872: 弥次郎 :2017/12/02(土) 18:01:41
「共産主義が危険と思われた瞬間に、ソビエトの命脈は断たれる。
何一つ無駄にすることは許さん」
「贅沢は言っていられない。何しろ、誰も贅沢をできないからだ」
「ロシアの存亡は、今日明日にも迫っている。ここにおいて手段は選べない。すべての責務と権限をソビエトへ」
「労働者や貧民層を救うための革命なのに、なぜ我々は労働者のような過酷な労働に、貧民層のような給与で従事しているのだろう」
「ならば、労働争議でも起こしてみるか?」
日仏ゲート世界「War After War」6 -Appointment with Death-
モスクワにはソビエトを讃える垂れ幕が下がっていた。
皇帝(ツァーリ)を賛美する彫刻や紋章あるいは石碑などは全て取り払われるか、赤い労働党の旗で覆い隠されていた。
それは、別にソビエトが主導したわけではない。自発的な行為であり、自然発生した行動であった。
民衆はソビエトを讃えるパレードに参加しており、赤い労働党の旗を振っている。誰もが、疲れや苦労を覚えながらも、それでも希望を抱いていた。
故に、赤軍も特にそれを咎めるようなことはしていない。精々が遠巻きにトラブルが起こらないか見守る程度であった。
あるいは、その余裕もないとみるべきか。
季節は厳しい冬。ロシアの冬は長く厳しく、何もかもを凍てつかせるものである。革命後からすぐさまその対策に乗り出す程度には、ソビエトもまた必死であった。
終戦の前に革命が起こったロシア帝国では、ソビエト連邦共産党(ロシア共産党)がその政権を担当することになった。
しかし、ほんの少し前までロシア帝国政府が担当していた業務をいきなり引き継げたかといえば、そうでもなかった。
従う人間を除いて追い出すなどしていたことで、元々厳しい統治状況はさらに過酷となった。総力戦で厳しかったにもかかわらず、である。
それをせねば革命はならずというのはおおよそ一致した見解であったし、後述の諸般の事情も絡んで、少ないパイを切り分けて取り組まねばならなかった。
まずにやるべきは戦争への動員でガタガタになった経済の立て直しであった。
だが、経済を語る前に製造や産業そのものも影響を受けていたので、これを早急に建て直さねばならなかった。
共産党にそれに詳しい人間は一応いたが、実際にとりしきれるかと言われれば、微妙であった。
そも、労働者で見本的なものとは何であろうか?忠実な人間?技量を持つ人間?それとも優れた肉体を持つ人間?
その答えは、そのソビエトから出された法などからうかがうことができる。
- 貴族の住居乃至別荘などの建造物は『宿舎』『公民館』などとして家のない労働者や人民に提供する
- 貴族の過剰な所得については生活や後述の活動に支障が出ない程度にソビエトに提供する
- 美術品などは集めて『美術館』として、ソビエト人民共有の財産とする
- 上記の活動に従事する場合、貴族のソビエト人民としての身分と生活を保障する
- 貴族の抱えている職人などは、専門職ごとにソビエト政府の指導下に入る
これらからなる『人民会議緊急特例第188条』は、事実上これまで搾取する側にいた貴族の存続を、厳しい条件ながらも認める物だった。
何しろ、国内産業は戦時動員によってボロボロ。労働者の為の住居やインフラもガタガタだった。
そして、かろうじて残っていた貴族たちの所領における国家再建のための命綱は、慎重に扱わなければならなかった。
それ故に、ソビエトにとっての苦渋の決断を下した。建前的には搾取をしていた側の人間を見逃すというのだから。
しかし、ソビエト首脳部にロシアという国家で完結した革命を目指すスターリンのような思想が史実以上に広がっていたことが、
これを強烈に後押ししていた。
貴族お抱えの職人たちはそれぞれの得意分野において生産活動に従事し、貴族たちは公民館や美術館の『館長』という身分で何とか生き延びていた。また、抱えていた資産をソビエト政府を通じて海外へと販売し、食料や衣服などを得ていった。これらもまた、ソビエトにとっては貴重な労働力であった。確かに貴族に囲われていたわけであるが、その事自体に罪があるわけでもない。その分、ソビエトの元で人民に奉仕すべき、と命じられたのである。
同様な理由から、所謂豪農や豪商などもある程度の協力と引き換えと共産党の指導の下に入ることを条件に存続が認められた。
勿論、ソビエト優位にあることは豪商たちも受け入れるものだった。党に従うしか人間しかいなかった、といえばわかりやすいか。
873: 弥次郎 :2017/12/02(土) 18:02:26
続いてソ連が実施したのは、その貴族階級の資産を使った大規模な食糧輸入だった。
ソ連が同じ共産主義を掲げ、革命を起こしていたウクライナ社会主義共和国を後援しなかった理由の一つが、欧州の食糧庫であったウクライナへの配慮であった。どちらかといえば、革命への干渉を起こさないための線引きともいえた。
暴力革命をする余裕がなかったソ連は、その暴力行使を最低限にとどめ、体面を取り繕う必要があった。
暴力と思想によって皇族を否定し、ひいては支配体制を否定し過ぎた場合、歴史ある王家や皇帝を抱える日仏に敵意ありと受け取られかねない。
だからこそ、身の潔白を証明する必要があったのだ。
しかし、それでもまだ不足があった。
単純な頭数が多く、治安の維持にも一苦労であり、年を超えているとはいえロシアの冬はあまりにも過酷であった。
では、その少ない物資を多くの人民に十分にいきわたらせるには、どうすればよいだろうか?
