511: 新人艦長 :2017/10/31(火) 12:29:30
マーケットガーデン作戦のSSできたんで投下します。
ウィキへの転載はだれかやってくださいお願いします(ついでに前の英海軍の話も)

512: 新人艦長 :2017/10/31(火) 12:30:12
「橋が遠すぎた。それで済めばよかった。」
 ージェームズ・M・ギャビン准将。ドイツ軍の捕虜になり。

「連中は一体何をやりたかったんだ?なんで完全武装の装甲部隊の上に降りてくるんだ?」
 ーギュンター・フォン・クルーゲ元帥。作戦終了後、この作戦を評して。

「これも英国人のジョークの一つですかね大尉?」
「さあな。だが連中はまだノルマンディーで学習しなかったらしい」
 ーミヒャエル・ヴィットマン大尉と僚友の中尉との会話。この後無茶苦茶無双した。


 ノルマンディーに上陸した連合軍は無能な海軍を呪いつつドイツ軍を少しづつ追い詰めていき、なんとか1944年8月半ばにカーンの市街地を確保し、米軍もコブラ作戦を発動。サン=ロー方面のドイツ軍を撃破してノルマンディー地域を制圧したが撤退するドイツ軍は非常に巧妙な戦術により捕捉する事さえ叶わず、フランスにいた60個師団中56個師団がドイツやオランダに撤退することに成功した。
 これによりフランスを解放したもののドイツ軍は撤退の際ほとんどのインフラを破壊。特に川は橋を爆破した上で機雷をばら撒いて妨害。さらにフランスにあった資源や工業力のほとんどをドイツに輸送(なおこの内芸術品は持ち出しリストになかったのになぜか持ち帰った奴がいたらしい)し戦後復興に支障をきたすことになった。



 こうしてフランスを解放した連合軍だったが、ノルマンディーでの消耗、フランスでの不徹底な追撃、不安定な補給、徹底的に破壊されたインフラにより戦闘力はかなり低下し、9月の頭にはフランスのアラクールでドイツ軍の限定反攻を受け第3軍の1個師団が壊滅する事態が発生しとにかく補給の確保が優先目標とされた。
 そのため次なる目標とされたのはオランダのアントワープ港、そしてスヘルデ川沿岸部とされた。作戦名はマーケット・ガーデン。史上最大の一大空挺作戦である。
 作戦内容はオランダにある4つの橋を空挺3個師団と1個旅団で確保し戦車部隊の進路を確保、そのままオランダ領内を突っ切ってドイツに侵入する非常に野心的な作戦であった。
 このために投入されたのは空挺3個師団、その他3個師団で予備兵力としてさらに10個師団が用意された。

513: 新人艦長 :2017/10/31(火) 12:30:48
 対してオランダのドイツ軍は史実以上の兵力と質を持っていた。
 特にSS第9、第10装甲師団は史実では装甲部隊が壊滅していたがここでは消耗こそしていたものの両部隊合わせておよそ1個連隊程度の戦車部隊が存在し再編成の真っ最中であり、そのほかに第21装甲師団残余(戦車全損。旅団規模)と装甲師団ネーデルラント(元装甲師団ノルヴェーゲン)、SS第101重戦車大隊残余(一個中隊規模)が存在した。
 歩兵部隊では第14野戦師団(L)と第16野戦師団(L)から編成した野戦軍団Lが予備兵力としてほとんど無傷で存在。再編中ながらも降下猟兵一個旅団も存在した。
 また空軍が新型偵察機アラドAr234(某倉崎が関わった結果史実より性能と投入時期が早まった)の偵察によりオランダ方面にて大規模な攻勢が準備中と判明。急遽、フランスより3個装甲旅団(アラクールにて機動防御戦を行い、米軍を撃退した部隊)を緊急輸送していた。
 これにより後にマーケット・ガーデン作戦は英国陸軍史上最悪の敗北と評されることとなる。


