62: 新人艦長 :2017/11/10(金) 14:45:30
<倉崎グループ>
 倉崎グループ(ドイツ語:Kurasaki-Gruppe)とは1930年代半ばから第二次大戦終結までおもにドイツで活動した日本人技術者・軍人の総称。
 名前の由来はそのなかでも中心的存在として活動していた倉崎重蔵から。

(始まり)
 1936年に締結された日独伊防共協定締結後、日本側からドイツに日本人技術者と一部軍人を研究等のため留学させたいという申し出により、1937年より始まった日独人材交流計画で日本からドイツにやってきたのが倉崎重蔵以下の技術者20名前後と陸海軍の軍人10名が始まりである。
 彼らは日本で提案したものの、上層部の無見識無理解、技術力不足などを理由に日本で没になった各種設計図、戦術、理論に関する書類を丸々持ってきており、留学した企業やドイツ軍に対して提案し、大きな衝撃を与えた。

 特に開発が始まったばかりだったジェットエンジンとレーダーにおいて大きな影響を与えた。

63: 新人艦長 :2017/11/10(金) 14:46:00
(主な影響)
 メッサーシュミット社では倉崎重蔵の知識量に衝撃を受け、当時設計中だったBf109の改良型の設計に関わらさせ、Me210の設計主任として設計させた。

 BMWは開発中だったBMW801とBMW003エンジンの設計に関して日本人技術者の協力により想定以上のスピードで開発に成功、これがなければ戦中の独本土防空戦は数倍の被害を食らっていたといわれる。

 テレフンケン社は日本人技術者の持ち込んだ短波方向探知機とレーダーの設計開発に影響を受け、38年にはKLG(Kurzwellenrichtungsdetektor:短波方向探知機)の開発量産に成功。
 このシステムによりグラーフ・シュペーは捜索中の英艦隊を先に発見し追跡を躱すことに成功、大型であったためUボートには搭載されなかったものの、水上艦に搭載され多くの輸送船を潜水艦から守ったことで知られる。
 レーダー開発では39年にリヒテンシュタインとウルツブルグレーダーを開発、43年までに航空機用のNK(Notwendiges Kampfradar:要撃戦闘用レーダー)と爆撃照準用のBZ(Bombenzielradar:爆撃照準用レーダー)を、警戒用レーダーとしてFUMG-41フレイヤを開発。高い精度と信頼性により防空戦で活躍した。

64: 新人艦長 :2017/11/10(金) 14:46:34
 軍では、いくらスペイン内戦での実戦経験があるとはいえ、現在進行形で中国で戦っている日本軍の航空機運用や陸軍や海軍のノウハウを得るため受け入れるがそこで日本側から各種新戦術を得ることになる。

 陸軍では日本から来た陸軍将校による大規模な夜間強襲戦術や新たな砲兵運用システムを即座に導入。また日本側から教えられた戦略、縦深突破戦術と縦深防御はドイツ軍内部で大きな反響を呼び、電撃戦を中心としながらもこの戦術を歩兵閥は積極的に取り入れた。また対ゲリラ戦術なども積極的に取り入れた。

 海軍では水雷戦術や砲術に関して日本側からの影響を受け、建造中であったティルピッツの設計を一部変更して間接防御を追加するなどした。

 空軍は日本からの影響を最も濃く受け、まず一撃離脱一辺倒だった戦術に機織り機動と呼ばれる編隊戦闘戦術を取り入れたことにより、ドックファイトにおける不利を補ったほか、夜間戦闘戦術「ザーメ・ザウ」と「ヴィルテ・ザウ」を取り入れ、大規模な夜間対地攻撃部隊の創設を提言するなど夜間戦闘では日本側の影響が濃かった。
 そのほかに対爆撃機編隊戦術「シュトルム・イェーガー」や上方背面垂直攻撃戦術はコンバットボックスを打ち破るのに重宝された。
 また空戦戦術の体系化にも関与、爆撃機部隊の編隊飛行法「Kampfbox」などを提案した。
 これら戦術は当時ドイツ空軍の訓練パイロットだったものに特に強い影響を与え、特にヘルマン・グラーフはこれら戦術を使い「ヤンキーキラー」の異名で恐れられたほか、世界第3位のエースパイロットギュンター・ラル氏も戦後の著書でこれら戦術がなければ多くの戦友を失っていたと書いている。

 これら以外にも多くの影響をドイツなどに与えた。

65: 新人艦長 :2017/11/10(金) 14:47:04
(その他)
  • そのほかにこのグループには変人も多かったとされ、中には「邪気眼」なるものを持っていたという技師もいたほか、ナチスの魔の手から多くのユダヤ人女性を救い戦後、諸国の中の正義の人を授与されたものも存在する。

  • このグループの強い影響を受けたドイツ空軍ではよく日本人が描いていた絵を機体に描くことが流行したという。

  • 彼らの薫陶を受けた多くの軍人は戦後、日本を訪れ、ゴードン・ゴロプやヘルマン・グラーフを初めとする一部はそのまま帰化し新生ドイツ空軍と日本国防空軍の交流を支えた。

  • 彼らの影響を受けたのは戦闘機パイロットだけでなく爆撃機パイロットも影響を受けており、スツーカ大佐として知られるハンス・ウルリッヒ・ルーデルは戦後、日本空軍で対地攻撃の専門家として教鞭を振ったほか、自伝で「どういうわけか日本人は私のことを気にかけてくれた。」と書いている。

  • 戦後多くの戦前~戦中期のドイツを描いた作品では日本の変人技術者が主人公やユダヤ人女性を救うといった役柄で多く登場したりする。

  • またこのグループの代名詞的存在である倉崎重蔵は某パンツじゃないから(ryにおいて彼をモデルにした倉科重子というキャラが登場する。

66: 新人艦長 :2017/11/10(金) 14:49:29
はいいかがでしょうか?
ちょっと遊んでみました。
別に倉崎と「自重?なにそれくえるの?」な奴しかいない(偏見)転生者ならこのぐらいやりそう。
ちなみにゴロプさんとグラーフさんの人生滅茶苦茶変わってます
最終更新:2017年11月11日 10:43