704: ひゅうが :2018/07/17(火) 17:01:07
マシュー・ペリー提督は、この時代のアメリカ人らしくアメリカの自由と民主主義を信望した人物であった。
そんな彼が、「帝国」の設立にかかわったことについて疑問を呈する者も多いだろう。
だがここにあるファクターを加えてみると驚くほどあっさりと事態が見えてくる。
神戸沖という天然の良港に錨をおろしたペリー艦隊に接触してきたのは、福井藩出仕の熊本藩士 横井小楠と、勤皇家であり淡路の大地主であった古東領左衛門だった。
そして18世紀末以来日本が蓄積していた対外知識をもってひとつの策をペリーへと提示する。
「新政府設立を米国がいちはやく承認してほしい。聞けば、ペルリ提督は合衆国大統領の特命全権であられるとか。
どうかそのお力で、エゲレスやおろしあの蠢動からこの日ノ本を救ってほしい」
小なりとはいえ、アメリカ合衆国は欧州国家である。
そんな彼らが新政府設立を間髪入れず表明すれば、英露の介入を最低限で済ませられるという奇策だった。
老獪なペリーは日本側の狙いをすぐに理解した。
そこで、あくまでも合衆国の権利を追求しつつこれに乗ることにする。
これまでは神奈川(横浜)や箱館(函館)、新潟や長崎といった4港に限られていた開港地を近いうちに拡大し、外国人の国内往来を認めることを彼はまず求めた。
あっさりとゆるしを得たことから少々気が大きくなったペリーは、持参したコーヒーを手に少しばかり高圧的に「封建体制から民主的な共和国への移行」を求めることにした。
このときペリー艦隊を訪問していた日本人は、勤皇家という向きの強い畿内の人々と、日本水軍へと送り込まれていた幕府内では危険なほどリベラルな人々、そして福井藩を筆頭にした雄藩の開明派という寄り合い所帯だった。
当然、気色ばむ人間も多かった。
だが、横井はニヤリとわらってこう返す。
「わが新政府は、ローマのごとくあろうと考えておりまする。」
アメリカ合衆国は、ローマ帝国を多くの面で範としていた。
連邦議会議事堂にはSPQRすなわち元老院ならびにローマ市民の称号が高らかに掲げられており、その前には(まだ建造中だったが)オベリスクすらそびえたっていたのだ。
そして、彼らは「腐敗した旧大陸とは違い、新大陸ではかつてのローマのように正しくあろう」という意識を極めて強く持っていた。
横井の発言は、将来的な議会制民主主義の構築を示唆するものだった。
この自力で産業革命直前にまで至った発展途上の島国には教皇的皇帝と現世的皇帝が両立していることをペリーは知っていた。
そして片方が未曽有の大震災によって倒れた今、この小男は一気に時計の針を進めて合衆国と肩をならべようといっているのである。
705: ひゅうが :2018/07/17(火) 17:01:45
面白い。とペリーは思った。
この時代のアメリカ人がこうまでいわれて協力しないという選択はありえなかった。
抜け目なく、今後の合衆国艦隊への補給(もちろん有償である)と合衆国船の救難への協力、さらにはミッドウェー諸島の領有権と小笠原諸島の日本領化を交換で実施するなどの対価は得たが、与えられた権限に基づき「クリミア戦争の間英国およびロシアの干渉に対し合衆国は貴国の立場に立つ」という現地同盟の締結を認めた。
日本側にとっては想定以上の成果であった。
気前のいいペリーは、同盟の事後協議とともに自動延長条項までつけていたのだから。
かくて、1855年1月3日 こののちの日本外交の基本となる日米同盟は締結された。
そしてその文書には「大日本帝国」の字がはじめて踊り、これをもって江戸幕府は対外的には消滅。
にわか仕立ての帝国は国際社会の荒波に乗り出していくことになる。
その最初の仕事は、なんとか自力建造したばかりの(もちろん非蒸気動力である)西洋式帆船を有する日本「海軍」をもって、保障占領に迫る英露に日米共同対処することだった。
条約締結から2日後、英国海軍艦艇が下関海峡を強行突破し大坂湾へ至ったとき、ようやく水の引いた商都へ戻った人々の眼前で日の丸と星条旗を掲げた艦隊が前面に展開。
おっとり刀で大坂湾に展開した福井藩兵や大和郡山藩兵、さらに十津川郷士たちは孝明天皇から「錦の御旗」を掲げて海上をにらんでいた。
同じく、とりあえずという形で日本海側の開港地である新潟の市街を占拠したロシア兵は海路届けられた「錦の御旗」を掲げた長岡藩兵と会津藩兵に遠包囲される。
結局、英国艦隊が状況を瞬時に察知してこの新生日本政府を即時承認し、救援物資の陸揚げを行ったのに対し、ロシア側の行動は艦隊司令官たるプチャーチン提督の命令とシベリア総督の命令が錯綜し、1年以上も日本海の要衝対馬と新潟、そして佐渡島の一部を占拠されるという日本側の感情にとってもプチャーチン提督の胃にとっても最悪の結果を残して終結した。
三大都市圏の復興と、同盟条件として日本側が約束した体制変革を大きな課題として抱えた日本にとっての主敵はこうして、帝政ロシアとなったのだった。
(なお、帝政フランスは英国の陰に隠れて目立った行動を起こしていない。
だが外交交渉で米国に次いで国交を結んでいることはナポレオン3世の手腕としてある程度評価されるべきであろう)
706: ひゅうが :2018/07/17(火) 17:03:49
とりあえずこんな感じで
アメリカ「べ、別にあなたのためにやってることじゃないんだからね!」
フロンティアスピリットに溢れるヤンキーが一肌脱いだようです
707: ひゅうが :2018/07/17(火) 17:06:51
ついでに、【朗報?】天誅組が御親兵になりました【悲報?】
最終更新:2018年07月20日 14:16