513: ひゅうが :2018/07/14(土) 18:28:35
とりあえず続けてみた



――日米和親条約および日米修好通商条約
日本史上に特筆されるこの2つの条約の成立は、世界史上においても奇跡の産物だった。
有色人種国家と欧米国家との間に締結された平等条約であったことはもちろん、その付帯条項に現代でいうところの相互安全保障条約的な要素が含まれていたのである。
リベラルな当時のアメリカ合衆国ですらインディアンと呼ばれる有色人種を西へ西へと極めて非道な行いによって追いやっていたように、産業革命後の国家と前近代国家との間にはそれほどの力の差が生まれていた。
であるからこそ、アヘン戦争のような暴挙が成立し得たし宗教的な裏付けが得られたとはいえこの後数十年は白人至上主義と帝国主義が席巻し得たのである。

しかし、アメリカ太平洋艦隊が(多分にその実力をみせつけるために)日本列島へ到来したとき、日本列島ではすでに産業革命の前段階としての発展が成立していた。
江戸幕府による貿易の国家統制という性格の強かった鎖国政策が順次緩和されたこと、そして日本列島に存在していた大銀山や大銅山の鉱物資源、巨大すぎる鉱物資源消費地であった清朝が日本など一部の国以外に海を閉ざしていたことがその理由だった。
そして日本列島を強権的に包み込んだ金本位制に対し、清帝国は銀本位制だった。
寛永通宝という「鉄貨」が成立し得たように、田沼時代中期に至って断行された「切手切替」によって日本国内に存在していた大量の銀はほぼ例外なく幕府に回収されていた。
三世の春といわれる中華地域の未曽有の繁栄を利用して幕府は金銀複本位制から金本位制への強引な転換に成功していたのである。
あとは、切手と呼ばれた事実上の紙幣を流通させ、かつ額面と金との交換レートを変動させる。
繁栄の頂点を迎えていた18世紀末の江戸幕府でなければ決してできなかった決断だった。
田沼時代の後期は、こうして人工的に発行量を増大させられた通貨によるインフレ誘導に彩られていた。
そのため、日米修好通商条約が締結される1840年代に入る頃には、日本国内において蒸気機関が稼働を開始していたほどだった。
まずもって、経済成長を下支えする足尾銅山や別子銅山、そして石見銀山や佐渡金山の産出量確保とその輸送のためだった。
だが、それだけでは足りなかった。
爆発的な発展を遂げようとしていた日本経済にとっての最大の足かせとなったのは、鉄の不足という現実だった。
ゆえに、江戸幕府は鎖国体制のさらなる緩和を行ったのだ。
大英帝国に目をつけられると、なおいっそうその動きは激烈となった。
どうにかして欧米の持つ武器を手に入れ、また海軍を建設しなければならなかったからだった。

一方のアメリカは、この当時良くも悪くも若い国家だった。
無邪気に差し出された手をとったのは、アメリカ独立戦争に参戦した最後の世代となる合衆国の最上層部。
多分に遅れたアジアの国が英国に侵略されるのから守ってやるという意識が強かったことも事実だが、この意識こそが日米間の相互安全保障協定へと結実する。
どさくさに紛れてオランダへと送り出されていた有為の人材が数多く存在していたことも優位に働いた。
なにしろ、蘭学者たちは狭い日本に住み飽きていた。
そうして帰ってきた者たちの多くがオランダ語だけでなくもうひとつの言語、英語を習得していた。
少数派ではあるが当時の外交公用語たるフランス語を習得している者もいたほどだ。
こうして、下田港で行われた日米折衝は友好的に進み、1843年2月21日、日米修好通商条約および秘密協定たる日米相互安全保障協定は成立。
アヘン戦争を大勝利に終わらせたばかりの大英帝国が香港駐留のアジア戦隊を江戸湾へと向かわせたとき、そこにはアメリカ太平洋艦隊の保有する蒸気船2隻を含む8隻のフリゲート艦と、それに数倍する洋式帆船をもつ日本水軍が存在していたのだった。
海岸にのぞむ工業地帯には、オランダからの技術導入(彼らは祖国の現状からもはやそうしたものを売らないといけないくらいに追いつめられていた)と国内の技術再現で完成した反射炉や蒸気機関の黒煙が上がっていた。
保有する大砲こそいささか旧式ではあったが、海岸線にならべられた幕府軍の数は圧倒的だった。
実のところ、このとき並べられた軍勢は張りぼて以外の何物でもなかったのであるが、幕府の賭けは成功した。
歴史は、日本の完全開国を1844年5月であると記している。