その答えとして導き出されたのが、俗にいう「追放列車」である。
主にロシア白軍およびロシア帝国の皇帝一家、皇帝一家に従う人々、そして犯罪者や共産主義への反対者などがまとめて東の果てへと、シベリアという過酷な環境へと追放するという大事業だった。これはソビエト連邦に賛同しない人々への粛正であると同時に、ソ連政府が保護しきれない人民を亡命ロシア帝国へと送り出して、必要とする母数を減らすことで充足させるというものであった。
シベリアに多少の家財道具や財産と共に放り出すのは残酷ととれるかもしれない。
しかし、この追放列車は太平洋側の大国である大日本帝国が手が届く範囲へと人を輸送するためでもあった。
少なくともあらゆる物資が不足するソ連よりかはマシな支援が期待できる。
結果的に言えば、これは多くの命を救うことになったのである。
シベリア鉄道の東の果てにたどり着いた人々は、はるばる運ばれてきた多くの物資や住処を得ることが出来たのである。
これらのソビエトの努力は、少なからず各国の視線の厳しさを緩めたし、共産主義や社会主義への寛容の根拠ともなった。
ここには、各国の社会学において社会主義や共産主義的な思想が注目を集めていたことも関係している。
各国は世界初の世界大戦と、その戦争が発端となって生じた膨大な損失と、疫病の阻止。
必然的に削られた予算はあちらこちらに影響を及ぼし、それによってようやく重要性に気が付いた人々が社会保障の創設や制度的な導入によって社会を立て直すべきという声をあげ、賛同者たちが集まることで各国で盛り上がりを見せたのだ。それこそ、社会全体や政治にまで影響を及ぼすほどに。
特に
アメリカやイギリスなど、一応は戦勝国であったが、最終的には大赤字を通り越した損失の国では盛り上がったし、疫病に飲み込まれそうになった比較的国力の小さい国では国体の維持や社会全体での方針として採用が検討された。
特にソビエト連邦に対して、というかソビエト連邦という名の市場に早くから注目していたアメリカには、交流や取引が活性化するにしたがってかなりの影響を与えることにつながった。
社会学者や研究者はソビエトの思想について学ぶようになり、経済の牽引役である投資家も注目した。
それだけアメリカの経済状況や社会情勢が、いわゆる「ウィルソンの大失策」によって不安定化し、打開策を必至になって求めていたということでもあった。
ソ連側にしても、日仏などに劣るとはいえ、ついでに言えば資本主義国家であるとはいえ、アメリカという大国の支援は大きかった。
少なくともヨーロッパ・ロシアに分類される立地のソ連にとっては近い取引相手であった。
さらに、貴族や王族などが存在していない人民(国民・市民)による国家のアメリカは、ソ連の建前的には問題が少ない国家と言えた。勿論、成立した土地がフランスから奪われた土地であり、そのアメリカが支配を固めるにあたって何をしていたのかに目をつぶれば、の話であったが。
斯くして、ソビエト連邦は穏当な、ロシア的な視点から見れば穏当な共産主義革命を実施。
少なくはない犠牲と悲劇を起こしながらも、ソビエトは新体制を作り上げていく。
滅びに抗わんとするソ連は、必死だった。
874: 弥次郎 :2017/12/02(土) 18:03:57
他方の、ロシア帝国亡命政府の側も大変であった。
物理的に凍り付いて終わりかねなかったと言えばわかりやすい。
そこそこ広い土地を確保しているとはいえ、多くが未開の土地のレナ川以東。
持ち出せた資産などは多くとは言えないし、ロシア白軍を含める国民を満たすにはあらゆるものが不足がちだった。
支援をしてくれる大日本帝国という国家が存在したが、どちらかといえば大日本帝国はゲート越しにフランスをアシストし、必要な食料や物資を生産し送り出すなどの仕事を抱えていた。そこからいくらか分けるにしても限度というものがある。
故に潤沢とはいえなかった。
まして、
日本大陸から船を利用して、あるいは朝鮮半島を経由して陸路輸送するという手間は負担となっていた。
何時までもタダで提供というわけにもいかないので皇室の資産から支払いが行われていたが、その立場的に見ても大日本帝国はロシア帝国亡命政府に可能な限りサービス価格での提供をしていた。
少なくとも欧州各国の国債による支払いや、すでに大暴落しつつあるアメリカなどよりは信頼が置けたが、補填されたと言っても全体から見れば少ない方であった。これも日本にとっては悩みどころである。
そのため、ロシア帝国亡命政府は、支援を受けながらも現地で調達できる資源などを収集。
