250: 弥次郎 :2017/09/20(水) 22:51:11
日仏ゲート世界 War After War2 -The Pale Horse-
そこには、死が溢れていた。
少年 青年 少女 可憐な年ごろの女性 老夫婦 赤ん坊 働き盛りの男女 軍人 皇族 王族、白人 黒人 黄色人種。
老若男女、この世に生きる全ての人々が死に触れていた。マスク越しの呼吸さえも、恐ろしかった。
何十人もの兵がエタノール希釈液を入れたタンクを背負い、そこから伸びる管と噴霧器からエタノールを地道に噴霧していく。
エタノールが殺菌作用を持つことは既に知られている。フランスのパスツール研究所や日本の理化学研究所の最新の研究の成果で、一定の濃度のそれを散布するのがもはやこの地域では通例となっている。いや、例えそれが間違っていたとしても、人々はこのエタノールに頼ったことだろう。そうでもしなければ、心が折れてしまうからだ。
心が折れる。それこそが、真に人を殺すのである。
希望を失い、空っぽになってしまう。人が意欲を失うと、最終的に生きようとも思わなくなる。
耐えがたい苦痛の先にあるそこに至った時こそ、誰にもその人間を救えなくなってしまう。
それ故に、彼らは必死に希望に縋りつこうとしていた。パンドラの箱の最後の中身に、しがみ付いたのだ。
誰もが、それにすがるようにして消毒に明け暮れている。
皆が、一つの騎士を恐れていた。
ヨハネの黙示録の四騎士の第四騎士。
『ヨハネの黙示録』第6章第8節に記される、4つ目の封印が解かれた際に解き放たれる騎士。
死の騎行。死の道幸。
目に見えない病の司祭が等しく死をばら撒く。
そして、自分の目の前でも一つの命が途絶えようとしていた。
掴んだ手に、すでに力はない。
「うぁぁぁっぁぁぁっぁぁぁぁぁぁああああああああああああ!」
叫び声が、自分の中に響いた。
251: 弥次郎 :2017/09/20(水) 22:51:54
「あああああああ!?……!?」
叫びながら覚醒したアドルフ・ヒトラーは、自分が“この世で最も地獄に近い場所”とまで称された第一次世界大戦時の
西部AB風防疫戦線ではなく、1921年のドイツ ボンの自宅兼アトリエにあり、自分はベットの上で眠っていたことを自覚した。
自分の伸ばしていた手は何も掴まずに虚空へと伸ばされていることも、寝汗が衣服を嫌なほど濡らしていることも、遅れて認識する。
時間はと時計を見てみると、午前2時ごろ。草木さえも静かな眠りにつく時間だ。
「はぁ…はぁ…夢か…」
瞼の裏に残る幻影。
幼い少女、まるで自分の姪であるゲリ・ラウバルのような、幼く弱い少女の姿。
伸ばした手が届くはずもない。あの少女は西部AB風邪防疫戦線で命を落とし、短い人生に幕を下ろした。下してしまった。
「はぁ……未練がましいな、私は」
今の夢は未練の塊なのかもしれない。そう、未練だ。
救えなかった命は数え切れず、重い病を抱えて何とか生きながらえた人もいた。
そんな中で自分は如何に無力であるかを思い知らされ、自分の力の無さを嘆き、恨んだ。
一時期精神疾患を患った時期もあったが、何とか持ち直している。無事に軍を退役し、こうして元の職に戻ることが出来たのだから。
病で家族を失う痛み。それを、すでに母であるクララ・ヒトラーを失う際に体験している。
あれはまさに「自分」というものが砕け散るかのような、そんな痛みだった。
それを他人に間接的にせよ味あわせてしまったこと。勿論責められることではないと知っている。
ベッドの脇に用意しておいた水差しから、コップへと水を注いで一気に煽る。
喉の奥へとなだれ込む水に少しむせるが、それが生きているのだという実感を強くしてくれた。
水をどん欲に求める体が少し大人しくなったような感じもする。
「ふぅ……」
1921年。あの戦争が終結してから、まだまだ疫病は日常に残り続けている。
スペイン風邪とAB風邪の二種類の流行は、未だに収束の気配を見せていない。
ドイツはもとより、欧州全土や海を渡ったアメリカ大陸においても両方の患者が確認されており、予断を許さない状況だ。
幸い、フランスのパスツール研究所と日本の理化学研究所および北里研の検証から「インフルエンザウイルス」の存在が証明されていた。
そして、弱毒化ワクチンやアルコール消毒液などの対策の物資が火急速やかに提供され、さらに患者の隔離による感染拡大阻止を続けていることで、致命傷を辛うじて避けている。現在も、主にドイツ軍からの退職者たちを中心とする人材派遣会社が危険な任務に取り組んでいる。
正しく献身だ。
自分もまた、教師として、学校経営者として次世代のドイツを担う人材を育てている。
これも一つの献身。知識が無ければ、学が無ければ、そして知恵が無ければ、誤った選択をしてしまう。
ましてや、自分の体に静かに忍び込み、風邪という形でひっかきまわす病気が流行しているのだ。
間違った知識や風聞に流されるとそれはそれは恐ろしいことになる事も、ヒトラーはよく知っている。
「……まだ、戦争は終わっていないのだろうかな」
そうつぶやき、嫌な寝汗をかいた寝間着を緩める。
ついでに、窓もあけ放つ。部屋の中でよどんでいた空気が、少しでも払えるように。
吹き抜けた夜風に身を任せると、少し気が楽になる。
