504: 弥次郎 :2017/11/01(水) 22:35:57

「時代は流血を望んでいるのか・・・本当に黙示録の時なのかもしれないな」

      • 流血沙汰が相次ぐ北アイルランドの情勢を聞いてのジョージ5世


「我々は今こそ立たなければならない」

      • シン=フェイン党のビラより


「火事場泥棒だってもっとましなふるまいをするぞ…」

      • イギリス日本大使館のとある武官




日仏ゲート世界 War After War4 -The Patriotic Murders-





愛国者。
ラテン語で「祖国」を意味する「patria」から生まれた単語。
ナショナリズム、あるいは民族主義にも通じるその言葉は、国を愛する、あるいは憂いる人々のことを指している。
国を愛するとはどういうことであるか。献身か、殉国か、それともそれ以外か。少なくとも、誰かが国家という集団に対して行う行為や考え方などを指しているのは間違いないであろう。

しかし、その愛国という言葉は一種の言い訳ともなっている。
理由づけとも言ってもよい。
国を愛するならば、行動に移せよという理論。
あるいは、愛国という言葉に踊らされる人々。
元々の、ラテン語の「patria」の語義から大きく離れてしまい、愛国から遠ざかってしまったのは悲しむべきか。

西暦1918年から数年の間、その「愛国者」という言葉は、ある事件をきっかけに忌避感を植え付けられる事となる。
グレートブリテン及びアイルランド連合王国を構成するアイルランド。
そこにおいて、アイルランドの独立を、民族自治を求める運動と、それに端を発する混乱が発生。
アイルランドという国家を愛し、憂い、そして行動に移した人々の起こした惨劇と、それに対するグレートブリテン側の、WW1時の苛立ちも含んだ苛烈な報復と鎮圧。その二つは互いの尾を噛みあう蛇の如く、流血共に席巻した。

皮肉なことに、双方の行動の原動力は同じ「愛国心」であった。
アイルランド側は自らの国を持ちたいという願望。
グレートブリテン側はこれ以上国体が崩落しては困るという願望。
世の人々は、これを愛国者紛争とも皮肉った。

505: 弥次郎 :2017/11/01(水) 22:38:46

西暦1918年1月。イギリスの代表団が詰めるドイツ ニンフェンブルクの某所。
連日の議論で疲労していたデイビット・ロイド・ジョージの元に一つの凶報が飛び込んできていた。
その情報は、俄かには信じがたいものであった。だからこそ。ジョージは確認を何度もとった。

「それは事実なんだな?」
「はい、既に各所で暴動まで……」

だが、それに答える外交官の顔は、それが事実であると物語っている。
蒼白を通り越して鉛色の顔に、起こっている自体がどのように祖国に影響しているのかを把握してしまったことによる苦痛の表情。

「この調子では……アメリカを引っ張り出しての講和会議の勢力争いは不可能ということか」
「そうです。アメリカ国内において経済的混乱の発生と、それに伴う企業の倒産、そして中南米系アメリカ人の大量解雇、
 そこから生じた暴動やストライキなどにまで発展しております。その影響は、予測の範疇ですが、こちらに」

口頭の報告だけで既に顔色を悪くしていたジョージは、差し出された書類や新聞の切り抜きなどを見てさらに悪くした。
うめき声が漏れ、手に震えが走る。だが、辛うじて茫然自失となることだけは回避した。落としかけた書類をしっかり手にしたままだ。

アメリカの経済的な混乱は、今回の停戦の前後にはすでに発生していたとある。
疫病の発生がニューヨークを中心とした地域でも見られていて、それと似た症状の患者がヨーロッパにも表れているので、
それが正しいにしろ間違いであるにしろ、因果関係を結びたくなるのは必然だろう。そしてその疫病の発生は、文字通り対岸の火事と決めつけてカネ稼ぎに余念がなかったアメリカ経済界の全てに冷や水を浴びせる結果になったのだろう。
WW1開戦前のアメリカの経済的な開拓は既に行き詰まりを見せており、それを利用して戦争特需を見込める今回の戦争に引きずり込んだのだが、よりにもよってその経済が原因で役立たずに陥るとは。これでは交渉の席において日仏に対抗できないではないか。
ひとしきり悪態をついたロイド・ジョージは周囲を見渡し、問うた。

「となれば、もはやこの講和会議の流れは握れない、握る余裕などないということだな?」

周囲の人間の無言が、その問いかけに対する答えであった。
その沈黙にふん、と鼻を鳴らし、ついでに冷めきった紅茶を一気に喉へと流し込む。

「ならば、交渉での点数稼ぎに終始するしかないだろう。もはやフランスも日本も止まらん。
 可能な限り利益を守り、妥協点を探るしかあるまいよ」
「しかし……」

傍らの男が、それに苦言を呈そうとした。
どう考えても、ここで、戦後の条約において価値を最低でも拾わなければ立つ瀬がない。
多くの将兵が戦死し、あるいは病魔に蝕まれて命を落としたのだ。
国民にしても多くの税金が、富が、あるいは志願兵たちの命を費やして碌に得られなかったとあれば不満もあるだろう。
それをこの場の、英国の政治のかじ取りを行う男が述べるということは、ある意味では背信に他ならない。