 1944年9月27日昼間、オランダ上空に数百機輸送機が侵入、アイントホーフェン、ナイメーフェン、アーネムに空挺降下を開始した。
 だが真昼間、しかも事前偵察などにより大規模空挺作戦を行うと予想されていたので激しい対空砲火を受け比較的前線に近かった第101空挺師団以外は降下時に散り散りになり、一部はどういうわけかドイツ本土に降下してしまった。
 降下時に最も被害の少なかったのはアイントホーフェンに降りた第101空挺師団だが、アイントホーフェンには前線で再編中だった一個歩兵師団が3日前に到着した装甲旅団とともに展開中で、その日のうちに師団の2割の兵士が行方不明になり、アイントホーフェンに向かうはずだった英軍もドイツ軍の巧みな防衛に阻まれ進軍できずその日進撃できたのは僅か5キロ程度であった。
 そのほかのナイメーフェン、アーネムは最悪と言え、集合場所に到達できたのは英第一空挺師団、波第1パラシュート旅団、第82空挺師団の半分程度でさらにその日のうちに第2SS装甲軍団と野戦軍団(L)の反撃を受け苦戦、ナイメーフェンの方はなんとか市街まで進出できたがそこで1個戦車中隊(装甲師団ネーデルラントからの分遣)に支援された第14野戦師団(L)に包囲され孤立。無線の不調も重なり4日後に降伏する。
 アーネムは降下直後に警戒警報を受け緊急出動していた第16野戦師団(L)と装甲師団ネーデルラントに遭遇しまず司令部が壊滅。師団長自身が捕虜になり、その日のうちに師団の5割が戦死するか捕虜になり3日目までに空挺部隊は粗方壊滅するのだった。
 さらに夜にはドイツ軍が初めて大規模な夜間攻撃を行い各地で大混乱が発生、翌朝までに戦車30両以上が全損する。(なおそのほとんどが戦車部隊の夜襲により大混乱を起こした結果の誤射だった)

514: 新人艦長 :2017/10/31(火) 12:31:33
 2日目には英軍の攻撃は鈍化するも少しづつ前進、その日の夕方にはアイントホーフェンを解放するも第101空挺師団はほぼ壊滅。師団長以下の高級将校のほとんどが戦死、ないし捕虜になっていた。さらに言うと撤退時にアイントホーフェン地区のの橋は爆破され架かってはいたものの戦車が通ろうとして耐え切れず崩落、戦車10両が落下、兵士100名以上が死亡する事故となる。
 そのため架橋作業のためさらに一日進軍が遅れることになる。


 3日目、この日アーネムの英軍およびポーランド軍が降伏。さらにナイメーフェンの隣町で第82空挺師団の一部が降下していたフラーフェの米軍も降伏。
 唯一残ったナイメーフェンの米軍もこの日の夜までに弾薬を打ち尽くした。(英軍はアイントホーフェンで「よーしぶっころがせ!」してた)


 4日目、ついにナイメーフェンの米軍も降伏。進撃していた英第30軍団はアイントホーフェンの北20キロで停止。ここで第101SS重戦車大隊残余と2個SS装甲師団の挟撃を受け戦車50両以上を喪失。前衛部隊に至っては包囲殲滅された。(なおここでヴィットマンが無双、一両で戦車8両、その他装甲車両30両を撃破した)

 5日目、アイゼンハワーが直接モンゴメリィに作戦中止を命令。この作戦は失敗に終わった。
 またこの日英第30軍団に対する攻撃がさらに激化撤退を開始するも執拗な追撃により3個師団中2個師団が壊滅判定、装甲旅団に至っては全滅判定を食らうほどだった。





 最終的なこの戦いの損失は、
<連合軍>
戦車:約180両以上(内鹵獲約20両)
その他装甲車両:約200両以上(内鹵獲約40両)
車両:約250両以上(内鹵獲約80両)
火砲:約130門(内鹵獲約20門)
グライダー:約300機
航空機:約400機
兵士:約5万人(内捕虜約2万人)
2個空挺師団・1個空挺旅団・1個装甲旅団全滅、1個空挺師団・2個歩兵師団壊滅


