戦隊をアウトレンジで仕留められる様に新型の60口径15.5cm三連装砲を4基搭載した。
60口径15.5cm三連装砲は自動装填装置を備えており、戦時中は対空射撃においても高い性能を見せ付ける事となる。
しかしながら、高性能な分それ相応に高価だった事から本級以外では最上型(後述)と阿賀野型(後述)に搭載されるに留まった。
雷装も大幅に強化されており、新開発の61cm五連装魚雷発射管を4基20門(魚雷30本)を装備していた。
開戦時、搭載魚雷30本は全て誘導魚雷なっているが、この誘導魚雷は憂鬱本編で使用された物より命中率が向上しているのを付け加えておく。
防御力は最大で舷側装甲135mm、甲板装甲80mm、砲塔装甲50mmと日本海軍における軽巡洋艦では破格の性能となっている。
但し、装甲を強化したので計画時の排水量を3000t超過する事となり、速力も計画時より若干落ちる結果となった。
建造後、日本は基準排水量を公称11000tとして1936年4月のエスカレータ条項発動まで通す事となる。
なお、この新型軽巡10隻の費用で計画中の新型軽巡である利根型を20隻建造可能で有った事を知った辻が大蔵省の執務室で1~2分間程固まっている。(※1)
そして、時間を置かずに黒いオーラを纏って海軍省へ来襲するのであった…。
新型軽巡洋艦は便宜的に一の坂型として、一の坂型の艦名は一の坂、椹野、錦、掛淵、藍場、佐々並、佐波、粟野、仁保、吉敷とする。
一の坂型軽巡洋艦
全長:215m
基準排水量:公称11000t/竣工時14000t
ボイラー:重油専焼缶10基
主機:ギヤードタービン4基、4軸推進
最大出力:155000馬力/165000馬力(過負荷時)
最高速力:34.5knot/35knot(過負荷時)
主兵装:60口径15.5cm三連装砲 4基12門
主兵装:61cm魚雷発射管 五連装 4基20門
副兵装:40口径12.7cm連装両用砲 6基12門(砲塔型)
副兵装:70口径40mm四連装対空機関砲 8基32門
副兵装:24連装対潜迫撃弾発射機 4基96門(竣工時)→375mm四連装対潜迫撃砲 4基16門(戦時換装)
舷側装甲:最大135mm
甲板装甲:50~80mm
次に、開戦直前に建造された最上型と利根型についても若干触れておこう。
海軍は、一の坂型に続けて前世でもお世話になった憂鬱最上型と憂鬱利根型の建造を行う事を決定した。
この時、前世での反省点から「最上型を大型化して機関の強化を行おう。」との意見が大勢を占め、最上型の大型化は一の坂型相当にする案で決定した。
しかし、一の坂型の件における辻の怒りが海軍に襲い掛かった。
辻(怒)「金が増えたとはいえ無駄遣いを連続で許すとは一言も言っていませんがねぇ。」
辻の怒りによって最上型の大型化計画は見直される事となった。
最終的に、最上型の全長は5m延伸されて基準排水量は12000tとなっている。
これに伴う機関強化の結果、出力は前世の84000馬力から112000馬力に強化されて最高速力は30knotから32knotへ引き上げる事に成功した。
海軍の必死の努力で最上型の使い勝手は或る程度改良されたのであった。
兵装については特に変更はなかった。
と云うより、これ以上は予算的に不可能であったのが本音である。
それでも、辻を拝み倒して最上型の主砲を一の坂型と同じ60口径15.5cm自動砲を連装砲塔で搭載するに至っている。
利根型については前世と同じ設計で行く事となった。
一の坂型と云う利根型の完全上位互換が存在していたのが大きな理由である。
海軍水雷派「一の坂型を10隻建造出来たから利根型はそのままでもOK。(てか、辻をこれ以上怒らせると何されるか…。)」
※1
海軍は辻が事前に用立てた白露型駆逐艦後期型37隻の建造費から20隻分に相当する予算を流用している。
この結果、白露型駆逐艦は前期型含めて52隻の計画だったものが32隻に大幅縮小されるに至った。
辻は国内や友好国との経済政策についての仕事で忙しく、彼が気付いた時には一の坂型の6~10番艦も竣工間近となっていたのである。
この時、海軍の面々は幾ら辻でも竣工間近ならば事後承諾するしかないだろうと考えて24時間体制で建造を行っていた。
余談ではあるが、伏見宮殿下や嶋田さんと云った海軍出身の
夢幻会幹部は辻を宥める為の様々な活動で体重が平均5kg落ちたと言われている。
最終更新:2017年04月28日 21:38