62: 名無しさん :2016/12/23(金) 22:26:58
今日は祝日で時間があったので支援SSを投稿してみます。日本海軍とイタリア海軍の戦いを書きましたが、場所は地中海じゃないですし、ご都合主義な展開です。

提督たちの憂鬱支援SS
二度あることは三度(?)ある ~アデン湾夜戦~


…1940年 12月のアデン湾。

乾燥したこのあたりでは珍しく、空が曇り,星一つ見えない夜のことだ。
真っ暗な海上を、三隻の船が進んでいた。

その中の一つ、通報艦『エリトリア』の艦橋では男たちが ふぅーと息を吐き出した。
艦長たちは笑みを浮かべて話し合う。


「…どうやらアデンの連中は気づいていないようですね。」

「ああ。このまま突っ切る。
そしてインド洋に出たら、とりあえずフランス領に逃げ込むぞ。」

「向こうは受け入れてくれますかね?」

「イギリスを恨んでいるから大丈夫だろう、たぶん。…本当は駆逐艦の奴らも連れてゆきたかったが。」

「仕方がないですよ、駆逐艦は航続距離が短いし,連日の戦闘でボロボロで、マダガスカルにもたどり着けるかどうか。
クソッ、ブルドッグと日本猿め。あいつらさえいなければコソコソ逃げずに済んだのに!」
「落ち着け。向こうの港に着いたらいい店に連れていくから。」

63: 名無しさん :2016/12/23(金) 22:30:15
『イタリア海軍紅海艦隊』に所属する彼らが このように逃げているのには訳がある。

まず、ジブラルタルが占領されたことで,紅海も封鎖されて地中海が陥落するのを恐れたイギリスが東アフリカのイタリア軍に猛攻を仕掛けたこと。
また、史実と違い,この頃まで日英関係が良好"だった"ため、アジアやオセアニアから有力な軍艦を呼べたこと。
そして、10月12日に日本が宣戦布告したこと。特に日本海軍は早くもBN7船団の護衛に参加し、イタリアの攻撃から船団を守り抜いている。

これらの要因から紅海艦隊は痛めつけられている。
駆逐艦及び潜水艦は通称破壊を続けるも,日英の反撃で沈められていき、一方で英陸軍はソマリアとエリトリアの沿岸部を徐々に制圧していく。

だから、エリトリアと仮装巡洋艦ラム1世,ラム2世(元々はソマリア産バナナの輸送船)は紅海の拠点 マッサワを出港したのだ。史実よりも二ヶ月早い出発だった。


今のところ、インド洋への脱出は順調だった。
紅海の出口,マンデブ海峡は狭く警戒が厳重だったが、闇夜に紛れて通り抜けた。
そしてつい先ほど、英海軍の拠点,アデンの近くも 見つからずに通りすぎた。

わずかだが水兵たちの気が緩んでしまったのも無理はない。


故に、『彼ら』が現れたとき動揺してしまう。



「「「 何故、日本海軍が待ち構えている!?」」」

64: 名無しさん :2016/12/23(金) 22:32:31
        • 「参謀長の予想どおりだな。どうして今夜ここに来るとわかったのだ?」

「…ずっと昔、アデン湾で働いたことがあります。そのときにこの海域のことを よく学んだからです。
それにイタ公は逃げ足が速い。特に『奴』は二度も逃げているから、近いうちに機会があれば 脱出を試みるのは明らかでした。特に今日は曇り空だったので。」

「ほう。ところで二度とは?」

「あ、いや英軍の攻撃からです。
今はそんな話をしていないで目の前の敵に集中しましょう。」

アデンに派遣された第三海上護衛隊の旗艦,軽巡洋艦『阿賀野』。その艦橋で 酒井原繁松大佐は司令官たちにそう言った。

…すでにお気づきかもしれないが、彼もまた,転生者だ。
史実では米軍捕虜殺害により 戦後処刑された人物だが、この世界では ソマリア沖での対海賊任務に参加した海上自衛官が憑依している。
そのため戦前は海上保安庁に出向させられて,そこで海賊の対処法を教えていた。が,大戦勃発後に海軍に戻され、第三海上護衛隊の参謀長を務めることになる。

65: 名無しさん :2016/12/23(金) 22:33:56
大戦時、日本海軍が前大戦での船団護衛の経験から設立したのが 海上護衛総司令部。のちの太平洋戦争でも活躍する彼らだが、対独戦のころは 第一~四海上護衛隊と総司令部附属部隊から成っていた。

遣欧艦隊に物資を送る船を護送するため,大西洋を往復する第一海上護衛隊。

比較的安全なインド洋での船団護衛を担当するので 海防艦が多い第二海上護衛隊。

そして、紅海経由でエジプトへ向かう輸送船を 東アフリカのイタリア軍の攻撃から守るために創設された第三海上護衛隊。

最も損耗率が高いのが,危険な地中海での護衛を担う第四海上護衛隊である。


海軍が史実と違ってシーレーンを軽視していないので,各護衛隊の規模は小さくない。まず 必要な人材を集め、現役復帰した旧式艦船と,充分な対空・対潜能力を持たせた戦時量産艦で護送船団を編成している。

