489: ひゅうが :2018/07/14(土) 01:40:58
即興で考えてみた
――天明3(1783年)、浅間山は静かだった
この年、江戸幕府の財政は完全な黒字化を達成
老中首座たる田沼意次の名声はとどまるところを知らず、翌年に発覚した彼の長男の暗殺未遂事件とそれに伴う白河藩主松平定信の重蟄居に象徴されるように、彼は極東の弧状列島において五指の上位に入るほどの権力を確立した。
この時代の自由な風潮の中心であった彼のもとには多くの奇人変人が集まり、口さがない江戸っ子は「今鹿苑院(足利義満)」「江戸太閤」とはやしたてたものだったが、彼の側に控えた御伽衆の異才は本物だった。
とりわけ世界経済史上に特筆されるべきなのが、100年余り前の鬼才萩原重秀の再発見であろう。
「貨幣は国家が造る所、瓦礫を以ってこれに代えるといえども、まさに行うべし」というあまりにも有名な言葉に始まる経済理論は、現代でいうところの管理通貨制度とインフレ理論を確立していたのだ。
そしてあまりにも早すぎたこの理論を、金本位制の確立というある程度現実的な方向へと持って行った彼の御伽衆をこそ称賛すべきという声もまた大きい
意次とその息子意知が政権を担った半世紀あまりの時間は、近世的繁栄の只中にあった日本列島をさらに大きく発展させるのに十分だった。
それも、あまりの需要の増大から自ら神君家康公の事績を持ち出して三代家光のいわゆる鎖国令を反故にしようとするほどに。
こうして、1830年、浦賀沖に
アメリカの商船モリソン号が来訪したときには、江戸幕府は諸手を挙げて歓迎をするに至る。
すでに鎖国は有名無実化していた。
ナポレオン戦争のどさくさに紛れてオランダ本国が消滅したことやオランダ東インド会社が日本列島を植民地扱いしていたことが発覚したことを受け、幕府はすでにロシア極東との間で制限交易を開始していた。
清朝との間に国交はなかったが、1812年の天理教徒の乱(癸酉の変)においては義勇軍扱いで西国諸大名はもとより幕府から浪人が「輸出」されるなど非公式の友好関係は続いていた。
実のところ、日本列島は金本位制の採用という選択を行った上に諸藩と幕府の紙幣発行を許したことから何を売ってでも金を手に入れる必要があったのだった。
この動きに追随したのが、中国大陸をめざす大英帝国であった。
のちの歴史からみれば不幸なはじまりをした清朝との出会いにあって、海禁政策を敷く清朝の裏口が日本列島であったのだ。
結果、たまりかねた幕府がなし崩し的な国交を結ぶまで日本周辺には英国艦が数多く出没。
さらに主権が曖昧であった北琉球こと奄美諸島の周辺を植民地化せんとするような動きをみせた英国に対し、特に経済的に強大化の一途をたどっていた西国諸大名が悲鳴をあげていた。
その英国から独立したアメリカとの友好関係はまことに望むべきことだったのだ。
時のアンドリュー・ジャクソン大統領は何より強烈な反英主義者であり、急きょ編成されたアメリカ東インド艦隊を清でなく日本列島へと向けることでついに公式の国交が結ばれた。
そして時代も日米の接近を後押しする。
1840年、アヘン戦争勃発。
公式には幕府と無関係であるところの「和僑軍」が英国海軍の海上機動に翻弄され続け、天津では海上からアウトレンジ砲撃を受けつつ英国海兵隊の戦列歩兵と戦うという衝撃的な経験をしたのである。
開戦経緯とその結果に、江戸幕府はもとより朝廷も恐怖した。
樺太で散発的な衝突が起きている程度にロシアとは領有権問題が発生しており、アムール川探検隊と日本側の屯田兵が公式の交戦状態に入るなど、関係は一時的な冷却化をしていた。
そんな中であの清朝を下した英国艦隊がやってくるなど冗談ではなかった。
こうして、1842年、オランダ本国に派遣されていた幕府公使から「英国艦隊日本本土へ向け進発(これは誤報で香港駐留艦隊の増派だったのだが)」の急報が飛ぶにおよび、江戸幕府は決断する。
当時日本へと来航していたジェームズ・ビドル代将のアメリカ太平洋艦隊(東インド艦隊から改組)との間に相互安全保障協定を締結。
もはや避けようがなくなった英国との直接交渉時に一定の圧力を期待したこの協定が、紆余曲折を経て日米同盟へと発展することになろうとは、このときの日米いずれもが予想すらしていなかった。
490: ひゅうが :2018/07/14(土) 02:07:41
というわけで、また考えてみました
江戸幕府は、田沼時代が55年体制なみの安定政権と化したおかげで国内経済の拡大期に移行
経済成長に伴って田沼は史実でも考えられていた対露限定開国路線を既成事実化。
三世の春といわれる繁栄を謳歌している清朝と二股をかけることでオランダを牽制。
フランス革命戦争にともない1795年のオランダ本国が占領されたことをもって一気に貿易枠の拡大を実施することに
これにより19世紀初頭には日本は正貨たる金を飲みこみそのかわりに銅や硫黄を銀本位制下の清朝に輸出する体制が確立された…というIFです
あとは産業革命を起こす直前にまで資本の蓄積が進むのを待つだけだったのですが、ブリテンに目をつけられてしまいました。
幸い、清朝がアヘン戦争でやっぱりやられたことから一時的な小康状態を得ましたが、金に目がくらんで傭兵を送っていた幕府はもとより朝廷も阿鼻叫喚
これによって、とりあえず英国と対立関係にある勢力であり、ロシアのように総督がかわると外交関係が正反対に変わる野盗のような存在でないと認識された米国と目があい――
ちなみにこの後、南北戦争でアメリカが動けなくなったり史実よりハードモードな安政の大地震と浅間山噴火が重なり、英仏が蠢動する模様
最終更新:2018年07月15日 14:26