「分かっている」

絞り出すようなジョージの声に、再び沈黙が降りた。
力のない、老いた老人のようなその声は、しかし覇気は失ってなどいなかった。彼は、全く諦めていない。

「諸君。祖国は、我らが敬愛すべき国王陛下のおわす連合王国はまさに危機にあるのだ。
 この大戦争で大きく消耗し、インド、アフリカ、中東、アイルランドといった植民地は不穏な動きがある。
 だからこそ、だからこそ我々は立ち向かわねばならんのだ」

彼の声だけが響く部屋。
イギリスの政治を任されている紳士たちは、そのトップの言葉をかみしめていた。

「忌々しい風邪のこともある。暗黒の時代となるだろう。
 だが、これを超えねば英国は夜の露の如く消え去るのみ。
 今はこの瞬間が最悪であることを祝おう。そして、未来の栄光を願おう。
 何、私が少々泥を被れば、良いだけのこと……栄光の輝きが、未来の称賛こそ私を照らしてくれる……」

最後はもはや自分に言い聞かせるかのように言葉は紡がれた。

「諸君らの愛国心に期待する」

それまでの資料を放り投げると、ふと周りを見渡して一喝した。

「さあ、忙しくなるぞ!本国との連絡を取れ!方針の転換は避けられんぞ!働け、馬車馬の如くな!さあ、急げ!」

あっけにとられた英国紳士たちは、我に返ると大慌てで動き出した。
それまで止まっていた歯車が、ジョージの発破によって回転を始めたのだ。
もはや勝てえないかもしれない。だが、まだ。まだ負けてなどいない。彼等の意志は、一つとなっていた。

506: 弥次郎 :2017/11/01(水) 22:40:12

第一次世界大戦の終結。
それは、同時に世界規模の経済混乱・情勢混乱の幕開けでもあった。

特に、第一次世界大戦に参戦し大きく疲弊した宗主国を見てとった被支配国---それが植民地であれ、経済支配であれ、一地方であれ---は、これに乗じて自らを縛り付ける鎖を、大国の支配体制を、抑圧され続けることを選ぶ自国を変えんと立ち上がったのである。
世界大戦の講和会議において提唱された民族自決・民主主義の概念は、そうした民族主義・国家主義に理論的な影響を与えたのだ。

そして、大英帝国、グレートブリテン及びアイルランド連合王国にとっての死活事項となったのがインドであった。
「イギリス国王の王冠にはめ込まれた最大の宝石」とされるイギリス領インドは、実質的にイギリスの全てであった。
インドを踏み台とすることで、イギリスはその巨大な国体を維持していると言ってもいい。多くの植民地が出費に対して収入が追いついておらず、
実質的な赤字であったにもかかわらず帳尻があっていたのも、インドからの搾取のおかげである。

さて、そのインド以外で何が悩みの種かといえば、そうではない。
もっと近い、遠く離れたインドではなく、すぐ近くのアイルランドであった。
「のどに刺さった小骨」と評されるアイルランド問題の根はとても深い。
史実においては1914年9月、第一次世界大戦の勃発に合わせてアイルランド自治法というものが採択された。
これは短期戦とならず、ずるずると消耗戦となったことで結果的には流れていき、さらにアイルランド問題として後年も残り続けるのである。

この世界においては、さらに厄介な事情が存在した。イギリスは史実以上に疲弊していたことである。
どうしようもない疫病の流行と戦争の実質的な引き分けとほぼ無賠償の決定。
消耗した軍の、特に海軍の艦艇をはじめとした戦力の補充、そしてオスマン帝国への賠償の支払い、進化した兵器への対応、国内にも蔓延し始めた二種類の風邪への対処。これらは戦争以上の勢いでイギリスの国力をそぎ落としていった。
これは別にイギリスだけではなかった。むしろ、イギリスはニンフェンブルク体制の監督を務めるフランスや、フランスのバックアップを担当する大日本帝国よりも楽とさえいえた。だが、それは慰めにすらならない。

そしてアイルランドの人々が危惧したのが、この負担を、支配層側にいるイングランド側の失態による負担を、
自分達を搾取することで補おうとするのではないかという事態だった。この懸念は、案外間違ってもいない。
自国経済に対して保護的な政策を打ち出していたイギリスであったが、その政策に積極性はやや欠けていたと言ってよい。
今後負担となる出費を賄うにはやはり税を取り、他国との交易によって設ける必要があった。だがその交易は疫病により急速にしぼんでいる。
ならば、税収に頼らざるを得ない。この段階でアイルランドが独立あるいは自治を導入されれば、税収にも響くのではないかという答弁があったのだ。一地方と言えど、その税収というのは馬鹿にならないのである。