<ドイツ軍>
戦車:約80両(内全損30両)
その他装甲車両:約90両(内全損20両)
車両:約150両(内全損120両)
航空機:約20機
火砲:約80門
兵士:約1万人
2個歩兵師団・1個装甲旅団壊滅。

判定:ドイツ軍の防衛成功による戦略的勝利。

 この戦闘によりオランダ方面の戦局は硬直化するもドイツ軍もこの戦闘で損耗したため11月までに徐々に独国境地帯まで撤退した。(なおやっぱり橋は爆破して機雷もばら撒いておいた)
 その後オランダ方面は12月のラインの守り作戦まで比較的平穏に推移、3月にヴァ―シティー作戦でライン川を超えるまでは独国境地帯で戦線は固定された。
 ちなみにモンティはクビにはならなかったが影響力が低下、終戦まであらゆる面で最下位の扱いをされた。


 戦後この戦闘を描いた映画「遠すぎた橋」は戦争映画の傑作として名高い太平洋戦争を描いた「ウェスタスター・イーストサンシリーズ」にならぶ戦争映画として大ヒット。
 緻密な特撮で描かれた海戦ものとは真逆のリアルを追求し当時使っていた本物の兵器を実際に使用。特に本物のパンター戦車やティーガー戦車などによる戦車戦のシーンは現代でも史上最高の戦闘シーンの一つとして数えられている。

515: 新人艦長 :2017/10/31(火) 12:32:43
  • おまけ
装甲師団ネーデルラント
 装甲師団ネーデルラントは元々ノルウェーで第25装甲師団の残置部隊と機材をもとに編成された装甲師団ノルヴェーゲンだったが、1944年6月にノルウェー方面の防衛体制の大幅見直しが行われ第14野戦師団(L)(旧第14空軍野戦師団)とともに44年6月30日付でオランダへ輸送、そこでフランスより撤退してきた部隊から師団の拡大編成が行われ、歩兵部隊、戦車部隊、工兵部隊、砲兵部隊が2個大隊編成に、2個オートバイ偵察小隊からなる偵察中隊が創設され、7月10日付で名称が装甲師団ネーデルラントに改称された。
 8月にはフランスより来た第213重戦車大隊と空軍の高射砲軍団残余から編成された高射砲大隊「オストヴァルト」(ハンス・オストヴァルト大尉)と撤退してきた各種東方義勇兵部隊のうち、士気、装備、練度に優れ、信頼のおける部隊から編成された歩兵大隊「パトリチェフ」が配備された。
 その後9月に第16野戦師団(L)(エーリヒ・ホーネッカー少将)と第14野戦師団(L)(ウィリバルト・メルカッツ少将)とともに野戦軍団(L)(グスタフ・フォン・ルプレヒト大将)を編成、オランダ方面の軍予備として後方警備などを行った。
 9月27日より始まったマーケット・ガーデン作戦では空挺部隊が降下した地域を担当していたため僚友の2個野戦師団にそれぞれ戦闘団「フラッハフェルト」(クルト・フラッハフェルト大尉)、「ローエングライム」(ラインハルト・ミューゼル・フォン・ローエングライム少佐)を送り作戦失敗に大きく寄与。
 マーケット・ガーデン後第21装甲師団再建のため10月15日付で解隊、人員はカッセルへ送られそこで第21装甲師団再建の基幹要員となる。装備は同じくカッセルに送られ、45年のルール地方の戦いで戦闘団「カストロプ」(マクシミリアン・カストロプ大佐)の装備に使用されカッセル北東のハン・ミュンデの戦いで壊滅したとされる。