もう一度、水差しからコップに水をとり、ゆっくりと飲み干した。
「ふぅ……」
空になったそれをしばらく見つめ、やがてその身はベッドへと沈んでいく。
あの少女が安らかな眠りと救いがもたらされるようにと、胸中で願いながら。
252: 弥次郎 :2017/09/20(水) 22:52:29
数時間後、再び目を覚ましたヒトラーは郵便受けに届いた数通の手紙を前に深いため息をついていた。
いずれも、政治的な活動への勧誘の手紙である。きちんとした形式の手紙だけでなく、チラシレベルのものも含まれている。
「政治活動、か……」
現在のドイツでは、政治的な活動を行うグループはかなりの数誕生している。
それこそ、雨後の筍という奴である。とはいえ、そこまで本格的な政党にまで至るようなグループは多いとはいえない。
共和制に移行してからは、現状フランスの監視も受けながらも、引責のために退位したヴィルヘルム2世の側近や各地方ごとの有力者たちが拙いながらも連携を取り合い、共和国政府の樹立を行い、選挙に向けた下準備を進めている最中であり、言っては悪いが、弱小グループ程度でそこまでの影響力を持つには至らないことが多い。
それ故に、彼らはパトロンやバックボーンとなる個人や組織に声をかけることが多い。
夜間学校の若き経営者であるヒトラーも、そういったグループから後援の依頼を受ける立場にあるのだ。
そこまで「人気」のあるとは思っていなかったが、教え子や夜間学校の経営などの噂を聞きつけた人々は少なくはなく、元々軍の情報収集を担当していたことなども合わさって有力なパトロンとみなされるのも自然な話だった。
そして、目の前の手紙は自分の目を引いた。
何故目についたのか。それは、オーストリアドイツ語でしたためられていたためだ。
オーストリア人。現在のところ、ドイツにおいてはユダヤ人もかくやの扱いを受ける人種である。
先の大戦の最中に動乱を引き起こし、大日本帝国そしてフランス帝国連邦の参戦を招いた国は、それ故にドイツの敵意の対象となっていた。
その影響は、ドイツのために働いていたオーストリア人へも向けられることが多々あった。感情としては理解できる。
しかし、ドイツ共和国政府や良識あるドイツ人にとって、無関係の人々にまで憎悪を向けるのはどうかという認識が持たれていた。
実際、仕事を追われたオーストリア人を優先的に雇用したり住居を提供する人はいたし、ヒトラー自身も自分の夜間学校でオーストリア人を何人も雇い、場合によって仕事の紹介をしていた。
目を通し終わった手紙を机に置き、ヒトラーはため息を漏らす。
政治活動。あまり縁のなかった活動だ。フランスに、そして大日本帝国へと留学した後はひたすらに勉学に明け暮れていて、そういった方面への知識はあっても実際の活動などは後回しにしていたのだ。学問上では、フランス帝国が成立し、その後に何年も、何十年もかけて憲法や法整備に労力を割き、今日の繁栄を築き上げたことは知っている。
彼等と同じことが、このドイツで果たしてできるのだろうか。どういった方向で進めば、より良い方向に進めるのか。
そのすごさと積み重ねた努力を知るが故に、ヒトラーにはどうしても尻ごみというものがあった。
(しかし……)
しかし同時に思う。
そういった知識を、歴史を学び、学問を教える学校を立ち上げ、経営者となり、さらに教師となったからこそ、他者に教えることができるのもあるのではないかと。自分のやっていることは、どちらかといえば受け身の、学問を学ぶ人が門戸を叩くのを待つというやり方だ。やる気のある、意欲のある人は集まって来るが、そうではない人に対して働きかけることは難しい。そして世の中は、後者の方が多く、数を理屈に大勢を決めてしまう。
現在の民主制は、ものすごく乱暴に言えば大多数の意見を優先する。
とするならば、大多数が間違った選択をしてしまった場合に止める方法が乏しいということでもある。
事実、オーストリアは戦時において誤った選択をとり、あまつさえ政府が意思統一が出来ずに対応を誤り、最悪のシナリオを突き進んだ。
「少し、話を聞くのもいいかもしれないな」
そう思い、時間を見つけて返事を送ることを決めた。
嘗て幾多の恩師に自分が導かれたように、恩師や学友のおかげで狭い視点を取り払うことができたように。
他者に対してもそれをできれば、より良い方向に進むのではないか。そんな希望が、彼の胸の中にともる。
そして大きく伸びをすると、朝食をとるためにキッチンへと戻るのであった。
キッチンにおかれたラジオからは、賑やかな音楽が流れ、夢に魘されたヒトラーに少なくはない癒しをもたらすのであった。
253: 弥次郎 :2017/09/20(水) 22:53:03
以上、wiki転載はご自由に。
ドイツの、というか、ヒトラーにスポットライトを当ててみました。
戦争のあとの戦争。それは、無学・無知に対して一人の人間が挑むというものも、戦争として含まれると思います。
色々試しに書いたのですが、こういった形で無難に落とし込むしかうまくまとまらなかった…
うーん、もっと精進すべきですな
次はフランスの、フランス上層部の様子でも書いてみようかなぁと思います
最終更新:2017年09月26日 10:10