自治権を盾として何かしら不利になるような条件を押し付けられ、自治独立が流れてしまうかもしれない。
その不安は何処からともなく沸き上がり、アイルランド領内で急速に拡大していった。人々の不安を糧として、史実同様にシン=フェイン党は急速に支持を伸ばしていた。むしろ、将来への不安を持つ人々の支持を集め、
シン=フェイン党は史実以上に拡大しつつあった。

そしてその拡大は、必然的に解釈の違いによる分裂を招き、先鋭化の下地となってしまった。
ロイド・ジョージ挙国一致内閣は、アイルランドにおける自治独立を求める運動が過熱し過ぎる前に迅速に対応を決定。
その時期は、史実よりも早い、1919年のことであった。
一説には、ロイド・ジョージはニンフェンブルク条約の締結の会議の最中にイングランド・アイルランド間の今後について試作を巡らせていたとされる。
その下準備にどれほどの時間と労力が割かれたかは、現在では断片的な資料しか見られない。しかし、事実として彼は成し遂げたのである。

プロテスタント系とカトリック系の住人がどちらに帰属するかを選べるようにし、その線引きについても慎重に議論を交わした。
また、アイルランドとイングランド間での関税の一部撤廃や両国間の保護的な交易を認めて経済的なつながりを維持し、どちらかが一方的に不利になるという事態は避けられていた。同時に、AB風邪そしてスペイン風邪に対する対応をこれまでのように一致して行政や政治的な行動を行うためにホットラインの形成と、相互的な援助体制の確認が行われた。

507: 弥次郎 :2017/11/01(水) 22:40:48
ここには「ケルトの魔術師」ロイド・ジョージの努力とマイケル・コリンズの間で行われた交渉が大きな成果を上げていた。
ここで国家を分断するような事変が起これば、それこそイギリスという国家は分解するしかない。そのような恐怖が、イギリスを突き動かしていたと言ってもよい。アイルランド側にしても、独立の後に国体を維持できなくなるのは避けるべきであった。
穏健派は、少なくとも急進的ではない派閥は緩やかな独立と混乱する情勢に流されない流れを求めており、妥協点を導くのは比較的容易かった。

しかし、全島独立を求める派閥と北アイルランドを除く地域の派閥でシン=フェイン党は分裂を迎えることとなった。
この激しい内輪もめは、アイルランド独立戦争とアイルランド内戦にまで発展。マイケル・コリンズの死を招いてしまう。
元々支持層が広かったが故に、細かな解釈や地域ごとの意見の違いは大きく膨らんでおり、その下地は図らずもシン=フェイン党自身が作っていたのである。
この時だからこそ、イギリスが、イングランドが疲弊している時だからこそこれまでの支配の報復をなすべきだという、過激な風潮が高まったのである。否、イングランドの上にアイルランドが立つべきであるという声までも上がった。

これにはアイルランド側もイングランド側も流石に慌てた。二つの疫病がドーヴァーを隔てた欧州で、そしてひざ元でも確認されていて封じ込めるのに躍起になっているというのにこのタイミングでの独立論争。
おまけに先鋭化も著しいとの報告が上がってくるレベルである。最悪の場合、欧州に黙示録の時をもたらさんとする勢力とみられるかもしれない。
焦りが怒りを、怒りは暴力と短絡的な思考を生む。これもまた、アイルランド内戦にさらなる薪をくべる結果となった。

指導者の死はそれこそアイルランドの勢力が一致するための大きな楔を失ったに等しく、より先鋭化と過激化が進んでく。
さらにこのマイケル・コリンズの死はロイド・ジョージにも影響し、心労から彼は一時期病院送りとなってしまう。
この空白の間、より短絡的な解決を求めたイギリスはついに強硬策へと打って出ることとなる。
虐殺や住民同士の激しい争い、治安維持の名のもとの軍の投入、さらなる流血。
報復の連鎖が、二つの島の間で発生し、繋がったのである。
正しくそれは世界を構成する円環の、その一端であった。

ここから先は、あえて語るまい。
結果だけをいうならば、アイルランドとイングランドの間における流血の歴史が、再び重なったということである。

後世の人々は、歴史家たちはこの時のあまりにも流血を望むような時代の流れに疑問を呈する。
何故、このように狂気ともいえる行動に走り続けていたのか、と。
だが、一つ確かなことがある。
そうでもしなければ、彼らは彼らたりえなかったのである。
何かがおかしいと思いながらも、止まることが出来ない、止まってはならないと彼らは進み続けたのだ。
それが正しい道であると、正しい選択であると信じて、何処までも。

508: 弥次郎 :2017/11/01(水) 22:41:37
以上、wiki転載はご自由に。
Never Be Game Over.
彼等の戦争もまた、終わらない。


さて、次はオスマン帝国をはじめとした中東、そしてソ連とロシア帝国ですかねぇ……
あと3,4話でけりをつけたいところですな

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最終更新:2017年11月05日 11:24