彼が第三護衛隊の参謀長に任じられたのも、前世において紅海・アデン湾で活動した経験を踏まえてのことであり、確かに彼は任務をこなした。



だが,海軍と海保の間で振り回されたり,他の憑依者から地味だと言われたりして鬱憤が溜まっていたのか、あるとき 彼は上層部に脱出するであろうイタリア軍艦の撃沈作戦を提案した。
敵艦にたいした火力はないのでリスクは低く,もしインド洋に逃がしたら捜索が面倒だ、と。

もちろん上は護衛任務に集中しろと叱った。しかし 逃がしたら面倒なのも確かであり,安全に戦果をあげられる機会は貴重なので結局許可されたのである。

66: 名無しさん :2016/12/23(金) 22:35:09
        • 「かっ,艦長どうします?」

「チッ。だがまだ包囲はされていない。北東に迂回して躱すしかあるまい。」

「・・・逃げませんか?」

「バカ。こっちは三隻とも低速だ。どちらにしろ逃げるのは難しい!」
イタリア海軍の艦長は怒鳴り声で部下に言った。



かくして、のちに『アデン湾夜戦』と呼ばれる海戦が始まった。

双方の砲撃から始まったこの戦いは、しかし日本海軍が圧倒していた。


まず 焦る伊海軍に比べ、最悪 英軍の応援を呼べばいい日本海軍には余裕があった。

また イタリア側は三隻とも最高速力20ノット,主砲の内径は12cmなのに対し、日本側では低速といわれる阿賀野型でさえ28ノット,事前に松型駆逐艦など対艦戦闘に不向きな艦は置いてきたので 主砲も駆逐艦の12.7cmが最小。さらに魚雷も日本側しか持たない。

数さえも日本海軍の方が多い状況で、日本の得意な夜戦に挑むのは無理があった。


それでも旗艦の阿賀野に命中させるなど 奮戦するも、とうとうラム1世が撃沈。
残された二隻も、船をUターンさせた。


もちろん日本側が見逃すわけがない。
だが、ここで幸運の女神がイタリア人に味方した。


「一隻も逃さん!追撃するぞ!」阿賀野艦長がそう叫んだとき、突如報告が入る。

「タービンの出力が低下しています‼」
「なに⁉こんなときに⁉」


…実は阿賀野には 戦時急造型軽巡の一番艦のためか,僅かだが初期不良が存在した。いや これまで問題は起きていなかったが、被弾の衝撃で 戦闘中にそれが発生してしまったのだ。

旗艦のトラブルは僅かな時間だが,日本の追撃を遅れさせた。
もちろんすぐに追撃の艦を送ったが、イタリア艦は先ほどよりも上手く攻撃を回避し,逃げていく。

「なんでだ、全然当たらねえぞ⁉」

「スパゲッティーみたいにツルツルと躱しやがって‼」
「うまいこと言ってないで攻撃しろよ!」


夜の海に そんな声と砲声が響き,やがて消えていった。

67: 名無しさん :2016/12/23(金) 22:36:39
…追撃戦の結果、途中で継戦能力を失ったラム二世が拿捕されるも、辛くもエリトリアは逃れてしまった。
二度あることは三度あるというが、なんとエリトリアはこの世界でも逃げ果せたのである。


【あんな不利な状況から逃げることが出来るとは、と誰もが驚愕した。
イタリア軍をヘタリアと呼ぶ者もいるがとんでもない。少なくともあのときの海軍は 優れた技量と最後まで諦めない意志をこちらに見せつけた。
彼らの奮戦は 私たちに今後も激闘が続くことを予感させた。】

上記は、のちに発売された 酒井原の自伝()の一節である。

実際、東アフリカ沿岸部を英軍が制圧すると第三海上護衛隊は解散され、所属していた艦と船員は地中海への援軍に送られた。地中海では イタリア海軍やUボートを相手に、これまで以上の激闘を繰り広げることになった。
…この海戦で旗艦を務めた阿賀野をはじめ、多くの艦と英霊が地中海に眠っている。


      • さて、傷つきながらも逃げ延びたエリトリアだが、さすがにボロボロかつ単独の状態では脱出は不可能だった。
しばらくは港に置かれていたが、英軍が迫ってきた際 ついに自沈。
戦後 再浮揚されるが,すぐに船舶不足のフランスに売却された。

現地で『フランシス・ガルニエ』と改名された彼女は、数年後の親善航海で,特設給糧船『生田川丸』に改装されたラム二世と再会を果たすことになる。

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最終更新:2017年09月10日 17:00