516: 新人艦長 :2017/10/31(火) 12:33:49
<編成(1944年9月時>
○師団本部(フリッツ・フォン・リップス少将)
 ・本部中隊
 ・2個警察戦車小隊(各FT17×5)
○装甲擲弾兵連隊ネーデルラント(ゲルト・フォン・フレーべ大佐)
 ・連隊本部
  ・本部中隊
  ・通信小隊
  ・1個補給段列
 ・第1大隊(ラインハルト・ミューゼル・フォン・ローエングライム少佐)
  ・大隊本部
  ・3個歩兵中隊(各重機関銃×2、軽機関銃×16)
  ・第4重装備中隊
   ・第1重迫撃砲小隊(ソ連製120㎜迫撃砲×4、軽機関銃×6)
   ・第2中型迫撃砲小隊(フランス製81㎜迫撃砲×6)
   ・第3戦車猟兵小隊(Pak97/38×3)
   ・第4高射砲小隊(Flak30×4)
   ・第5軽歩兵砲分隊(ソ連製75㎜歩兵砲×2)
 ・第2大隊(クルト・フラッハフェルト大尉)
  (第1大隊と同様)
 ・歩兵大隊パトリチェフ(フョードル・パトリチェフ少佐)
  ・4個歩兵中隊(各重機関銃×2、軽機関銃×15)
○戦車連隊ネーデルラント(ヴァルター・G・F・マイントイフェル大佐)
 ・連隊本部(3号戦車×10)
  ・本部中隊
  ・通信小隊
 ・第1大隊(カール・ケンプ少佐)
  ・大隊本部(3号戦車×3)
  ・4個戦車中隊(各3号戦車×10)
 ・第2大隊(ウルリッヒ・ケスラー少佐)
  ・大隊本部(各種フランス製戦車×2)
  ・3個戦車中隊(各各種フランス製戦車×15)
 ・第213重戦車大隊(フリッツ・ビッテンフェルト大尉)
  ・大隊本部(B1重戦車×2)
  ・2個重戦車中隊(各B1重戦車×11、火炎放射戦車改造B1戦車×5)
 ・整備中隊(3個小隊)
○偵察中隊ネーデルラント(カール・フォン・バールト中尉)
 ・2個オートバイ偵察小隊
○砲兵大隊ネーデルラント(エルネスト・メックリンガー中佐)
 ・大隊本部
 ・3個砲兵中隊(各ドイツ製又はフランス製榴弾砲×8、軽機関銃×5)
○工兵大隊ネーデルラント(ジークフリート・キルヒアイス大尉)
 ・大隊本部
 ・3個工兵中隊(各重機関銃×2、軽機関銃×15)
○戦車猟兵大隊ネーデルラント(アウグスト・ワーレン少佐)
 ・大隊本部
 ・2個中隊(各R35戦車改造対戦車自走砲×10)
 ・1個突撃砲中隊(3号突撃砲×10)
○高射砲大隊オストヴァルト(ハンス・オストヴァルト空軍大尉)
 ・大隊本部
 ・3個高射砲大隊(各Flak18/36/37/41高射砲×10)
 ・3個機関砲中隊(各37㎜Flak36/37/43または20mmFlak30/38/Flakvierling38×10)
○その他支援部隊
(合計:人員1万1569人、対戦車自走砲20両、戦車136両、迫撃砲20門、火砲34門、突撃砲10両、高射砲30門、高射機関砲38門、車両300両、オートバイ380台)

517: 新人艦長 :2017/10/31(火) 12:37:18
いかがでしょうか?最後のおまけは「ぼくのかんがえたさいきょうのびんぼうぶたい」です。はい。
なんで装備の質はあれだけどその他は恵まれてます。
指揮官の名前は面倒だったんでドイツっぽい名前のキャラから拝借してます。だれがだれか分かるかな?
正直英軍が酷いけど反省はしてない。だってこれからもっと酷い目に合わせるつもりだし
最終更新:2017年10月31日 20:22