514: ひゅうが :2018/07/14(土) 18:29:06
こうして体制変革を軟着陸させたかに思われた江戸幕府であるが、歴史家はこのときをもって江戸幕府の消滅は決定づけられたと記すことになる。
1840年代の日本列島を襲ったのは、これまで経験したことのない病原体の猛威であったのだ。
さらに1850年代に至ると、母なる日本列島そのものが日本人に牙をむく。
経済的繁栄の極致に至っていた巨大都市江戸の経済圏の崩壊は、経済的結びつきを強めていた西国雄藩を直撃。
藩札の無制限発行に伴う急激なインフレーションと合計6つの巨大地震の連動、さらには浅間山大噴火に伴う関東平野への降灰直撃にはじまる「安政の大飢饉」が、日本人の上に重くのしかかることになるのである。
そして、このとき北米大陸でも未曽有の戦乱が巻き起こりつつあった。
アメリカ南北戦争である。
後ろ盾となったはずのアメリカ合衆国の外征能力喪失を見逃すほど、このときの列強たるロシア、フランス、そして大英帝国は甘くはなかった。

515: ひゅうが :2018/07/14(土) 18:34:53
Q:何が起こったんです?

A:カムチャッカ地震(M9.0)+東日本大震災(M9.0)+宮城県沖地震(M8.3)+三連動大地震(9.3)+2度の関東大震災(M6.9+M8.1)が日本列島を直撃しました。
  ついでに浅間山噴火が発生しています

516: ひゅうが :2018/07/14(土) 18:36:27
追記――英露が日本側の検疫を無視したおかげでコレラ大流行と麻疹大流行も同時発生中です。笑えよ

519: ひゅうが :2018/07/14(土) 18:46:45
とりあえず、分割しておいた災害と一度にぶつけてみた
大自然の力をあわせれば、どんなリアルチートジャパンにも勝てるって気がする!(衛藤可奈美風)

520: ひゅうが :2018/07/14(土) 18:48:51
災害描写については不快と思われる方もおられると思いますので割愛いたします

521: ひゅうが :2018/07/14(土) 19:01:28
で、>>519のお詫びに元ネタ解説

  • だいたいの内容は、史実における「安政の大地震」における安政東海・南海地震の同時発生による
  • 浅間山噴火を阻止するに至るマグマ供給の遅れを勘案し南海トラフ沈み込みの際、史実に存在していない海山により固着がさらに進んでいたことを想定
  • そうなると、最低マグニチュード9クラスの大地震の発生となる(なにしろもとが巨大すぎる地震なのだ)。そうなると、史実で隣接しつつ動いていない震源域まで同時に圧力解放が発生する
  • すなわち、関東大震災の震源域である。これが安政江戸地震とともに発生したものとする
  • 圧力の抜けすぎに伴い、仙台を時間差でおそった安政仙台地震の同時発生も考えられる。そうなると――あっ(この辺で顔が青ざめはじめた)
  • 史実の東日本大震災クラスの発生も考えると…これもう千島海溝も動くな

考えていて青くなりました

522: ひゅうが :2018/07/14(土) 19:08:12
で、筆頭にみえる三連動大地震のM9.3表記ですが、例があります
宝永地震。これのエネルギーは実はモーメントマグニチュード基準で9.3であり、さらに約2000年前の大地震はその宝永地震以上のエネルギーだったと推定されています
これに基づき、相模トラフから南海トラフまでの全域がずれ動いたと考えてこの値を採用いたしました
不快にさせてしまった方々には申し訳ありません

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最終更新:2018年07月15日 14:29