416: ぼのぼの :2016/04/23(土) 13:07:46
 ※日蘭蜜月世界支援ネタSS ・ 戦艦<オセアン>に関する小史

 戦艦<オセアン>とは、フランス共和国海軍の戦艦の艦級の一つ、<クールベ>級戦艦の三番艦。
 旧称は<ジャン=バール>であるが、1938年に<オセアン>へと改称。
 <ジャン=バール>の艦名は同時期に就役した最新鋭戦艦<リシュリュー>級戦艦二番艦へと譲っている。

 1913年に就役したフランス共和国最初で最後の弩級戦艦のうちの一隻であり、
 第二次世界大戦当時、フランス共和国海軍が運用していた最も古い戦艦であった。
 主砲の30.5センチ砲は既に陳腐化して久しく、速力も機関の老朽化のために著しく落ち込んでおり、
 ネーデルラント連合帝国などに代表される列強海軍に対する戦力としては疑問符が付いていたことから
 一時は既に廃艦となっていた他の三隻同様、除籍も視野に入ったものの、
 当時不穏な気配が漂っていた植民地情勢を鑑み、1938年に警備を目的に仏東洋艦隊へと配置された。

 しかし1940年1月に始まる第二次世界大戦と第一次中華共産動乱は、
 晩節を東洋にて静かに過ごすはずだった彼女の運命を変えることになる。
 当時、仏東洋艦隊において最大の火力を有していた彼女は、
 第一次中華共産動乱初期の仏領エストシナ沿岸部での対地砲撃にて大きく貢献。
 特に動乱初期、エスト=デ=パリ(*1)市内で蜂起した中国共産党中央派民兵集団(*2)を
 艦砲射撃にて撃滅し、エスト=デ=パリの治安回復に寄与した功績は
 仏植民地軍の再編成とエスト=デ=パリ近郊の在留仏邦人の脱出時間を稼ぎ出すことに繋がった。

 だが連日の砲撃は廃艦間際の旧式艦であった<オセアン>の艦体に疲労を蓄積させていた。
 そしてエスト=デ=パリからの邦人の脱出が佳境に差し掛かりつつあった1940年2月2日、
 何度目かも解らない対地砲撃を試みた<オセアン>の右舷主砲塔左砲身にて、腔内破裂が発生。
 主砲防盾の内側で発生した破裂の衝撃により、右舷主砲塔は要員ごと壊滅。
 さらに艦体と機関へも影響を及ぼし、機関損傷による航行不能と電源喪失、さらには火災を招くこととなった。
 このうち、火災はやがて収まったものの既に自力航行は不可能な状態となっており、
 かといって船舶による曳航は当時の仏東洋艦隊があらゆる艦船を
 邦人の撤退に用いていたことから難しいと判断が下された。

 ここに至り、仏東洋艦隊司令部は<オセアン>の放棄を決定。
 総員退艦が発令され、完了後に兵器の鹵獲を防ぐために水雷艇による撃沈処分が実行される。
 この際、海軍旗を降ろそうと試みたが何故か降りず、やむを得ず海軍旗を残したまま攻撃が実行。
 だが水雷艇の攻撃は<オセアン>が浅瀬にあったことから中途半端に終わり、
 <オセアン>は右舷側に傾いた状態で着底、擱座することとなる。
 やむを得ず今度は爆薬による破壊が行われ、<オセアン>は爆薬で破壊された状態で現地に残された。
 その後、エスト=デ=パリを占領した中国共産党中央派は、
 擱座した<オセアン>より兵器の接収を試みるも破壊が実行されていたことから断念。
 憂さ晴らしであるかのように数度沿岸砲部隊の演習標的として利用され、
 エスト=デ=パリが奪還されるその日まで、さらなる破壊が行われている。


(続)

417: ぼのぼの :2016/04/23(土) 13:09:28
 そして1944年2月、ソヴィエト連邦との停戦妥結に伴い、第二次世界大戦が正式に終結。
 しかし、戦後に発足したフランス連邦共和国は敗戦国であるが故に余力に欠いており、
 <オセアン>は解体されることなくエスト=デ=パリを望む浅瀬に長らく残された。
 だが、そんな<オセアン>には常に奇妙な現象が付き纏っている。
 曰く、夜間に主砲塔が動いているのを見た。
 曰く、水兵が甲板を動き回っているのを見た。
 曰く、航行する民間の船舶が<オセアン>発の無電を受け取った。
 これらの噂により<オセアン>は長らく呪われた戦艦、フランスに恨みを抱く戦艦と目された。
 なお噂を重く見た仏領エストシナ政府が1950年代に数度、解体を試みたものの
 作業船が不調になるなどの問題が相次いで生じており、噂の信憑性を高める結果に終わっている。

