268: 弥次郎 :2017/11/21(火) 16:45:30
「万物の根源は即ち水である」
「リアル暗黒時代」
「現実が空想を飛びぬけてくるとかリアル先輩やべぇ」
「汚物一つで戦争になりかけたか……笑えないな」
日仏ゲート世界 日仏世界の水事情 -Gardez a l'eau!-
西暦1600年2月。
フランス王国と織田幕府(フランス側主観 織田王国 織田連合王国)の交流が始まった後のことである。
岐阜城の廓の一角、夢幻衆に研究用として割り当てられたそこには、多くの
夢幻会メンバーが集まっていた。
彼等の前には大きめの桶があり、そこには水が入っていた。彼等はそこから柄杓で水を掬って飲んだり、あるいは希少な、実験室レベルで作ることに成功していたガラスの試験管にいれて振り交ぜていた。
対比するように並んだ二つの試験管内部では水と合成された石鹸が振り交ぜられており、片方ではよく泡が立ち上がり、片方ではあまり泡が出来ていないのが窺えた。
やがて、一人が結論をぽつりと漏らした。
「んー……やはり、あれだな。硬水だな」
「ああ」
飲んだ人間の多くが、渋い顔をするその水。
ゲートがつながった先であるフランスから持ち込まれた、フランスの、欧州の水だ。
口に合わないという声が次々と上がっていたし、髪や衣服が硬水に触れて影響が出たケースが多く見られた。
単純に欧州の水が綺麗とは言えないのもあって、日本人に不評だった。
「どうする?水が合わない、と表現していたが、まさにそれだぞ?」
「あちらに派遣した人員も体調を崩している人間が多いようだ。
もてなしなどは受けるのが礼儀であるが、苦しめられるのもまた問題だぞ」
「では、予定通り……?」
「ああ、こちらから輸出するとしよう」
夢幻会の導き出した結論は、ごく単純な物。
即ち、現地の水が合わないならばこちらからあちらへと持ち込めばよいのである。
大陸である影響なのか、それとも地下資源および地層の変化があったのか、少なからず硬水が沸き上がるようになっていた。
しかし、それでも日本の水の多くが軟水であり、日本人が受け付けやすいのはやはり軟水であった。
それに加えて、単純に欧州においてきれいな水が確保しにくいというのも絡んでいる。
綺麗な水よりもアルコールの方が安く、如何にアルコール濃度が低いとはいえ摂取を続ければ悪影響も考えられる。
斯くして、フランスとの交流が始まった
日本大陸からは現地の日本人向けに岐阜の水が次々と輸出されることとなった。
派遣される人員が少数であったためにその人間が一日使用する程度はたやすく提供できる。人の行き来はもちろんのこと、物質のやり取りもゲートを通じて問題なく行えているので、本来の交流よりもより手軽というのも後押しした。
「しかし、フランスに水を輸出か……」
「『フランスの水』に対する皮肉だな、はっはっは」
賑やかに議論をする夢幻衆はその日もいくつもの議論を交わしていったのであった。
269: 弥次郎 :2017/11/21(火) 16:47:12
1600年代の交流開始以来、日本からフランスへと輸出されたリストの上位を占めているのが水であった。
当初こそ現地の日本人の為という目的が存在したが、豊富にきれいな水が確保できる日本大陸からの供給は、当時の欧州の、フランスの人々にとっては正しく天の恵みであった。
この水の輸出は、フランスにおいて水の蒸留技術の普及およびろ過技術の発展まで安定して続けられた。
欧州の料理に不向きとはいえ、口当たりがよくきれいな水というのはそれだけでも一種のステータスとなりうるものだった。
そして、特に綺麗な軟水は上流階級、特に女性に受けた。
軟水は人体に含まれる水分に近い性質を持ち吸収に優れ、香水などと異なり衣類や肌そして頭髪にダメージを与えにくい。
当然、髪を洗い流してもカルキが残ることもないし、汚れを落としやすいというメリットがある。
あくまで硬水と比較して、という但し書きはつくべきであるが、それでも効果があることは確かである。
まあ、当時に現代の感覚と理論を持ち込んでも理解されないのも道理なので、同じ衣類を硬水と軟水で洗濯し、その比較を見せつけるなどして分かりやすくして売り込んでいた。
水の輸出は、フランスの衛生環境、少なくとも日本人が訪れることになるオルレアンの環境を改善せねばという強い意志も絡んでいた。
人の行き来ができるということは、ペスト・コレラ・ペスト・天然痘、エイズや梅毒などの性感染症の流入の可能性があるということでもある。
劣悪とも言ってよい欧州の衛生環境と繋がれば、その影響はゲート越しにも日本に及ぶ。
単純に汚いという理由だけではない、と鬼気迫る織田幕府側に、フランス側は戸惑いながらもそれに応じるしかなかった。
実際にトラブルとなったのだから、当然と言えば当然だった。
その具体例を見て行こう。
ある時、幕府の使節団が街を移動中に随行員の一人が二階から汚物を浴びせられた。
勿論悪意のあってのことではない。当時の欧州は汚物を屋内にためておいて窓から捨てるのが基本であり、それを避けるために道の端を歩くのは危険が付きまとっていたのだ。そして汚物を捨てたフランス人も形式的とはいえ警告を発していた。
しかし、そんな事情をどうして知ることが出来ようか。欧州の悪夢ともいえる衛生環境はただでさえ日本人の感性には合わないのに、そんなところにこの仕打ちである。あわや刃傷沙汰となりかけた。これは咄嗟に止められはしたものの、双方にしこりを残してしまった。