これを元手として経済の新たな構築や、亡命政府の地盤づくりへと奔走することとなった。
さらに、ソ連にも言えたことであるが、日本との交流が進んだことで少なくはない風邪の患者が発生していた。
黙示録の時を告げる疫病、スペイン風邪とAB風邪である。
元々ロシアというのは風邪が流行る土地である。
気候的に発生する途轍もない寒さは人の抵抗力を奪うものである。
家の中はといえば、暖房を効かせることで相対的に湿度が低下してしまうので、喉が渇き、水分が乏しくなり、結果的には風邪にかかりやすい状態となるのだ。
文化的に見ても、挨拶の度に握手やハグなど人と人の接触が起こりやすく、人から人へと容易く伝染してしまう。
感染経路については恐らくではあるが、追放列車で運搬された西からのルートと、日本から送り届けられた東からのルートの二つがあると後年の研究では結論された。
ただでさえ社会インフラが乏しく、医療や食事そして住環境が厳しいロシア帝国亡命政府にはあまりにも厳しい試練であった。
元々、追放列車の環境は良いとはいえなかった。送り出す側に余裕がなかったことも、その余裕がない状態を生んだのも仕方がないことで、そのツケを支払ったのが追放された人々なのはなんともやるせないが、兎も角人々が慣れない旅で疲労し、弱ったことも原因と言えた。
祖国から追放されたという心労も重なったのか、ロシア帝国皇室内部にも感染者が現れていたのはさらなる衝撃を生んだ。
程度こそ軽かったもののニコライ2世が罹患し、皇太子であるアレクセイ・ニコラエヴィチまでも感染して一時重体となったといえば、その衝撃の大きさは自ずとわかるだろう。幸いにして両者は快方に向かったが、一時ロシア帝国全体を揺るがす大事件であった。
すわ、皇室の廃絶か?とまでいたったことで、亡命政府の結束は強まった。
追放されながらも、ロシアの人々は必死に抗うことを選んだのであった。
斯くして、二つに割れたロシアという国家は、二つの世界大戦の間を過ごすことになる。
それは、生存の戦い。事故を守るための、苛烈で、しかし、厳しい戦いであった。
死が全てを解決する、と鋼鉄の男は述べた。
死は誰もが避け得ない。
生まれた瞬間に死ぬことが運命づけられる。
それはまさに死との契約ともいえるのかもしれない。
だが、その死があるからこそ、死に対する恐怖があるからこそ、生というものを謳歌できる。
そして、死による解決は、何物にも勝る救いなのかもしれない。
苦しみが全て消え去ることが、紛れもなく本当なのであるから。
875: 弥次郎 :2017/12/02(土) 18:04:35
以上、wiki転載はご自由に。
こちらの方が先に出来上がったので投下です。
穏当な、あくまで民の意思に基づいた非暴力的な革命ですと言い張るソ連。
他国の王権だとか権威を積極的に否定するものではないと証言し、実行するしかないのです。
現状必死に世界を支えている日仏の脅威と認定されますと、問答無用で消されるのが分かっていますからね。
そうでなくても、社会の為と大義づけてそれぞれの抱える王家や皇室を否定されてはたまりませんし、
そういった危険な思想が自分たちの元へと広がるのはとても許容できません。
これの影響はトロツキーなどにもおよんでおりまして、無事にニコライ2世一家が国外に出れたのも、
秘密警察があくまで確保としたためなんですよね。多少は手荒に扱われたかもしれませんが、殺されずにはすみました。
ま、それ以外に関しては割といつものロシアムーブです。
追放列車とか結構劣悪で、人がポンポン死んでおりますしね。
(ロシアにしては)優しい世界。苛烈な世界だから、甘さは死につながる!しかたないね☆
それに、追放者の中には無実の人もおりますが、実際に犯罪とか汚職をやらかした人間もいます。
ある程度は標識されていますが、誰が信頼できるかわかったもんじゃないです。でも、それもしかたないね!
史実以上にアメリカにソッチ方面のつながりが出来ていますが…まあ、順当にアメリカ内部で変化しますね。
アメリカナイズといいますか、都合の良い解釈をするというのは古今東西万国共通でありますから。
では次をお楽しみに。
オスマン編が終われば、〆に入りますか…
879: 弥次郎 :2017/12/02(土) 18:41:10
ちょっと修正
×疫病に飲み込まれそうになった比較的国力の小さい国では国体の維持や社会全体での
〇疫病に飲み込まれそうになった比較的国力の小さい国では国体の維持や社会全体での
最終更新:2017年12月10日 12:44