 そうした<オセアン>を取り巻く事態が変化したのは、1962年。
 特務砲艦<松島>に連絡要員として乗り合わせ、エスト=デ=パリ奪還などに係わった
 大日本帝国海軍のある退役将校が<オセアン>に纏わる噂を耳にし、
 依然としてエスト=デ=パリに向けて主砲を振り上げたまま擱座している<オセアン>を指して、
 彼女はまだ戦っているのではないか、作戦の終了を通達してはどうか、と発言。
 半信半疑であったものの、手立てを打ち尽くしていた仏領エストシナ政府が
 仏東洋艦隊司令部を通じて<オセアン>に対して、
 大戦当時の暗号でエスト=デ=パリでの全ての作戦が終了した旨(*3)の通達を行った。
 するとその日を境に<オセアン>に纏わる心霊現象の類のほとんど(*4)が止み、
 翌1963年に<オセアン>は無事に解体(*5)。
 <オセアン>は就役から半世紀の戦いを終え、東洋に眠ることとなった。

 なお余談であるが、こうした<オセアン>に纏わる話は
 解体前後に大日本帝国などでも広く知られることとなり、軍艦信仰の強い傾向も相成って、
 特に今日の帝国において、<オセアン>は<リシュリュー>に次いで有名な仏戦艦の地位を築いている。

 (終)

 *1 : 当時は旧称である上海と呼ばれる場合もあった。
 *2 : 所謂、中央共産党。後にセクトとも。
 *3 : この際、当時<オセアン>乗組員であった東洋艦隊司令官が独断でご苦労であった、との一文を付け加えている。
 *4 : 全てが止んだ訳ではなく、現在でもエストシナ沿岸で航行する<オセアン>を目撃したとの噂が時折生じている。
    そのため、フランス連邦共和国海軍は<オセアン>を現役の共和国義勇戦艦として取り扱い、
    暗黙のうちに新型艦艇に対して<オセアン>の艦名を付けることを止めている。
 *5 : 解体の際、信号檣にわずかながら切れ端が残っていた海軍旗が回収されており、
    現在フランス連邦共和国海軍博物館エストシナ分館にて展示されている。

425: ぼのぼの :2016/04/23(土) 14:33:12
という訳でオセアンの話でした
当方では正史と異なり、仏海軍は開戦時にオセアン含めて8隻の戦艦を運用していました
これは正史の新型戦艦5隻に加え、旧式戦艦3隻を退役させなかったという形ですね
予算の問題がありますが、陸軍の装備があんなことになっていたので
海軍はもうちょっと無理ができたはず、ということでここは一つ……

 ・ 仏本国艦隊(ブレスト、シェルブール) : 41センチ砲戦艦5隻
   ・ リシュリュー級戦艦 : 2隻
     <リシュリュー>
     <ジャン=バール>
   ・ アルザス級戦艦 : 3隻
     <アルザス>
     <ロレーヌ>
     <ブルゴーニュ>

 ・ 仏地中海艦隊(トゥーロン、メルセルケビール) : 34センチ砲戦艦2隻
   ・ プロヴァンス級戦艦 : 2隻
     <プロヴァンス>
     <ブルターニュ>

 ・ 仏東洋艦隊(エスト=デ=パリ) : 30.5センチ砲戦艦1隻
   ・ クールベ級戦艦 : 1隻
     <オセアン>

427: 名無しさん :2016/04/23(土) 16:45:41
発 : フランス共和国海軍東洋艦隊司令部
宛 : フランス東洋艦隊第一戦隊戦艦<オセアン>

我がフランス共和国はエスト=デ=パリを含むエストシナ地域を奪還
敵軍は内陸へと駆逐され、エストシナ地域は回復されつつあり

これをもち、貴艦のエスト=デ=パリ近海での水上警備及び対地支援砲撃任務を解く
以降、水上警備は東洋艦隊新旗艦、コマンダン=テスト以下が引き継ぐ
戦闘行動を停止し、現在地点で待機。次の指示を待て

追伸、大変ご苦労だった。ありがとう。よく休め

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最終更新:2018年01月24日 08:54