フランス側としては運が悪かったのだと言いたくはあった。欧州の常識的に考えてそれは不幸であって、しかし、かと言ってそれを欧州をよく知らない日本人に察しろというのは酷な話である。
まして、国の使節団に対しての行為だ。下手をすれば戦争である。
織田幕府軍何するものぞ、という声もあったのであるが、織田幕府が持ち込んでいた獣たちはフランス軍に威圧を与えていたし、充実した装備ははたから見ても明らかであって、その統率・統制のとれた動きや行軍は警戒するに値した。さらに織田幕府の領内、少なくとも岐阜周辺の衛生環境の良さは伝え聞こえてきたし、実際に見ることが出来たことも大きな影響を与えていた。対策さえしていれば防げたのでは?という追及を受けると、フランスは抗弁のしようが無かったのである。
織田幕府側にしても、国内ならばともかく交流を始めたばかりの異国で無礼討ちをやりかけたというのは問題であった。
江戸時代もそうであったが、無礼討ちをした場合には速やかに届出を行い、しかるべき処置を待つ必要があった。
織田幕府においてもそれは風紀取り締まりの一環で導入されていたが、明言されていないとはいえ国内法である。
心情を理解できるとしても、暴走と受け取られる行為であった。戦国の気風がまだ残っているといえばそれまで。
しかし、その程度でいきなり刀抜いてよいものかと議論になった。外国との付き合いの経験のなさというものが、ここで露呈したのである。
結果として、双方が謝罪を行うとともに、対策を実施することで手打ちとなった。
フランス側は衛生環境を改善することを確約し、幕府側がそれを援助すること。
トラブルを回避するために常識のすり合わせや話し合いの場を設けること。
そして、文字通り、今回の件は水に流すこと。
270: 弥次郎 :2017/11/21(火) 16:48:22
残ったしこりは、思いのほか大きかった。
織田幕府は急遽、フランスとの折衝を担当する奉行を立ち上げて情報収集などを始めた。
また、ゲートを通じての交易でフランスでの水の需要、特にきれいな水の需要は拡大の一途をたどり、輸出する側の日本において水を扱う商売は俄かに熱を帯びていくこととなり、これへの対処を求められた。
一時、フランスに向けて輸出される水の専売制が敷かれ、河川などからの過剰な水の採取や輸出などを制限する羽目になったのだ。幸い、ゲートを通過するしかないので取り締まりは非常に容易かった。
合わせる形で、ろ過技術やそれに関連する物資の需要が増大し、価格が高騰。いわゆるバブルが膨らみ始めたのであった。
同時に、少なくはない伝染病が日本側へと流入していた。
徹底した除染やネズミや虫の駆除、そして洗浄。感染者の隔離や感染拡大阻止のための徹底した滅菌、即ち火葬の実施。
性交渉などの感染を拡大する行為の制限など、いくつもの対策が要求された。
これには少なくはない犠牲者が出ており、それまでの医学の限界を示すとともに、欧州から渡来する医学への関心が高まることとなった。
史実の江戸時代の蘭学と異なるのは、医学や薬学などに限らず、欧州における歴史や常識にまで及んでいたことだろう。
木を見て森を見ず、ではなく、何を以てそういった知識や技術が生まれたのか。
根本的な違い、欧州と日本の違いを学ばなければという意識が生まれていたのである。
フランス側のプライドも大いに傷つけられることとなった。
欧州の国に対して同じようなことをやった場合に戦争となるだろうし、同じように振る舞われたら流石に腹を立てるだろう。
それはまだ我慢できたかもしれない。だが、フランス主観で蛮族に反論の余地なく指摘されたのは我慢ならないし、その蛮族が信じがたいほどきれいな環境を作り上げていることも追い打ちとなった。
1601年には国王命令でオルレアンの“大清掃”が開始され、さらに公衆便所の設置や清掃活動の実施などが義務付けられた。
とはいえ、それまでの習慣を簡単に改めることなどできるはずもなく、オルレアンを含めたフランスの衛生環境の根本解決には、さらなる長い時間を要することになったのであるが、それはまた別な話である。
兎も角綺麗な水を求め、清潔な衛生環境を求める動きはフランス王国オルレアンを中心にフランス全土へと広がっていったのである。
目に見えて伝染病の流行が減ったことは大いにフランスの利益となっていたし、“大清掃”は単なる掃除以上のものを洗い流していた。
そして、暫く時代は下ったころ。
水の輸入が拡大し、それでもなお需要に追いつけなくなったことでフランスはローマ以来の大事業への着手を決定する。
即ち、国内における上下水道の敷設および関連施設の建築という大事業への着手であった。
271: 弥次郎 :2017/11/21(火) 16:49:13
以上、wiki転載はご自由に。
いつかの議論を形にしてみました。
中世から近世の欧州とかリアル暗黒時代かなと。
調べれば調べるほど白目をむくしかないと思います、本当に。
なので、そこら辺の改善をしてもらうことにしました。
案外宮廷文化というのは、現在にも残る言葉であるとかファッションを生み出していますが、それがあんな環境から生まれたというのはどうしても「うーん」と思ってしまいます
いや、悪いこととは言いませんけどね。
次は今回登場したフランスの大事業について話を進めようかなと。
史実だともうしばらく時代を下ってから、それこそ近世に入ってからなんですが、前倒しです。
長くは書けないかもなのでさらっと流す感じでしょうね。
最終更新:2017年11月25日 10:08